86話
「そういえば、前に来た時にも色々と土産を買って帰ったんだろう?その時は何を買ったんだい?」
西の国皇都を二人で歩きながら本部に持ち帰る土産を探すカサンドラとカリン。カサンドラがふと尋ねると、カリンは顎に人差し指を当て宙を見上げた。
「あの時は…。香辛料まみれのクッキーとか、黒竜を模したキーホルダーとかです。あれすっごく可愛かったですよ!」
「あぁ、それならうちのバカ共がこっちに来てすぐ騒いでたよ。団長だぁー!とか言ってね。」
「本部でも同じような盛り上がり方してましたよ!やっぱり皆んな同じ事考えるんですねー。」
「そうみたいだねぇ。団長のあの姿を見た事がない奴も多いだろうに。」
「そうなんですか?…でも確かに、基本的に人の姿をされてますもんね。お姐様は最後に見たのはいつですか?」
「そうさねぇ…。あたしが最後に見たのはもう百年くらい前じゃないかね。」
「そんなに!?じゃあ見た事ない団員が多いのも頷けますね。」
「カリンは見た事あるのかい?」
「私ですか?勿論ありますよ!アイルとじぃじと一緒に。背に乗せて貰ったりしました。」
「へぇ…?ヴェルムも中々面白い事やってるじゃないか。今度強請ってみるとしようかね。」
二人の会話は遮音結界によって聞かれる事はない。結界を移動させながら発動するのは高等技術だが、二人とも零番隊である。この程度は無意識で行える程に習熟している。
そんな二人が皇都のメインストリートを歩いていると、俄かに騒がしくなっている場所を見つけた。
人だかりが出来ており、中心に何があるかは分からない。だが揉め事などではなさそうだった。
怒声や悲鳴が聞こえてこないからである。寧ろ、歓声の方が聞こえてくる。
大道芸か何かだろうか。とカリンが首を傾げていると、カサンドラがその答えを齎した。
「なんであいつは予定ルートと違う方に来てるんだい。相変わらずバカだねぇ。カリン、顔を見られないように移動するよ。」
カリンにはそれだけで誰がそこにいるのか分かった。確かに、顔を見られるのはマズい。
陰から護衛する身としては、護衛対象にも顔を見せない方が良い。
対象は表の護衛しかいないと思っている。裏も表では人員を完全に分けているのもそのためだ。
「おや?カリンちゃんじゃないかい!またここに来たんだねぇ。」
しかし、前回の任務でこちらに来た時に知り合った土産物売りのおばさんに気付かれた。
カリンは少々焦ったが、元気よく挨拶を返す。その間に移動の算段をつけていた。
だが、カリンを知っている者だけでなく、炎帝であるカサンドラにも民が集まってくる。
二人は囲まれて動けなくなってしまった。
そして、人だかりが動いた事に気付いたある人物も来てしまった。
「炎帝よ!お主もここに来ておったか!普段忙しいと言って全然私の護衛に就いてくれんではないか。お主の部下の顔は見飽きたぞ!そろそろお主自身で…、ん?」
尊大な態度でカサンドラに物申すその人物は、最近この国の皇太子となった人物であった。
皇太子は言葉の途中で固まってしまい、カサンドラが眉を上げる。その視線の先にカリンがいる事を確認し、自然に自身の身体でカリンを隠した。そして後ろ手にハンドサインを送る。
カリンはそのサインを見て直ぐに行動した。
サインの意味は即時撤退。つまり、カリンはさっさと引き上げろという意味である。
零番隊の者が一番忘れているのがこの即時撤退。何故なら、実際にやった事がないからだ。
だが大事な場面でサインを忘れては困る。普段からサインの確認は部隊内で念入りにされており、その度にこのサインを忘れている者がいる。
カリンはしっかりと覚えていたようだ。
カサンドラを皇太子からの視線避けに上手く使い、人だかりを脱出した。後は路地にでも隠れて皇太子の様子を見ていればいい。
見た目がまだ子どもであるため、路地に入ろうとすれば止められるだろう。
民の視線が自分に向かなくなったのを確認してから路地に入った。
とりあえず周囲の確認を、と考えたカリンは壁を登る。店の屋根にたどり着いた後、身を隠せそうな場所を探して身を隠した。
「お、おい、カサンドラ。先ほどの少女は…?」
「少女?何を言ってるんだい殿下。」
