65話
「ファンガル伯爵。今回の戦、誠に大義であった。今宵は伯爵らのための宴だ。存分に楽しんで行くと良い。」
赤い座面と背もたれに腰と背をつけ、金で縁取られた豪奢な肘置きに手を置いてファンガル伯爵に声をかける国王。
伯爵は貴族式の最上礼をとったまま、有難き幸せ、とだけ返す。
その答えに満足した国王は、伯爵に顔を上げるように言う。
「明日は武勲に応じた勲章授与もある。伯爵にも勲章が授与されるであろう。他に、伯爵から見てこれはと思う者はおったか?」
国王からの問いかけに、伯爵は真顔のまま見つめ返す。そしてゆっくり口を開いた。
「おそれながら陛下、ダルトン子爵の活躍はまさに獅子奮迅。多くの首級をあげております。私は指揮を執っただけであります故、勲章はかの者に。陛下の御心により伯爵位を息子に譲る事が叶いますので、隠居する私に勲章は無用です。」
伯爵の牽制だった。
国王と伯爵は、今回の戦の総大将を伯爵に決めるにあたり取引をしている。引退したい伯爵とさせたくない国王が、随分前から言い合いをしているのは中枢部にいる者なら誰でも知っている。
伯爵は、今回の総大将を引き受ける代わりに家督相続の許可を得たのだ。
しかし、それはあくまで二人の間に交わされた口約束。国王が反故にする可能性もあった。
ここで国王からの許可が出た事を明確にしておけば、この場の全員が証人となるのである。
やられた、という表情をほんの一瞬だけ浮かべた国王だったが、国王の顔を長く見るのは不敬にあたるため一人を除いて誰も見ておらず、周囲に悟られる事はなかった。
「う、うむ。これまで伯爵には長い間支えてもらった。だが引き継ぎなどに時間がかかるであろう?後数年で顔が見られなくなるのは寂しいな。」
国王がなんとかそう言うが、伯爵はその大柄な体躯に似合う凶悪な笑みを浮かべた。そして一拍空けてから口を開く。
「いえいえ、陛下のご心配は誠に有り難い事ですが、既に息子に引き継ぎは済んでおりますでな。来月には隠居の身となれるでしょう。今まで本当に世話になりました。」
慇懃に礼をしてみせる伯爵に、国王の握りしめた拳は震えていた。近くに立つ宰相も、国王の隣に座るユリア王女も国王の怒りが伝わってきており、背筋が冷える思いをしていた。
数秒の間沈黙が支配していたが、国王はなんとか怒りを飲み込み深く息を吐いた。
「ふむ。そうか。ならば良い。次代のファンガル伯爵に期待しよう。大義であった。下がってよい。」
ハッ、と如何にも軍人らしい声と共にキッチリと礼をして去る伯爵の後ろ姿を、国王は何とも言えない表情で見つめていた。
「陛下、お気を確かに。まだ宴は始まったばかりです。」
宰相が小声で呼びかけるが、国王の顔を不機嫌さをこれでもかと表していた。
「お父様。わたくしのせいで申し訳ありません。わたくしがもっと力ある王女であれば…。」
王妃と王太子が起こした事件により、その兄弟である第二王子と第一王女は処刑されており、ユリアは第二王女ではなく王女と呼ばれるようになった。
そんなユリア王女が酷く申し訳なさそうに国王に謝罪すると、やっと国王は我に返ったようだった。
「いや、ユリアのせいではない。確かにさっさと引退する伯爵が恨めしくてならんが、それはユリアが劣っているという話にはならん。仮にユリアが至らないのであれば、それは私のせいだろう。与えられるべき教育を与えられなかった私のな。」
陛下…。と宰相も顔を伏せる程、国王の表情は悲しみに溢れていた。
ユリア王女も申し訳ないといった表情で聞いている。
だが、そんな雰囲気も次に貴族が挨拶に来ると瞬時に消える。
それからは祝賀パーティーに相応しい笑顔で挨拶を返すいつもの国王だった。
「やぁ、ゴウル。ユリア王女も。あぁ、宰相も元気にしてたかい?」
ほとんどの貴族が王家に挨拶を済ませた後、唐突にヴェルムとサイがやってきた。
「なんだ、ヴェルムか。お主が宴に来るなど珍しい事もあるものだな。何度招待状を贈っても来ぬ癖に。」
ヴェルムを見た途端不機嫌さを隠しもしない国王。反対にユリアは喜色満面だった。
「ゴウルはついでだよ、ついで。ユリア王女に会いに来たんだ。どう過ごしているかなって。それにサイにも会いたいだろうと思ってパートナーとして連れて来たよ。後でゆっくり話すと良い。」
