68話
「あーちゃん!追加で頼んだやつ、さっき届いたよ!」
「やぁリク。ご機嫌だね、って、え!?もう届いたの?」
「うん!なんかね、さっちゃんの叔父さんが、どうせもう一つ追加注文されると思ったから作っておいたぞ、って。」
「あぁ、リクの分も注文されるって分かってたんだね。さすがサイの叔父さんだね。」
「うん!あとは魔石なんだけど…。」
「あ、魔石はこっちに任せてもらえる?ちょっと考えてる事があるから。」
残党処理も終え、国内に平穏が戻ってきたのはつい最近の事。
戦時体制も解けており、ドラグ騎士団はいつも通りの日常に戻った。
しばらくは突発的な問題に対処するため、本館での訓練と巡回を増やす程度である。
リクは以前話し合った、団長へのプレゼント計画を進めていた。
五隊長で極秘に進めており、団長専属執事のセトとアイルの協力もあって、今のところはまだ団長にバレている様子はない。
サイの叔父へ頼んだのは、マントの留め具の追加注文だ。元々、リクから四人の隊長と団長へ贈る予定だったため、リクの分が無い。
どうせなら揃いにしたいとサイが言い、他の隊長も即座に同意したため追加注文となった。
リクが工房に連絡を取ると、何故か既に出来上がっていた。
先ほどのリクの言葉通り、予想されていたようだ。
アズはリクから魔石を受け取ると、大事にハンカチに包んで腰に提げたマジックバッグに入れた。
「次は製作科のところ?今団長はファンガル領に行ってるから、今がチャンスだよ。」
「ほんと!?よし、なら今のうちに行かなきゃ!あーちゃんありがとー!」
アズがどういたしまして、と言い終える頃にはリクはもういなかった。
アズは苦笑した後、表情を引き締める。そして自身が向かうべき場所へと足を向けた。
「おう、相棒!待たせたな!」
ファンガル伯爵領の領都に雄然と聳え立つ、戦闘を想定して築かれた要塞のような風貌の城。
それはファンガル伯爵領の政治中枢であり、伯爵家の家であり、軍の作戦司令部でもあり、領民のシェルターでもある。
その時々によって用途が変わるが、今は平時。伯爵家の家としての機能を存分に発揮していた。
ノックも無しにバンっ!と扉を開けて入室する筋骨隆々の男。
これで伯爵家当主だというのだから不思議なものだ。などと考えながら、全く動じず視線を向けもしないのはドラグ騎士団団長ヴェルムである。
先代国王時代に度重なる戦果を挙げ、国内で知らない者はいない程に有名になった英雄。
そんな彼が相棒と呼ぶのはこの世に一人。
「どうした相棒!スカした顔で茶なぞ飲みおって。今日はめでたき日だろう!ほら、準備が出来たぞ!行くぞ!」
紅茶を楽しんでいたところに受けた急襲。しかしそれでも急いで飲むということはしない。
ゆっくりと優雅にソーサーへカップを戻したヴェルムは、その騒がしい元凶に半目を向けた。
「お、おう。まだ飲んどるのか。なら仕方ないのぅ。儂も待つか。」
口を開く事なく伯爵家当主を縮こまらせたその姿に、部屋に控えるメイドの一人が目を見開いた。
しかし隣に立つベテランメイドから肘を小突かれた事で我に返る。
この若いメイドは、伯爵家当主がどれだけ気難しく我儘か知っている。国王にすら失礼な態度を平気でとると聞く。だが、そんな当主にも逆らえない相手がいる事を知らなかったのだ。
後からベテランメイドに聞いた若いメイドは、ヴェルムの事を崇めるようになる。あんなに怖い当主を手懐けるなんてきっと神のような凄い人に違いない!と。
凡そ間違っていないのは、このメイドが凄いのか、ヴェルムが凄いのか。
「あぁ、美味しかった。ファンガルで美味しい紅茶が飲めるのは、ここで働く者たちが優秀な証拠だね。ありがとう。これ、使用人で分けておくれ。」
貧乏ゆすりしながらソワソワと落ち着かない伯爵を正面に見据えながらも、ゆっくり紅茶を楽しんだヴェルム。控えていたメイドに、腰に提げたマジックバッグから首都で人気の洋菓子店の包みを取り出して渡す。
メイドは内心大喜びで、しかし体裁として遠慮しながらも伯爵を見る。伯爵が頷くと低頭して受け取った。
ヴェルムがこんなに味わうように紅茶を飲むのは、気に入った時だけだと知っている伯爵。