「いや、お主の横に立っていたあの可憐な少女だよ。藍色の髪に水色の瞳の。まるで女神が降臨したかのような美しさだった。あの者は一体…?だがここにいたという事は我が国の民だろう。それに良い服を着ていた。つまり数字は小さいはず。ならば…!」
下を向いてブツブツと言っていた皇太子は急に顔を上げると、店が多く立ち並ぶこのエリアから移動を開始した。
カサンドラはついて来いと言われたが、即答で断った。
「お前たち、行くぞ!」
「どちらに向かいましょう。」
「一等市民の居住区だ!」
護衛の零番隊隊員は兎も角、お付きの者や側近候補の貴族などには理由がわからない。だが、この皇太子の突拍子もない行動にはいい加減慣れてきていた。
「待っていろ、私の運命の相手、未来の妻よ!」
そう、皇太子は視察先で気まぐれにルートを変えた結果、己の運命と出会ったのだ。
そう感じているのは皇太子のみで、相手は直ぐに姿を隠した事を皇太子は知らない。
何より、二十代後半となる皇太子と十二歳の少女では犯罪である。
しかも残念な事に、その少女の大人の姿を見る事は叶わない。少なくとも皇太子には。
それからしばらく天竜国ドラッヘでは、皇太子が運命の相手を見つけた、と噂になった。
それにより、数多の貴族たちが親類から十二歳頃の少女を集め皇太子に面通しする事が増えた。
国としては皇太子には貴族と婚姻を結んで貰わないと困る。
平民となど言語道断なのだ。
必然的に皇太子が少女趣味であるとの噂も広がり、彼の婚約者は憤慨して実家に帰ったとか帰ってないとか。
"皇太子殿下は少女趣味!?"
などという見出しの号外も出るほどに国を騒がせたこの騒動は、後に様々な事件を引き起こす引き金となっていく。
ドラグ騎士団本部本館、団長室には、あはははは、と笑い声が響いていた。
珍しい事にヴェルムの笑い声である。
何がそんなにツボにハマったのか分からないのは、偶々団長室を訪れていたリクである。
「なになに団長!一人で笑ってないで教えてー!」
「いやぁすまない。これ読んでごらんよ。」
ヴェルムがそう言ってリクに手渡したのは、報告書。
それはカサンドラ隊からの報告書で、西の国皇太子とカリンの出会い、その後に起こった事件の数々が事細かに記されていた。
「えー!?なにこれ!カリンちゃん可哀想!えっと、こういうのロリコン、って言うんだよね?」
リクは普段から街歩きをする分、市民の間に流行っている俗語にも詳しい。逆に、貴族が使うような言葉には疎いが。
「そうだね。幼児愛好家なんて言われる事もあるけど、流石に十二歳は幼児とは言えないかな。未成年を成人が愛すのは今は犯罪だけど、昔は普通にあった事だからね。民の間ではそういう事例を纏めてロリコンとも言うね。」
そんな二人の会話を、普段の無表情を大いに崩して目を見開いて聞いていたアイル。
それに気付いたリクが、ヴェルムに許可をとってから報告書をアイルに手渡す。
アイルは礼を言ってから受け取ると、凄いスピードで報告書を流し読んだ。
それを横から見ていたセトは、読み進めるにつれ段々とニヤニヤ笑いが込み上げてきている。
逆にアイルはどんどん無表情に戻っていった。
「これはこれは。運命の出会いですか。新しい皇太子はお茶目なようですなぁ。」
ほっほ、という笑い声の後にセトの率直な意見が聞こえる。
だがそれはアイルの耳に届いていなかった。
「ヴェルム様。カリンを迎えに行きますか?」
報告書から顔を上げたアイルが口にしたのは、カリンの回収だった。
ヴェルムはそれにクスリと笑い、ゆっくりと首を横に振る。
「大丈夫。あの子なら二度と皇太子と顔を合わせる事はないだろう。それに、もしこれで皇太子が使い物にならないようなら、新しい皇太子を立てるっていう手がある。まぁ、カリンがこの皇太子と添い遂げたいと言うなら話は別だけどね。」
ヴェルムがそう言うと、アイルは不承不承ながら頷いた。
そしてアイルは心に決めた。カリンが帰って来たら直接気持ちを聞こう、と。
だが、その機会は思ったよりも早く訪れる。
リクが皇太子の人柄についてヴェルムから聞いていると、団長室に最近設置されたばかりの通信魔道具に光が灯った。
南方戦線の折、国境警備などに試験的に使用されていた念話の魔道具が完成し、通信魔道具という名を付けられ正式採用されたのだ。
