85話
「どうやらカインは上手くやっているみたいだね。やっぱりカインに任せて正解だったよ。」
ヴェルムは団長室で準騎士から報告を受けていた。カインは基本的に指導員の責任者として王城に寝泊まりしているが、準騎士はそうではない。
一週間毎に入れ替えを行っており、ドラグ騎士団での訓練や任務に支障がないようにしている。
今日は戻ってきた準騎士から報告を受けたが、カインがヴェルムの望むような結果を出している事に、満足そうな表情で微笑んだ。
「カイン殿は面倒見が良いですからな。さて、こちらの推薦状はどうしますかな?」
セトもカインの働きにご満悦の様子で、そのカインから送られてきた、一人の準騎士を五隊へ推薦する推薦状をヒラヒラと手で振りながらヴェルムに問うた。
「カインが推薦するなら大丈夫だよ。後は本人に希望の隊を聞いて、その後試験だね。」
ヴェルムがそう言うと、セトはその旨を知らせるためにアイルに遣いを頼んだ。
アイルは直ぐに頷くと、ヴェルムに一礼してから魔法で姿を消した。
五隊に入隊するには試験を受ける必要がある。その試験を受けるのも、教官や五隊の隊員から推薦を受ける必要がある。
ドラグ騎士団内にコネは存在しないが、実力だけあれば良いわけでもなく。各隊が要求する基準を突破できねば、入隊する事は叶わない。
近衛騎士団長に膝をつかせた準騎士は、果たしてどの隊を希望するのか。
周りの準騎士たちにも良い意味で影響を与えるはずである。
こうして切磋琢磨していく事を奨励しているドラグ騎士団は、皆が家族でありライバルである。
他人を落とす事で自分の価値を上げるのではなく、あくまで自分を磨く事で存在価値を生み出す。
そうしてドラグ騎士団は強くなった。
この団長の意向は団員たちにも深く浸透しており、誰も他人を羨んだりしない。
入団試験にてその辺りの人間性を特に重視するのは、こういった理由からだった。
「え?じゃあカインは王城で指導員してるの?あのカインが?凄いじゃない!」
本館横に建つ零番隊専用隊舎には、各部隊の作戦会議室が存在する。
特殊魔法部隊の副部隊長であるルルは、部隊長であるアベルと共に作戦会議室で次の任務の作戦を考えていた。
そんな中、アベルが休憩代わりの雑談に兄であるカインの話をした事で、ルルは驚きの表情を浮かべていた。
「うん。兄さんは団長から任されて凄く喜んでいたみたい。元々兄さんは面倒見が良いし、近衛の実力も底上げされるんじゃないかな。」
アベルが穏やかにそう言うと、ルルは困ったように笑う。
「そうは言っても、おままごと程度にしか剣を振れない騎士団よ?いくらカインでも騎士として生まれ変わらせる事は出来ないと思うわ。」
そう、近衛は弱すぎるのだ。武門の家系の貴族出身の者は、殆どが国軍に所属する。国軍の内訳は、貴族の私兵と戦時徴兵された平民だ。
王家の軍が近衛なら、貴族の軍が国軍となるだろう。
近衛が弱くても今まで反乱などが殆ど無かったのは、単にドラグ騎士団の存在が大きいだろう。
ドラグ騎士団は護国騎士団。国を荒らす反乱は、即座に鎮圧されるのである。
そもそも、代々の国王は治世に関しては抜群の才能を見せている。
それは、幼き頃よりヴェルムと友として育ち、その見据える世界を共に見て育っているのも大きな理由だろう。
気の弱い国王もいるにはいたが、その国王は魔道具などの開発に力を入れ、今ではグラナルドを魔法大国として押し上げた名君として知られている。
「分からないよ?兄さんなら国軍くらいの実力に育て上げるかもしれない。そうなれば三番隊や五番隊、それから零番隊が王城を警備する必要がなくなるかもしれない。良い事だろう?」
アベルが笑顔で語る。その表情は、兄であるカインを信じ切っている顔だった。
カインはアベルに突っかかるが、アベルはそんなカインを嫌っていない。寧ろ、弟として誰よりも信頼しているのだった。
