97話
「あ、団長!おかえりなさい!」
ファンガル伯爵の居城に着くと、既にその周囲はドラグ騎士団によって厳重な警備がされていた。
領軍の兵は普段通りに警備をし、その内側と外側の警備の穴を埋める形でドラグ騎士団が入っていた。
団員に見つかってすぐ、報告を受けたのか城へ向かって歩くヴェルムのもとにリクが現れた。
「団長!おでかけ楽しかった?」
「あぁ。美味しい珈琲とケーキ、そして古い知り合いに会う事が出来たよ。」
隊服をしっかりと着たリクが甘えるようにヴェルムにすり寄り、その頭を撫でて微笑むヴェルム。
リクはこのような国の端っこでヴェルムが知り合いに会った事に驚いていた。
「団長のお知り合い?ともだち?」
頭を撫でられながらも上目遣いで尋ねるリク。撫でてもらって嬉しいのか、その表情はダラシなく緩んでいる。
「正確に言えば、私の友に仕えていたエルフだよ。そしてその人の幼馴染もね。彼ら三人は仲が良くて、私の友がその中心にいたんだ。」
「ふーん。団長の大事なおともだちなんだね。どこで会ったの?」
「大通り沿いの喫茶店さ。そこで店主をしていたよ。リクが好きなココアもあった。気が向いたら行ってみると良い。」
はーい、と手を挙げながら答えるリク。ヴェルムはなんとなく言ったが、リクの興味関心の強さを舐めていた。
この様に言われれば、リクが行かない訳がない。
というより、ヴェルムの友に仕えた人物と会った、と言いながらもどこか嬉しそうにしているヴェルムを見て、その人物とも友なのではないかと疑っている。
別に友だろうがなんだろうが良いのだが、リクにとっては一大事。
ヴェルムにとって大事な思い出がそこにあるなら、ヴェルムの事が大好きなリクはそれを知りたいし守りたい。
リクにとって大事なものとは、ヴェルムの大事なものなのである。
「そーいえば、さっちゃんから団長に伝言があったんだった。忘れてた!」
てへぺろ、と言わんばかりに舌を出し、やっちゃったと全身で表現するリク。
そんなリクに苦笑しながら、ヴェルムは先を促す。
「サイが?なんだろう。」
ヴェルムに問われたことで、良くぞ聞いてくれました、とばかりに胸を張って伝言を伝えるリク。その表情は晴れやかである。
「伯爵と国王の晩餐に、ドラグ騎士団の隊長各位を招待します、って。六人で来てねって言われたらしいの。なんかね、伯爵を寄親?にしてる寄り子?の貴族も来るんだって!これって、パーティー?」
どうやら、国王が伯爵領に来たためパーティーを開くようだ。
そこにドラグ騎士団も招待されている、と。
「そうだね、どうやらパーティーのようだ。よし、じゃあリクとサイにはドレスを着て来てもらおうかな。」
ドラグ騎士団は国内どこにでも行くため、女性隊員にはドレスを、男性隊員には正装を支給している。
何処かの領に支援しに行き、そこでのパーティーに呼ばれる事もあるためだ。
今まではパーティーに参加の打診を受けた段階で、テイマーが従える長距離を速く移動できる従魔によって手紙を本部に送り、本部から急いで服を送ってもらっていた。
だが、マジックバッグが開発された事により、遠征時に貴族領の屋敷や城に世話になる際は必ず携帯するように定めた。
今回、国王と食事をする機会が多いサイは既にドレスを何回か着ている。
リクとサイのドレスは、ヴェルムがデザインしたドレスである。
騎士とはいえ、流石に何度も同じドレスは着られない。
今回サイは何度もドレスを着る事が分かっていたため、ヴェルムから数十着贈られたのだ。
一般的に、貴族の男性が貴族の女性にドレスを贈るのは、自身とのコーディネートを合わせる他、そのドレスを脱がしたい、という意味になる。
