95話
国王とドラグ騎士団の一行は道中の町に立ち寄りながらも、数日かけてファンガル伯爵領に入った。
領境に着くと、ファンガル伯爵領軍が待ち構えており、ドラグ騎士団の護衛より外側を護衛する事になった。
勿論、ファンガル伯爵は追加の護衛が必要ないことを知っている。
だが、対外的にそれでは駄目なのだろう。
国王を迎え入れるという栄誉をいただきながら、領内で護衛を出さなかったとなれば、他の貴族から総抗議を受けるに違いない。
それが分かっているため、ヴェルムと国王はあっさり護衛の追加を許した。
事前にファンガル伯爵から直接連絡を受けていたのもあるだろう。
領内に入ったからといって、すぐに領都に着く訳ではない。
一度は町に宿泊する予定で、その次の日には領都に着くだろう。
ファンガル伯爵領は、山、森、河川に囲まれた自然豊かな領地である。
伯爵領西部に聳える山々が西の国との国境になっており、一部小国とも国境を接している。
小国はこの山々から採れる鉱石を欲しており、少し前に軍を率いて侵攻して来た。
当時は二番隊を中心に、一番隊が補佐する形で迎撃し、戦死者を出さずに帰還した。
対する小国の軍はほぼ全滅といって差し支えない程で、ドラグ騎士団としてはここまでする予定ではなかった。
だが、小国の軍は退くことを知らなかったのだ。
何か退っ引きならない事情でもあったのか、通常は軍の三割が戦死もしくは負傷により戦闘不能となれば、全滅とされる。
しかし、この時は文字通り全滅に近い戦死者を出した。
兵士の遺体は小国との国境線より向こうに全て返し、二番隊と一番隊はすぐに帰還した。
それ以来、小国はグラナルドに手を出しておらず、国境線は平和そのものである。
国境を持つ領地を治める貴族は、私兵を雇い鍛え、万が一の時に備えなければならない。
これは、同盟国である南の国との国境線においても同様である。
仮に南の国で叛乱が起き、政権交代が起こったとしても、直ぐに防衛策を採れるようにするためである。
ファンガル伯爵領も、そんな国境を持つ領地の一つだ。
更に言えば、二国と接しているため重要度は増す。
国境を持つ領地に属する領軍は、他国からの侵略を足止めする役割がある。他にも、首都から距離が離れている関係上、治安維持にドラグ騎士団の手を借りる事が出来ないため、犯罪抑止のための巡回なども任務に含まれる。
現在、そんなファンガル伯爵領軍が護衛として一行に付き添ってはいるが、その表情は真剣そのものだった。
「あんなに必死な顔しなくたって、魔物は近くにいないんだけどな。」
「そう言ってやるなよ。感知範囲が俺たちとは違うんだ。目に見える範囲がその限界なんだから。」
「そりゃそうだがよ…。近くに魔物はいないって事くらいは教えてやっても良いんじゃねぇか?」
「いや、隊長からその辺りに関しては口止めされてる。なんでも、領主から彼らへの手助けは不要と言われてるらしい。領主の弟もうちで訓練に参加してるし、領軍をしっかり鍛えたいんじゃねぇか?」
「なるほどなぁ。何か理由あっての事なのは分かったよ。じゃあ俺たちに出来るのは警戒だけって事か。」
ションボリと肩を落とす五番隊隊員。彼らは警戒のために散っていたところを、ファンガル伯爵領に入ってから呼び戻された。
領軍の仕事を取るな、という事らしい。
おかげで暇になった隊員たちは、こうして雑談をしながら歩く余裕がある。
それでも警戒は怠っていないようだが、なんとも言えない雰囲気が漂っていた。
つまりは、暇なのである。
「第一小隊から第四小隊は集合!」
ダラけた雰囲気の中、集合の合図がかかる。一瞬で表情を引き締めた五番隊は、指示に従い集合した。
「隊長、集まりました。」
「あぁ。集まってもらったのは、団長からの指示があったからだ。これより四小隊で右手に見える山に行ってもらう。そこで討伐任務だ。どうも、強力な個体が発生しているらしい。領軍を動かすにも、今回の避暑により領都の警備で人手が足りんようだ。目撃した村民の話では、巨大な熊を見たと言っているらしい。お前たちで討伐、素材は被害のあった村に渡せ。」