国の頂点である国王をついでと呼ぶのはヴェルムくらいのものだが、最早国王は呆れ顔で、肘置きについた手に頬を乗せ体重をかけている。つまらない、と全身でアピールしているようだった。
「まぁ!ヴェルム様もサイサリス様もお久しゅう御座います!後ほどサイサリス様とお話させて頂きたい事が沢山ありますの。」
すっかり王女然とした口調と仕草が板についてきたユリア。だが、毎朝菜園で野菜を収穫していた頃と変わらない活発さは彼女の中に残っているようだった。
そんなユリアの様子を、微笑みを浮かべながら見つめるサイ。
「わたくしで良ければ喜んで。後ほど伺いますね。それからユリア王女。本日もドレスが大変お似合いですわ。まるで花の妖精が飛び出して来たかのよう。」
あ、ありがとうございます…。と紅くなりながら目を伏せるユリア。やはりサイの美貌にあてられるのは男性だけではないらしい。
「じゃあ後で行くよ。何か良いお酒を準備しておいてよ。きっと今日は長くなるから。」
ヴェルムが国王に向かって言う。意味が理解出来なかったのか、国王は首を傾げた。
「お主が来るのは分かった。酒も準備しておこう。だが、長くなるとは…?」
国王の疑問は解消されなかった。
ヴェルムは自身の唇に、長くて細い人差し指を当てる。そしてニコリと微笑むと、サイと共に去っていった。
「まったく。一々様になるのが気に食わん。なんぞサプライズでもあるのか。あ奴のサプライズは心臓に悪いから好かんのだ。」
ぷりぷりと怒る国王だが、その様子はどこか楽しそうである。
「お父様、嬉しそうですね。素直じゃないのも可愛らしいわ。」
ユリアはコソッと宰相に言う。宰相は苦笑いを返すしかない。しかし、一つだけ身を挺してでも訂正しなければならない事があった。
「王女殿下、壮年の男性に可愛らしいは禁句です。まして、娘である殿下から言われては陛下の御心は粉々になってしまうでしょう。」
小声だがしっかりと言いきった宰相は、胸中に自画自賛の思いが溢れる。陛下、しっかり言っておきましたからね!と褒められるのを待つ犬のような表情だが、勿論国王には聞こえていないし見えていない。
ユリアは、それもそうですね、と自身の発言を撤回していた。
「やぁ、さっきぶりだね。お酒は準備出来たかい?」
王城最上階に位置する国王の私室。何故最上階にあるかといえば、この城が完成した当時の国王がこの部屋からの眺めを大層気に入ったからである。
緊急時の事を考えれば最上階など愚の骨頂なのだが、そこは魔法で解消されている。
闇竜の鱗を使用した転移魔法が設置されているのである。
他にも、結界魔法、三、五番隊による陰からの警護、極め付けはこちらも陰からの零番隊による国王の身辺警護である。
何かあれば直ぐにヴェルムへと連絡がいくため、国王の護りは近衛騎士など必要ないほどだ。
とは言っても、建国史上一度も王城内部に侵入された事など無いのだが。
そのほとんどの警備を知らない多くの貴族たちは、国王が逃げにくい最上階に住む事を良しとしない者も多い。だが、国王のプライベートな話でもあるため表立って非難する者もいない。
何より、ほとんどの者がこの私室に入った事がないのだ。一部では、国王の私室は宝の山だ、などと言われている。
「お主が宴の場に顔を出すのも珍しい事だ。しばらくは貴族たちから招待状が山のように届くであろうな。」
先程まで一人で椅子に座って考え事をしていた筈だったが、気付けば音もなくヴェルムがいる。そんな事はしょっちゅうのため、今更驚いたりもしない。今回は事前に来る事を伝えられていたのだ。尚更である。
「それはセトが上手く処理してくれるよ。それに、数日だけさ。二日もすれば私の顔は思い出せないし、一週間もすれば存在が意識の外だからね。」
悪びれる様子もなく言い放つヴェルムに、国王は呆れ顔を向けた。
「城内での魔法の使用は禁止だと知らんのか?まったく。魔力検知の魔道具にも引っかからんその腕は大したものだがな。」
そう、城内での私用による魔法は禁止なのだ。結界が張られていて使用できないのもあるが、ホールなどの人が集まる場所には必ず魔力検知の魔道具が設置されている。魔力によるゴリ押しで魔法を使用しても、魔道具によって警報音が鳴りすぐに取り押さえられるだろう。
