87話
ある日。ドラグ騎士団二番隊隊舎横にある訓練所で、二番隊の隊員たちは日課の訓練に勤しんでいた。
当然その中にはアズの姿もあり、隊員との連携を意識した集団戦の訓練を行なっていた。
「隊長、お疲れ様です!次は休憩を挟んで魔法訓練に入りますが、隊長から何か御座いますでしょうか。」
アズの副官が側に寄り、冷えたタオルを渡しながら問う。
それに礼を言って受け取ったアズは、少しだけ考えた後首を横に振った。
アズの長い髪は一つに括られており、前髪は汗で額に張り付いていた。
先ほどまで武器を使った訓練をしていたため、アズだけでなく隊員たちも汗びっしょりになっている。
副官から渡された冷たいタオルに顔を埋め、その冷気をたっぷりと堪能したアズは爽やかな笑顔を己の副官に向けた。
「特には無いけど、魔法訓練は少しグレードを上げるよ。先日の無所属の騎士たちの話があってから、皆んなやる気みたいだからね。」
アズが口にしたのは、ヴェルムが準騎士に二日間講義をした事である。
魔法の講義では実技として制御や出力に問題がある準騎士に直接指導し、五隊の上官レベルの魔法にまで昇華させた。
それを聞いて奮起したのが五隊の隊員たちなのは当然の流れで、個人の時間を使って訓練に励む隊員たちが増えた事により、魔法訓練の内容を見直す必要が生まれた。
今日は新しい訓練内容を試験的に行う予定である。
「はっ。既にその件は通達済みです。隊員の気力も十分かと存じます。」
副官は嬉しそうにそう言った。
ドラグ騎士団では団員全てに戦闘能力を求められる。少なくとも冒険者ランクAくらいまでは戦闘能力がないと、いざという時に適切な判断や行動が取れないからである。
勿論、副官も例外ではない。副官が就くのは隊長と副隊長だが、実際の仕事は秘書官のようなものだ。だが、仕事内容で戦闘能力の低さを言い訳には出来ない。
よって、副官は半数が訓練に参加。残りは休みか己の就く上官の補佐である。
アズは副官と少し話した後、指示を出して下がらせた。
魔法で生み出した冷水を浴びるようにして飲むアズ。その貴族のような見た目からは想像もつかぬ大胆さは、二番隊では既に見慣れた光景だ。
普段は貴族より貴族然とした姿勢を崩さず、言葉遣いも丁寧なアズ。
だが生まれは北の寒村であり、ドラグ騎士団に来たばかりの頃はやんちゃ坊主だったのだ。
今ではそんな礼儀の無い行動も、これはこれでアリ、と隊員たちから言われる始末。
アズに黄色い悲鳴をあげる世の女性たちが一生お目にかからない光景である。
タオルを首にかけ手のひらに生み出した水球から直接水を飲んでいたアズに、後ろから声をかける者がいた。
「アズ。今大丈夫か?…と、相変わらず無駄に色気を振りまいているな…。」
苦笑しながら近付いて来たのは、五番隊隊長のスタークだった。
「ん?あぁ、スタークか。色気なんて僕には備わっていないよ。本当に色気があるのはサイや団長だろう?勿論、スタークも男らしさがあって魅力的だと思うけどね。で、どうしたの?」
アズは基本的に自分の容姿に頓着していない。普段は皆に失礼のないように、という事を念頭において身嗜みを整えてはいるが、自分をよく見せようだとか、お洒落しようなどという考えは彼には無い。
そのためいつもこのような回答になる。
「今日は新しい魔法訓練をするって言っていただろう?少し様子を見たくなってな。見学していても良いか?」
苦笑しながら要件を伝えるスタークに、アズは少しだけ首を傾げた。だが考えても分からない事は深く考えない事にしたようだ。
直ぐにスタークからの申し出を快諾したアズは、休憩が終わり集まって来た隊員たちの元へ向かった。
「今日はスタークが見学するみたいだけど、皆んないい格好しようとして失敗しないようにね。じゃあ事前の連絡の通り、訓練始め!」
そうして始まった魔法訓練。アズはしばらく隊員達を眺めていたが、少ししてから自身も参加し始めた。
その様子を訓練所の端から眺めていたスタークだったが、何か気付いた事があったようで懐からメモを取り出し何かを書き付けていた。
そんなスタークに静かに声がかけられた。
「スターク様もいらしていたのですか。」
「ん?アイルか。新しい魔法訓練をすると聞いてな。確かにあれなら制御と出力を同時に鍛えられる。何より、基礎を固めなければ出来ない技術だからな。水だからこそ出来る技でもあるが。私のような地属性では中々難しいな。アイルも見学か?」