それはルルもエノクも知っている事ではある。ルルとしてはそんな二人の強い絆が何より嬉しい。
カインの事を語るアベルの事を、慈愛の女神のような微笑みで見つめるのがいつもの二人だった。
「部隊長、カイン様の話は良いですから、早いとこ作戦決めちゃいましょうや。」
「おっと、済まないね。僕たちは僕たちの仕事をしないと。団長と騎士団皆んなのために。」
隊員からこうして突っ込まれるまでカインの話をするため、最早隊員たちは慣れたものである。
いつもはしっかり支えているルルも、何故かカインの話だけは止めないため、隊員たちはカインの話が始まると互いに目線で会話し、キリのいいところで中断させる。
でないと、いつまでも話し続けるのだ。
アベルたち特殊魔法部隊の次の任務は、北の国での活動である。
そのため、しばらくグラナルドには戻れないだろう。
アベルがカインと会えるのもまたしばらく先になる。
会えばカインはアベルにキツく当たるのだろうが、アベルはそれでもカインと会話する事を喜んでいる。
隊員たちは複雑な気持ちではあったが、アベルの好きなようにするのが良いとルルに言われてからは何も言わなくなった。
まずは次の任務を成功させねばと、特殊魔法部隊は襟を正した。
グラナルド王国は、大陸中央の大国である。そのため、西の国や南の国といった大陸の外側にある国からは、中央の国とも呼ばれる。
そんなグラナルド王国の西には、西の国と呼ばれる天竜国ドラッヘがある。
天竜国は近年領土を次々と拡張していき、大陸西方の小国郡を瞬く間に吸収し大国の一つに名を連ねた。
大陸西方で残る国は四つ。グラナルド、天竜国、南の国と国境を接する国が一つ。その西側に一つ。
グラナルド、天竜国、北の国と国境を接する国が一つ。その西側に一つ。
南北を囲まれるように国がある天竜国だが、天竜国南方の地方で採れる香辛料、北方で採れる鉱石、西方では漁港や貿易港があり、経済的にもかなり裕福な国である。
しかし、国内では貧富の差が激しく、国民は数軒隣でも毎日風呂に入れる家と、その日食べる物にも困る家とが存在する。
これは、天竜国が領土拡大する前から国民だった者と、祖国を滅ぼされた者との差が大きい。
勿論、祖国を滅ぼされた者たちの身分は保証された。だが、天竜国の国民となって与えられる国民証票に記載される数字が、国民間での差を生んでいた。
元々天竜国の国民だった者には一を。次に滅ぼされた国の者は二を。そのような順で数字が記載されるため、今では十の者もいる。
つまり、数字が大きいほど新参者という事になり、仕事に就いても給料に差が出たり、仕事内容も変わったりするようだ。
そんな扱いをしていれば、当然不満は溜まる。だが、国が大きくなる度に自分より下の者が増える。そうすれば自分の待遇は良くなる。
すると国民は次第に戦争を望むようになり、南北四国への侵略を心待ちにしていた。
天竜国ドラッヘの国民の義務はそう多くない。納税や労働の義務は当然だが、その中で他国には無いものがあった。
それが、天竜教への入信である。
政治の中枢は国王と大臣たちだが、その中に天竜教の枢機卿なども入るのだ。
政教分離を掲げるグラナルドとは違い、宗教が政治に深く関わる国だった。
寧ろ、国王や大臣たちは熱心な天竜教の信者である事が求められ、国王の戴冠式では天竜教の聖典に手を置き、誓いの言葉を言う事で教皇より王冠を授けられる。
どう見ても国王より教皇の方が権力を持っているが、それがドラッヘの在り方なのである。
そんな天竜国ドラッヘは、最近皇太子が変わるという事件があった。
国王の弟である大公の令息が新たな皇太子となり、国王の側で国政を学んでいるところである。
そんな新たな皇太子は、民の信頼も厚く、何より貧富の差を本気で縮めようと模索していた。
富める者に財が集まるのは良い、だが、最初からその機会も無いのは不平等だ。
公にそう宣言した皇太子は、少しずつ改革していく事を決意した。
