72話
ヴェルムが認可しアズが総指揮を引き受けた休暇の計画は、残すところ計画の実行のみとなった。
それにより、本館や各隊舎には数ヶ所に知らせが掲示された。
"任務のない者は◯日、昼食時に野外炊事場に集合"
何が行われるとも書いていない掲示だったが、団員はすぐにピンときた。
日付はこの掲示がされて三日後となってはいるが、どうにも待ちきれない様子の団員がそこかしこに見られる様になった。
「おら!浮かれてんじゃねぇ!髪の毛一本残らず燃やすぞ!」
訓練中、気もそぞろな隊員に檄を飛ばす隊長の姿があったとかなかったとか。
他にも、
パリーン!!
キャー!!
「何やってるの!あぁ、貴重な素材で作ったポーションが…。」
たった一行の掲示が、実に様々な弊害を引き起こしたのだった。
「はぁ、やっと浮かれ野郎どもの相手が終わる…。」
ガイアは自身の私室と扉続きの、隊長室のソファで珈琲を飲んでいた。
対面にはアズ。後ろには一番隊副隊長が立っている。
「本当だよ…。まさかあんなに浮ついた感じになるとは思ってなかったと言うか…。」
プライベートでは普段より敬語が取れるアズ。特にガイアの前ではそれが顕著のようだ。
「我が隊も何名か燃やしましたな。火属性魔法使いというのは燃えにくくていけませんな。」
真面目な顔で恐ろしい事を言う副隊長。それを渋い表情で聞き流すガイアも、どうやら同じ様な事を考えているらしかった。
「一番隊は燃やしたんだね。うちは沈めたんだ。でも意味がなかった。平気で空気を顔の周りに展開されたよ。だからそのまま凍らせたんだ。」
アズが涼しい顔で言うと、ガイアと副隊長は唖然とした表情になった。
アズは言い終わると珈琲に口をつけたため、二人の顔は見なかった。だが中々返事が来ない事を不審に思ったのか、カップを置いて二人を見た。
二人は既に表情を戻していたが、ガイアと副隊長の心中はシンクロしていた。
"やっぱり二番隊は怖い"と。
落ち着くために珈琲を飲んだガイアは、カップを置いてから一呼吸挟んで話しかけた。
「それで?今日はもうお前は忙しくないのか?」
とりあえず話題を変える事にしたようだ。アズもそれに乗り、上を見上げて少し考えてから答えた。
「本当は団長に手伝いを申し出たんだよ。でも断られてしまった。私からの礼なのだから、私がやらねばね。と言われてね。リクの計画の方もしっかりと完成したし、僕の仕事はもう終わったも同然、かな。」
肩の荷が降りた様な表情で、疲れは見えるもののやり切ったのだと分かる顔をしているアズに、ガイアはため息を吐いてから頷いた。
「お疲れさん。いつお前が助けてって言っても良いように動いてたが、あまり力になれなかったな。だが、お前がやってくれたからこその出来栄えだって聞いてるぜ。流石は相棒。頼りになるぜ。」
ガイアにしては珍しい諸手を挙げての賛辞に、アズは困ったように笑う。
これを好機と見たか、副隊長もガイアに併せてアズを誉め殺した。
「二人とも、そんな褒めても何も出ないよ。まぁ、次の会議の朝は僕がガイアの背中に氷を入れて起こしてあげるよ。」
「え、ちょ、お前それはないだろう!?」
一番隊の隊舎内隊長室に、久々に"焔海の両壁"の笑い声が響いた。
昼。
午前で任務が終わりだった者も、休暇だった者も。多くの団員が野外炊事場に集まっていた。
ドラグ騎士団本部の敷地は、首都アルカンタの半分程のサイズがある。
上空から見れば、王城が全体の真ん中にない事が分かる。
これは、ドラグ騎士団が少しずつ本部を拡張した結果である。ほとんどがテイムした魔物や動物が放し飼いになっているエリアだが、建物の数も多い。訓練場も多く存在し、本館の周りに隊舎や研究所などの施設。北側には菜園が広がり、隊舎の周りには各隊専用の訓練場。首都と繋がるのは南門と東門で、北と西は一歩出れば首都外である。
野外炊事場は屋外最大サイズの炊事場で、申請すれば団員ならほぼ間違い無く個人的にも使用できる。
偶に、女性団員が集まりお茶会をしている事がある。主催は四番隊隊長、サイサリスらしいがヴェルムはよく知らない。
会話のほとんどが男性の愚痴と情報交換、そしてヴェルムを讃える事だとか。噂である。
「皆んな今日はすまないね。近頃は様々な問題が重なり、こうしてゆっくり揃って食事もできなかった。皆んなの頑張りのおかげで今日もグラナルドは平和だよ。そんな皆んなに感謝の気持ちを込めて、家族サービスの日を設定したよ。任務から帰ってきても楽しめるように、今から明日の夜まで只管宴会さ!好きなタイミングで食べて飲んで、仕事してまた食べにおいで。では飲み物は持ったかい?それでは…、乾杯!!」
