99話
「失礼します。国王陛下より伝言が御座いました。急ぎ会いたい、と。」
ファンガル伯爵は自身の執務室で領内における警備を担当する領軍からの報告書を見ていた。
彼が集中していたのもあってか、父である前当主にも仕えた執事が入室している事にも気付かなかったようだ。
声をかけられ驚きはしたものの、それを上手く取り繕ってゆっくりと書類から目線を上げる。
その時間で先ほどの執事の言葉を咀嚼した。
「陛下が?分かった。すぐに行く。」
伯爵はすぐに立ち上がり、執務室の端に設置された姿見で身なりを整えた。
執事は伯爵が脱いでいた上着を手に近寄り、後ろから広げて近付ける。
伯爵が袖を通しやすいよう配慮されたその角度は、彼が幼き頃より伯爵家に仕えた執事だからこそ出来る最高の距離感だった。
「ありがとう。では行ってくる。…あぁ、そこの書類を各方面に配布しておいてくれ。」
執事はその歳からは想像できないほど綺麗な礼で返事とした。
頼りになる執事に見せる事なく頬を上げた伯爵は、急ぎ足で執務室を出て行くのだった。
国王が伯爵を呼び出すのは、今回の避暑では初めての事だった。遣いを出して直ぐに国王が滞在している部屋まで来た伯爵に、国王は少しばかり申し訳なさそうな表情をした。
だがそれも一瞬の事で、普段の凛々しい王としての顔に変わる。
対面のソファを伯爵に勧めると、伯爵は礼を言って腰掛けた。
「忙しい所にすまぬな。」
「いえ、私は陛下に忠誠を誓った臣下に御座います故。いつ何時も陛下の招集に応じましょう。」
同じファンガル伯爵でもここまで性格が違うか、と思わず苦笑しそうになる国王。
前当主は国王が呼びつけても、何かと理由をつけて逃げ回っていた。
伯爵はそんな父の行動を詳しくは知らないが、ヴェルムと話す度に父の過去の蛮行を耳にし項垂れる。
父が国王に失礼な態度をとっていた分、自身はより深い忠誠でもってお仕えするのだ、と決意している。
今もすまなそうに言う国王に、一切気にする必要は無いと態度で示した。
「実はな、今回の避暑を餌にした所、遂に釣れたのだ。よって、私は直ぐに首都へ戻る。其方は私がここにおるように振る舞ってほしい。避暑の礼は首都で会った時にな。」
伯爵へは何も説明していないようだ。
だがそれでも伯爵は疑問を挟む事なく頷き跪いた。
「この度は我が領に陛下をお招き出来たこと、誠感謝にたえません。陛下に視察いただいた工房や市場も、より一層の発展をお約束しておりました。どうぞお気をつけてお戻りください。もし次が御座いますれば、陛下に食していただきたい物、見ていただきたい物が数多御座います。私共ファンガル伯爵家は、永劫の忠誠とお力添えを約束致します。どうかご武運を。」
伯爵と国王は親しいと言える程の関係ではない。それは国王と前当主であって、その息子ではなかった。
だが、ファンガル家は建国当時より王を支えてきた忠臣。
その血が確実に伯爵にも流れている事を実感させる口上だった。
国王は鷹揚に頷き、その忠誠を受け取った。
跪いた伯爵を立ち上がらせた後、二人は少しだけ遣り取りをする。そしてその後国王は部屋を出た。
それを見送る伯爵の目は爛々と輝いており、今まで英雄の息子として周りに比べられるのを恐れた少年の面影は一才無かった。
「サイ、後は頼むね。」
「お任せください。ヴェルム様も、ご武運を。」
城に着いた日の夜にパーティーが行われたホールに、ドラグ騎士団の四番隊以外の隊員が集まっていた。全てではないとはいえ、かなりの人数がいるにも関わらず、皆が気配を薄めているため壁一枚隔てるだけで中に人がいるとは誰も気付かない。
今は出発の最終確認をしているようで、抑えられた音量の囁きがそこかしこで呟かれていた。
そんな中、ヴェルムが城に残るサイに挨拶をする。
普段はヴェルムを団長と呼ぶサイも、他の誰も聞いていないのが分かっているからかヴェルム様と呼んだ。
サイがここに残るのは、五番隊の隊員が扮する国王を護っていると思わせるためだ。
諜報部隊伝統の変装術で見事に国王と同じ姿になった隊員を、サイ率いる四番隊が警護する。
本来予定されていた避暑の期間をそのまま過ごし、行きと同じように馬車で首都に戻る。
勿論、各隊からもそこそこの数がここに残る。今までここでしていた行動を、人数を減らしても怪しまれないよう継続するためだ。
「この案件が終わって、皆んなが落ち着いたらまた宴をやろう。また皆んなと酒を酌み交わしたいんだ。」
「はい。勿論です。皆も喜びます。わたくしも楽しみにしておりますわ。」
見る者を魅了する笑みヴェルムに向けるサイ。これからしばしの別れとなるが、これも任務である。
十分な別れを惜しんだ後、国王がアイルと共に転移してきた。