「はい、見学です。ヴェルム様より休憩時間を頂きましたので。アズール様は流石に綺麗な魔力の流れですね。他にも数名、澄んだ綺麗な魔力をした方もいらっしゃいます。やはり水属性の魔力は見ていて気持ちが良いです。」
「アイルがそこまで言うのは珍しいな。お前の口数が多くなる程には水属性と相性が良いみたいだな。」
「これはお耳汚しを。」
「いや、文句を言っている訳じゃない。寧ろ、しっかりと己の意見を言葉に出来るようになったのだ。それは成長だろう。ここにはそれを喜ぶ者はいても、疎ましく思う者は一人もいない。そうだろう?」
「身に余る光栄に思います。ここは天国でしょうか。」
「冗談が言えるなら大丈夫だな。しかし少しずつセト殿に似てきたな。やはり師弟なのだな。団長も日々楽しいだろう。」
「はて。わたくしめは執事。我が主人が楽しそうなのが一番の喜びに御座いますな。」
「なんだ、セト殿の真似か?随分と似ているな。そうなるとカリンも団長の真似が出来るだろうか。今度聞いてみよう。」
二人が下らない話をしている間も、二番隊の訓練は進む。
二番隊は今、分厚い氷の壁をなるべく溶かさぬようにしながらも水による攻撃で穴を開ける訓練を行っていた。
アズは最初に終わっており、次に副隊長が終わった。しかし二人の氷にはサイズの違う穴が空いており、アズが開けた穴は直径二センチほどの小さな穴だった。副隊長のそれは直径が十センチ程になり、氷の表面は穴の周囲だけ少し凹んでいる。
「うーん、やっぱりこんなものか。出来たら針の穴を通すような精密さが欲しいんだけど。僕も鍛え直しだなぁ。特訓しなきゃ。」
結局、全隊員が終わったのはかなり時間が経ってからで、最後の者の氷は半分以上溶けていた。
「これ難しいわ。まさか水槍の魔法を圧縮して氷を削るなんて。氷の維持もしなくてはいけないし、頭が混乱して訳がわからなくなるもの。」
「そうですね。私は氷の維持の方が苦手でした。それと、水槍の出力も安定しなくて。これはいい訓練になりそうですね。」
「そうだな。私もこれには苦戦した。流石にお前達のように時間はかからなかったが、それでも隊長や副隊長に遠く及ばん。次は氷の強度を最大まで上げて、水槍を思い切り当ててみる事にしよう。おそらく、私に足りないのは思い切りの良さなのだろう。」
「中隊長がそう言うなら、僕も次はそうしてみます。こんなに面白くて身になる訓練を考えつかれるなんて、隊長は流石です!」
二番隊には概ね好評だったようだ。
そこかしこで訓練の感想を言い合い、己に足りない物を確認していた。
アズはそれを満足そうに見た後、次の魔法戦の訓練に向けて気持ちを切り替えた。
スタークとアイルはいつの間にか姿を消しており、二人がいた場所には誰もいなかった。
訓練を終えたアズは昼食を摂った後は自由時間だった。最近ずっと忙しかったこともあり、部下が気を利かせてアズの休みが多く取れるように調整したのだ。
流石に隊長ともなれば一日中休みをとる事は難しくなるため、こうして半日の休みを少しずつ間に入れる事で休みとしている。
「何をしようかな。やっぱり、あれしかないか。」
アズが向かった先は二番隊隊舎。しかし目的地は隊長室ではなく、厨房だ。
この厨房は、隊員たちが任務の都合で食事の時間がズレた時に使用する厨房で、偶に女性隊員が休みを利用して菓子作りなどをしている事もある。
アズの目的もその菓子作りである。
アズの趣味でもある調理。今日は何かケーキでも焼こうかと思い厨房に来たのだ。
アズが厨房に着くと、中から女性隊員の声が聞こえた。
「あぁ、ダメよ。小麦粉を入れたら混ぜ過ぎは禁物なの。寧ろザックリ混ぜた方が良いの。だから事前にしっかり粉を振るのよ。」
どうやら菓子作りをしているようだ。ならば少し待ってからくれば良いか、と方向転換すると、振り返った先に別の隊員がいた。
「あれ?隊長、厨房に用ですか?…もしかして、お菓子ですか!?」
女性の隊員からキラキラした瞳を向けられたアズは、今更否定など出来ずに答えに窮した。
だがそんな事はお構いなしといった風の女性隊員から厨房にエスコートされてしまってはもう何も言えない。
大人しく厨房に入る事にしたアズだった。