「「「乾杯ー!!!」」」
野外炊事場に乾杯の掛け声が響いた。それから数分、至る所で乾杯の音頭が鳴り止まなかった。
団員たちは浮かれ騒ぎ、久々の宴会を全身で楽しもうという気概が見える。
料理長たちは早速、レンガで組まれた窯に肉を乗せている。この肉は、ここ数日暇を見つけてヴェルムが出かけて獲ってきた肉だ。
生きとし生けるものは、魔素を摂取する事で生きている。
人間も同じだ。肉や野菜から魔素、魔力を摂取し自身の魔力として蓄える。
一般に、魔力量の多い者は大食いであるとされるのは、この辺りが原因だろうか。
つまり、ドラグ騎士団の団員たちは一般と比べて大食いなのである。そんな大食いたちの胃を満たし、更に街に卸しているスタークの菜園の生産量たるや。
今朝採れたばかり季節の野菜も焼かれ、横には巨大な寸胴が火にかけられている。これは今朝からヴェルムが菜園を手伝い、料理長と共に作り上げたカレーなる物が入っている。
グラナルドでは香辛料の類は余り多く採れない。南の国からの輸入が主になる。
大陸西部には香辛料と宗教でのし上がった天竜国を自称する国があるが、その実態は属国からタダ同然で納めさせた香辛料を高く売る事で手に入れた金である。
カレーは南の国ではポピュラーな食べ物で、各家庭毎に秘伝のレシピがあるという。
専門店があるほど人気で、国民食とも言えるカレーだが、グラナルドではまだ一般的とは言えない。しかし、市場に行けば南の国産のスパイスが並んでおり、買おうと思えば買えるのだ。
カレー専門店も最近は商業区に並ぶようになり、徐々に認知されているところである。
ドラグ騎士団には南の国出身の者も多く、カレーは大変喜ばれた。
中には、東の国の調味料である醤油をかけて食べる者。グラナルドで作られたマヨネーズをかけて食べる者。パンにつけて食べたり米にかけて食べたり。
グラナルド西部で好まれるピザやパスタにカレーをかける者もいた。
皆好きなように食べればいいさ。
ヴェルムはいつもそう言って嬉しそうに食堂を見渡す。
今日もカレーを注ぐ係をしながら、団員一人一人に声をかけていた。
「へっ。そりゃあ団長様が直々に注いでくれるならそこに並ぶだろうさ。だがな、こっちの肉も食いごろなんだよ!」
途中、料理長がキレる場面もあったが、昼食時は和気藹々と楽しい時間が過ぎた。
皆の腹が満ちてくると、折角の休みだからと座り込んで話す者が増えた。
ヴェルムもしばらくカレーを注いでいたが、途中で厨房の者が代わった。
曰く、"団長と話したい人がいっぱいいますから、ぜひ座って皆んなと話してあげてください。"と。
家族の好意を素直に受けたヴェルムは、野外炊事場に設置された石造りのテーブルとベンチをまわった。
そこで話し込む団員に声をかけ、空間魔法から出した高いワインを一本ずつテーブルに配る。
大喜びで飲み始める団員に笑みを深めるヴェルム。
彼は幸せだった。
生憎、全てを自分が準備する事は叶わなかった。だが、皆を労いたい気持ちは伝わったようだ。
そう考えたヴェルムは、難事を乗り越えてまた家族と過ごせる幸せを噛み締めていた。
「相棒!飲んでるかぁ!?」
全てのテーブルをまわり終えた後、ヴェルムは零番隊の者が集まるテーブルに座り込んでいた。
そこに、既に出来上がっている爺二人が酒瓶片手に肩を組み歩いてきた。
「おや、君たちは随分仲が良くなったんだね。飲み過ぎは良くないよ。もう若くないのだから。」
零番隊の隊員はドッと湧いた。どうやら機嫌と比例してギャグのキレも良いようである。
「相棒に言われたら誰でも子どもじゃろうが!それよりほれ、飲まんか!儂の献杯が受けられんと言うのかぁ?」
ファンガル伯爵家前当主の姿はそこにはない。そこにいるのは、ドラグ騎士団の新人騎士であり、ヴェルムの相棒を名乗る酔っ払いの爺だった。
そしてもう一人、こちらも南の国の英雄であり鉄壁将軍と呼ばれた将軍ではなく、新人騎士でありただの酔っ払いの爺、バルバトスがいた。
「団長殿、儂は本当に感謝しておる。この様な世界最高の騎士団に新人として入れた事。まだまだこの手で護れる者がいるのだと気付かされた。そして、あのままでは人生最高の友も出会えなかった。この恩は働きによって返そう。」
フォルティスの肩から腕を離し、ドラグ騎士団の敬礼を美しい姿勢で見せたバルバトス。
