90話
グラナルド王国は初夏を迎えていた。
先日までの雨季を乗り越え、グラナルド王国中の商人が活発に国内を巡る。
既に南の国は雨季を抜けているため、猛暑になる前にと貿易品を取り扱う商人が多数グラナルドを訪れていた。
グラナルドと南の国の国境が広がった事で、両国を行き来するルートはかなり増えた。
旧小国郡を通るルートに新たな商機を見出した商人は、新たに南の国となった地域を抜け、これまた新たにグラナルドとなった地域へ渡る。
夏本番にもなれば、グラナルドの貴族は避暑地へと向かう貴族が増える。そのため、初夏は首都で商いを行う最後のチャンスとなる。
逆に、首都から避暑地へ向かう街道沿いの街で商いをすれば、そこを通る貴族に物が売れる機会が訪れる訳である。
グラナルド王国の避暑地は、東の果ての港町であったり、北部の小さな山々が連なる地域であったりと多岐にわたる。
南部にはあまり避暑地は無いが、雄大な森と山、そして河川に囲まれたファンガル伯爵領は首都南西部では唯一の避暑地として有名だった。
この夏、グラナルド王国国王はファンガル伯爵領に避暑に訪れる予定を組んでいた。
王家の唯一の後継となったユリア王女が政務に随分と慣れたため、激動だった昨年の慰労も含めて新たに伯爵家を継いだファンガル伯爵を訪ねる事を表向きの理由として予定された。
しかし、ここで新たな問題が生じた。
それは、護衛である。
昨年の王太子と近衛騎士団長による叛乱によって、近衛騎士団はその人数を大きく減らしていた。
ドラグ騎士団零番隊のカインによって講義と訓練がなされたものの、質は上がったが量が足りなかった。
首都に残るユリア王女のための護衛も必要で、半数に分けるには心許ない人数だったのだ。
そこで白羽の矢が立ったのが、当然ながらドラグ騎士団だった。
国王は団長であるヴェルムに正式な依頼として護衛を要請した。
だが、返ってきた返事は余りに素っ気なかった。
"暑いなら王城を氷漬けにしてあげるよ。礼ならいらない。君と私の仲じゃないか。"
こう書かれた手紙を、国王は王城の最上階にある私室で粉々に破いた。
「何が君と私の仲じゃないか、だぁー!!」
という叫びが木霊し、警備の近衛騎士が部屋に突入するか悩んだとか。
しかし、それでも国王は諦めなかった。
三顧の礼もかくやという勢いで連日ドラグ騎士団本部に伝令を送り、その度に素気無く追い返される伝令。
どちらが先に折れるか賭けていたドラグ騎士団の団員たちも、一日に二回、三回と訪れるようになった伝令を憐れむようになった。
そんなある日。
「久しぶりの本部だー!風呂入ったら飯で良いっすよね!?」
零番隊の一部隊が本部に帰還した。
彼らは任務でグラナルド南西部にある小国に居たのだが、その任務が終わって帰ってきたのだった。
軽薄そうな男が、部隊長らしき大太刀を背負った男に問いかける。
しかし、答えを返したのはドワーフ族の青年だった。
「構いませんよ。この後は自由時間です。報告書は僕とリーダーで出しておきますから。皆さんも、明日は一日休みにします。各小隊長は部下の所在だけ把握しておいてください。リーダー、何かありますか?…無いようなので、これで解散です。お疲れ様でした。」
ドワーフの青年はこの部隊の副部隊長である。
零番隊は一つの大隊で一部隊となっている。そのため、小隊長、中隊長の役職が存在する。大隊長として部隊長が存在し、その補佐をするのが副部隊長である。
この部隊は通称"暁"。彼らのリーダーである大太刀を背負った男が、冒険者時代に結成していたクランの名である。
部隊員の多くは、リーダーが冒険者をしていた頃の知り合いである。
他には暁の伝説に憧れて冒険者になった者や、ドラグ騎士団で暁に出会いこの部隊を目指した者もいる。
普段から口数が多いとは決して言えないリーダーだが、別にわざと黙っているわけではない。彼も話す時は話すのだ。特に、彼の趣味については聞いてはいけない。一度問い掛ければ最後、日が沈み再び昇るまで彼の語りを聞く事になるだろう。
そんなオンオフが激しいリーダーを、陰から日向から支える副部隊長。ドワーフ族である彼は、その種族にしては珍しく頭脳派である。
多くのドワーフ族は鍛治師を生業としており、小さい身体から想像もつかない惰力でもってハンマーを振るう。
冒険者の中にもドワーフ族はいるが、そのほとんどが前衛アタッカーである。