「ん…?隊長!?もしかして厨房をご利用ですか?直ぐに片付けますので少々お待ちください!」
先ほどケーキを作っていた隊員がアズの姿を見て慌てた。その隊員にケーキ作りを教わっていた隊員も慌て、二人でドタバタと片付けを始めた。
既にケーキはオーブンに入っており、焼き上がるのを待っている段階だったようだ。器具の片付けも半分くらいは終わっており、アズの登場が最後のスパートを追い込んだのは間違いない。
「ごめんね。別に急ぎじゃないから大丈夫だよ。それより、何を作っていたの?」
アズが尋ねると途端に静かになった二人。互いに顔を合わせて何か押し付け合っている。
数秒そうしていたが、意を決した教えていた方の隊員がアズをまっすぐに見た。
「実は、この子が母のケーキが食べたいと言い出しまして…。母はもう亡くなっているのですが、そのレシピを覚えているのが姉妹でも私だけで。仕方ないので休みが合った今日作っていた訳なんです。まさか隊長が来られるとは思っておらず。ご迷惑をおかけしました。」
どうやらこの二人は姉妹のようである。話振りだと他にもいるようではあるが。
「この厨房は二番隊の物なんだから、何も気にする事はないよ。寧ろ、お母様のそのケーキの味の方が気になるかな。どんなケーキなんだい?」
恐縮する姉妹にアズは優しく話しかける。その姿は隊長としての凛々しさより、優しさと慈しみが混ざったような表情で、全てを包むような包容力すらあった。
「い、いえ、一般家庭のなんて事のないケーキなんです。寧ろ、ケーキと言うのも恥ずかしい物ではあるんですが…。一応、パウンドケーキの一種です。ドライフルーツを入れたオーソドックスな物です。」
アズは作るケーキを迷っていた。ケーキでも焼こうかと厨房に来たは良いものの、まだ焼く物も決まっていないのである。厨房に大体の材料があるとはいえ、他に必要なものがあれば自分で調達しなければならない。
「なるほど。そういえば、僕も初めて食べたケーキはパウンドケーキだった。君の言うようにドライフルーツが入った、ね。僕が育った村は酪農が盛んで、バターは結構余ってたんだ。だからケーキ自体は作るのが難しくなかったんだよ。」
「はぇ〜。そうだったんですね。うちは漁師だったからケーキはこっち来て初めて食べましたよ。」
アズを厨房に押し返した女性隊員が言う。アズや姉妹は知らなかったようで、彼女の言葉に驚いた。
「へぇ、漁師か。逆に僕は海の魚をこっちに来て初めて食べたよ。やはり住むところで食べる物が違うのは仕方ないんだね。」
「えー!?私はケーキもそうですし、お肉をほとんど食べた事なかったんです。野菜も、こっちにきて初めて食べたのばかりで。」
「漁師と言うくらいだ、漁村だろう?確かに海辺の漁村は野菜も肉も手に入りにくそうだね。今もそうなのかな。」
「今は道も随分と綺麗になりましたし、魚を売る先も増えたみたいですから。私があの村にいたのは六十年くらい前の話ですし、今では立派な港もあって栄えてますよ。」
「あ、もしかして旧東の国出身なのかい?」
「そーですよ!あれ?言ってませんでしたっけ?」
流石に何百人といる隊員の全ての出身を覚えるのは難しい。なにしろ、アズは隊長になってまだ数年だ。普段雑談をするような関係でもない限り故郷など知らないだろう。
アズの出身地は団内で有名になったため、比較的知られている。
また、団内には旧東の国出身の者も一定数いるため、彼女のような団員も少なからずいるのだ。故郷の国籍が変わっているなど、この世では珍しい事ではない。それこそ、リクだってそうだ。彼女の故郷は既に国ではなく領となっている。
「あ、隊長。何作るか決まってないなら、リクエストしても良いですか?」
「良いよ。僕が作れる物ならね。」
押しの強さを存分に活かした女性隊員は、アズにリクエストをする権利を得た。
アズに許しを得たとたん、飛び上がらんばかりに喜んだ隊員。彼女が獣人族なら、きっと尾をこれでもかと振っていた事だろう。
「実はですね。私、チーズケーキに目がないんです。中でもベイクドチーズケーキが大好きで!お願い出来ますか!?」
彼女はハイテンションのままアズに乞う。
そのテンションに若干引きながらもしっかり頷いたアズ。直ぐに材料の確認を始めた。
一通り材料が揃っている事を確認したアズはそれから直ぐにケーキの制作に取り掛かる。