どうも、ファンガル伯爵領にある山の麓の村が巨大な熊に襲われたようだ。
それが魔物か動物かは分からないが、どの道退治は必要だろう。
ヴェルムの指示により五番隊が動く事になった。
スタークから説明を受けた四小隊は、全員走って現地に向かった。
それを見送るスタークのもとへ、後ろから近づく者がいた。
「どうした?一緒に行きたかったか?」
スタークは振り返らないまま声をかける。
特段、気配を殺して近づいた訳でもないため、気付かれるのは分かっていたようだ。
驚きもしないで、声をかけられた人物はのんびりと欠伸をした。
「移動中だと何もする事ねぇよ。お前らは警戒に出てたから良いけどよ。俺たちなんかずっと前の奴のケツ見てるだけだぜ?暇で死んじまうよ。」
巨大な黒馬に跨り、燃えるような紅髪をかきあげながら気怠そうに言うガイア。
どことなく黒馬も怠そうにブルル、と鳴いている。
「そうは言ってもな…。今回の任務はうちが適任だった。それだけだ。それに、三番隊に頼めばリクが飛び出す。一番隊に頼めば火事が怖い。二番隊では速度に問題がある。よって我々だ。今回は諦めてくれ。どの道、隊長はここを離れられん。残念ながら、な。」
「わぁってるよ。俺らの事我慢できないガキみたいに言うが、そう言うスタークだって暇なんだろ?顔に出てるぜ。」
「む。そうか?そこまで暇を感じてはいないのだが。強いて言えば、菜園の手入れをこんなに長い時間放り出すのが久しぶりでな。調理部に頼んだとはいえ、あちらは大丈夫だろうか、などとは考えてしまうな。どうやら私も修行が足りんようだ。」
スタークは暇というより我が子同然の菜園が気になっているようだった。
ガイアの予想は外れた訳だが、それでもどこか満足そうにニヤニヤと笑っていた。
そのまま二人は特に会話もなく行進の列に戻る。ガイアはよほど暇なのか、列のあちこちに移動してはちょっかいをかけて回っていた。
リクも似たようなもので、あちこちの隊にお邪魔しては隊員たちが持って来た菓子を分けてもらい、馬上で食べるため鬣にクズを零す。
馬がそれを嫌がる事は無く、副官クルザスが横から丁寧に取ってやっていた。
ドラグ騎士団は、護衛というより完全にピクニックに来ているような気分だった。
「そろそろ到着するとドラグ騎士団の方が連絡をくださいました。」
国王が乗る馬車を操る御者が、御者席から中へ通じる小窓から声をかける。
それを聞いた侍従が、国王へ直接伝える。
国王が乗るこの馬車は、王族が遠出するための特注品である。
そのため、馬車内で部屋が二つあり、後方に国王が乗る。
前方の部屋は側仕えの待機スペースで、部屋と言っても狭く、あるのは座れる場所と茶を淹れるスペースくらいなものだ。
対して国王がいる部屋は、ソファが設置されており寝転がる事も出来る。
また、食事も摂れるようになっており、テーブルも丈夫な物が設置されている。
この家具類は馬車と一体化しており、揺れによってズレる心配はない。
模様替えをするのが少し大変ではあるが、そのような我儘を道中に言う国王は今までいなかった。
先代国王は遠出の度に内装を変えさせていたようだが、それは出発前の話らしい。
「ふむ。やっと着くか。最後まで気を抜かぬよう伝えてくれ。」
ファンガル伯爵領へ行くのは初めての国王。逸る気持ちを上手く隠してはいるが、侍従が下がるとすぐに少年のような表情に戻る。
彼は諸外国から、引きこもりの出不精などと呼ばれている。だが、本来の彼は活動的で、座学よりも剣を握る方が好きな質だった。
そんな国王が、冒険心を擽る遠出に興奮しない訳がない。
大事な娘の事は心配だが、ドラグ騎士団が協力すると聞いて心配も無くなった。少なくとも、彼女の安全は確実だ。
ならば、己の冒険心を満たしても良いではないか。
そう国王が思っても仕方ない。
ヴェルムはそんな国王の事をよく理解しているが、特に何も言わなかった。
ヴェルムに止められないという事は好きにして良いという事である。そう受け取った国王は、領都に着くまで何度も何度も窓の外を見た。