だが、旧体制のまま甘い蜜を吸いたい者からは当然睨まれる事になる。
あまりに暗殺の危険が増したため、国王は天竜国が誇るSランク冒険者、炎帝に護衛を頼んだ。
炎帝は快く依頼を引き受け、皇太子の周りは常に炎帝のクラン員が警備するようになった。
皇太子は水を得た魚のように、護衛を連れて動き回るようになった。
そして、視察のために出かけた皇都で運命の出会いを果たす。
「カサンドラの姐さん。皇太子の様子はどうですかい?」
炎帝の屋敷では、カサンドラの部隊員が報告書を持って執務室に来ていた。
カサンドラは調子良さげな隊員を一瞥した後、フン、と鼻を鳴らした。
「あんただって護衛に就いたんだ。言わなくても知ってるだろう?さっさと報告書を寄越しな。」
カサンドラはいつもこの調子であった。
機嫌が良いのは本部に戻る時などの楽しみにしている事がある時くらいなもので、特に皇太子の護衛を受けてからは毎日不機嫌だった。
ヴェルムの指示で皇太子の護衛を二つ返事で受けたものの、皇太子の性格がカサンドラには合わなかった。
「姐さんにはこの国は合わないんすかね?俺が団長にお願いしたら誰か代わってくれるかもしれないっすよ!」
またも調子良く言う隊員の肩に、カサンドラが投げた万年筆が突き刺さる。
ヴッ、と呻き声をあげた隊員は、それでも笑顔を崩さず肩から万年筆を抜いた。そのまま自分で治療魔法を肩にかけると、眉尻を下げて目を潤ませて見せた。
「姐さん酷いっすよー。痛いじゃないっすか。あー、こりゃ筆先が潰れちまってら。いくら事務仕事が嫌でも万年筆に当たるのは良くないっすよ。」
この言葉がカサンドラの長くない導火線に火をつけた。
数秒で着火点まで辿り着いた導火線は、特大の爆発を生み出す。
「良いからさっさと出て行きな!ぶっ殺されたいのかい!?」
隊員はそそくさと出て行った。
別に隊員も悪ふざけでこのような事をしているわけではなく、戯けた態度で少しでもカサンドラが笑ってくれればと思っただけだ。
「んー、やっぱり俺じゃダメか。こりゃあ本部から応援を呼ぶしかねぇな。姐さんの機嫌が悪いままじゃ団長にも良い報告が出来ねぇかもしれねぇ。…急ぐか。」
隊員の呟きは廊下に虚しく響いて消えた。
その日、カサンドラはいつものように執務室で書類仕事をしていた。冒険者ギルドに所属しクランを運営している手前、ギルドから送られてくる依頼をこなさなければならない。
基本はクラン員として名を連ねる部隊員たちがその依頼を達成するのだが、その依頼完了報告書にクランリーダーであるカサンドラのサインが必要なのである。
必然的にカサンドラが机に向かう時間が増え、苦手な書類仕事の時間が長くなることも不機嫌さの理由の一つだろう。
そんなカサンドラを心配した部隊員たちが執った策が今、執務室に向かって近付いている。
「ん?今日は誰か来る日だったかい?」
屋敷の門周辺が賑やかな事に気付いたカサンドラが、執務室の窓から外を見る。そこにはフードを被った小柄な人物が、門番と話す姿があった。
「本部からの連絡ではないですか?お嬢の任務はヴェルム様も気にしておられるでしょうから。」
カサンドラをお嬢と呼ぶ者はそう多くない。しかし、そう呼ぶ者たちにはある共通点があった。
それは、カサンドラと同じ部族出身の者たちだ。今では王家直轄領にある森の奥深くにひっそりと過ごしている者たちだけだが、グラナルド建国当時からカサンドラと共に"魔法隊"としてヴェルムの教えを受けた者たちがいる。
その者たちが今でもカサンドラの部隊員として零番隊で活動しており、部族長の娘だったカサンドラは変わらずお嬢と呼ばれているという訳だ。
「本部への定期連絡はちゃんとやってるだろう?まさか、グラナルドで何かあったんじゃないだろうね。」
カサンドラが慌てるのも無理はない。普段は本部との連絡は定期連絡以外に無いのだから。
だが、部隊員が落ち着いている事に気付いたカサンドラが部隊員を訝しげに見る。
