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闇竜と騎士団  作者: 山﨑
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78話

ファンガル伯爵領は、武門の家系である。

その歴史は長く、グラナルド王国が建国されるよりも前からグラナルド王家の祖となる家に仕えてきた。


グラナルド王国ではミドルネームに"ラ"が付く家は全て、王家を古くから支えてきた家門である。

今は亡き家門である、カルム家も同様である。


実はこの"ラ"というミドルネームは、昔ヴェルムが提案したものだ。

当時グラナルドが三つの大きな街を纏め、地域一帯を国として治めていこうかという時。それぞれの部族の長は貴族として生きる事を決めた。

そしてそれぞれに村々を治め、全体を長、つまり国王が纏める。細かな政治は族長たちが行い、国としての方針を族長たちと国王が取り決める事にしたのだ。


その時、ヴェルムは建国王から相談を受けた。

これまで支えてくれた上、これからも世話になる族長たちに特別な名を与えたい。しかしそれぞれの家門の名は部族の名を使う事が決まっている。何か良い手はないか、と。


そこでヴェルムはこんな話をした。


「この辺りの部族はそれぞれに異なる文化を持つ。だが、音の呼び名は変わらないではないか。ドレミファソラシ。音階は様々あるが、同じ音を同じ名で呼ぶだろう。その様に、異なる文化の民族の、共通の何かを探せば良い。あぁ、そういえば何処かの国ではこう言われていたな。多言語を持つヒト族だが、産まれてきたばかりの産声は、皆同じ"ラ"の音程なのだと。人生の始まりの音が"ラ"なら、グラナルドの始まりの貴族と王家は"ラ"なのではないか?」


ヴェルムとしては冗談のつもりだった。

だが、この例を聞いた建国王は涙を見せて喜んだ。それからすぐにこの話は族長たちに伝えられ、族長全員の満場一致により、ミドルネームが"ラ"とされた。


それ以降、現在までに"ラ"を受け継ぐ家門は随分と減った。

それでも、このミドルネームに名誉と誇りを持ち真摯にグラナルド王家に仕えてきた家門が複数ある。

その内の一つがファンガル伯爵家なのだ。


そんな長く続く家門では必ず、貴族教育の一つに"ラ"の名の意味を教えられる。その家門に生まれた子は皆、その意味を知り自分が始まりの貴族の子孫なのだと理解し、それに見合う成長を心に誓う。

だが、時の流れにより少しずつ教える内容が異なるようになった。今では殆どの家門では、このミドルネームを考えたのは建国王だと教えている。

ヴェルムの存在は歴史には出てこないのである。


ほんの数家だけ、ヴェルムが考えた事を教えており、また、ファンガル伯爵家のみ、このミドルネームがヴェルムの思い付きにより生まれた物だと知る。王家ですら忘れてしまったこの事実を、ファンガル家だけが脈々と受け継いできたのである。







「いやぁ、そんなくだらない事は忘れてくれて良いんだけど。君たちは本当に私が好きだよね。」


ヴェルムは紅茶を飲みカップをソーサーに戻すとそう言った。

対面には最近跡を継いだ新ファンガル伯爵がニコニコと笑顔で座っている。


「ですから、我がファンガル家ではこの情報は機密扱いなのです。直系の者しか知りません。それは当主夫人もそうです。ファンガルの血ではないので。」


王家ですら知らない歴史の真実を持つというのは、ここまでするものなのか。ヴェルムはそんな事を考えながら茶請けのクッキーを一つ口に入れた。


「グラナルドには変なヒト族が集まるね。やはり建国王が変だったからかな。いや、その頃には周りの者も変なヒト族ばかりだった。ファンガルは比較的まともだったと記憶しているのだけど。違ったようだね。」