「何を言っているんだい?相変わらずゴウルは物覚えが悪いね。結界にしろ魔道具にしろ、作ったのは"うち"だよ?その長である私に効く訳がないだろう?」
余裕そうな態度を崩さないヴェルムに、国王はぐぬぬ、と唸る。国王にとって兄であり友であるヴェルムの、こういうところが苦手だった。しかしこんな一面に己が救われてきたのも事実。結果、何も言い返せず唸るだけなのだった。
「失礼します。ファンガル伯爵がお越しです。」
扉をノックする音の後に、警備に就く近衛騎士の声が届く。
国王は予想していなかった来客に、一度ヴェルムを見る。
ヴェルムはただ微笑んでいるだけだったが、それだけで国王は確信した。ヴェルムが呼んだのだ、と。
通せ、と扉に向かって声をかけると、知らせの通りファンガル伯爵が入室して来た。
伯爵は数少ない国王の私室に入った事のある貴族だが、それでも慣れるものではないらしい。少し肩身が狭そうだ。
「何しに来た。」
ぶっきらぼうに言う国王だが、答えは予想がついている。
案の定、伯爵からは予想通りの答えが返って来た。
「儂は別に用はない。相棒に呼ばれたから来ただけじゃしな。」
パーティーで挨拶に来た時とはまるで違う口調と態度。しかしこれが伯爵の普段通りの国王に対する姿勢だ。
公の場でのみ畏まった態度を見せるが、伯爵は若い頃からそんな態度のため誰も指摘しない。何より、国王がそれを赦しているからである。
「うん、私が呼んだ。どうせなら三人で飲もうと思ってさ。前線の話も聞きたいし、ゴウルの愚痴も聞いてあげないと可哀想だからね。」
国王と伯爵は目を合わせ、揃ってため息を吐く。ヴェルムはやると言ったらやるのだ。それは昔から変わらない。
だからこそ友として頼りにしているのだが、この歳になっても振り回される身にもなってほしい。
そう願うのは罪なのだろうか。二人の心が一致した瞬間だった。
「だから、陛下のあの政策のせいで儂の引退が伸びたんじゃろが!」
「何を言うか!おいぼれを使ってやってる事に感謝してほしいものだな!」
「二人は仲良しだね。良い事だよ。」
「「どこが!!」」
旧くからの友たちは阿吽の呼吸でやり取りを続けていた。
主に国王と伯爵の掛け合いに、ヴェルムの茶々が入るという構図にはなっているが。
しかし、そんな二人を見ながら満面の笑みでワインを飲むヴェルムは、とても幸せそうに見える。
そんなヴェルムに気付いた二人の毒気が抜けてしまうのもいつもの事。二人は似た者同士なのだろう。
「あ、そうだ。伯爵。君に言っておかないといけない事があった。」
急に思い出したかのように言うヴェルムに、元気に言い合いをしていた二人は動きを止める。
大抵、このような切り出し方をする時は碌でもない事を言うと経験で知っているからである。
「な、なんだ相棒。言ってみろ。」
恐る恐るといった風に返事をする伯爵。その勢いは先程までとは真逆で、まるで叱られる前の子どものようであった。
「君との約束がもう少しで叶うだろう?こちらはそれで良いんだけど、ちょうど良いタイミングにもう一つ約束が叶いそうでね。バルバトスって知ってる?」
急に出て来た名前に直ぐ様反応したのは国王だった。
「南の国の将軍の中でも最年長、そして最も力ある英雄。鉄壁将軍と呼ばれておる御仁だろう。何度か外交で会ったな。王族の護衛をしておった。それがどうした?」
そう、南の国の鉄壁将軍である。その通り名とは裏腹に、攻めを得意とする老年の将軍である。
「彼も今回の戦で引退するんだって。それで、彼が子どもの頃交わした約束を果たそうと思ってさ。君と同じタイミングになるから、同期って事になるけど良いかな?」
ヴェルムの言っている事が分からない国王。反対に、伯爵には正確に意味が伝わっていた。
「あ奴が同期だと!?これは負けてられんな。鍛錬は欠かしておらんが、奴は現役の将軍。相棒、しばらく訓練の相手になれ!」
何やら一人燃えている伯爵。国王は何となく予想がついたのか、まさか、といった表情を浮かべている。