セトが通信魔道具のスイッチになっている魔石を押すと、スピーカーから声が聞こえてきた。
『あー、聞こえてるかい?こちらカサンドラ。団長はいるかい?』
カサンドラだった。何か緊急の要件があるような雰囲気ではない。
「おりますぞ。他にアイルとリク殿がおりますな。」
セトが答えると、カサンドラは少し驚いたようだった。
『おや、リク姫もいるのかい?報告の途中なら悪かったね。今良いかい?』
確かにリクは報告のために来たが、もう終わってお茶会になっていた。つまり、何の問題もない。
「大丈夫だよ。こちらもカサンドラからの報告書を皆んなで読んで笑っていたところさ。」
『あぁ、団長。元気そうで何よりだよ。今日報告書が届くはずだと思って連絡したんだけど、ちょうど良かったね。実は、報告書を読んだらきっとアイルが迎えに来るって言い出すからってカリンが言うもんでね。迎えはいらないよって連絡しただけなのさ。』
正にカサンドラの言う通りの状況になっていたため、アイルは少し顔を紅くして下を向いた。双子は互いに思う事は筒抜けらしい。
「私が止めたよ。でも、一応カリンの気持ちも聞いておかないと。カリンは皇太子と添い遂げたいとは言わなかったのかい?」
ヴェルムがそう言うとアイルの肩がピクリと反応した。セトはそれを見て無音で笑っているし、リクはどこか不安そうだ。
『師父!私があんな変態に着いて行く訳ないじゃないですか!それからアイル!私はちゃんと帰ってくるって分かってるのに、万が一、とか考えて俯いてるんじゃないでしょうね!じぃじも分かってるんだから笑ってないでちゃんとアイルに伝えて!全くもう…。』
通信魔道具から聞こえて来たのは、団長室を見ているのではないかという程正確に状況を予測しているカリンの声だった。
男性陣は揃って目を丸くして、ヴェルムとセトは笑った。アイルは今度は恥ずかしくなったのか、また下を向いてしまった。
「カリンちゃん、げんき〜?早く帰って来て一緒に遊ぼ!こないだ新しいカフェがオープンしたんだよ。一緒に行こう!」
『リク様!はい!そっちに戻ったら一緒に行きましょう!お土産も楽しみにしててくださいね!』
女の子組は元気だった。
魔道具の向こうからも、カサンドラが呆れている様子が伝わってくる。
「じゃあ、カリンは皇太子と結婚はしないんだね?手っ取り早く西の国を傀儡にする方法ではあったんだけど…。別の方法を考える事にするよ。」
『師父!』
再び団長室に笑い声が響く。魔道具の向こうからも笑い声が聞こえる辺り、カリンさしばらく向こうで揶揄われる事だろう。
「カリン、ヴェルム様へのお土産は天竜教の聖典にしなよ。きっと喜んでくださる。」
『あ、それは名案ね!アイルったら流石だわ!師父、楽しみにしててくださいね!』
「ん?それはちょっと…。」
『団長、カリンはもう行っちまったよ。」
双子の小さな逆襲が見事ヴェルムにヒットし、カリンはさっさと魔道具から離れたようだ。
ヴェルムならどこにいようと直接念話で繋いでくるが、その事は忘れているらしい。
困った顔をしたヴェルムに、セトとリクは笑うのだった。
アイルは既に部屋の隅で気配を殺している。
それから報告書に書ききれなかった事などを口頭で報告したカサンドラ。
数分話して通信を切ると、ヴェルムはため息を吐いた。
「流石は我が主人の弟子。戦闘力だけでなく、魅力や話術もしっかり育っておりますな。まさか他国の皇太子を一目惚れさせ、師匠にやり返すとは。いやぁ、将来が楽しみですなぁ。」
ほっほ、と笑いながら好好爺然とした態度を崩さないセト。
リクもニコニコ笑顔で見ていた。
「いや、私も予想外だったよ。確かにアイルとカリンは人の目を惹く容姿をしているとは思うけどね。皇太子に最近なったばかりとはいえ、元は大公の令息だろう?美人など飽きるほど見て来ているだろうに。彼の好みのど真ん中だったという事だろうね。私は師としてカリンの事を誇れば良いのか分からないよ。」
ヴェルムは変わらず困り顔で、冷めた紅茶を飲む。紅茶より苦い珈琲が良いな、と思った時。目の前にスッと珈琲を差し出された。
「流石だね、アイル。カリンの土産の聖典、楽しみにしているよ。」
珈琲を差し出した姿勢のまま、うっ、と固まったアイル。
そんなアイルを見てまた団長室に笑い声が響いた。