くすくすと笑いながら拳で口元を隠すヴェルム。ファンガル伯爵も困ったように眉尻を下げていたが、口元はしっかり弧を描いていた。


「父上、何故笑っているのですか?この方はファンガル家を侮辱しているのですよ?」


伯爵の隣に座る男の子が、伯爵の膝を揺する。その目は伯爵とヴェルムを行ったり来たりしており、その度に表情が変わる。

伯爵を見る目は心配。だが、ヴェルムを見る目は敵意に満ちていた。


「お前は何を言っている?この方が誰だか本当に分かっているのか?ヴェルム様に謝罪を。今すぐ。」


伯爵は少し慌てて息子の頭に手を乗せ、思い切り下げた。そして自身も深く頭を下げた。


「申し訳ありません。息子の教育を間違ったようです。どうやら甘やかしすぎてしまったようで。何卒無礼をお許しください。」


息子は何が何だか分からないといった表情で父親に押さえつけられた頭に手をやり、父親の手を外そうともがいている。

しかしそうする度に父親が息子を押さえる力は増すばかりだった。


そんな親子にヴェルムは何も言わなかった。別に意地悪をしている訳ではない。ただ興味がないだけだった。

確かに彼らは、この国の英雄でありヴェルムの友であるフォルティス・ラ・ファンガルの息子と孫である。だが、それはヴェルムが興味を持つ相手たり得ない。

基本的には自身の家族と友以外に興味はないのだ。敬意を持って相手をするが、守る対象ではない。その辺の線引きはヴェルムにしか分からないだろう。


「ヴェルム様、本当に申し訳ございません。よく言って聞かせておきますので。」


それからファンガル伯爵は、侍従を呼び息子を下がらせた。その時伯爵は数点指示を出していた。小さな声だったがヴェルムにはその指示が聞こえた。それでもヴェルムは表情を変えなかった。


「何故ですか!何故私が謹慎を命じられなければならないのですか!私はファンガル伯爵家の後継となる長子です!ファンガル家を侮辱した者に怒る事は褒められる事はあれど私が叱られる理由にはなりません!父上、話を聞いてください、父上!おいお前、離せ!誰の腕を掴んでいる!」


息子は騒がしくも部屋を出て行った。それを目で追った伯爵は、もう一度深く頭をさげた。


「大変お見苦しいものを見せました。申し訳ございません。あれはファンガルである事に異常なまでの執着がありまして…。今回ヴェルム様にお会い出来る事で何か切っ掛けになればと思ったのですが。まだ御身の前に出せる者ではなかったようです。申し訳ございませんでした。」


ヴェルムは何も言わない。無言のまま立ち上がり、侍女が置いて行った紅茶の道具が置かれたワゴンのもとへ向かう。

魔法で湯を生み空間魔法から茶葉を取り出す。


美しい所作で淹れる紅茶は、その香りで部屋を包み込んだ。

その間ずっと頭を下げたままだった伯爵も、その香りで緊張が緩んだ。


伯爵の視界に、淹れたての紅茶がスッと入り込む。ヴェルムが戻ってきて伯爵に紅茶を渡した事に遅れて気がついた。


あ、ありがとうございます!と慌てて言うも、ヴェルムは既に対面のソファに座っており、無言のまま片手で、どうぞ、と示すだけだった。


伯爵はもう一度頭を下げてから、まだ湯気の立ち上るカップを手に取り、緊張を和らげてくれる香りを鼻腔一杯に取り込んだ。

それから口をつけ、少しだけ口に入れる。見た通りの高温だったが、生憎ファンガル伯爵は猫舌ではない。舌を魔法で強化すれば火傷もしない。しても魔法で治せばいい。今はヴェルムが淹れた紅茶を味わう事が優先だった。


互いに黙ったまま紅茶を飲んでいたが、飲み干す頃には緊張も解けていた。

伯爵は逆に、紅茶が無くなるにつれ別の緊張感が襲ってきている事を自覚していた。

息子の無礼をどう謝罪するかという一点だった緊張が、今は何を話題にすれば良いかという緊張に変わっている。

だが、そんな緊張は不意に破られた。


「最近、君の父は新たな友が出来たんだ。」


ヴェルムが急に静かな声で話し始めた。伯爵が下げていた視線を上げると、ヴェルムは穏やかな表情をしていた。

伯爵が話を聞いている事が分かったヴェルムはゆっくりと続きの言葉を紡ぎ出す。


「その友は、彼と同じく英雄と呼ばれた人物だった。歳も近いようだし、ほとんど毎日どちらかの部屋で飲んでいるみたいだね。」


「父上が、ですか。ヴェルム様以外に友などいなかったと記憶しておりますが…。」


伯爵の言う事はもっともで、フォルティスは友と呼べる者はいない。軍部ではプライベートで付き合う相手はおらず、社交界は全く参加しない。彼が今まで友と呼んだのはヴェルムただ一人。そう認識している伯爵だった。


「そうだね。私もそう思っていたよ。だからこそ、彼に友が出来た事を喜んでいるんだ。一応、息子である君にも伝えておこうと思って。祝いに皿でも贈ってあげると良い。喜ぶだろう。」


