62話
お読みいただきありがとう御座います。山﨑です。
長らくお休みしており大変申し訳ない事です。
GWも明け、通常の生活に戻りましたのでまた執筆を再開致します。
またお付き合い頂けますと幸いです。
南部戦線は落ち着きを見せていた。それは、既にグラナルドが攻める予定の四国が全て吸収されたからである。
しかし南の国がまだ最後の一国を攻略中のため、その一国との国境線に軍を集め睨みを効かせているところだ。
「閣下、極道隊の者たちが来ております。何やら、戦争は終わったのだから帰らせろ、との事ですが…。」
国境線に布陣し野営地を作ったファンガル伯爵は、その中心に砦を築きそこに滞在していた。
伯爵が執務を行う部屋には他に誰もおらず、一人で黙々と戦後処理の書類を制作していた所に先ほどの伝令が来た。
伯爵は困ったように笑いながら、極道隊をこの部屋に通すよう指示する。
「よろしいのですか…?確かに奴らの実力あっての早期決着とはなりましたが、あのように粗雑な者たちを閣下の前に連れてくるのは…。」
伝令に使われているとはいえ、ファンガル伯爵を補佐する補佐官である。グラナルド国王から付けられた優秀な者で、内政能力としてはずば抜けた能力を有する。
しかし戦に出た事はないため、実地を経験するために国王からファンガル伯爵の補佐官として派遣された経緯がある。
「お主は誠に頭が固いのぉ。陛下が何故この戦にお主を送り出したか理解出来とらん。良いからさっさと隊長を連れて来い。あぁ、副長も一緒で構わんからの。それともなんだ、お主は陛下の命しか聞けんのか?」
後半は恐ろしく低い声で言った伯爵に、補佐官は戦慄した。これまで本当に戦場にいるのか不思議な程好々爺然とした伯爵しか見たことがなく、現在も英雄と呼ばれるような人物とは思えなかったのだ。
しかし、今目の前にいて補佐官を見つめるこの老人は、確かに英雄と呼ばれる人物なのだと己の全身が言っている。
怯えた心を気取られぬよう、努めて平静を装いながら頭を下げた補佐官。
それにより伯爵のどこか冷たい視線を見る事はなかった。
「よう、じいさん。やっと通してくれたのか。んで?通されたって事は帰っていいのか?」
補佐官が部屋を出て行ってからすぐ、カインと副部隊長が伯爵の下を訪れた。
「カイン、無礼な振る舞いをするな。この方はファンガル伯爵だぞ。」
副部隊長がそう言うも、カインは全く気にしていない。部屋の中央にあるソファに座り、その長い足を組んでいる。
「本来なら南の国が勝利するまでここにおってもらわんといかんのだがな。しかしお主らは相棒の家族じゃろう?ならばいつまでも拘束しておるわけにもいかん。だが大した理由もなく帰らせることも出来ん。それは分かるな?」
伯爵はカインの態度を全く気にせず、執務机の上に肘を置いて手を組み、口許に当てながら言う。
その様子はどこか楽しげですらあった。
「あぁ?結局どっちなんだよ。俺たちは帰っていいのか悪いのか。」
我慢が出来ない様子のカインに、副部隊長はコッソリため息を吐いた。
そんな二人を眺めるファンガル伯爵は、二人が入室した時から変わらず微笑を浮かべている。
そんな伯爵の視線が副部隊長に向くと、副部隊長はもう一度ため息を吐いてカインの後ろにまわり、その肩に手を置いた。
「カイン、つまり閣下はこう言っているのだ。大した理由がないと帰れないなら、その理由を作ってやるからそれをやれ、と。戦勝報告は済んでいるだろうから、大方国王への報告書か?いや、今回我らは傭兵団として参加しているからそれは無いか。まぁいずれにせよ何かしらのお遣いを頼まれるということだ。」
そうでしょう?と言わんばかりに伯爵へ視線を向ける副部隊長に、伯爵は笑みを深めた。
「なるほどな。ならその仕事をさっさと言えよ。俺らでパパッとやってやる。その代わり、それが終わったら帰るからな。」
カインが条件を聞かずにすぐ決めてしまうのはいつもの事だが、それをいつも注意するのも副部隊長であり、いつもの事である。
後でまた言わねばならないか、と心中では諦めモードの副部隊長。伯爵はそれを見て今度は声をあげて笑った。
「お主らは何度見ても面白いのぉ。苦労しておるな、副長よ。」
労う伯爵に、副部隊長は首を横に振る。カインはその流れに不服そうではあるが口には出さなかった。
「さて、お主らに頼みたい事は一つ。この手紙を届けてほしい。届け先は首都アルカンタのドラグ騎士団本部、団長室じゃ。私信である故、戦場からは出せぬ。検閲官がおるからの。つまり極秘任務じゃよ。頼めるな?」
伯爵が真面目な表情でそう言うと、二人は固まった。
そしてカインが急に笑い出す。
「おいおい!そりゃあ急がねえといけないなぁ!ほら、さっさと手紙を受け取って帰るぞ。いつまでボケっとしてるんだよ。」