ヴェルムに関してはその様な意図は無いと分かっていても、サイが顔を真っ赤にして喜んだ事は事実である。
リクに関しては、ヴェルムが贈ったからこそ喜んだものの、リク自身ドレスが好きではない。
動きやすい格好が好みの彼女は、隊服こそ一番のお気に入りとばかりに毎日そればかり着ている。
因みに、寝る時はウサギの耳が付いたフードが可愛い着ぐるみのような格好である。
「ドレスかぁ…。いっぱい可愛くして行ったら、団長嬉しい?」
嫌そうな表情を隠しもせず、相変わらず上目遣いでヴェルムを見上げるリク。
ヴェルムは苦笑しながらも、もちろんだよ、とだけ返した。
「なら目一杯オシャレしてくる!あ、パーティーは七時からって言ってた!」
俄然やる気になったリクが、ヴェルムと手を繋ぎながら早歩きになる。リクに歩幅を合わせていたヴェルムは、いつも通りに歩く事でリクに追いついた。
ほんの一瞬だけリクがリードした時、その笑顔は眩しく夕日に煌めいていた。
「おや、これは男爵家の。今宵は誠に喜ばしいパーティーで。」
「あぁ、ご無沙汰しております。本当に。ファンガル伯爵領に今代の国王が来られるのは初めてだとか。」
「目出度い事ですなぁ。」
ファンガル伯爵家の居城には、当然のように広いホールがある。
毎年、ファンガル伯爵家を寄親とする子爵や男爵、騎士爵といった貴族が集まりパーティーをするのだ。
正確に言えば、騎士爵は貴族では無い。主に貴族の次男三男が実家に継ぐ爵位が無く、騎士として仕える事で国王から叙爵されるのだ。
貴族は大きな家になればなるほど、複数の爵位を持つ。その中で最高位の爵位を名乗る事で自身の地位を現し、持っている爵位は子どもや腹心に与えるのだ。
男爵位からは子に受け継がせる事が出来るが、騎士爵は本人のみが貴族として扱われ、世襲出来ない。
一代限りの爵位である。
平民でも冒険者として名を上げたり、兵として活躍したりすると叙爵される事があり、これは有力な人材を国外へ出さないための策である。
だが、この騎士爵という身分があれば貴族のパーティーに参加する事が出来る上、どこか有力な貴族に婿入りでも出来れば御の字である。
また、武力だけでなく研究などの部門でも騎士爵を叙爵される事もある。
裕福な商家の出で、魔道具を新たに開発した人物が騎士爵を得た事もある。
その人物はその後も開発を続け、遂に本物の貴族として扱われる男爵位を得た。
それから百年近く経った現在、その魔道具師の家は子爵家まで位を上げた。
子孫も優秀だったのである。
ファンガル伯爵を寄親とする貴族は多い。彼らはファンガル伯爵領に家を持ち、伯爵から頼まれた仕事をする事で日々生活している。
全ての貴族には年金が存在し、王家から毎年支払われる。
寄り子となった貴族にはこれは無くなるが、それでも強力な貴族の寄り子となる事を希望する貴族は多い。
何故なら、有事の際に護ってもらえるからだ。更に横のつながりを強める事で勢力を固め、小さなコロニーを作る事で日々の暮らしを護る。
実際、今でも国王から年金を貰う貴族はあまり多くなく、貴族の間では中央貴族と呼ばれたりもする。
これは、首都にタウンハウスを持つ事が出来、更に寄親となっている貴族を指す言葉である。
国民の間では、そのような貴族を大貴族と言ったりする事もあるが、それはその貴族が必ずしも中央、即ち首都にいる訳ではないからだ。
このような事情があり、伯爵より上の貴族の下には下級貴族が集まる。
今夜もファンガル伯爵を寄親とした子爵以下の貴族が多数集まっていた。
来るのは勿論、当主だけでなくその家族もだ。
今夜は国王が来るとの事で、一家総出で来ている貴族が多い。
