70話
ある日、本館と各隊舎のエントランスにアンケート用紙が置かれた。
団員たちは何事かと首を傾げるが、内容を見た者から何についてのアンケートかを聞き、慌てて記入しに走る。
期限は数日間設けられていたが、皆が急いで提出したため、任務で本部を離れている者以外のアンケートはほぼ全員分集まった。
「アンケート何書いた?」
アンケートが設置されてから数日間、団員の間で挨拶のようにこの質問が飛び交った。
その答えはみなほとんど同じで、自身の答えを言った後は必ず聞き返した。
「お前は?」
と。
任務で遠出していた者たちは、帰還してすぐアンケートを書かされた。
疲れているから後にしてほしいと言っても、仲間たちは許してくれなかった。それどころか、アンケートを書くのを眺められた。
「まるで我が祖国の寺子屋の様です。」
食堂でアンケートを書かされていた団員を見かけた源之助が、同じ零番隊の隊員に溢した言葉だ。
東の国では国民全体が国のトップを天竜の生まれ変わりと信じている。しかし華族も含めたほとんどの者が会える訳も無く、伝えたくても伝えられない、日々生きられる感謝を寺に捧げる。
そんな寺では幼い子どもに読み書き計算を教えている。それが寺子屋だ。
零番隊の隊員はそれをヴェルムに報告したが、ヴェルムは困った様に笑うだけだった。
一々アンケートの書き方で文句を言う事は出来ない。せめて出来ることとして、アンケートを置いた場所には"回答自由"とだけ明記させた。
答えたくない者に無理に答えさせるつもりはないのである。
しかし、それは意味を為さなかった。
何故なら、任務から疲れて帰った者も、アンケートの内容を聞くなり自分から率先して書いたのである。
そんなザワザワした数日が過ぎ、アンケートの集計が出た。
集計作業は五隊の隊長たちやそれぞれ所属先の長が行い、どの部署でどのような回答が多かったかを纏めた。
「やはり想像通りだな。大体同じ回答になっている。」
五番隊の隊服を腕まくりしたスタークが、自身の予想とほぼ変わりない集計結果を見て頷く。
「やっぱりな。だが、ちょいちょい面白い回答もあるぜ。」
ガイアも予想通りであったらしい。彼の言う面白い回答というのを指さしながら笑う。
「確かに、五隊では三番四番の二隊から面白い回答が多かったですね。」
アズが苦笑しながら言うと、ずっと黙っているサイをコッソリ見た。
「さっちゃんのとこって、変な人ばっかりだね!」
男三人が様子を窺っていた所に、リクの容赦ない一撃が繰り出される。
黙って小さくなっていたサイが固まったのが分かる。
同時に男三人も固まった。
「…リク。サイもお前にだけは言われたくと思うぞ。」
スタークがなんとか振り絞って言ったが、リクは意味がわからず首をコテンと傾げた。
「リクの隊は相変わらずと言いますか…。三番隊らしいと言えばそれで終わりだけど…。」
アズは苦笑したまま。眉尻がこれでもかと下がっている。
リクは変わらず何のことか分かっていない。教えてくれない男三人に頬を膨らませていた。
「こんなの…。こんなの団長にお見せ出来ないわよ!」
四人でわちゃわちゃしていると、急にサイが叫んだ。
その瞬間、四人はビシッと背筋を伸ばし椅子にしっかりと座り直す。リクも膨らましていた頬を戻した。
「三番隊は予想通りでしょう!リクと団長の街歩きを眺めたいとか、リクと団長のペアルックが見たいとか、リクに団長があーんしてほしいとか!変態どもの集まりなのは周知の事実でしょう!それよりなんなの!?うちの隊はそんな事ないって信じてたのに…!!」
サイが一息に文句を並び立て、テーブルの上にあるアンケートの集計結果を叩いて立ち上がる。
その集計結果にはこう書いてあった。
隊長と団長のパーティーの正装でダンスが見たい。
隊長と団長の街デートについて行きたい。
隊長と団長が主役の演劇が見たい。
お二人のドレスとスーツを作っても良いですか?