しかし、彼は違う。彼が持つ武器は短剣で、戦闘の主な手段は魔法である。
冒険者クラン"暁"の頃からこのリーダーを支え続けた仲間であり、補佐役を外れた事が無い。
既に二百年近く共に過ごしている彼らだからこそ、言わなくともその考えが筒抜けなのだ。
そんな二人が本館へ向かうと、暁の部隊員たちは思い思いの場へと散って行く。大多数は本館裏の零番隊隊舎へと向かうようだ。
そこにある大浴場が目的だろう。
早速首都へ繰り出していく者もいるようだ。旅装のまま行く事に抵抗がないのか、はたまた違う理由があるのか。
軽薄そうな見た目とは裏腹に、部隊の中隊を率いる立場の男は、休暇と聞いた途端首都へ繰り出す一団の仲間入りをしていた。
アルカンタへと繋がる南門へ部隊員たちと談笑しながら向かう。
すると南門の外にガックリと肩を落とした近衛騎士を見つけた。
「おう、そこの近衛!どした?うちになんか用か?」
代表で軽薄そうな男、中隊長が声をかける。
声をかけられた近衛騎士は、ドラグ騎士団の団員だと直ぐに気付き警戒を強めた。
何故なら、先ほど伝令に行ったのに素気無く追い返されたばかりだからだ。
「何の用か、だと?こちらは国王の指示で伝令に来ているのだぞ!それを毎回毎回、追い返しているのはそちらではないか!」
つい先ほど帰還したばかりの零番隊が、最近毎日伝令が追い返されていることなど知る由もない。
首を傾げる部隊員たち。中隊長も訳がわからないといった顔をしていた。
「まさか、本当に知らないのか?ドラグ騎士団では情報の共有はしていないのか…?ならば明かす訳にはいかない。さらばだ。」
近衛騎士は何やら納得した様子で頷くと、少しだけ堂々と胸を張って去って行った。先ほどまでの悲壮感はもう無い。
中隊長と部隊員たちは近衛騎士を不思議そうに見送った後、まぁいいか!と笑い合って街へと消えた。
彼らの目的地は一つ。色街である。
これからの事を想像しニヤける顔を必死で押さえながら歩く男たち。
街の人々はそんな彼らを怪訝そうに見ていた。
「昨日はゆっくり休めましたか?今日はゆいな隊の方々が休暇明けで本部におられるとの事で、合同訓練を依頼しました。南方戦線依頼の合同ですが、互いに得られるものはなんでも吸収し合ってください。本日の訓練で何も得られなかった者は次の任務はお留守番にしますのでそのつもりで。」
零番隊隊舎横にある零番隊専用訓練所で、二部隊合同の訓練が開始された。
どちらの部隊長も口数が多く無いため、暁の副部隊長であるドワーフ族の青年が指示を出している。
勿論、部隊長同士で話し合った訓練内容であり、独断ではない。
この二部隊は、部隊のコンセプトが異なる。ゆいな隊は獣人族ばかりのため、それぞれの種族特性を活かした強襲、威力偵察を目的とした部隊である。だがその一方、兎人族や土竜族といった隠密に向いた種族を中心とした諜報も行う。一つの部隊でほとんどの事を熟せるため、鉄斎隊と同じく外国での任務が多い。
暁は民から隠れるのではなく、紛れ込むことで情報を収集する。それは主に冒険者の目線で行われるが、商隊や傭兵として活動する事もある。
暁の一番の売りは、やはりその戦闘力だろう。
零番隊の中でも部隊の突破力はカサンドラ隊や極道隊と並び、リーダーの指揮能力は頭一つ抜き出ている。
そんな二部隊が合同訓練をするのだ。当然、ただの訓練ではなくなる。
互いに零番隊としての誇りがあるため、どうしても競うようになってしまう。それが分かった上で合同訓練を行なっているのだから、部隊長たちは中々の意地悪である。
訓練が終わる頃には部隊員たちのほとんどが地面に伸びていた。
五隊に体力お化けと呼ばれる零番隊がこうなる程の訓練とは一体何なのか。
その答えは単純明快だった。
ただの殴り合いだ。
一発ずつ互いに殴り合い、受ける方はそれを防御する。獣人族が有利に見えて実はそうでもない。
ただの力比べではないからだ。
この訓練はなんでもあり。つまり、殴ると同時に魔法の使用も許可されている。
あくまで"一発"なのだ。
そして、それをガードする側もただ守るだけではない。攻撃は禁止だが、跳ね返すなとは言われていない。相手の魔法の制御を奪い、使用者に襲いかかるようにするなどは当たり前の事だ。
一発、という明確なルールのため、互いにその一発に全神経を向ける。読み合い、腹の探り合いが極まる。