笑いながら立ち上がり、副部隊長の肩を叩いて言うカイン。
どんな難題を言われるかと覚悟していた副部隊長は、カインに肩を叩かれてからやっと我に返り、悪戯が成功したかのような表情の伯爵から手紙を受け取る。
「零番隊の皆には世話になった。また会おう。それまで壮健にな。」
伯爵がそう言って右手を差し出す。カインはそれを見て、フッと笑った後、己の右手で伯爵の手を取った。
「じゃあな、じいさん。じいさんこそ長生きしろよ?今度会えたら手合わせでもしようぜ。」
「どうせまたすぐ会うことになるじゃろうて。その時は本気で手合わせするとしようかの。」
二人が去った部屋に伯爵の笑い声が響く。楽しそうなその笑い声を聞いた者は誰もいない。
「おや、源之助殿。本日は東の国に向かわれるのではありませんでしたかな?」
ドラグ騎士団本部本館の廊下で、速足で歩く源之助に声をかける者がいた。
「む?セト殿か。これは失礼。騎士がこのように速く歩くのは無作法であった。」
セトだった。今日も執事服をしっかりと着こなしている。手に封筒を抱えているところを見るに、何かの報告書だろうか。
「いえいえ、そうは申しておりません。が、源之助殿がその様に嬉しそうに歩くのは見慣れぬものでしてな。こんなところでお引き止めして申し訳ない。早くご兄弟に会いに行かれると良いですぞ。」
ほっほ、と笑いながら言うセトに源之助は照れたように笑う。
「セ、セト殿。確かに拙者は今から竜司に会いに行きますが…。浮かれたように見えていたのでしたら改めなければ。ご指摘感謝します、セト殿。」
根が真面目な源之助にはセトの揶揄う言葉は通じなかったようだ。
ほっほ、と笑うその後に"!"が付きそうな笑い声が、今は"…"が付きそうな笑い声になっている。
「しかしよろしいのですかな?我が主人の提案を断っておりましたが。源之助殿もご兄弟も、直ぐに会える距離ではありませんぞ?」
源之助がアベルと共にヴェルムへ報告した時、ヴェルムから源之助に提案がされていた。
それは、源之助の任務地を東の国にするというもの。今や巨城の城下町となった東の国の港町。そこに零番隊として派遣する事を提案されたが、源之助はそれを断っていた。
「セト殿。拙者は竜司の事をそれはもう大切に想っております。しかし、それと同時に団長殿も拙者にとって大事な方なのです。拙者が入隊時に望んだのは、団長殿の側でお守りする事。勿論、拙者の実力では団長殿に遠く及ばぬ事は存じておりますが。しかし、一度お守りすると決めて就いたこの職務を放棄してまで側に来たと竜司が聞いたら、喜ぶどころか軽蔑するでしょう。あれはそういう男である故。偶にこうして会いに行ける、それだけで我ら兄弟は幸せなのです。」
源之助がこうして長く話すのは珍しく、セトも驚いていた。しかし直ぐに嬉しそうに笑うと、腰に付けている小さなポーチから何か取り出した。
「ではこれをお持ちください。我が主人よりお二人で楽しめるようにと預かっております。」
それはアルカンタにある南の国の菓子を出す高級菓子店の人気商品、高級チョコレートだった。
明らかにその小さなポーチには入らないサイズの箱だったが、源之助は特に驚いた様子はない。それもそのはず、このポーチは先日小型化が成功したマジックバッグだ。
制作科渾身の出来であると、零番隊の各部隊へ支給されている。使用感や改善点などが集まって本当の完成に漕ぎ着けば五隊にも支給される。その後に団員に配られるのだ。
騎士団員全員が持っていて当たり前になってようやく世に出る。
これは今までも様々な魔道具でそうなった経緯があるため、今回もそうなるだろう。
「セト殿!感謝します。竜司から南の国の菓子が食べてみたいと言われておりました故に。実は今から街に出て買いに行こうと思っていたのです。」
箱を受け取って自身の腰に付けられたポーチに仕舞う源之助。
嬉しそうな顔のままセトに頭を下げた。
「いえいえ。先ほども言ったように我が主人からで御座います。私はただ預かり渡しただけですぞ。さぁ、早くご兄弟に会いに行かれませんと。」
急かすセトにもう一度頭を下げた源之助は、それからすぐ目的地を変え飛竜のいる場所へ駆けていった。
彼の耳には、ほっほ、という笑い声が聞こえていたに違いない。
「やはり若さとは良いものですな。最近は若い者が沢山力を付けてきておりますからな。」
そう呟くセトの声を聞く者はいなかったが、ほっほ、と満足そうに笑う声を聞いて首を傾げた者はそこそこいたという。
「あぁおかえり。楽しかったかい?」
団長室では、真逆の表情で向かい合う二人の人物がいた。
一人はニコニコと楽しそうだが、もう一人はソファに体重を預け不機嫌な表情を隠しもしていない。
「つまらなかったに決まってるだろ?あんな雑魚しか出てこない戦場なんざ、俺たちが出る程の事じゃない。それはわかってるだろうが!」