零番隊の隊員も、その美しい敬礼にほぅ、と感嘆の息を漏らした。
「随分と様になったね。団服も似合っているよ。当時騎士を目指していた君に盾の使い方を教えたのは正解だったようだね。」
ヴェルムは目を細めてその姿を見る。そして昔を懐かしむように笑った。
「はい。あの時教えてご教授頂いた盾は、擦り切れて盾としての使用は困難になりました。ですので保存処置をして飾っております。あの日の教えを忘れぬよう。」
その盾は、現在バルバトスの私室に飾ってある。
隊に所属していない団員は皆、本館北の菜園横にある宿舎に寝泊まりをしている。
新人騎士は朝が早いため、3階に部屋がある。それより上に事務官などの部屋がある。
バルバトスとフォルティスは隣同士になった。二人はしょっちゅう酒を酌み交わしているようだ。
同期となった他の新人騎士たちとも上手くやれているらしい。
そんな報告を受けていたヴェルムだったが、実際に仲が良くなった二人を見て満足した。
フォルティスはヴェルムの友である。そして近々家族となる。これまで何度も友から家族になる事を経験してきたヴェルムだが、何回あっても幸せを感じる。
天竜の一翼である闇竜は、幸せ一杯だった。
「よし、じゃあどこからでもかかっておいで。」
野外炊事場の横には全体訓練で使用する訓練場がある。
ヴェルムは現在、零番隊に誘われてそこにいた。
「ゆいな隊小隊長、参ります!」
零番隊は正式な部隊名は無く、部隊長の名を仮称として使う。
ヴェルムから少し離れた場所に武器を持って立つのは、ゆいなが率いる獣人族ばかりの部隊の小隊長だった。
兎人族の男であるため、頭の天辺から二つの長い耳が生えている。この耳で微かな音も逃さず索敵するのが主な役割だ。
元は三番隊の隊員で、当時の隊長の副官を勤めた男だ。
軽くステップを踏んだ後、急に消えた小隊長。ヴェルムが軽く右手を横に突き出すと、ガキンッという音と共に小隊長が吹き飛ばされた。
兎人族は足の速い者が多く、耳も良い。更に魔力を感じる力が強い傾向にあるため、隠密行動に長けた種族である。反面、獣人族にしては腕力が弱い。脚力はかなりあるのだが、武器を持った近接戦闘は苦手な種族だと言えるだろう。
しかし、ドラグ騎士団ではそういった種族毎の特性を、"お家事情"と呼び甘えを許さない。つまり、兎人族だから近接戦闘に力負けして良いという訳ではないのである。
例えば、魔力が多く質も高い傾向にあるエルフなのに、魔法は身体強化のみ、武器は巨大なバトルアクス、というピーキーな団員も存在する。
何々族だから此れになるべき、という固定概念をまず壊す。それがドラグ騎士団のやり方だった。
この小隊長も例に漏れず、入隊時は兎人族としての斥候の役割で試験を受けた。最低水準の戦闘力があったため合格したが、新人騎士として過ごす間に自身のスタイルを大きく路線変更する事になった。
今では虎人族のパワーアタッカーとも互角にやりあえる実力を持つ。彼が率いる小隊はただの偵察隊ではない。威力偵察隊なのだ。
「いやぁ、強くなったね。虫が息を吹きかけた程度の威力しかなかったのに。今では大木をへし折りそうだ。」
嬉しそうにそう評価するヴェルムは、模擬戦が始まってから一歩も動いていない。全て片手で払いのけていた。
「そこまで!」
小隊長の捨て身の攻撃がいなされ、そのまま腹に拳をめり込ませられて吹っ飛んだ後、審判をしていたセトが止めた。
小隊長は、ありがとう御座いました!と元気だった。
それから直ぐに次の者が現れ所属を名乗る。
こうして夕方はヴェルムに挑みたい者が吹き飛ばされる時間となった。
団員が望む形で模擬戦を受けるため、肉弾戦なら肉弾戦。魔法戦なら魔法戦。武器のみなら武器のみと、様々な形態で模擬戦をした。
零番隊だけでなく五隊、事務官や料理人、研究所員なども参戦し、終いには新人騎士たちとも模擬戦をした。
新人騎士との模擬戦では、動きは見えているのに何故か避けられない、という技を見せられ、周りのギャラリーも激しく盛り上がった。
「我が主人が楽しそうで何よりですな。」
「そーだね!やっぱり師父は凄いよ!あぁ、私も手合わせしてもらえないかなぁ。」
「頼んでみれば?きっと受けてくれるよ。」
「おや、アイル。貴方は良いのですかな?」
「僕はいつでもお願いできる場所にいるから。今日は皆んなにお譲りします。」
「左様ですか。」
祖父と孫二人のような三人はほのぼのと見ていた。
ほっほ、という笑い声は歓声に紛れて消えた。