自身の家の茶を好いてくれたのは心の底から嬉しい。だが自分は早くヴェルムを連れて行きたい。でも美味しそうに飲んでくれて嬉しい。
そんな思考のスパイラルに囚われていた伯爵は、ヴェルムが立ち上がり言葉を発するまで貧乏ゆすりをしていた。
しかし、ヴェルムの言葉に引っ掛かりを覚えて立ち上がる。
「待て、相棒。どうも引っ掛かる。何故うちで美味しい茶が飲めたら使用人が優秀なんだ?」
考えても分からない事は聞く。これは伯爵が幼い頃からの行動指針だ。
「ん?そりゃあ、味の分からない当主の屋敷では不味い茶しか出ないからね。それでも美味しい茶が出せるのは使用人が優秀って事だろう?」
なんて事のないよう、サラッと言ったヴェルム。
伯爵はそれに納得したような表情だったが、次第に眉間に皺が寄る。
「それは儂が味の分からぬ馬鹿舌だと言うとるのか!」
気付いた。
「うん、そういうつもりで言ったけど。間違ってるかい?君に味が分かるものはアルコールだけだと認識していたけど。まさか他にもあるのかい?」
煽った。
「儂にだって味くらい分かるわ!喧嘩売っとるのか!?高く買うぞ!」
買った。しかし値段が問題だった。
「よし、ならドラグ騎士団入団取りやめで喧嘩を売ろう。」
買えない値段だった。
「…すまんかった。」
負けた。
「よし、これで当主交代は無事済んだ。これで儂は自由の身じゃ!」
ヴェルムがファンガル領に来ていたのは、当主交代の式に参加するためだった。
何年も前から既に実務は伯爵の長男が執り行っており、当主は最終認可のための印を捺すだけの存在だった。
だが、やはり英雄というのは大きな影響力を持つ。
英雄が領主だからこそ着いてきていた者や、伯爵家という高位の貴族に寄親としての役割を願う者。そういった者たちを長男は御しきる事が出来るのか、というのが一番の問題だった。
しかしその問題は解決した。
ある日ヴェルムと二人で茶の時間を過ごした長男は、その日から人が変わったようだと言われた。
その姿は自信に満ち、今まで英雄についてまわっていたただの英雄の息子ではなくなっていた。
次第に、当主の長男としてではなく、次期当主として認められていった長男は、後に家臣からその当時の心変わりを尋ねられこう答えている。
"私は父の相棒から背中を押されたのだ。全てはあの日、彼の方から言われた一言に集約できる。彼の方を相棒と慕う父の事は、一生誇りに思うだろう。"
実際にヴェルムからなんと言われたのかは明かさなかったが、ヴェルムは彼の父にこう言った事がある。
"君の息子たちは皆良い意味で君に似ていないよ。だから、彼らには彼らの歩んできた道があるんだ。英雄と同じ道を歩く必要はないだろう?鍛治師の息子が鍛治師になる必要はないのと同じさ。"
偉大な英雄は、その話を聞いて涙を流した。
ヴェルムはそれを見て、おじさんが泣いても気持ち悪いだけだよ、などと言って彼を怒らせた。
だが、二人の表情は笑顔だったという。
ファンガル領で当主交代の式が行われている頃、グラナルドと南の国の間に新たに出来た国境に建設された関所に男はいた。
最近発布された新たな二国間の同盟強化を目指した法令は、関税引き下げなど多数盛り込まれており、商人たちの行き来をより活発にしていた。そんな商人たちが旧小国郡の地を訪れ、立ち寄る町々で金を落とす。
戦前より戦後の方が街に活気が溢れ、亡国の民たちは寧ろ大国に感謝していた。
今まで襤褸を身に纏っていた町民や村民たちも、今では小国の貴族や上級市民が着るような服を着る事が出来る。
新たな領主は男爵や子爵といった高位とは呼べない貴族だったが、どこも良心的に街の発展に注力していると聞く。
無事に国境を越えた男も、グラナルド側の旧小国郡を見て満足そうに街を見ながら北上していく。
旅の相棒は一頭の馬。馬の名産地が無い南の国では大変貴重な、北の国産の名馬である。力強く体力もあり、主人に従順な性格。何より乗り手の意志を汲む賢さが、男がこの馬を気にいる一番の理由だった。
「どうどう。ご苦労だったな。今日はここに泊まるとするかの。」
鬣に絡まった埃を取りながら、ゆっくりと歩かせる男。