部隊員は冷や汗をかきながらもなんとか隠し通した。
無言の戦いに部隊員が屈しそうになった時、執務室の扉がノックされたのである。
「失礼します。本部からの応援に参りました。」
カサンドラが入室の許可を出すと、入ってきたのはカリンだった。
ニコニコと笑顔でカサンドラに笑いかけ、ペコリと頭を下げた。
「カリンじゃないかい。それに応援だって?こっちの手は足りてるよ。」
カサンドラはカリンに笑顔を向けたが、応援という言葉が引っかかっていた。
「カサンドラお姐様!月見酒の時以来ですね。お元気にしておられましたか?」
カリンがとびきりの笑顔でそう言うと、カサンドラは眉間の皺を取って目尻に皺を寄せた。
以前、アイルとカリンがここ西の国へ応援に来た時、カサンドラは双子の事をすっかり気に入った。
双子が零番隊に入るまで殆ど交流のなかったカサンドラだったが、二人のヴェルムに対する強い敬意と忠誠を見て、その健気さに絆されたようだった。
「あぁカリン。よく来たね。どうやって来たんだい?アイルは一緒じゃないのかい?あぁ、まずはゆっくり休むと良いさね。前に使った部屋をそのまま使って良いからね。」
急に故郷の母親のようになるカサンドラ。その様子に部隊員は笑いそうになるが、必死に堪えていた。
「お姐様、まずは着任の挨拶をしなければなりませんでした!…零番隊特務隊所属カリン、団長の命を受け只今着任致しました!」
カリンの所属は、セトが部隊長を務める特務隊である。これはアイルや団長室の扉を護る隊員などが所属しており、ドラグ騎士団の裏方的存在の零番隊の中で、更にその裏方をしている部隊である。
「カリンは立派な着任の挨拶が出来るんだねぇ!もう立派な零番隊じゃないか。誇らしいねぇ。」
カリンが来てから緩みっぱなしの頬を引き締める事なく、デレデレとした表情を隠さないカサンドラ。まるで空気のように扱われている部隊員だが、前も同じような光景を見たため少しは慣れたつもりだった。
だが結局、笑いを堪えるのに苦労している。彼の受難は続きそうだ。
それからカリンは自身がここへ来た表向きの理由を明かした。
それは、皇太子の護衛の追加人員である。だが、表立って護衛する事はない。何故なら、カリンはどう見ても護衛に見えないからだ。
十二歳の女の子が護衛だと言われても誰も信じない。つまり、抑止力にならないのだ。
護衛は目に見えて強面で強そうな方が効果がある。
今回カリンが来たのは、影からの護衛のためだった。
カリンならば空間魔法もあるため武器や道具の持ち歩きに困らない。天井裏や裏通路などの狭い場所で監視も含めた護衛をするならば、荷物が無いに越した事はない。
勿論、これらは表向きの理由だ。カサンドラの部下である部隊員たちが秘密裏にヴェルムに連絡を取り、カリンを派遣してもらう事にしたのだ。
カサンドラが可愛がっているアイルとカリンのどちらかだけでも来れば、毎日の不機嫌さも消え仕事も効率的になるかもしれない。そんな打算が大いに含まれていた。
だが部隊員たちのカサンドラに対する労りの気持ちも本物で、なんとかカサンドラに元気を出してもらいたい、という気持ちが一番の理由なのは言うまでもない。
カリンの着任ですっかり機嫌が良くなったカサンドラは、部隊員たちの勧めでカリンと二人で西の国の皇都を散策する事になった。
「お姐様と街歩き出来るなんて!嬉しいです。アイルも来られれば良かったんですけど…。」
喜んだりションボリしたり忙しいカリンに、カサンドラは穏やかな笑みを向けた。
「じゃあアイルに土産を買わないとね。それで、今度は二人で一緒に来な。休みの日にでも。アイルがいりゃあ直ぐだろうさ。」
「そっか、そうですよね!はい!今度は二人で来ます!よーし、アイルが喜ぶお土産買うぞぉ。」
いつでもどこでも元気なカリンに、カサンドラと部隊員たちは温かい視線を向けた。
それは、カサンドラとカリンが屋敷を出るまで続く。