伯爵はキョトンとした後、急に声をあげて笑い出した。それをヴェルムは笑顔で見ていた。

伯爵が笑った理由は簡単だ。

グラナルド王国は焼物が有名な国である。他にも、魔法大国であったり大陸一の治安の良さであったりと、強みはいくらでもある。

だが、グラナルドの焼物はどの国も欲しがるのだ。良質な土から作り出される焼物は、他国では富裕層しか持てないような物がグラナルドでは一般的に使用される。


そんなグラナルドの焼物だが、その家の子どもが成長する節目に、新しい皿を親が子にプレゼントする風習がある。その記念日は家庭によって異なるが、その家にとって特別な事ならば何でもありなのである。

例えば、女児であれば初潮を迎えた日。子どもが成人を迎えた日。誕生日。就職、進学祝い。実に様々な理由で皿をプレゼントする。


ヴェルムはその風習に倣って、フォルティスに伯爵から皿を贈れと言っているのだ。

大きい孫がいる年齢の老人に、友達出来たんだって?お皿あげるね!などと渡せばどんな反応をするか想像に難くない。

伯爵も笑うはずである。


「それは良いですね。では皿に、"祝・友人二人目記念"と描いてから焼いてもらいましょう。後ほどすぐに手配しておきます。ヴェルム様が描かれますか?」


伯爵が笑顔で言うと、ヴェルムはにっこり笑った後首を振った。


「君から贈られてこそ、彼の怒りも頂点に達すると思わないかい?それで君がどんな目に遭おうと私は関係ない。君が彼に殴られるのが先か、それともこの発案者が私だと気付くのが先か。まぁ彼なら気付いていても君を殴りそうではあるね。それも上ばかり見ていて下を見なかったツケが回ってきたと思いなさい。」


英雄であり父であるフォルティスの背ばかり見ているからあんな息子を育ててしまうのだ、と暗に言われた伯爵は、笑顔を引き締め真剣な表情で頷いた。


「畏まりました。ではそのように手配します。ありがとうございます。」


側から見ればただの嫌がらせにしか見えないが、伯爵は救われた気持ちだった。

ヴェルムが怒ると思った自分が間違いだったのだと気付いたからだ。


息子に対し教育を間違えた事。その息子の無礼。その辺りについて気分を害したのだと。そう思っていた。

だが違った。寧ろ、息子の再教育を促すくらいにはチャンスを貰えたのだと思い直した。


冷静になって考えれば、怒る必要がなかったからだと気づく。

ヴェルムはファンガル家を切り捨てれば良いだけなのだから。元より貴族と親交を深めていないヴェルム。そのうちの一つになるだけの話。

そこに気付いた伯爵は、心の底からヴェルムに頭を下げた。


「ほら、次は君の話を聞かせてよ。彼への土産話にするから。あぁ、君の弟もうちにいるのか。では二人と茶を飲みながら君の話をするよ。ほら、聞かせて?」


それからもう一度ヴェルムが紅茶を淹れ、二人は様々な話をした。

ヴェルムが友でもない相手とここまで話し込むのは珍しい。

ファンガル家の家令が、予定の時間になっても部屋から出てこない当主の様子を見に来たが、部屋から聞こえてきた笑い声を聞き、静かに立ち去った。


ファンガル家に仕える者は、徹底して教えられる事がある。それは、ヴェルムが来ている時は決して邪魔をしない事。仮に国王が来訪したとしても連絡を寄越すな、という指示が出ている。

逆に、領民に関わる重大で緊急性の高いものは伝えにくるように言われている。

これはヴェルムの意見だ。民を大事に出来ぬ領主などに価値はないよ、という一言で採用された意見だが、それを聞いた使用人と部下一同はヴェルムを尊敬し称えた。











ヴェルムが帰った後、伯爵は謹慎させた息子の部屋に来ていた。二人で向かい合い、侍女から受け取った茶を飲んでから話し始めた。


「お前には今まで苦労をかけたな。父である私が、お前をもっと見ていてやらねばならなかったのだ。不甲斐ない父を許してくれ。」


息子は、てっきりこれから説教が始まるとばかりに思っていたため驚いた。叱られる訳ではないと分かると、安心すると同時に、自分のした事が間違った事ではないと自信を持った。同時に、偉大な英雄の息子である父も間違う事があるのだと不思議に思った。


「いえ、父上は不甲斐なくなどありません。ですので父上が謝ることなど何もないのです。」


息子は自尊心が高く、そして計算高かった。一般的にズル賢いとも言う。

父を心配する様子を見せ、やはり自分は間違ってなどいない、と再認識した。


しかし、そんな甘い考えは一瞬で打ち砕かれる。


「やはりお前には教育が足りていないようだな。ここでもう一度聞いておく。先ほどお前が無礼を働いた方は誰だか言ってみろ。」


伯爵の目は真剣だった。その瞳に何故か背筋が凍ったような気がした息子は、息を飲んで固まった。

何を間違えた?私は間違っていないのではなかったのか?父上は何をそんなに怒っている?