結局、優勝したのは暁のリーダーだった。
総当たり戦のため、全勝したのはリーダー一人。ゆいなとの対戦では、リーダーの居合がゆいなの胸を大きく切り裂いた。このルールでは避ける事が禁止されているため、弾き返すか止めるかしかない。
ゆいな以外の全員を一太刀で切り伏せたリーダーは、惜しみない拍手を贈られた。
準優勝となったゆいなも、他の試合は全て一撃で倒してきた。リーダーとの試合は互いに一歩も譲らなかったが、居合を受け損ねたゆいなが負ける結果となった。
「相変わらず強いな。単独戦闘力では敵わない。次は負けんからな。」
「…あぁ。次は一太刀で沈めてやる。俺も精進するからな。」
部隊長同士の静かな会話の後、もう一度拍手が贈られた。
部隊員たちは訓練の反省点などを話し合い、再戦を誓う。次は負けないからな、と言う声が至る所で聞こえた。
このまま解散する、という雰囲気の中。部隊長と副部隊長が四人でこれからの動きを相談している時だった。
最初に動いたのは部隊長二人。一瞬遅れて副部隊長二人が続けて最敬礼をする。そしてそれに気付いた部隊員たちが一斉に続いた。
本部の方から現れたのはヴェルムだった。横にはアイルもいる。
「楽にして。今日はここで訓練をしていると聞いたから見てたんだけど、どちらの部隊も少し見ない内にまた強くなったね。これなら私にも刃が届くかもしれないね。」
ニコニコと笑顔で歩いてきたヴェルム。最敬礼を解かせると、部隊長二人に問う。
しかし、二人は無言で首を横に振った。
「強くなるほどに団長との差がよく分かるようになりました。ですが、もし宜しければその差に挑戦させていただけませんか。」
暁のリーダーがそう言うと、ヴェルムは笑顔で頷いた。
それを見た部隊員たちが直ぐに場所を空ける。
先ほどまで訓練していた場所が、数秒でリングへと変わる。
部隊員たちは円形に二人を囲うように並ぶ。一対一の試合をするには随分と広い円だが、零番隊にとってはこの程度の広さは有って無いようなもの。
その部隊長と団長なのだからそれは当然だった。
誰もが無言の中、大太刀を構え目を閉じ集中するリーダー。彼の周囲に蜃気楼が立ち昇るほどの密度が高い魔力が放出され、それは構えた大太刀へと集約されていく。
これ以上は込められない、とばかりに大太刀がガタガタと震え始め、それでもまだ魔力を注ぎ込んでいく。
正真正銘、彼の全力だった。
彼の冒険者時代についた二つ名である"一刀"。
それは全ての敵を一太刀で斬り伏せてきた実績から呼ばれた名である。
当時、彼の必殺の一刀を指一本で止めたのはヴェルムだった。
それから二百年ほどになるが、今の己はどこまでいけるのか。それが試せる相手などヴェルム以外にいない。
彼は心の底から愉しんでいた。全力を放てる相手がいる事に。そして、それが一人ではない事に。
彼にとって絶対に越えられない壁。しかし越えたいと思う相手。
そんなヴェルムに今、全力をぶつける。
勝負は一瞬だった。ゆいなとヴェルム以外の、この場の全員が彼を見失った。
キーン!と耳鳴りのような音がしたかと思えば、ヴェルムより後ろの上空が裂けた。
抜刀術奥義 間断
彼が放った斬撃は、全てを断ち切ってきた。極めると共に断てるものが増え、遂には空間を断つに至った。
「空間を斬れても団長は斬れぬか…。未だ頂は遠く、それを目指すこの身は矮小なれば…。」
リーダーはそう呟いて倒れた。意識はあるようだが魔力が底をついており、体力も残っていないようだ。
慌てて部隊員が駆け寄るが、ヴェルムがそれを止めた。
「良い一撃だったよ。随分斬るのが上手になったね。これならセトくらいなら斬れるんじゃないかな。それに、空間が斬れるなら空間魔法いらずだね。私も練習してみようかな。また今度更に磨き上げた間断を見せてね。」
そう言って治療魔法をかけるヴェルム。リーダーは既に半分以上意識を手放していたが、ヴェルムの言葉に微かに笑ってみせた。
「いやぁ、さすが団長っす。リーダーの奥義を受けても傷一つつかないとか、ヤバいっすね!」
訓練の終了を告げられ、一同は食堂ホールへ向かっていた。一度入浴しに行く者もいるようだが、ほとんどの者はヴェルムと共に食事を摂りたいようで着いてきた。そんな中、暁の中隊長がヴェルムに話しかけた。
