60話
ドラグ騎士団団長の専属執事の一人であるアイルは、双子の姉であるカリンと共に、現在は天竜国に居た。
主であるヴェルムから指示を受けたからである。
二人が身を寄せるのは、Sランク冒険者"炎帝"の屋敷である。
冒険者の数は確認のしようもない程多いが、高ランクの冒険者はほんの一握りである。
大国であれば、貴族が治める各領の領都にはAランク冒険者が一人はいるものだ。しかし、Sランクの冒険者はそういない。
Sランク冒険者が何名国に所属しているかは、国同士の外交に大きな影響を及ぼす。
更に、Sランク冒険者の中でも特別な冒険者が存在する。
それが"帝"の存在だ。
ランクが一つ違うだけでも隔絶たる壁が存在する冒険者。その頂点であるSランク冒険者に、手が届かないと言われるのが"帝"だ。
その者の得意な戦法を帝の前に付ける事により個人を判別するのだが、天竜国に居る"帝"は名の如く、炎を得意とする者だった。
「あぁ、二人とも。ちょうど良かった。こっちにおいで。」
冒険者は勿論の事、一般人や貴族も当然、そして王族であっても蔑ろに出来ない存在である"帝"は、絶大な力を持つのである。
「カサンドラさん!戻られていたんですね。お疲れ様です。」
「あぁ、ただいま。ほら、カリンは元気に挨拶をくれたが、アイルは何もないのかい?」
「…おかえりなさい。お疲れ様です。」
貴族や王族からは下手に接触し逆鱗に触れぬよう、恐る恐るといったやり取りしかしない国が多い。しかし、国民の大多数である平民からは英雄の如き扱いなのである。
それは、国も対応しきれないようなスタンピードであるとか、他国に攻められ滅びかけた時など、様々な危機的場面で"帝"が活躍してきたからである。
天竜国に居る炎帝も、スタンピードを彼女のクランだけで止めた事で英雄視されている。
「アイルはもっと元気がなくちゃあいけないね!暗い奴は運気が下がるってもんさ。」
炎帝として立つ時は厳格で無駄な言葉は発しないカサンドラだが、家族の前では違った。
ドラグ騎士団の中でも古株の彼女は、団員から姐御と慕われる面倒見の良い女傑なのである。
最近若くして家族に加わった双子の事もかなり目をかけている。
カリンはそれが嬉しいようで、カサンドラや部隊員たちから組手の手解きを受けたりしているようで、この屋敷に来てから生活が充実している。
しかし、極度の人見知りを自認しているアイルは、今までほとんど交流のなかったカサンドラの部隊員たちと上手く馴染めておらず、与えられた任務を粛々とこなしているだけであった。
「カサンドラさん、アイルは人見知りが激しいので…。ここの皆さんみたいに押しが強いタイプの人には一歩引いちゃうんです。ごめんなさい。」
カリンがカサンドラに謝ると、アイルもそれに合わせて頭を下げた。
カサンドラは困ったように眉尻を下げるが、一つ息を吐いた後に笑って双子に向き直った。そしてしゃがみ込み、視線を双子より低くする。
「良いかい?あんたたちはまだ子どもなんだ。あたしたちの家族になったとはいえ、無理に同じ場所に立とうとしなくていいのさ。勿論、いい歳して中身が子どものまんまのガイア坊ちゃんみたいになるのは歓迎出来ないけどね。子どもは大人に甘えるもんさ。自分のしたい事、やりたい事、言うだけ言ってみれば良い。許されればラッキー、くらいに思えば良いんだよ。」
カサンドラは主にアイルに向かって目を合わせながら言った。
アイルは混乱し目を白黒させていたが、カサンドラの言葉と優しい笑みによって次第に落ち着いてきた。
そして、ギュッと目を瞑った後、しっかりと目を開いた。
「カサンドラ様。僕は珈琲が好きです。」