「出迎えご苦労。此度は世話になる。護衛としてドラグ騎士団も来ておる。彼らにも泊まる場所を。」
ファンガル伯爵領最大の都市である領都に、国王一行が着いたのは昼過ぎだった。
領民たちは大歓声で国王を迎え、国王を一目見ようと領都の大通りは人で溢れた。
首都アルカンタで毎年行われる他国のパレードも凄い人出があるが、この領都でも全ての領民が集まったのではと錯覚するほど人が集まっていた。
そんな大歓迎の大通りを抜け、ファンガル伯爵の居城にたどり着く。
出迎えた伯爵に、馬車から降りた国王が声をかける。
身分が下の者から上の者に声をかけるのは非礼に当たるため、伯爵は頭を下げ国王からの声かけを待っていた。
声をかけられても、頭を上げろと言われなければあげる事は叶わない。
しかし声をかけられたのだから声を返す事は許される。
難しい貴族のマナーではあるが、伯爵ともなればその辺りは完璧だった。
「国王陛下を我が領に迎え入れる事が出来る事、感謝と共に末代まで語り継がせて頂きたく思います。まずは旅の疲れを癒し、その後で我が領自慢の食事を摂って頂ければと存じます。」
頭を下げたまま、ハッキリと聞こえやすい発音で話す伯爵。国王はそんな伯爵に好感を抱いた。
「うむ。楽しみにしておる。さぁ、頭を上げよ。案内は任せる。」
国王がそう言うと、伯爵は顔を上げ自ら国王を城へ案内する。そのまま国王が泊まる部屋まで案内するのだろう。
上位の貴族が来ても当主自ら案内する事は無い。誰に案内させるかによっても、その相手との関係性を表す指針となるのだ。
例えば、来客がとても友好的な上位の貴族だったとすると、当主の側付きである執事などが直接客間まで案内し、その部屋で当主は待機する。
腹心を遣わし、信頼度のアピールをした上で相手を待たせる事のないように先に部屋に入る。
これは下の者が最大限気を遣っているというアピールだ。
逆に、下の者で信頼がおけない者、初対面で警戒している相手には、使用人を案内につけ、茶を出して時間を空ける。待たせた上で部屋を訪れ、力の差を知らしめるのだ。
今回の件は異例中も異例の事で、当主自ら案内するなど他に無いだろう。
それだけの忠誠と、国王に対するアピールなのだ。
国王もここまでされては機嫌が良い。初めてのファンガル伯爵領だが、既に好印象だった。
当主が国王の案内をすると、ドラグ騎士団の相手ができない。
そこで派遣されたのが、何時ぞやヴェルムに失態を晒した当主の息子だった。
「ドラグ騎士団の皆様、遠い道のりご苦労様で御座いました。皆様には領軍の宿泊施設を使用して頂きたく思います。案内はファンガル伯爵家次期当主の私がさせて頂きます。」
彼は教育係の者が変わり、必死に勉強と鍛錬に時間を費やしてきた。その成果があったのか、丁寧な姿勢に言葉遣い、そして身体つきも変わりしっかりとした体型になっていた。
「へぇ?人間、やれば出来るんだね。ほら、皆んな彼に着いて行きなさい。領軍と仲良くね。」
ヴェルムが目を細めて領主の息子を見て呟く。しかしそれもすぐ止め、騎士団に声をかけた。
団員たちは綺麗な敬礼を見せた後、隊毎に列を作り案内に着いていく。
四番隊は既に城に入っており、城内の警備にあたっている。
国王にも伯爵にも言っていないが、三番隊と五番隊の一部は既に城に入って裏から警備をしている。
「アズ。後は任せたよ。私は少し出るから。」
「団長?分かりました。お任せください。」
近くにいたアズに後を任せ、ヴェルムは馬にも乗らずに歩いて去って行った。
何処へ行くのか告げなかったため行き先は不明だが、何かあれば戻ってくるだろうとアズは考えたようだ。
「二番隊は荷解きが終わり次第領軍の訓練場に集合。一番隊と領軍の警備打合せの間、訓練をします。」
二番隊は着いて早速訓練に入るようだ。
一番隊と領軍で細かい打合せをし、それを引き継ぐ形を取るつもりなのだろう。
それぞれ隊長の指示に従い、各隊は今宵の寝床が決まった後も忙しなく動いていた。




