77話
南の国は一年を通して気温が高く、人の手が入っていない土地は密林が多い。
グラナルドと同じく、昔は様々な民族が集落毎に分かれて暮らしており、国になるには時間を要した。
しかし、人族が集まり街を発展していくと共に、隣の街を吸収し大きくなろうという動きが起こる。
それを繰り返し国と認知される頃には、既に多数の国が出来ていた。
南の国の隣には、獣人のみによって構成された国があった。
獣人国と呼ばれたその国に、南の国は直ぐ様同盟の申し入れを行った。
元々取引などを通じて両国の中は良好であったため、この同盟はすんなりと成った。
しかし、それを快く思わない国があった。
人族至上主義とも呼ばれる主義を掲げた国が、南の国の周りには複数存在していたのである。
この同盟を切っ掛けに、南の国は人族の国々から孤立した。
だがそれでも獣人族との同盟はやめなかった。寧ろより盛んに交流する事で、獣人族と人族とが共に暮らす街が出来上がるほど仲を深めた。
そんな折、獣人国で獣人にしか罹らない疫病が流行る。
南の国は医師を派遣し、支援に努めた。
しかしそんな一大事の隙を見計らったかのように、他国からの侵略を受けた。
結果的に、南の国の学者がこの疫病の特効薬を作り、獣人国は難を逃れる。
だが、それまでに獣人族の数はかなり減っていた。国と呼べる規模ではなくなった事から、獣人国の王は南の国に帰属する事を申し出た。
だが、南の国は断った。
獣人国は属国ではない。友なのだ。
そう言って使者を追い返したという初代国王の逸話は、現在の南の国では子どもでも知っている話である。
国の維持が出来なくなった獣人国は、獣人領と名を変え存続した。他国からの手出しを防ぐために、所属は南の国となったが、南の国の法が及ばぬ治外法権となったのだ。
つまり、国の中に別の国があるようなものである。
現在では獣人の数も増え、獣人だけの国を興そうと思えば出来る。だがそれはしない。しようとも思わない。
何故なら、獣人とは恩に報いる種族だからである。
とある南の国の国王が言った。
もう獣人は我らの手助けなど必要ない程に栄えたのではないか。領ではなく国に戻る時が来たのではないか。と。
獣人領代表の獅子族の男はこう返した。
我らは人族に滅ぼされかけ、人族に救われた。我らの魂はこれからも友とある。
疫病の原因は、獣人国の隣国の仕業だった。
動物の死骸を撒き散らし、死骸にはとある菌を植え付けた。
それにより、人族には罹らず獣人にのみ発症する疫病を広めたのだった。
その国は人族至上主義を掲げる国だった。
この疫病の特効薬を発明した南の国の学者は、元々細菌について研究をしている者だった。
だが当時南の国では、細菌が病気を引き起こすなどと誰も信じていなかった。
だが、その学者は違った。細菌にこそ病気を引き起こす元凶なのだと信じて研究を続けていた。
しかし、そんな学者を地の底に叩き落とす事件が起こる。
南の国周辺では、人族も疫病に罹る事が多くあった。そしてその内の一つは、罹ると治療の方法が無い、死の病が存在した。
その病気に関しても細菌のせいだと考えていた学者は、ある時別の学者が集まる場で呼び立てられた。
彼が独自に集めて研究に使用していた細菌が入った水があった。
それを、別の学者が目の前で飲み干したのだ。
ほら見ろ、私は病気になぞなっていない。
学者は大恥をかかされた。細菌入り水を飲んだ学者は、他の学者から誉めそやされた。
しかし学者は考えた。細菌が弱っていたからではないか、と。
その考えは正解だった。弱った細菌を摂取する事で、その菌に感染しても抗体が既に出来ており、罹らなくなったのだ。
人族は死の病から遠ざかる事が出来た。
世界初のワクチンの誕生である。
この死の病に苦しめられていたのが、獣人国に疫病をばら撒いた国だった。南の国と国交は断絶していたが、他の国からどうにか南の国のワクチンを手に入れたその国は、その学者に名誉勲章を授与すると大々的に宣言した。
だが学者は断った。南の国の友である獣人国を滅ぼそうと画策した国からの勲章など、彼には無用の長物だった。
歴史書にはこう記載されている。
"学問に国境は無い。だが、学者に国境はあるのだ。
そう言って学者は終生を南の国で過ごした。
これほどに愛国心溢れる学者を私は他に知らない。"
大陸南部 疫病の歴史 より抜粋
「なんとも懐かしい話だね。あの頃はそりゃあもう大変だったさ。だけどね、君がくれたアドバイスが元であのワクチンは完成したんだよ。私だけの功績じゃあない。」
髪は全て白に染まった老人が、人里離れた小さな一軒家でそう呟く。