アイルの言葉は、カサンドラにとって予想外以外のなにものでもなかった。驚いて目を見開くカサンドラだったが、フッ、と笑ったかと思えば立ち上がり、乱暴な手つきでアイルの頭を撫でた。
「よし、なら今晩は珈琲好きを集めて久しぶりに珈琲を楽しむとするかい。あたしの淹れた珈琲とアイルの淹れた珈琲。どちらが美味いか皆んなに審査してもらうのもいいね。」
撫でられるアイルは相変わらずの無表情で、髪が乱れるのを両手で防いでいる。
しかし、隣に立つカリンには分かっていた。無表情の中に何処か照れが見える。この両手も照れ隠しなのだろう、と。
歩き出したカサンドラに二人はついて行く。その途中、カリンはコッソリとアイルに近寄り、耳元で囁いた。
「良かったね、アイル。」
アイルは無表情でカリンを一瞥したが、カリンはどこ吹く風。
双子の姉にはお見通しなのである。アイルが実はご機嫌な事くらい。
「さて、皆んな集まったから今回の作戦を決めるよ。」
炎帝の屋敷には様々な用途の部屋がある。ここは会議に使用する会議室。部隊員全員が入る事の出来るかなり広い部屋だ。
そんな会議室にカサンドラの部隊ほぼ全員と、双子の姿があった。
「今回の最終目標は、南の国にちょっかいかけた馬鹿の始末。この馬鹿が誰かはもう分かってるんだけどね、我らが団長様からの指示に、国を潰すのはダメってのがあるんだよ。つまり、ただ馬鹿を消せば良いって訳じゃない。この馬鹿を消せば国が混乱するからね。だから皆んなの意見も聞こうと思ってさ。何か良い案はあるかい?」
カサンドラはハッキリ言ってボスには向かない。しかしカリスマ性があるためリーダーには向いていた。
自分に出来ない事は共有して全員で対処する。これがこの部隊の方針だ。
部隊の方針を全てトップが定め、下は指示に従うべき、という考えの鉄斎とは根本で意見が合わない。
「姐御!その馬鹿は王太子ですよね?流石にどう足掻いても国が揺れません?確か、他に王子は居なかったはずでは?」
隊員の一人がそう言うと、他の者も頷く。ここまでは想定内の流れだった。
「そう。今回は王太子って立場ある奴がやらかしてるんだよ。だからこそ代わりを見つけるのは大変なんだが、実はそうでもないみたいだよ。アイル。」
カサンドラはニヤッと笑ってアイルを呼ぶ。呼ばれたアイルは全員の視線が集まってから立ち上がる。
「はい。現在、天竜国の国王には息子一人、娘二人です。しかし娘はそれぞれ嫁に出ておりますので、王族は国王夫妻と王子の三名のみ。しかし、国王には弟がおります。北の国との国境にある王家直轄領を譲り受け大公となられて以来、表舞台には一切出てきておりませんが。その大公には息子が二人おります。どちらも品行方正、容姿端麗、そして片方は婚約者無し。領民からも慕われており、兄弟仲も良好です。そこで、今回王太子を排除するにあたり次の王太子も準備せねばなりませんので、この兄弟のどちらか、出来れば兄を王太子に据える事が出来ればと思います。」
アイルが長い言葉を紡ぐのを初めて見た者が多く、違う意味で感心している場の空気に、カリンがコッソリと笑った。
カサンドラも呆れた顔を見せているが、部隊員たちは気付いていない。
「ありがとう。いまアイルが言ったように、次の王太子には大公家の兄弟どちらかを据える。だがこれには問題があるね。まずは国王をどう説得するか。大公は王が命令すれば嫌とは言えない。そもそも国王と大公は仲がいいそうだからね。問題はないだろう。そして次の問題は貴族ども。新しい王太子に忠誠を誓う者が過半数は越えないといけない。そこんとこの手配も必要になるよ。」
カサンドラは全員に向かってそこまで言うと、一度言葉を切った。
そしてニヤリと笑い、悪魔の囁きのような声で言った。
「後は二択だよ。やり方さ。国を操る裏方で行くか、派手にやるか。さぁ、あんたらはどっちが良い?」
