69話
「ほぉ、外から見るのとはまた全然違うのぅ。」
ドラグ騎士団本部の敷地内をゆっくりと見回りながらそう溢すのは、先日当主の座を息子に譲ったファンガル伯爵前当主である。
「フォルティス。いつまで見てるんだい。早く次に行かないと日が暮れてしまうよ。」
フォルティス・ラ・ファンガル。孫がいる年齢だが、その肉体は未だ現役の頃のまま、筋骨隆々である。
長年戦場を共にした愛剣であるバスターソードは、今は部屋に置いてある。
「分かっておる。しばらくは相棒と会えんのだ。ゆっくりと相棒の家を見学したってバチは当たらんだろう?」
この爺はドラグ騎士団の入団が決まっている。
だが、本人の希望で見習い騎士からのスタートが決定された。つまり、これから毎日入団したての新人騎士と同じ扱いを受ける。もちろん、訓練なども受ける。
「本当に大丈夫かい?自分の年齢を忘れてないと良いけど。あぁ、そうだ。昨日彼も着いたよ。君の事を話したら、なら自分も新人騎士としてこき使って下さい、だってさ。」
ヴェルムはそういえば、と思い出したように言う。
元伯爵はそれを聞き、獰猛な笑みを浮かべた。
「奴が?そんな殊勝な心がけがあったとはなぁ。つまり儂らは同期か。こりゃ楽しみじゃのぉ!」
どこまでも楽しそうな爺に、ヴェルムは肩を竦めた。
「全員傾聴!本日付で入団となった二人を紹介する!二人は前へ!」
今日は本部勤務の騎士団員全員集合の訓練の日。
騎士以外の者も、最低限の戦闘が出来る義務がある。そのため月に一度技術者や料理人といった者たちも集まり組み手をする。その結果で月の自主訓練メニューを考え直し、そのメニューに沿って空いた時間を利用して訓練をするのがルールだ。
しかし、そんなルールも必要ないくらいには騎士以外の者も戦闘力が高い。そして、実力を維持するだけでなく向上させようとする意思もある。
錬金術研究所の所長など、五隊の隊員より強い。厨房の料理長などもそうだ。
ドラグ騎士団の料理人は、最初に身につける技は受け身だという。それは、料理長の指導が厳しいからだ。些細なミスですぐ手が出るため、新人はしょっちゅう吹っ飛ばされる。
そんな全体訓練の日に、団員全員の前で紹介されたのは筋骨隆々の老人二人。
何千も人が集まる中、前に立つ二人は堂々としていた。
映写用の魔道具も存在はするが、そんなもの必要がないくらいには目が良い団員たち。とくに五隊は端から見ていても、二人の顔に刻まれた傷までしっかり見えていた。
「二人は新人として入団する!事情があり入団が遅れたが、今年の新人と同期として扱う!今日の訓練はこの二人の模擬戦からだ!場所を空けろ!」
それを聞いた団員たちはすぐに場所を空けた。もう興味津々だ。
あまり娯楽のないこの世界。地方では剣闘士が戦い、勝敗を予想する賭け事なども行われている。この騎士団でも似たような事はしょっちゅうであった。
すぐにどちらが勝つか賭けが始まる。
新人二人が持つ武器は正反対。片方は大柄な身体と同じくらいの大きさのバスターソード。片方はこれも大柄な身体を包む程の大きさの盾。
オッズは綺麗に半分に割れた。
皆任務に忙しく、給料を使う暇などないため金は有り余っている。今日は大きく金が動きそうだった。
新人二人は一定の距離を保ち睨み合う。先ほど二人を紹介した男が間に立ち、ルールの説明をしている。
とはいっても簡単なルールだ。騎士として恥じぬ戦いを。これだけだ。
既に二人の周りには結界魔法が張られており、仮に零番隊同士の戦いがあっても壊れない程度の強度が保たれている。
「始め!」
合図と共にフォルティスが走り出す。それを盾越しに見つめるのは、南の国の英雄、鉄壁将軍と呼ばれるバルバトスだった。
「うぉぉりゃあぁぁぁ!!」