それを合図にドラグ騎士団は整列し、団長の言葉を待つ。
「やっと今回の本題に入るよ。皆んなの気合は十分だね?では各自戦闘用意。時間を合わせて。…五、四、三…。」
ヴェルムのカウントダウンは途中で途切れる。同時に圧迫感を感じるほどの魔力の渦がヴェルムから溢れ出した。
転移魔法の発動である。
一人を転移させるだけなら、このような膨大な量の魔力は必要ない。
才能さえあれば然程難しくないのだ。
だが、大人数を移動させるとなれば別になる。宮廷魔法使いが束になっても足りぬ量の魔力が、一人増える毎に倍ではなく乗で増えていく。
騎士団を転移させるという事は、実質不可能なのである。
それでも転移魔法使いが有用である事は事実のため、その才能を持つ者は国によって保護という名の管理をされる事になる。
ヴェルムから溢れ出た魔力が、カウントダウンの残り時間が終わると同時に魔法に昇華する。
その瞬間、騎士団と国王はホールから消えた。
ポツンと取り残されたのはサイただ一人。
その顔は不安げで、心配だと書いてある。
「ヴェルム様、そして皆んなも…。ご武運を。」
静かに呟いた言葉は、誰もいないホールに虚しく響いて消えた。
数多の者が触れてみたいと願う輝く金髪も、美貌を引き立て知的な印象を与えるリムレスメガネも、どこかその輝きを燻ませていた。
ピシャリ、と何かを叩く音が聞こえたかと思えば、それはサイが自身頬を叩く音だった。
顔をあげた彼女の表情は既にいつも通り。部下に心配を気取られないためにも、任務は忠実にこなさなければならない。
気合を入れ直したサイが去る音だけが、静かなホールに響いた。
「一番隊、そのまま正面に突撃!足並みを揃える必要はねぇ!兎に角こじ開けろ!」
「二番隊は一番隊を援護しながら前にでます!一番隊が切り開いた道を維持する事に専念しなさい!」
「中隊毎に分かれて左右から揺さぶりをかけます!その間も情報の収集を並行して行いなさい。クルザスとステイルは私の側に。行きますよ。」
「三番隊の補佐に出る以外は国王の側を離れるな。適宜各隊の補佐も出来そうならしていけ。一番隊は防御が薄い。護れるなら手を貸してやれ。」
ヴェルムたちが転移した先は、グラナルド王国北部。辺境伯家が治める土地だが、国境を越えれば北の国だ。ここは国境に沿って森が広がっており、その森を抜ければ容易く入国出来てしまう。そのため、辺境伯家の私兵が毎日巡回する事で警戒している場所だ。
転移した瞬間、普段は落ち着いた草原が広がるこの場所に、夥しい数の魔物が溢れているのを発見。
同時にドラグ騎士団は各隊の役割を果たすべく行動に移った。
ガイア率いる一番隊は、攻撃力に優れた突撃部隊。彼らが魔物の壁を突破し、中央まで道を切り開く事が出来れば、この群れを統率する個体を撃破し易くなる。
それを補佐しつつ、一番隊が通り過ぎた場所をまた魔物が埋めてしまわないよう、道を維持するのが二番隊の役割だ。
攻めも守りもそつなくこなせる二番隊だからこその役割である。
三番隊は遊撃。中央を突破されぬよう魔物が集まってくるのを防ぐため、挟み込むように左右から魔法で攻め込む。もし仮に中央が突破できずとも、三番隊が隙を生み出す事でそれを可能にする。
五番隊は国王の警護と、遊撃の三番隊の補佐。そして、攻める事のみに特化した突撃部隊となっている一番隊への奇襲を防ぐ。
今は四番隊の殆どがファンガル領にいるため、各隊に数班ずつ四番隊が同行している。
彼らは怪我人の治療や、アンデット系の魔物がいた時の対処のためにいる。
アンデット系の魔物は聖属性魔法で簡単に討伐出来るからだ。
「こ、これは…!ヴェルムはこの状況を予測しておったのか?」
現地に着いて早々、国王が驚きの声をあげる。隣に立つヴェルムは、涼しい顔をして頷いた。
「当たり前じゃないか。西の国が盗み改良したのは、魔物の進化を強制する方向に特化していた。でも北の国が本来やりたかったのはそういう事じゃない。魔物を操り手足とする事。きっと、あの薬品の最終実験まできているのだろう。いやぁ、予想通りで良かったよ。」
ヴェルムはなんて事のないように言っているが、国王としては気が気でない。それは当然、国王はスタンピードの光景を見た事がないからだ。
魔物が過剰に繁殖し溢れかえる現象をスタンピードと言うが、彼はいつもその被害報告に対し支援や補償をするサインばかり書いてきたのだ。
それが仕事とはいえ、現場を見るのは国王にとって驚愕だったようだ。
「これはスタンピードか?北の国はスタンピードを狙って起こせると?やはり北の国とは一度戦争をしておかねばならんか…。」
考え込む国王に、ヴェルムは呆れた目を向ける。
大袈裟にため息を吐いた後、国王の肩をポンと叩いた。