その間女性三人は手伝いなどして待つ事にしたようだ。
途中、姉妹が焼いていたケーキの様子を見にオープンを覗く。
串を刺して生地がドロっと付いてこなければ完成だ。
パウンドケーキというのは本来、焼き締めて長持ちさせるために生まれた物である。
その関係でどうしても食感がパサパサになるため、生地に油を練り込むのが現在では主流になった。
魔法技術も発達し、保存が比較的容易になったためである。
一晩寝かせた方が味が落ち着いて美味しい、などと言われるパウンドケーキだが、焼きたては焼きたての美味しさがある。アズがチーズケーキを作っているところではあったが、一切れ如何ですか、と言われては断れない。
手が離せないアズに、あーん、とフォークを差し出したのは姉妹の妹の方だった。
「どうですか…?」
姉の方はアズの味覚に合うか心配なようだ。
「うん、美味しいね。ドライフルーツの甘さとバターの香りが丁度いいよ。これが君たちの、お袋の味なんだね。」
数々の女性の意識を奪ってきた貴公子の笑みで感想を述べるアズ。だが彼女達には耐性がついている。今更アズの笑みで倒れたりはしない。顔を赤らめてはいるが。
「よかったです。これ、一晩寝かせるとまた違う味わいになって美味しいんです。」
「へぇ。確かに、パウンドケーキはその二面性が面白いんだよね。僕が最初に師匠から教わったお菓子はクッキーだったんだけど、あれ一つ作るだけで沢山怒られたんだ。でも焼き上がったクッキーを、美味い美味い、って言って食べてくれてね。今考えれば、しっかり混ざってないから所々粉っぽいし、焼き過ぎで固かったんだけどね。」
「隊長のお師匠というと、料理長ですかね?あの人怖いけど優しいですよねー。」
「矛盾してますけど、確かにそんなイメージです。」
アズの思い出に、二人が言葉で同意し妹は頷いてみせた。
料理長はドラグ騎士団の胃袋を握っている。彼に逆らえる者はいないのだ。
食事の好き嫌いは許さず、バランス良く食べねば怒る。またマナーにも煩いため食事中にあまりに騒ぐと怒られる。
ドラグ騎士団は人数が多い。その団員の腹を満たす事はどれだけ大変なのか。
彼はそんな料理長を何百年もやっている。団長を呼び捨てに出来るくらいには深い関係で、偶にスタークの菜園横のガゼボにて、料理長とヴェルム、錬金術研究所所長、事務官長が晩酌している姿が目撃される。
そんな料理長を師匠と呼ぶアズは、並外れた料理のセンスを持っていた。
食べただけで全ての材料を把握し、見ただけで火の通りを見極めた。
だが彼が進んだ道は料理人ではなく五隊への入隊。入団試験を受けずに団員になる者は一定数いるが、アズのように厨房の下働きから五隊の隊長になった者はいない。
そんな意味でもアズは特殊だった。
「出来たよ。後は冷やして終わり。これは魔法で済ませるから、テーブルの用意をしてもらって良いかい?」
「はい!お任せください!紅茶はどう致しますか?」
「んー、何かリクエストはあるかい?」
「…では、是非隊長のブレンドティーを飲んでみたく。」
「え?僕の?うん、良いよ。それならマジックバッグに入れてるから。直ぐに淹れるよ。」
二番隊の隊員の中で、アズのブレンドティーは大人気なのだ。隊員たちが寛ぐ談話室に、時々設置されるアズのブレンドティーの葉が入った缶。
大体は早い者勝ちで飲まれてしまうため、未だ飲んだ事のない者もいるとか。
姉妹は顔を合わせて喜び、押しの強さをここでも見せた女性隊員に拍手を贈りたい気持ちで一杯だった。
数分後、厨房の横にある六人がけの横長テーブルにパウンドケーキとチーズケーキ、そして紅茶が並んだ。横には生クリームの八割立てが置かれている。好きにとってつけられるよう、スプーンも添えてある。
どちらのケーキも半分ほど食べた頃、匂いに釣られた二番隊隊員が厨房に姿を現す。
「あー!!コッソリ隊長のケーキ食べてるー!!」
見つかった者に賄賂のようにしてケーキを渡す事四回。全てのケーキが無くなった後、隊舎に叫び声が響き渡る。
「二番隊緊急集合ー!これより断罪を始めるー!!!本件は隊長作のケーキを隊長含め八名で独占した事による責任の所在について!!」
この事件を聞いてガイアが思わずつぶやいた。
"誰だよ、二番隊は大人しいとか言ったの。"




