71話
アズに錬金術研究所への訪問を代わりに頼まれたサイは、本部の奥に存在する研究所へ来ていた。
錬金術研究所。通称、研究所。
怪我を負った際の治療に使用するポーションや、解毒、解熱などの作用のあるポーションを製作するために作られたのがこの施設のスタートである。
その歴史は古く、グラナルド王国が建国される前からここにある。
当時は他の部族から怪訝な目で見られていた、怪しい術を使う民族、という評価だった一族だった。
しかし、ヴェルムがその術に興味を持ち、魔法隊(ドラグ騎士団の前身)への指導の合間に、今日に至る錬金術としての形を完成させた。
初めは軽い一言だった。
「この術も極めれば、石を金に変えられるかもしれないな。」
まだ話し方の固かったヴェルムが軽い気持ちで言った言葉が、今では世界中の錬金術師の至上命題となっている。
この錬金術と呼ばれるようになった術を研究していた一族に、次代の族長とまで呼ばれた少女がいた。
その少女は、ヴェルムの言葉に一族の誰よりも感銘を受け、そのための研究に没頭するようになった。
それを面白がったヴェルムは、大陸中から様々な素材を集めた。薬草や魔物の素材だけでなく、何に使えるかも分からない雑草や木、石など。
素材を手に入れた地方では何に使われるのかも調べた上で少女に渡した。
いつしか少女の研究室は手狭になった。
溢れんばかりの素材の山に、部屋が埋め尽くされたのである。
困った少女はヴェルムに相談した。
するとヴェルムは何故か、少女に魔法を練習するよう告げた。
少女は困惑したが、自身の夢を創り出してくれた方の言う事なら、と魔法の練習を始めた。
すると、少女には希少な空間魔法の才能がある事が分かった。
魔法により制御された亜空間にて素材を保存出来るようになってからは、より研究に命を燃やした。
少女が夢を見てから十年が経っていた。
この時、既に一つの街となっていたグラナルドだったが、少女には関係がなかった。
大人たちが、北の街へ民を救いに行くのだ、と話し合っている時も少女は研究をしていた。
ある日、少女は倒れた。素材の中にあった毒草の処置を間違えたからであった。
意識を失って目が覚めると、少女の目に知らない天井が映った。
「ここ、どこ…?」
何日も声を出さなかったかのように、声が掠れていた。
辺りを見渡すと、どこまでも白い壁に囲われている部屋だと気付いた。
扉が一つあった。他には窓が二つ。壁には棚と服を入れるためのクローゼットのようなもの。
最近物作りが得意な一族を仲間に入れたのだと大人が話していた事を思い出した。
ボーッとしながら部屋を観察していると、扉をノックする音が聞こえた。上手く声が出せずに困惑していると、扉は静かに開かれた。
「目を覚ましたようだな。調子はどうだ。」
ヴェルムだった。
誰が来たのかと恐怖が占めていた心に爽やかな春風が吹いた気がした。
「だ…じょぶ、です。」
掠れた声だがなんとか出せた。ヴェルムはそれを見て、魔法でコップを創り出し水を生み出す。
それを手渡された少女はゆっくりと飲んだ。
「安心しなさい。ここは君の一族の為に用意した、錬金術研究所。後で消化に良いものを持って来させる。これからはここが君たちの家であり研究室だ。好きに使いなさい。」
掠れた声を精一杯に出し、礼を告げた少女。まだ何のことか分からなかったが、礼を言うべきだと直感が告げていた。
ヴェルムが去った後、料理が運ばれてきた。運んできたのは知らない男だった。
「ヴェルムの奴がドロドロに煮込んだ粥を作れなんて言うからよ!何事かと思ったが…。嬢ちゃんのためだったんだな!解毒作用のある薬草も入れてあるからな。ゆっくり冷ましながら食えよ!」
元気で五月蝿い男だった。
だが、少女にはその五月蠅さが何故か心地よく感じた。