声を荒げるのはカインだった。入室するなり怒鳴って文句を言うカインに、終始にこやかな笑顔を崩さないヴェルム。
二人が会う時はいつも表情が真逆だった。
「ふーん?その割にしっかり重要なところを押さえて進軍してたみたいだけど。それはカインの判断じゃないのかい?」
報告書に記載されている事を指摘すると、カインの表情は慌てたものに変わる。
「なっ!それは…。俺が効率を考えて決めたんだよ!」
真っ赤になって言うカイン。彼はヴェルムに自身がそうした理由を悟られたくなかった。
しかしそんな淡い期待は速攻で打ち破られる。
「うんうん。カインはちゃんと私の話を覚えててくれて、南の国の進軍速度と合わせてくれたんだよね?それに、ファンガル伯爵の軍だけでなく、この戦で功績をあげた方が良い貴族がいる所に敵の有力貴族があたるよう仕向けたり。いやぁ、想像以上の成果だよ。やはり君たち極道隊に頼んで正解だったみたいだね。ご苦労さま。」
ヴェルムがにこやかにそう言う。自身の意図が全てバレてしまったため顔を真っ赤にしたまま固まったカイン。
ヴェルムはそれを見てクスリと笑うと、読み終わったはずの報告書に目を向けた。あまりカインを見ていると可哀想だと思ったからである。
「と、とにかく。俺たちじゃなきゃ出来なかった事なのは確かだ。つまり、アベルなんかより俺の方が優秀だって事だ。」
なんとか硬直から復帰したカインが自慢げに言う。ヴェルムはそれには特に反応しなかったが、どこか微笑ましそうな表情で見ていた。
ヴェルムのそんな表情に居た堪れなくなったのか、カインは懐から手紙を取り出した。
「これ、じいさんからヴェルム宛だ。じいさんはヴェルムのダチだからな。俺がちゃんと手紙を届けてやったんだ。」
こうやって自慢げに手紙を差し出すカインは、他の零番隊の者たちやアベルにもいつも微笑ましく見られている事を知らない。勿論、知れば怒るのが分かっているため皆バレないようにしているだけだが。
堂々とその表情を見せるのはヴェルムだけで、更に堂々と揶揄うのはセトだけである。
ありがとう、と言って手紙を受け取ったヴェルムは、すぐにその手紙を開封した。
たった一枚のカードに書かれたその手紙を読んで、ヴェルムは堪えきれずに笑う。
それを不審に思ったカインがその手紙をひったくって読むと、そこには手紙と思えぬほど簡素で素っ気ないな文があった。
"今回は助かった。約束はすぐ果たされる。首を洗って待っていろ。"
「な、なんだこれ!あのじいさんはヴェルムのダチじゃねぇのか!?」
急に憤慨して怒鳴るカインに、未だ笑いを堪えられないヴェルムは手を振る事で否定する。
「違うんだよカイン。彼は手紙を預ける時、とても嬉しそうではなかったかい?…こ、これは、彼の…、彼の溢れんばかりの気持ちが…。ダメだ、可笑しくて堪えられない。」
それからヴェルムが笑いを堪えられるようになるまで呆然としていたカインだったが、ヴェルムが落ち着くと説明しろと言わんばかりの表情でヴェルムを睨め付けていた。
「悪いね、カイン。あぁ笑った。こんなに可笑しな事は早々ないよ。彼がこの手紙を書く時の表情さえ分かってしまう。これはね、彼と私の約束が果たされるという宣言さ。約束に関しては直ぐに分かるよ。カイン、君にも立ち会って貰おうかな。」
カインは首を傾げたままだったが、ヴェルムが楽しそうなので特に何も言わなかった。
"カインはヴェルム様の事が大好きで仕方ないのよ。"
アベルの部隊の副部隊長であるルルが言った言葉である。
カインが普段からアベルを敵視するのには理由がある。
アベルの事が嫌いなのではなく、カインよりアベルの方が先に零番隊になったからだ。
当然、アベルが先に零番隊の部隊長になり、その時もカインは荒れた。
カインはヴェルムを深く尊敬しており、それはアベルも一緒だった。しかし、兄弟であるが故に常に比べられて育ったカインは、自身の最も大切なヴェルムの関心ですらアベルに取られるのではないかと危惧し、その気持ちが現在までの行動に現れている。
そんなカインの気持ちが分かっているヴェルムも、カインにはアベルと違った態度を見せる。頼りにしている事をアピールする事にしたのだ。
アベルには言わずとも伝わるため、それに甘える形になってしまっている事を詫びた事もある。
しかしその時アベルは言ったのだ。
"我が兄がそれで喜ぶならそれで良いんです。僕は兄もヴェルム様も同じ家族だと思っておりますから。"
と。
なんだかんだ部下にも慕われるカインだが、いつかアベルからの愛情にも気付ける日がくるだろうか。
ファンガル伯爵の件は置いておいて、しばらくヴェルムと茶の時間を楽しんだカイン。
団長室を出るカインの表情はとても満足そうだった。