旅人のようだが大きな荷物は無く、彼は手ぶらであった。
「いらっしゃい。泊まりかい?」
男が入ったのは村に一軒だけの宿だ。建物の古さとは真逆の、付け替えたばかりに見える扉を開け中へ入ると、欠伸を噛み殺していた老婆が受付から声をかけてきた。
「あぁ。一晩世話になる。馬の世話も頼みたい。」
村に訪れる者など、そう多くはないはずだ。それでも宿があるという事は、それなりの理由がある。
特にその理由も気にならない男は、請求された金額を支払うと鍵を受け取り、一度宿を出て馬を丁稚に預けて部屋へ向かう。
旅装を解いた男は部屋を出ると、受付から老婆の声が聞こえた。
「言い忘れてたよ。晩飯は十八時から。あと、出かけるなら宿の鍵を預けな。戸の鍵を閉める前に戻って来なきゃ野宿してもらうからね。」
ぶっきらぼうな言い方に男は苦笑を浮かべる。しかし老婆に睨まれたため、礼を言って鍵を預け外に出た。
そのまま馬小屋へ向かうと、先ほどの丁稚が男の愛馬に話しかけながらブラッシングをしているところだった。
「あ、お客様。お出かけですか?鞍を準備します。」
男が入ってきたことに気が付いた丁稚は、慌てて礼をしてから鞍を取りに行こうとする。
それを男は笑って止めた。
「いや、随分走らせたからの。ブラッシングでもしようかと思ってな。」
男がそう言うと、丁稚は先ほどまで自身が使用していたブラシを渡してきた。
礼を言って受け取り、愛馬にブラッシングを始める男。
丁稚はそれを興味深そうに見ていた。
「坊主、随分馬の手入れが慣れておったが、この村は馬に触れる機会が多いのか?」
見られている事は気付いているが、それを気取られぬよう愛馬に視線を向けたまま、背中越しに尋ねる。
ジッと見ていた丁稚は一瞬ビクッとしたものの、見られている訳ではないと思い直し、ほんの少し考えてから答えた。
「いえ、この村には馬はおりません。たまに冒険者の方が乗って来られるくらいで。」
どこか残念そうに言う丁稚に、男は興味が湧いた。
「ほう?ならばその冒険者の馬の世話だけであそこまで上手くなったのか?」
ブラッシングの手は止めないまま、変わらず背中越しに声をかける男。
大変大柄で筋骨隆々な男は、子どもには怖がられる事ばかりだ。故に敢えて背中越しに話しかけている。
「いえ、確かに冒険者の方の馬をお世話させて頂いておりますが…。実はこのあいだの戦争で、この村から近くの平原が戦場になったんです。それで、お貴族様から馬の世話が出来る者と女性を色々な村から集められまして。その時に何百もの馬をお世話させて貰いました。」
一部気になる事が聞こえたが、戦時中はよくある事なので言及せず、そうか、と言うに留めた。
「その時に、馬一頭一頭にもブラッシングされて気持ちの良いところと嫌なところがあると気付きまして。どんな名馬も気持ち良さそうにブラッシングを受ける姿は可愛らしいと思いました。ですが、お客様の馬はお貴族様の馬よりも立派でカッコいいです!思わずブラッシングをしてしまいました。申し訳ございません。」
馬の事を語る丁稚は、男の知る学者と似ていた。好きな物について熱く語るその姿が重なったのである。
しかし、まさか宿に着いてすぐ馬の主人がブラッシングをしに出てくるとは思っていなかったと段々小さくなる丁稚に、見えないながらもその姿を想像して苦笑する男。
「なるほど。坊主は馬が好きなのだな。ならばこの後は坊主に任せよう。儂と共に戦場を駆けた、命を預け合った相棒だ。その世話を任せる。これは大任だ。受けてくれるか?」
そこでやっと振り返った男は、ワナワナと震える丁稚を見た。
しかし、男に見られているのが分かった丁稚は拳をギュッと握り、爛々と輝くその瞳で男を見つめ返した。
「はい!やらせてください!」
そして引き受けた。
「相棒、今日はこの小さな従者がやってくれるらしいからの。気に入らん事があったら蹴飛ばして良いからな。」
男はそう愛馬に話しかける。それを聞いていた丁稚は震え上がるが、冗談じゃよ、などと高笑いしながら馬小屋を出て行く男に、彼の愛馬はブルルル、と嘶いた。その目はどこか呆れているようにも見えた。