彼の目の前には、出会った頃と変わらない姿のままの友人がいた。
「何を言ってるんだい?私はただ、素人考えで一言言っただけさ。何より、私は君が気に入ったんだ。君の細菌についての話は本当に面白い。私も細菌を見てみたくなって、視覚を弄る魔法を生み出したくらいだ。」
老人の友は昔と変わらない。当時もそうだった。彼の研究室に度々訪れては、細菌の話を聞いて行く。その時話した事が、必ず彼の研究のヒントになった。
あのワクチンだってそうなのだ。彼が一言、飲んでも罹らない?ならばこの細菌にはもう病気を引き起こす程の力がないんだね、などと呟かなければ気付かなかったのだ。
「相変わらずだねぇ、君は。私が今も研究を続けられているのは、全て君のおかげだというのに。あぁ、もしかして今回君が来たのは、遂に約束が果たされるのかな?」
ここから最寄りの里まで歩いて一刻。出された茶はその里で飲まれている茶色い茶だった。
「それもある。だけど、もう一つあるんだ。最近家族になった子がね、どうも君の子孫らしい。血のつながりが出来て初めて気付いたのだけどね。」
老人の友がそう言うと、老人は驚いて目を見開いた。
固まったままの老人を尻目に、友は続けて言った。
「君との約束が果たされるその時に、君の子孫が私の家族となった。ヒトはこういうのを、ロマンティシズムと呼ぶのだろう?」
ドヤ顔で言う友に、やっと復活した老人はため息を吐いた。
「ヴェルム。その使い方は間違っているよ。勉強不足だね。正しい使い方を覚えて出直しておいで。」
老人はいつもの調子に戻ったようだった。既に驚いていた表情は見る影もなく、優雅に茶を飲んでいる。
「そうか。間違ったか。やはりヒトは難しいね。私は病になど罹らないから、細菌についても興味がなかった。だがヒトは弱いからこそ追い求め理解しようとする。そうする事で恐怖を和らげているんだね。」
ヴェルムは長い足を組んだまま言い切った後、茶を一口飲んだ。
「荷作りは直ぐに済む。君はゆっくりしていてくれ。」
ヴェルムの言葉に反応を返さないまま、老人は部屋を出て行った。
「寄り道するなんて言うから何かと思えば。王宮じゃないか。誰に用があるんだい?」
老人とヴェルムは南の国の王都、その中心に建つ宮殿に来ていた。
「君に会わせてみたい者がいるんだ。私の茶飲み友達というやつだよ。」
「王宮に?あぁ、なんだか嫌な予感がしてきたよ。僕は王宮に入ると頭が痛くなる病気なんだ。ここで待っているから行っておいでよ。」
渋る老人の抵抗も、ものの数秒だった。ヴェルムに抱き抱えられた老人は、行くから降ろしてくれ、と叫ぶまでお姫様抱っこで王宮を移動させられた。
ここだよ、とヴェルムが言って立ち止まったのは、明らかに王宮の奥。豪奢な扉の向こうにいる人物については、老人の予想が正しく無い事を祈るだけだった。
ノックをして返事を待たずに扉を開けるヴェルムに、老人は諦観の念でついて入る。
当たってほしくない予想は当たるもの。この部屋の主人は南の国の王その人だった。
「やぁ、こないだぶりだね。元気にしていたかい?」
部屋には二人の男性がいた。一人はこの国の王。この部屋の主。もう一人は流石に老人も予想していない人物だった。
「おぉ?ヴェルムちゃんじゃないか。よう来たよう来た。」
ヴェルムにちゃん付けで呼びかける壮年の男性は、南の国先代国王。まさかの人物に、老人は驚いて言葉も出なかった。
「ヴェルムじゃないか。どうした?遂に我が娘を娶る気になってくれたか?」
どうやら先代も今代もヴェルムとは気安い仲らしい。老人が分かったのはそれだけだった。
茶飲み友達とはどちらなのか。即ち私に会わせたいのはどちらなのか。
そんな事を考えていると、先に部屋に入ったヴェルムが振り返って微笑みを向けてきた。
「二人に紹介するね。こちらは私の友。随分昔から仲良くしているんだ。それとも君たちにはこう言った方がいいかな?パストルって名前なんだけど。」
ヴェルムの紹介する人物とは珍しい、などと高みの見物気分で見ていた王家の二人は、ヴェルムの紹介と共に頭を下げた老人、パストルを見て固まった。
「初めまして、王族の方々。私はパストル。学者をしております。」
学者の能力と礼儀は反比例する。そんな言葉がある程、学者というのはマナーのなっていない者が多い。逆に、礼儀作法が身についた学者は貴族が多く、学問にのめり込む暇などないため能力としてはイマイチとなる。
それを揶揄した言葉だが、その言葉を全面で否定する存在が現れた。
そんな無関係な思考に逸れる頭を、咳払いによって無理やり引き戻したのは先代国王だった。
「ワクチンの発明者、パストル殿とお見受けするが相違ないか…?」