「やだよ。それに君は引き継ぎを終わらせないといけないだろう?儀も受けるなら彼と一緒がこっちは楽なんだけど。」
「なっ!?儀は別に決まっておるじゃろう!何故あ奴と一緒に受けねばならん!儂が先だ!」
やれやれ、と肩を竦めるヴェルム。憤る伯爵を無視してワインに口をつけた。
しかし、それまで静かだった国王がヴェルムに問いかける。
「まさかとは思うが、それは伯爵と鉄壁将軍がドラグ騎士団に入る、という事か?」
国王の言葉に、騒がしかった伯爵の動きが止まる。
逆にヴェルムは呑気なもので、言ってなかったっけ?などと宣っている。
「い、いや、陛下。これはだな、その…。」
しどろもどろな伯爵。摘みのチーズを口に入れ美味しそうに咀嚼するヴェルム。
そしてついに噴火する。
「聞いておらんわーー!!!!何故早く言わないのだ!!百歩譲って鉄壁将軍は良い。だが伯爵!何故伯爵なのだ!」
グラナルド国王という大陸でも有数の火山が噴火した。
その怒りは火砕流の如く二人に降りかかる。文明の一つでも滅ぼせそうな勢いの怒りを小さくなって受ける伯爵。しかし相棒は助けるでもなく、寧ろ火に油を注いだ。
「五月蝿いよ、ゴウル。夜中なんだから静かにしてくれ。もう歳なんだから、血管切れちゃうよ。」
正に血管が切れる音がした気がした。プツン、と。
国王が怒鳴る姿などそう滅多に見れるものではない。噂が立っても困るため、入室した時から張っている遮音結界を少し強化したヴェルム。
それからしばらく国王は騒いでいた。言ったつもりで言っていなかった負い目からか、伯爵も静かに聞いていた。ヴェルムは退屈そうに聞いていたが、途中から新しいワインを開けて飲み始めた。
やっと国王が落ち着いたと思えば、ヴェルムの口から、あ、終わった?と発せられもう一度噴火する。
流石にこれは伯爵からも睨まれたヴェルムだが、我関せずの精神は何処までも強靭だった。
「ならば私も入団する!伯爵が私より長生きするなど耐えられん!」
国王は最終的に駄々っ子になっていた。伯爵は驚いた顔で国王を見るが、ヴェルムは逆にキョトンとした後笑った。
「そういえば、これもゴウルに言ってなかったね。本来は王位を譲った後に伝えるんだけど、どうせもうすぐユリア王女が継ぐ訳だし良いよね?」
国王は、まだ言っていない重要な話があるのか、とこめかみに血管を浮かべた。だがその後に続いた言葉に首を傾げた。
「代々の王が退位した後に伝える事、か?」
オウム返しのように繰り返す国王に、ヴェルムは頷く。伯爵は自身も聞いていい話なのか問うようにヴェルムを見るが、微笑みを返され静観の姿勢をとる。
「あのね、ほとんどの王と王妃は零番隊にいるんだ。初代からずっとね。だから、ゴウルもどうするか聞こうと思って。先ほどの感じでは零番隊に来るって事で良いのかな?」
時が止まる。そう錯覚するほどの静寂がこの場を支配した。
ヴェルムは固まる二人を前にしながらワインに口をつける。どうせしばらく復活しないだろうと推測を立て、のんびり待つ姿勢だった。
復活した二人はまた煩かった。騒ぐ二人を軽く手であしらいながら、現在誰が何処にいるのかを説明していくヴェルム。その表情は悪戯が成功した子どものようだった。
「グラナルド王族がまだ生きているというのは分かった。だが、何故退位してからなのだ?それから騎士団になど入れん王も多いだろう。」
当然の疑問だったが、ヴェルムは何でもないように平然と答えた。
「だって、過去の王に意見を聞きたいとか甘えた事言われたら困るじゃないか。自分の力で最後までやり遂げた後、一生を王として国に捧げたご褒美として、何かやりたい事があれば手伝ってあげてもいいなと思ってさ。皆、私がそう言うと納得してくれるけど。ゴウルは納得出来ない?」
ヴェルムの言葉に、国王は言葉が詰まる。彼は気付いたのだった。言葉の裏に隠されたヴェルムの優しさに。
伯爵にもそれは伝わったようだった。
「ヴェルム、感謝する。私の第二の人生のためにも、王女を立派な女王にせねばなるまい。」
新たな決意を秘めたその瞳は、爛々と輝いていた。
「やはりそっくりだね。血は争えない。」
ヴェルムがボソリと呟いた言葉は、二人の耳には届かない。
それからの友との語らいは、騒々しくも楽しい時間だった。