「あのさ、別に戦争をしても良いけど、どうやって攻めるの?良くて国境線が山脈の天辺になるだけだよ?それ、旨みはあるのかい?それに、そうすれば北西の小国と国境で接す面積が増えるし、余計面倒じゃない?今回でキチンとこの魔物を操る技術は滅ぼしてくるから心配しないで。」
「そ、そうか。すまん、取り乱したようだ。現場に連れて行けと我儘を言ったのはこちらだ。あまり迷惑をかけては送り返されてしまうな。すまなかった。」
分かれば良いんだよ分かれば、とヴェルムは軽い調子で笑う。
国王も多少なりと取り乱した事を恥じているのか、その耳は少し赤い。
そうこうしているうちに一番隊が魔物の群れに飛び込み、派手に魔法を使って突破している。
二番隊は一番隊が開けた穴を起点に、左右に氷の壁を展開し道を維持している。
この道があれば、仮に一番隊が負傷などしてもこの道を通って戻って来れる。一番隊の命を繋ぐ道を維持する事。これが二番隊の仕事とはいえ、持久力と集中力を試される任務だ。
「おう!二番隊大丈夫かぁ!?偏らねえようにこっちでバラけさせるからよ!ちょっと待っとけ!」
氷の壁の向こうから三番隊の声が聞こえる。
魔物を統率する個体がいるため、氷の壁全面を攻撃するのではなく、一箇所を集中して攻撃していた。
それを散らしてくれるというのだから、三番隊のアシストは完璧だと言える。
一番攻撃が激しかった場所を担当していた二番隊隊員は、肩で息をしている。
北部とはいえ真夏の昼間だ。気温は高い。
そんな中氷の壁を維持し、攻撃によって削られれば再度生み出す。魔力も集中力もゴリゴリ削られていた。
「助かる!内側に行けば行くほど強力な個体が増える!そちらも気をつけろ!」
声を出す余裕が無い二番隊の隊員に代わり、近くの隊員が返事を返す。
すると壁の向こうから、おうよ!任せとけ!と元気な声が返ってきた。
「ガイア!そろそろの筈です!隊員が大丈夫ならそのまま統率個体を撃破しに行ってください!」
脇目も振らず突撃している一番隊に、ついて行っている二番隊は大分少なくなっていた。
少しずつ離れ、壁を作り道を確保するためだ。
スタンピードは奥に行くほど強力な個体が増えていく傾向があるため、隊員の中でも実力ある者が最後まで一番隊に着いて行き、壁を作る役目を引き受ける。
隊長ともなれば最後まで着いていき、ボスとの戦闘を手助けしながら壁を維持するのだ。
そんな一番大変な役回りを負っているアズが、ガイアに向かって大声で叫ぶ。
「分かった!おい、お前ら!そのままボスに突っ込むが、良いな?無理そうな奴は壁の内側で休んでから来い!それ以外は出力を上げろ!このまま一気にご対面まで持って行くぞ!」
「「「「応っ!!」」」」
一番隊からは誰も脱落していない。皆が走ったまま魔法を使い、先頭を度々入れ替える事で突破力を維持している。
ガイアの発破を受け、一番隊の周りに大きな炎が逆巻く。その炎は一体となり行く手を阻む魔物たちに襲いかかった。
多くの魔物が焼け焦げ生命活動を終える。
だがそんな穴を埋めるように左右から押し寄せる魔物。それが一番隊に到達する前に、左右を氷の壁が覆った。
「隊長!ここは私が!隊長はガイア隊長の戦闘の補佐を!」
二番隊の隊員が叫ぶ。アズはそれに頷き、走る速度を上げた。
「モモンガ小隊!二時の方向に向かいなさい。ポニー小隊は九時の方向へ!」
リクは、クルザスとステイル、そして中隊長の一人と共に上空にいた。
四人は竜の背に乗っており、戦場を見渡して念話による指示を出している。
魔力消費量や、集中力の関係で声に出して指示しているが、これはこの場にいる面子に指示内容を明かす為でもある。
今指示を出しているのはクルザスだ。
ステイルと中隊長は魔物と隊員の動きを注意深く見ている。
彼らが乗っているのは、実は三番隊隊員である。
ヴェルムの血と余程相性が良かったのか、竜に変身している方が楽、とまで言う隊員だ。
血継の儀を受けた者は、程度の差こそあれ、竜の証を身に宿す。
それにより竜形態になれたり、腕だけ竜になったりと様々に変身出来る。
だが、この隊員は全身竜になるのが楽だと言う。
素が人間であるため、本来なら竜形態になるのは難しい。しかしこの隊員は人間であるよりも楽らしい。
そのため、偵察のために上空を飛び、リクたちがそこから指示を出す。
作戦の大詰めにもリクは参加するため、この上空の位置どりが大事だった。
「もうすぐアズール隊長とガイア隊長が到着するようですね。各小隊にそろそろだと伝えなさい。」
淑女モードとなっているリクの指示で、またクルザスの念話魔法が飛ぶ。
竜となっている隊員もそれを受け、位置どりを変えるために羽ばたいて加速した。