「まさかあんなに綺麗な斬撃を見れるとは思ってなかったよ。訓練に顔を出して良かった。本当は君たちにバレる前に撤収しようと思ってたんだけどね。どうも四人にアイルが気付かれていたみたいだったから、顔を出したんだよ。」
「すみません。僕の隠密が甘かったみたいです。」
「いやぁ、流石に部隊長と副部隊長四人から隠れられる筈もないから良いよ。それに、彼らにはバレていなかったんだから。ね?気付かなかっただろう?」
ヴェルムとアイルの会話に、着いてきていた零番隊隊員たちは焦りを見せた。
「い、いやぁ、流石はセトさんの弟子っすよ。まさかあんなに見事に隠れられるとは思ってもみなかったっす。」
ペコペコと頭を下げながら後頭部を掻く中隊長。彼らはアイルの二十倍近く生きているにも関わらず、その存在に気付けなかった事に驚愕していた。
すると、彼らの背後から冷たい声が聞こえてきた。
「気付いていなかったのか?そうか、では明日は気配探知の訓練だな。明朝六時に訓練所に集合。明日も二部隊合同訓練とする。」
ゆいなだった。
隊員たちはやはりか、といった表情で打ちひしがれる。諜報もこなすゆいな隊の気配探知の訓練は、他の零番隊も恐れる程に厳しい。
暁の隊員たちも巻き込まれたため、互いに肩を組んで慰め合う姿が散見された。
まるで葬送行進のような一行を見て、ヴェルムは苦笑した。
食事をすれば元気も出るよ。
そう言ったヴェルムの言葉は真実だった。
先ほどまで暗く落ち込んでいた二部隊は、今は食堂ホールで宴会さながらの様相を見せている。
酒類を飲んでいる訳でもないが、この二部隊は先日まで外国に行っており、彼らの胃袋を掴んで離さない本部の食事にありつけば、暗い雰囲気もなんのその。
美味しい食事に浮かれ騒いでいた。
「そういえば団長、帰ってすぐ近衛がションボリしながら帰るとこ見ましたけど、あれ、なんだったんすか?」
自身の長所を物怖じしない事、と言い切る中隊長が、ヴェルムに疑問を投げかける。
それは門前払いを食らった近衛騎士についてだった。
「あぁ、聞いていないかい?国王が本格的な夏が来たらファンガル伯爵領に避暑に行きたいみたいでね。近衛の数が足りないからドラグ騎士団に護衛してほしいと依頼してきているんだよ。でもほら、面倒臭いじゃないか。だから断ったんだけど、それから毎日誰かを寄越すんだよ。自分の護衛なんだから自分で頼みに来るのが筋だろう?だから門前払い。」
ヴェルムが話す時は何故か静かになる零番隊。普段から本部を離れる事が多い彼らは、どんな言葉でも団長の有難い話を聞きたがる。
そんな零番隊が揃ってなるほど、と頷くのを見て、ヴェルムが笑う。
別に楽しくもないが釣られて皆笑い出し、何故か爆笑の渦になった。
よく分かんないけど笑っとけ!と言わんばかりの謎の爆笑に、食堂ホールで食事をとる団員たちから怪訝な目で見られている事にも構わない。
「喧しい!飯くらい静かに食えんのかぁ!!」
料理長の喝が飛んできても気にしない。
そんな事では零番隊は怯まないのだ。
「あら、皆さん楽しそうですね。任務明けですか?お疲れ様です。あ、そうだ!しばらく任務がないなら手伝ってほしい事があるんですけど…。」
笑い、食べ、叫び、飲む(ノンアルコール)。そんな零番隊たちの横を通りかかった、錬金術研究所の所長。
瓶底メガネのつるを押さえながらニコニコ笑顔で言った言葉に、零番隊は一瞬で静かになる。
ご、ご馳走様でしたぁ…。
団長、お先に失礼します!
風呂入って寝るかぁー!
そして誰もいなくなった。
残ったのは、ゆいなとヴェルム、そしてアイルのみ。
「あらぁ?皆さん次の任務があるのでしょうか。ではどの部隊にお願いしましょう…。」
所長が振り返った先に居たはずの、他の零番隊は皆消えていた。
残った五隊の者たちも、必死に目を合わせないように食事に集中している。
「所長!特別班で良ければ手伝いますよー!」
所長と以前、共に素材採取をした特別班の面々が声をかけるまで、食堂ホールは食器が出す音すらしなかった。
「あぁ面白い。皆んな自由に楽しく生きているよ。好きなものは好き、嫌なものは嫌。そう言える環境作りが大切だと思わないかい?」
ヴェルムの誰にあてたとも取れない問いかけに、正面に座るゆいなが微かに頷く。
隣のアイルはいつもの無表情だが、見る者が見れば肯定の表情をしているのが分かった。