男は少女が三日間寝たきりだったと話した。少女は驚いて匙を落としそうになったが、なんとか堪えた。
それから、この三日間で起こった事を男から聞いた。
倒れた少女に付ききりで看病をしたのはヴェルムだという事。ヴェルムは体に耐性を付けるためには魔法での治療は避けるべきだと言い、熱に苦しむ少女を見守ったという。
他にも、三日目には街の兵隊が北の街へ攻め込んだため、その間に来た西の街からの軍隊を追い払う為にヴェルムが側を離れた事。代わりに自分が呼ばれた事。自分は食堂をやっている事。みんなからは料理長と呼ばれている事。
男は実に様々な話を聞かせてくれた。
粥を食べ終わったのを見て、安心したように笑った男に少女は頭を下げた。
温かい食事は久しぶりだった。
研究に研究を重ねる毎日で、まともな食事を摂ってこなかった。栄養が足りないなら補給すればいい。そんな考えで作ったポーションを飲みながら研究に明け暮れていた。
男はヴェルムからそれを聞いていた。
そしてヴェルムと相談した結果、錬金術研究所の厨房を預かる事になった。
食堂は兄弟に任せる事にした。
少女はそれを聞いて喜んだ。こんなに美味しい食事が毎日食べられるなら、研究も捗るに違いない。そう思った。
「失礼します。四番隊隊長サイサリスです。」
サイは研究所に入ると、慣れた様子で所長室まで歩いた。
所長室に近づくにつれ、言い争う声が聞こえてくる。何かあったのか、と足を速めるサイ。しかし途中でゆっくりに戻った。
それは言い争いの内容が聞こえてきたからである。
若干ため息を吐きながら、意を決してノックし名乗った。
「どうぞ!」
中から女性の声が聞こえる。所長は女性だ。部屋の主は在室のようだ。
サイが入室すると、そこには所長と料理長がいた。
「アズの代理で来ました。例の計画の進捗を窺おうと思いまして。」
サイは料理長を無視して所長に用件を伝える。
料理長に睨まれているが無視だ。努めて平静を装い、真面目な表情を崩さないサイに、料理長は尚も睨み続けている。
「あぁ、その件でしたら先ほど完成しましたよ。部下に持って来させますので、ぜひ確認をお願いしますね。」
所長は慣れた手つきで紅茶を淹れた。サイにソファを勧め自身の分も注ぐ。
「ありがとうございます。所長の淹れるお茶は美味しくて。研究の合間に飲まれるんですか?」
サイが嬉しそうに言う。所長も満更ではなさそうだった。
「そうなんです。部下は皆んな珈琲が良いって言うんですけど…。私は紅茶が好きなんです。昔はここに茶器なんて無かったんですよ。だから、フラスコに水をいれてアルコールランプで沸かしまして。そこにドバッと茶葉を入れるんです。」
サイはまさかの淹れ方に思わず口許に手を当て笑う。
「そうやって紅茶を楽しんでいた時に、そこのオジさんが偶々やって来まして。随分と怒られたんですよ?それで、正しい淹れ方を叩き込まれました。この騎士団は色々恵まれてますから、不味い紅茶なんて飲む機会はありません。今でも新人の部下にフラスコ紅茶を淹れさせてますよ。本当に美味しい紅茶とはなんなのかを知ってもらうために。」
なんと教育にも繋がる話だった。
そしてそこのオジさんは相変わらずサイを睨んでいる。遂に堪えきれずサイは料理長を見た。
「先ほどからわたくしは何故料理長から睨まれておりますの?」
一部以外の男性に対しては貴族言葉が出てしまうサイだが、これが良いのだ、という団員もいる。
「お前、俺たちが話し合ってるとこに邪魔するなよ。」
料理長はサイを睨んだまま言う。言い争いの中に飛び込んだのだから仕方ない。だが、その内容があまりに稚拙だったため割り込んだのだ。後悔はしていない。
「では、料理長は団長への贈り物より重要な話をしていたと仰るのですか?わたくしは知りませんでしたわ。料理長に団長より大事なものがあるなんて。」