一般の兵士ならそれだけで竦み上がってしまうほどの咆哮と共に、バスターソードを叩きつけるフォルティス。これまで数多の将兵や魔物を叩っ斬ってきたそのバスターソードは、グラナルドの英雄の名に恥じぬ威力を伴って盾を襲う。
しかし、その一撃は呆気なく止められた。
「なにっ!?」
一歩も下がる事なく受け止められた事に驚いたフォルティス。その隙を見逃してくれる相手ではなかった。
「"破槌"!」
バルバトスの盾から魔力の塊が放出される。それは不可視の暴力だった。
咄嗟にバスターソードを盾にしたフォルティスだったが、その勢いは凄まじく、試合開始の位置まで吹き飛ばされる。
そしてまた睨み合いに戻る。
「あの二人ってまさか、ファンガル伯爵と鉄壁将軍か?」
五隊にもなると流石に気付く者が出てくる。特にファンガル伯爵はこの国の英雄だ。知らぬ者の方が少ない。
南の国出身の団員がバルバトスの正体を保証したところで、訓練場は益々盛り上がった。
大国二国の英雄同士がぶつかり合う試合など、大陸史上無い事だろう。そんな貴重なカードの試合を見れただけで価値がある。
更に言えば、一般に英雄と呼ばれる者の実力が分かるのだ。彼らにとっても良い指針となるだろう。
二人の戦いはしばらく続いた。只管フォルティスが攻め、それをバルバトスが弾き返す。魔力切れを起こすかと期待するも、バルバトスにその兆候はない。
攻めあぐねていたフォルティスだったが、迷う事なく自身の最強の技を使用する決意を固めた。
「ふむ。埒が明かぬ。儂の最高の一撃を見せるとする。お主も防御を固めよ。」
フォルティスがそう提案すると、バルバトスは待ってましたとばかりにニヤリと笑う。
「儂も鉄壁将軍などと呼ばれてはいるが、本領は攻めにある。儂の最高の攻め手でお相手しよう。」
あまりに予想外だったのか、フォルティスは驚いた表情のまま。ほれ、構えよ。バルバトスからそう言われてやっとバスターソードを構えた。
彼の切り替えは早かった。バスターソードを構えると、みるみる魔力が溜まっていく。
その膨大な量の魔力に驚いたバルバトスだが、自身も盾に魔力を込め始めた。
この二人がやっている事は同じようで違う。
バルバトスは自身の膨大な魔力を盾に集約しているのに対し、フォルティスはそもそもそこまで魔力量が多くない。今集めている魔力は、空気中にも漂う魔素だ。魔素を自身の身体を通じて魔力に変換し、己の武器に纏わせる。
武器を扱う者にとっての奥義とも言えるその技を使用できるのは、流石英雄といったところか。
互いに準備がほぼ同時に完了する。そして両者一斉に駆け出した。
「「うおぉぉぉぉぉぉ!!!」」
「"堕天"!!」
「"要塞崩し(フォートレスクラッシュ)"!!」
バルバトスが使用したのは魔法。フォルティスは魔力塊を刀身にしてぶっ叩いただけ。
それでも凄まじい威力だった。思い切り突き出した盾と大剣がぶつかり、一瞬遅れて波動が周囲に拡がる。
結界魔法のおかげで周囲の団員は無事だが、土煙が晴れた時には余波で結界内はズタボロになっていた。
二人は無事だった。肩で息をしているのと、己の武器を支えに立っているのがやっとなのは同じだ。
そして両者同時に倒れ込む。どうやら二人とも意識を失ったようだ。
「そこまで!この勝負、引き分けとする!」
大抵は引き分けになるとブーイングが発生するが、今回は盛大な拍手と歓声が贈られた。
今年入団した新人騎士たちも見ていたが、周囲とは真逆の表情だった。
「なに、あれ?俺らの同期になるって無茶言うなよ…。あんなのが新人とか意味わからねぇよ…。」
「え、あの人たちと組み手するの?僕ら死なない?」
「いやぁ、流石に死なないでしょ。教官より強いって事はないだろうし?」
「た、確かに…。でもさ、教官は強いから手加減してくれてるじゃない?あの二人、手加減とか出来るのかしら…?」
「それは…。」