令嬢などは特に着飾っており、王妃が不在となっといる国王の後妻の座を狙っている事は誰が見ても明らかだった。
彼らにとって運が良い事に、ファンガル伯爵家には令嬢はいない。前当主であるフォルティス・ラ・ファンガルにも娘はいなかった。
更に、現当主にも息子が二人。そして現当主の弟たちにも娘はいない。
そのため、寄り子である貴族たちは寄親の目を気にする事なく国王に娘を差し出せるのだ。
年頃の娘がいない貴族は、臣下の娘を養子にしたりするなど、僅かな可能性に賭けて必死だった。
誰だって、いつまでも低い爵位でいたい訳がない。
今まで世話になった寄親の顔に泥を塗るような行為だが、視点を変えれば自身の派閥から国母が生まれる事になるため、全員で協力はしないものの足の引っ張り合いは避けようという雰囲気があった。
そんな様々な思惑が蠢くパーティーが今始まる。
騒つくホールに、伯爵家使用人の声が響く。
「ファンガル伯爵家、御当主がいらっしゃいます!」
その言葉に、集まって話をしていた貴族たちは一斉に静まり返る。
静かになったホールに、コツ、コツ、と革靴の音が響く。
「皆、良くぞ集まってくれた。今宵は国王陛下を我が領にお招き出来た記念すべきパーティーである。陛下は本日到着され、疲れもある中我らのもてなしに応えたいと仰ってくださった。諸君らには心配など必要ないとは思うが、くれぐれも粗相など無いように。」
伯爵はそれだけ言うと、ホール最奥の壇上より退いた。
同時に、先ほど伯爵の登場を告げた使用人の声が再び響く。
「国王陛下が御入場なさいます!」
言葉が終わると同時に、両開きの大きな扉がガチャリと音を立てて開く。その向こうから現れたのは、サイをエスコートした国王だった。
当然、貴族たちは揃って頭を下げており、女性を伴っている事は分かっても、顔を上げられないため誰をエスコートしているのかが分からない。
国王が女性を連れて伯爵領に来たとは誰も聞いていなかったため、まさかエスコートしてくるとは思わなかったのだ。
だが、貴族のパーティーにはルールとまではいかなくとも、作法というものがある。その一つに、パートナーを伴う事があるのは貴族の中では常識だ。
国王がそれを破る訳にもいかず、サイに頼んだのだ。
勿論、ヴェルムからも頼まれていたサイは即答で承諾した。一番近くで護衛出来る上、毒物や不審者による襲撃があっても、聖属性魔法の達人であるサイに掛かれば治療も結界もお手のものである。ほんの一瞬でも時間を稼げれば、共にパーティーに参加する隊長たちが下手人を捕えるだろう。
更に言えば、国王にとって後妻を推してくる貴族はもう懲り懲りなのである。そこで、並び立つもののいない完璧な容姿と礼儀作法を持つサイが隣にいれば、娘ほど歳の離れた子どもを妃にと言われる可能性も減る。
サイほどの美人を伴っている相手に自分の娘を推せる程神経が太い貴族もそうはいない。
まさに理想のパートナーだった。
「続きまして、ドラグ騎士団団長ヴェルム・ドラグ様御入場。」
ヴェルムのパートナーはリクだった。身長差がかなりあるが、リクとて王女である。背の高いパートナーとの歩き方は心得ている。
そんなリクが歩きにくくないよう、ヴェルムが気を遣っているのが見て取れる。
まだ国王からの許可がないため、貴族たちは頭を上げられない。だが、国王の後に入場するという事は国王を待って迎えなくて良い、つまり身内とされている人物のみだという事を知っていた。
よくあるのが、国王夫妻の入場後に王子とその婚約者が入場する。本来ならばこの婚約者は先に会場入りし国王を迎える立場だ。
だが、王子の婚約者となれば将来王家に入る。そのため、この令嬢は王家に認められていますよ、という合図のために国王夫妻より後に入場するのだ。