隊長と団長の並んだ絵が欲しいです。
ほとんど三番隊と変わらないではないか。このアンケートを読んだ他の隊長や、各部署の長たちは驚いた。
四番隊も変態揃いだったか、と。
「普段普通に接してる部下が、実はこんな事考えてましたなんて分かったのよ!?これからどうやって接したら良いか分からないわ!」
男三人は限界まで気配を消して小さくなっていた。アズは兎も角、ガイアもスタークも身体が大きい。しかし何故か今はリクより小さく見えたのだった。
「さっちゃん、諦めなよー。うちも変なのばっかりだけど、それはそれで楽しいよ?色々くれたりするし、代わりにやってくれるし、ちゃんと言う事も聞いてくれるよ?」
リクのよく分からない慰めが並ぶ。
サイは一度落ち着くために珈琲を一口飲み、リクに礼を言った。
「でもね、リク。今まで普通だと思ってた部下が、実は変態だったのよ?どうして良いか分からないわ…。」
サイは今度はシュンとしてしまった。どうにも情緒不安定らしい。それだけショッキングだったのだろうか。
「え!?さっちゃん、四番隊が普通だと思ってたの?ダメだよ!ドラグ騎士団に普通の人なんていないんだから!」
リクの叫びにサイが固まる。男三人もまた固まった。
逸早く復活したのはガイアだ。
「姫?それは俺らや団長も含めてか?」
とりあえずそこだけは確認しなくてはならない。
しかし返ってきた返事は無常だった。
「ガイちゃん?何当たり前の事言ってるの?一般の人からしたらドラグ騎士団は異常だよ!ガイちゃんはその見た目でおじいさんでしょ?さっちゃんなんか凄いおばあちゃんだよ?じーじや団長は人ですらないよ?」
確かにそうである。だが、リクは言ってはならない事を言ってしまったという事実に気が付いていない。
男三人は後に、修羅を見た、と言った。
ガイアは怯えて使い物にならず、スタークは腕組みをしたまま気を失った。
アズだけは必死にアンケートを護った。
リクはそれから数日、一人で眠れなくなった。どうやら寝ると悪夢を見るらしい。己の副官と共に寝る様になったがそれでも悪夢を見るため、スタークの部屋に侵入し共に寝るようになった。
サイはヴェルムに怒られた。歳について言われて怒ったからではない。アンケート集計に使用した会議室を一つ破壊したからだ。感情の制御を学び直せと言われたサイは、しばらく部屋に篭り瞑想し精神を鍛えた。
「それで、一番多かったのはこれなんだね。みんなはこれを予想してたのかい?」
ヴェルムにアンケートの結果を報告に来たのはアズ一人だった。
そのことに特に言及せず、纏められた資料を読むヴェルム。結果に関してはヴェルムの予想と違った。
「はい。だいぶ接戦ではありますが、こちらが一番多いという結果になりました。」
アズはにこやかな笑顔で言う。自身の意見と結果は同じなのだろう。
「因みにですが、上位の結果を纏めた提案書がこちらです。」
「提案書…?あぁ、そういうことか。面白い事を考えたね。」
「あくまで上位のものを纏めただけですので、団長が好きに組み換えていただくのも有りかと思います。」
アズが出したのは、アンケートの結果上位にあった回答をなるべく纏めたものである。無理のない範囲で全て叶えてしまおう、という良いとこ取りな企画でもある。
「じゃあ、これに沿ってやってみよう。修正も特にいらないから、関係各所に通達も頼んで良いかい?」
「勿論です。団長は団長にしか出来ない事をお願いします。」
アズは快く引き受けた。宴会の時はいつも幹事が指名される。今回の家族サービス計画の総指揮をアズが任された瞬間である。
面倒な仕事だが、これを引き受けたがる者は多い。何故なら、宴会の最後に幹事へヴェルムから何かしらプレゼントが貰えるのだ。手作りのケーキであったり酒であったり、武器防具の類が貰える事もある。完全にランダムだが、それはもう皆大喜びで受け取る。団員内での通称は"ご褒美"である。
「助かるよ。また細かい打ち合わせをしよう。」
「はい。それでは失礼します。」
こうして波乱と共に家族サービス計画が始まった。
「おう、アズ!丁度良かった。これなんだけどよ。」
アズは忙しくなった。家族サービス計画の幹事、五隊の隊長で企画したヴェルムへの感謝計画。そして日々の業務。あまりに多忙なアズを見かねたガイアが手伝いを申し出たくらいだ。
今もアズの師匠である料理長から、家族サービス計画の相談を受けていた。
一通り解決策を提案して歩き出すアズ。
それから目的地に着くまでに三度呼び止められた。
「忙しそうね。何か手伝えるかしら?」
本館で偶々サイに会い、手伝いを申し出られたアズ。渡りに船とばかりに、錬金術研究所への訪問を代わってほしいと頼んだ。
「お安い御用よ。あとで寝る前にリラックス出来る香りのポプリを持っていくわね。」
サイの趣味でもあるアロマは、団員たちに好評だ。多くの団員は新人の頃、初任務の前に緊張を和らげる香りのポプリを貰ったことがある。既に香りのしなくなったそれを未だに持ち歩いている者もいるくらいだ。
また、危険な討伐任務の前にサイの下を訪れる団員も一定数いる。そんな団員たちの話を真摯に聞き、それぞれに合った香りを調合してくれる。
サイの本分は治療師である。彼女の心には常に、"心と身体を癒す治療師"としての自覚がある。
これは過去、ヴェルムから与えられた己の役割である。
それ以来家族の心と身体の健康を意識して過ごしてきた。
「助かります。僕はこれから製作科に行かないといけなくて…。ではよろしくお願いします。」
アズは頭を下げてから去った。
笑顔で手を振って見送ったサイは、頼まれた錬金術研究所への訪問を行う事にした。