そんな事が頭を支配していた。混乱しているとも言う。


「言えないのか?我が家にとって陛下よりも大事な客人だぞ?私はそう伝えたと記憶しているが。」


確かに、今日そのように使用人からそう聞いて呼び出された。ヴェルムの姿を見た事はあったため、息子は特に気にしてもいなかった。

初めてその姿を見た記憶は、確か祖父と語らう姿だった。


英雄である祖父の信頼する部下であると乳母から聞かされ、気にもしていなかった。

確かに、ヴェルムと話す祖父は機嫌も良く、我が家にとって大事な客なのは分かる。だが、それでもファンガル家を侮辱していい理由にはならないはずだ。


ファンガル家は武門の家系。これまで様々な貴族からのやっかみにあってきたと聞く。だがその度に力で黙らせてきたのではないのか。実力を示しどちらが上かを理解させてきたのではないのか。


息子はだんだんと苛立ってきた。


「あの者はお祖父様の部下でしょう?何故父上が謙る必要があるのですか!寧ろ、地に頭をつけ許しを乞い願う立場にあるのはあの者のはず。それを指摘して何が悪いと言うのですか!」


息子は我慢出来ずそう叫んだ。その瞬間、息子はソファごと吹き飛び、壁を凹ませて止まる。伯爵は拳を振り抜いた姿勢で止まっていた。

ファンガル家は武門の家系。英雄の息子である伯爵も、性格こそ穏やかであるが立派なファンガル伯爵だった。


「坊ちゃま!」


部屋の隅で待機していた乳母が息子に駆け寄る。

大丈夫ですか!と半ば叫びながら息子を抱き起こし、全身に怪我が無いかを確認している。殴られた頬以外に怪我はない事が分かると、伯爵に向けて抗議の目を向けた。


伯爵はそれだけで全てを悟った。


「この乳母は解雇だ。新しい教育係もつけろ。我がファンガル家の恩人であり英雄の友でもある、ドラグ騎士団団長を侮辱した息子を育てた乳母は必要ない。」


伯爵のこの一言で息子は目を見開いた。あの者はお祖父様の部下ではなかったのか?乳母はいつも言っていたではないか、あの者はお祖父様が重用しているから大きな顔をしている部下だと。

ドラグ騎士団団長?お祖父様どころか、国王ですら命令は出来ないという噂がある者ではないか。

まさか乳母が嘘を言っていたのか?


色々な考えが思考を麻痺させていた。なにより、父に手をあげられたのは初めてだった。


「御当主様!私は坊ちゃまのために…!」


「黙らせろ。さっさと連れて行け。」


乳母は侍従に連れられて部屋を出て行った。目の前で起こった事の全てに理解が追いついていかない息子は、ただ突っ立っているだけだった。


「さて。お前にはしっかりと教えておかねばならない。いや、もっと早く私が直接教えておくべきだった。あの方はヴェルム・ドラグ様。ドラグ騎士団の団長であり、グラナルドの守護者。そして我がファンガル家の恩人でもあり、お前も教わっただろうが、我ら"始まりの貴族"に"ラ"の称号を与えた方だ。」


"始まりの貴族"とは、グラナルド建国時に建国王より貴族に任命された族長たちの家門を指す。

今では少なくなった"始まりの貴族"だが、後から貴族となった家とは一線を画す力を持つ。


息子は、知らなかった事実にただ驚いた。

そして己の犯した過ちに気付く。しかし色々と手遅れだった。


それから頬を治療された息子は、久方ぶりに父親と話し合った。

ファンガル家を継いだばかりの父は忙しく、最近は食事の時くらいしか顔を合わせなかった。

二人は夕食の時間まで共に過ごした。息子は沢山の知らなかった事を知った。

これまでの己を恥じるようになった息子は、自分を律し変わることを決意する。

そして、次にヴェルムが訪れた際にその姿を見てもらうと意気込んだ。

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