実に暗い雰囲気が支配していた。新たな仲間を迎え入れる喜びは一切無い。寧ろ、明日からの自分の心配が募っていた。
「いやぁ、良い戦いだったね。」
拍手と歓声が鳴り止まぬ中、何故か誰しもの耳に声が聞こえた。
その瞬間、あれだけ騒がしかった訓練場がピタッと静かになる。
現れたのはヴェルムだった。
「皆んな、二人の戦いはどうだったかな。彼らはどちらも英雄と呼ばれる存在。この二人のどちらかに憧れてうちに入った者もいるかもしれないね。でもこれからは仲間だ。新人から始めるというのは二人の意見でね。まぁ、無詠唱も魔力管理も出来ないみたいだし、丁度いいのかもしれないね。まぁそういう事だから、皆んなで面倒見てあげてよ。私の友だからと遠慮はいらないよ。だって君たちは私の家族だろう?」
ヴェルムがニヤリと笑うと、静かだった訓練場が湧いた。もう仲間と認められた証拠だった。
「今年の新人と同期の扱いをするけど、同期になった子たちは良かったね。二人を越えられれば英雄越えだよ。気構えずに楽にやりなさい。寧ろ君たちの方が少しだけ先輩なのだから。二人が慣れるまでは先輩面しておくといいよ。」
ヴェルムが話す度に静かになる訓練場が、今度は笑いに包まれる。
先ほどまで己の死期を悟ったかのような表情だった新人騎士たちも、いつの間にか笑顔になっていた。
もう彼らは大丈夫だろう。
「あぁ、それと。この二人の血継の儀を今度やろうと思っているよ。厨房の面々には迷惑をかけるけど、またよろしく頼むよ。」
そう言ってニコリと微笑む。するとヴェルムの言葉に団員が湧き立つ前に、野太い声が返ってきた。
「任せろ!英雄だって食った事がない最高の飯を腹がはち切れる程食わせてやるよ!楽しみにしとけ!」
料理長だった。またも訓練場は笑顔と歓声に包まれる。あまり騒いではアルカンタの住民に驚かれてしまうと思うが、その心配はない。本部を包むように遮音結界も張られているのである。
料理長の頼もしすぎる言葉に苦笑したヴェルム。皆が喜び合っている間に姿を消していた。
また、戦いで意識を失った二人も団員から治療され意識を取り戻していた。
そして互いに健闘を讃えあう。すっかり仲良くなったようだ。
英雄として生きてきた二人。これからは互いに新人騎士だ。世間ではこの期間を見習い騎士と呼んだりもする。
これからの二人に祝福あれ、と多くの団員から肩を叩かれる。
そして彼らの歓迎が始まる。
そう、今日が何の日か忘れている者などいない。
二人は団員たちから組み手を申し込まれ、悉く地に転がされた。
最早英雄とはなんなのか。そんな哲学的な事を考えてしまうくらいには負け続けた。
二人が悔しそうにしていたのも途中までだ。
急に現れた料理人たち、そして本館勤めの事務官、更には研究所勤めの所員。彼らにもまるで赤子の手を捻るかの如く地に転がされた。
ここまで来れば笑うしかない。
「なぁバルバトス。悔しいなぁ!」
「そうだなフォルティス。こんなに悔しい事はないな!」
アハハハ!と大の字で寝転がったまま笑う二人を団員たちは温かい目で見ていた。
「皆んなに休暇を取らせようと思って。」
ヴェルムは隊長五人を集めてそう言った。遂に来たか、と目配りし合う隊長たち。
「そこで君たちに相談があって。」
おや?予想と違う?と若干焦る隊長たち。
「相談とは何でしょう。いつものように僕たちが業務に障りが無いように調整するのかと思っておりましたが、今回は違うのですか?」
努めて平静を装い、代表でアズが問う。
「うん。この間、所長とお茶をしてね。そこで怒られたんだよ。家族サービスを知らないのか、って。」
所長とは錬金術研究所の所長の事である。分厚い瓶底眼鏡に白衣が標準装備の、眼鏡を外せば美人と噂の女性である。古株の団員ですら自身が新人の時には既に所長だったと言われる彼女は、ヴェルムに堂々と文句を言う貴重な人物である。
「家族サービス、ですか?」