国王夫妻が出迎える、という所に意味がある。
そんな重要な意味を持つ国王の入場の順番。
今回、国王は言葉ではなく入場しただけでヴェルムの存在を尊ぶべき存在だと知らしめた。
ガイア、アズ、そしてスタークの三人は既に会場入りして警備をしていた。
勿論、貴族たちに気付かれないようにである。
この国王が入場する時間は、貴族たちが揃って頭を下げる。そのため、何かあってもすぐ動ける者が少なくなる上、目撃者が出にくいのだ。
よって警備としては一番気が抜けない時間となる。
「面をあげよ。」
国王の言葉で会場に衣擦れの合唱が響く。そしてその合唱はすぐに騒めきにかき消された。
「此度は私を歓迎するパーティーを開いてくれた事、感謝する。ファンガル伯爵領は首都で食せぬ独特な物が多いと聞く。今宵はそれを楽しみに来た。だが食事の前にはこれが必要だろう?…では、ファンガル伯爵領とグラナルドに!」
「「「「ファンガル伯爵領とグラナルドに!」」」」
国王がサイから渡されたワイングラスを掲げる。
それに合わせ貴族たちもグラスを掲げ唱和した。
それからは国王への挨拶をするための時間となる。だが、貴族たちは迷っていた。
特に、最初に挨拶に行く子爵が一番困っているようだった。
それもそのはず、国王は今まで見た事がないような美人の女性を伴っているのだ。あの女性を前に自分の娘を推せる訳がない。
パーティーでの国王への挨拶は、爵位が上の者からするのが礼儀である。
ここには伯爵を寄親とする貴族しかいないため、伯爵よりも下、つまり子爵、男爵、騎士爵しかいない。
そのため最初の挨拶は伯爵だが、娘はどうですか、などと伯爵が聞く訳がない。令嬢がいないのだから。
子爵はとりあえず伯爵の挨拶の様子を見る事にしたようだ。
「陛下。この度は我が領にお越し頂けました事、心より御礼申し上げます。また、父フォルティスが陛下にご迷惑をおかけしたとヴェルム様より伺っております。大変申し訳ございませんでした。父に代わり謝罪致します。どうか、その広い御心でお許し頂けますと幸いです。」
伯爵の挨拶に、国王は嫌な記憶を思い起こしたのか渋面を作る。
だが、それもすぐ苦笑いへと変わり、伯爵が下げた頭を上げるよう言った。
「フォルティスの不始末を息子であるお主が処理する必要はない。フォルティス自身が始末をつけるべき事だ。そうだろう?」
国王は片眉を上げながら、すぐ近くに立っているヴェルムへと問いかけた。
ヴェルムは、頭を上げたまま困惑顔の伯爵と国王の二人を見遣った後ゆっくりと頷いた。
「そりゃあ、君に庇われたと知ったら彼も怒ると思うよ。息子が父を庇うなど、百年早い!とか言いそうだね。」
ヴェルムの率直な言いように、伯爵は苦笑した。
「陛下、伝える言葉が違っていたようです。我が父フォルティスの事は如何様にでも仰られて結構です。本人が何とかする事でしょう。それよりも、本日は私の家族をご紹介したく存じます。」
伯爵の言葉に、国王は満足そうに頷いた。それを見た伯爵は、少し後ろに待機させていた家族を呼び寄せる。
妻と二人の息子。そして弟夫妻とその子ども。
国王へ向かって一人ずつ名乗り、国王はそれを笑顔で頷きながら聞いていた。子どもが挨拶する度、国王は笑顔で頷く。それに勇気を貰ったのか、当主の弟夫妻の子どもは小さいながらに頑張って名乗っていた。
事実、国王は子どもが好きだった。
彼が目指した国は、子どもが明日を楽しみに暮らせる国。
子どもこそ国の未来の形である、と公言する国王。
貴族の子どもたちとはいえ、子どもは子ども。ファンガル伯爵家の未来を担う子どもたちの挨拶は、国王を笑顔に変えるに十分だった。