信じられないという気持ちがよく現れた表情だった。貴族社会を生き抜く国王ともなれば、感情を隠すなどお手のものだろう。だかそれが出来ないほどに衝撃だったようだ。
ヴェルムはイタズラが成功したかのような笑みを浮かべている。
「確かに、ワクチンは私が生み出しました。随分と昔の事です。今はより良い物が出来ている事でしょう。」
「まさか歴史上の偉人とお会い出来るとは…。いや、流石はヴェルムちゃんじゃ。お主は毎度驚かせてくれる。今回は心臓が止まるかと思ったぞ。」
それから、やっと復活した今代国王と二人でパストルに質問が始まった。パストルが驚いたのは、彼が作ったレシピが現存してないものがある、という事だった。そのレシピを何も見る事なく紙に書き出したパストル。
王家二人は飛び上がらんばかりに喜んだ。
しかし、王家の二人には礼儀正しく振る舞うパストルだったが、ヴェルムには呆れ顔を向けた。
「君、私に会わせたい者がいると言ったじゃないか。この場合、私を会わせたい者がいる、の間違いじゃないのかい?」
確かに、ヴェルムは王宮へ訪れた際、パストルにそう説明した。しかし今のところこの出会いで喜んでいるのは王家の二人だけだ。
「間違ってなどいないよ。この二人と会うのは、君のためになるはずさ。二人に聞いてごらんよ。バルバトスという男について。」
「ん?バルバトスかの?あれは元々儂に忠誠を誓った騎士じゃよ。儂が隠居してからは倅に忠誠を誓うかと思ったが。一度誓った忠誠は職務を終えるまで違えられないなどと申しておったな。」
「あぁ、それでもあ奴は良いやつだったな。私の剣の師匠でもある。そちらで上手くやっているのか?」
バルバトスという名にすぐに反応した王家の二人。一方パストルは何の話かさっぱり分からない。
「さっき言っただろう?君の子孫が私の新たな家族になった、と。その子の話だよ。」
「「「えぇ!?!?」」」
二通りの驚きがそこにあった。
「バルバトスが獣人たちの英雄パストル殿の子孫!?確かにあ奴は学者の家系だと言っておったな…。」
「私の子孫は武人なのかい?どこかで武門から血を貰ったのかな。うーん。」
「いや?君の一族は皆揃って学者、教師、医者。皆頭脳派だね。運動などした事ない者ばかりだよ。」
「バルバトスは学者の家系で将軍にまでなったのかの?そりゃ知らんかったわい。」
「え?将軍?私の子孫は将軍様になったのかい?」
「そうだよ。鉄壁将軍って呼び名が付いていたよ。今ではドラグ騎士団新人騎士さ。」
「なんと!あ奴は新人からやり直しておるのか!という事は例の儀を受けたのか!?でないと歳の問題があるだろう!」
「ん?受けたよ。先日ね。あぁ、君も受けたいって言っていたっけ。」
「なに?倅は無理じゃろう。儂だってまだじゃからな。しかしヴェルムちゃんよ。儂は良いのだろう?近いうちに迎えに来ておくれ。文官でもなんでもしよう。」
「父上!?まさかグラナルドに渡るおつもりか!」
「そりゃそうじゃよ。ヴェルムちゃんのズッ友じゃからの。お主はまだ現役じゃて、まだしばらくはむりじゃの。」
「なっ…!やはり私も早々に王位を譲らねば。」
「ん?譲って誰に?アイシャ王女かい?なら彼女を私に押し付けるのは止めてくれるって事で良いかい?最近、君もゴウルも娘を嫁にって煩いんだよ。ゴウルなんか前まで私には近付けたくもないって言ってたくせに。」
「なんだと!?ゴウルダートめ!…しかしアイシャしか継げる者がいないのは事実。私が儀を受けるためには後継が必要で、それが出来るのはアイシャだけ。だがアイシャはヴェルムにやりたい。が、アイシャが王位を継いだら隠居するまで儀は受けられない…。だがアイシャにはヴェルムの子を産んでもらいたい。どうすれば良いんだぁ!」
「簡単だよ。どちらかを諦めれば良い。」
無理だぁー!!!という叫びがこだまする。
南の国の王は執務の時間となり去って行ったが、その際も頭を抱えていた。
それから三人で話し込んだが、夕食は辞退し二人は王宮を出た。
「ヴェルム、ありがとう。」
「何がだい?」
「分かってるくせに。でもおかげで決心がついたよ。そんなに凄い子孫なら、私も見てみたい。さぁ、行こう。」
王宮に入る前のイヤイヤしていた老人はもういない。
ヴェルムの横に立つのは、子孫に会いに行く歴史上の偉人。そして獣人の英雄に相応しい一人の学者だった。
「あ、バルバトスには君の事は伝えてないから。適当に自己紹介してね。」
「…え?」
その瞬間、転移魔法が発動しパストルだけ消える。
「さて、私は次の場所へ向かうとするよ。」
その後ヴェルムも消えた。