五人は揃って首を傾げる。
家族サービスとは一般的な家庭でよく用いられる言葉ではあるが、貴族や貧しい家庭では口にされる事はない。
ここにいる五人は奇しくも王族、貴族、魔法の大家、農民、村民と見事に一般とは違う家庭に育った。
ヴェルムも含め聞き慣れない言葉なのは間違いない。
「そう、家族サービス。一般的な家庭では、一家の大黒柱が休みの日に家族を連れて出かけたりするそうだよ。流石に町の外には行かないだろうけど、レストランで美味しいものを食べたり、美術館や演劇を観に行ったりするそうなんだ。」
なるほど、と五人は既に聞く体勢に入っていた。
「でね、所長はその家族サービスをしっかりしないと家庭崩壊に繋がる、なんて言うんだ。ただ休みを与えるだけでは、子どもの誕生日に金をやるだけの親と変わらないって。」
そうなのか!と五人に電流が走る。
「流石にそこまで言われたら私だって何かしなくてはと思ったんだ。これまで三百年以上何もなかったとはいえ。でも、ここで問題が生じた。」
ヴェルムはここで眉尻を下げ困った顔をする。
「家族サービスするのは良いが、何をしたら良いか分からない、ってとこですかね。」
ガイアがヴェルムの言いたい事を予想して言うと、ヴェルムは頷いて肯定した。
「これは難題だな。そもそも家族サービスとは初めて聞いた。農民はそのような事はしないからな。」
ボソリと呟くスタークに、アズも同意する。
「僕も貧しい村に育ちましたから。おそらく、ある程度の規模の町以上の住民が言うのでしょう。益々所長の出身が気になりますね。」
それは確かに。とスタークも返す。
だが今は家族サービスについての討論が先だ。
「家族サービスは色んなところ行ったりするんでしょ?なら団長がどっか連れてったら良いんじゃないの?」
リクがそう言うが、じゃあどこに行けば良いかな、とヴェルムが言うと考え込んでしまう。
「団長。無理に出掛ける必要は無いのではないでしょうか。」
それまで黙っていたサイが口を開く。ヴェルムや他の隊長も驚いてサイを見た。
「家族サービスという言葉から、家族への日頃の感謝を伝える日だと想像しました。つまり、家族の希望を聞いているのではないでしょうか。それで非日常的な場所へ赴き、母親が苦労している食事に関しても外で済ませる。という事なのではないですか?」
あまりに家族サービスという言葉が聞き慣れないため、そういうものだと勘違いしていた面々だったが、サイの意見を聞いて考え方が変わったようだった。
「ならあれか?家族サービスってのはあくまで家族の労を労うことであって、必ずしも出掛ける必要はないのか?」
ガイアがそう言うと、皆納得した表情になる。
「ならさ、団長がよくやるスタークの菜園横での宴会は家族サービスじゃないの?」
「確かに。料理に関しては師匠を始め料理人たちが頑張ってくれますが、団長も色々作ってくださいますからね。」
リクの意見にアズも同意した。
「でもよ、いつもと同じなら新鮮味は無いな。最近忙しくて外でバーベキューもできなかったから丁度良いっちゃあ丁度良いけど。」
ガイアがそう言うと、スタークが笑いながら同意した。
「確かにそうだな。では団員にアンケートを取るのはどうだ?団長にしてもらいたい事を。一番多かったものを出来る範囲でやる、というのはどうだろうか。」
「じゃあ僕がアンケートを作るよ。後日また報告で良いかな。」
「最終判断は勿論団長よ?まぁなんとなく一位の予想はつくけど…。」
「えー?たぶん、半々だよ!」
「だろうなぁ。俺ならどっちに入れるか悩むな。一日。」
ヴェルムは目の前で繰り広げられる討論について行けない。なぜ彼らは結果が分かりきっているような顔をして話しているのか。
今聞いては面白くないか、と聞くのをグッと堪えたヴェルムは、彼らに任せることにした。