ぐっ…、と言ったきり黙った料理長。所長は瓶底眼鏡で表情が読みにくいが、驚いているのは伝わってきた。
「サイちゃん、凄いですね。あの料理長を黙らせてしまうなんて。」
所長から賛辞に、サイは頬を紅くした。
「そんな、所長から褒められるような事ではありません。」
一応は否定するものの、所長はサイの強さをこれでもかと褒める。それは所長の部下が部屋に来るまで続いた。
「それで、結局なんの話し合いだったんですか?」
ヴェルムへの感謝計画の進捗も確認出来たサイは、所長にそう尋ねた。
すると所長ではなく料理長から答えが飛んできた。
「こいつら最近食堂にこねぇんだよ。研究所も製作科も。他の研究職みんなだ!ヴェルムの奴のために一丸になってんのは良い。だがな、お前らが身を削って作ったもん渡されて、アイツが喜ぶとでも思ってんのか!?飯くらい顔を出せ!アイツが飯の時に団員の表情見てんの知ってんだろうが!お前がそれを実践しなくてどうする!またあの時みたいになりてぇのか!」
料理長は激怒した。サイが来た事によって中断されていた怒りがまた爆発したようだった。
「ご飯は食べてますよ!どんなに研究に没頭していても、ポーションで誤魔化したりなんかしてません!この研究所には立派な厨房があるんですから、そこで作って食べてます!」
それを聞いた料理長は固まった。
何故固まったのか分からないサイは首をコテンッと傾げる。リクがよくやるこの仕草は、実はサイの真似だった。真似されている本人は気付いていないようだが。
「見せろ。」
一言だけ発した料理長は部屋を出ていく。一瞬遅れて何処に行ったのか理解した所長が、慌てて部屋を飛び出した。
よくわからないがサイもついていく事にした。
紅茶を片付け茶器は魔法で綺麗にした。
サイが厨房に着くと、その入り口で料理長が所長に捕まっていた。
ガタイが良く上背もある料理長に、所長が後ろから羽交締めの様にくっ付いている。
何せ身長が足りない。しかし、所長が厨房を見られたくないのは伝わった。
暴れる二人の横を通り抜け、サイは厨房に入った。
厨房はゴミだらけだった。
使った調理器具は洗わずそのまま。まな板や包丁すらそのままだった。生ゴミの匂いが漂っており、サイは思わず顔を顰めた。
気がつけば手が出ていた。
サイの得意魔法は聖属性魔法。聖属性は浄化の力が強い。
更にサイは聖属性魔法だけでなく、他の属性も使用する魔法使いだ。
サイが気付いた時には厨房は全て浄化されており、聖属性の魔力がキラキラと舞う、清浄な部屋になっていた。
ゴミは全て燃やされ跡形もなく。調理器具は清潔に。床でゴソゴソ動いていた黒い虫は存在を抹消された。
料理長が魔法に気付き、所長を振り解いて厨房に入ってくる。
やられた、と顔に書いてあった。
逆に所長は尊敬する人を見るかのような眼差しでサイを見ていた。
サイは自分が耐えられなかったから魔法を使っただけだ。だから、所長の感謝と尊敬の眼差しが後ろめたさを増長させた。しかし、これで所長が料理長から怒られないならば良いのだ、と自分を納得させる。
所長は結局、料理長にしこたま怒られた。
お読みいただきありがとう御座います。山﨑です。
皆様のおかげを持ちまして、本作品も40万文字を突破致しました。
日本の政治家の様に牛歩の歩みではありますが、少しずつ成長出来ればと思います。
また、本作品にブックマークを付けてくださった神のようなお方が五名に増えておりました!
やはり日本には八百万の神がおられる様です。
これからも、応援してくださる神のような方々と、それから人見知りか恥ずかしがり屋でブックマークを付ける事が出来ないシャイな方々が喜んで頂けるような作品を目指し、精進して参ります。
本作品が皆様の日常の一つの華となりますよう。