その二択に、部隊員たちは全員がニヤリと笑う。
先ほどまで内容はともあれ普通の会議の様子であったのに、急に悪の組織の悪巧みを覗いてしまった気分になった双子。
しかし双子の気持ちはそっちのけで大勢が決まってしまう。
部隊員たちが急に騒ぎ出したのだ。
それぞれが叫ぶ内容としては、どうやら二択の選択肢についてらしい。
全員が後者を叫んでおり、双子は虚無の表情だった。普通は前者を選ぶのだ。普通は。
しかしここは炎帝の屋敷であり零番隊の拠点である。加えて言うならこの部隊の頂点はカサンドラだ。普通な訳がなかった。
こうして派手な方法が可決され、各々準備に奔走する。アイルとカリンも役回りを言い渡され、それに追われる事になった。
アイルから届いた報告書に、ヴェルムが苦笑したのは仕方がない。その夜、アイルとカリンの下へ労いと応援の言葉が書かれたメッセージカードが届いたのも、ヴェルムのささやかな罪滅ぼしの気持ちだったのかもしれない。
「おう?西側に派遣されたのはお主の部隊であったか。」
南の国北方、最近まで小国郡の一部だった場所に建つ砦にて、同僚が久しぶりに顔を合わせていた。
「あぁ、暁がいる事は聞いていた。そちらは違ったのか?」
大太刀を背負い堂々たる雰囲気を醸し出している男と、獣人族に囲まれた人族の女性。
二人は互いに部隊長同士の仲間。普段共に行動する事は無いが、五隊に所属していた頃からの仲である。気心知れた仲だ。
「いや、部隊が西側に派遣された事しか知らなかった。だがこの早さ。ゆいなの部隊なら納得だ。高速広範囲察知に殲滅力。どちらも優れるゆいなの部隊ならそれが可能だからな。」
暁のリーダーは腕組みをしながらしきりに頷き納得している。
ゆいなも自身の部隊を褒められ満更でも無さそうだった。
「それを言うならお前たちもだ。鉄壁将軍と一緒に引き篭もっているかと思えば。何故私たちが合流するまでに二国を落としている?極道隊に張り合ったか?」
そう、小国郡に攻め込んでいた南の国主力軍が抜けた後、鉄壁将軍は守りを主軸に戦っていたのだ。しかし、暁の参戦により状況が変わる。主力軍合流より早く二国を落とすまでに至る程、苛烈に猛攻を続けたのである。
現在は主力軍にいた三将軍が攻め手に代わり、それぞれの軍で侵攻している。
小国郡は横長に八つの国があり、北側に四つ、南側に四つである。
現在は西側全てである四つの国が、それぞれグラナルドと南の国に吸収されている。残る四国も、グラナルドの攻撃を受ける中央北の国は残る所王都のみである。
未だ被害のない海に面した二国も、次は自国だと慌てて戦力を集めている。
「団長から指示があったんだよ。あまりグラナルド優位に進むのも後に響くから、ってな。うちの部隊だけでそこまで進軍スピードはかわらないと思ったんだが。どうも小国郡は大国に比べて戦力が低い。一当てしただけで壊滅する。おかげで無駄に殺さなくて済むのは良いんだが…。」
暁のリーダーは眉間に皺を寄せながら言った。
「成程。では私たちが加われば侵攻速度に差がつきかねんな。少し様子を見てからの参戦になるか。」
ゆいながそう返すと、暁のリーダーは頷いた。
「あぁ。おそらくは。最近までアイルが天竜国にお遣いに行ってたらしく、指示書は直接ここに送られて来ていたが。昨日アイルが直接持って来た。どうやら天竜国の件は片付いたらしい。」
天竜国の土産を貰った、と嬉しそうに話す暁のリーダー。しかし次のゆいなの行動で固まった。
「ふむ。私も一昨日これを貰ったのだ。良いだろう?」
そう言ってゆいなが胸元から取り出したのは、可愛くデフォルメされた黒い竜のキーホルダー。暁のリーダーの言う土産は菓子で、既に暁全員で食べてしまい残っていないのだ。しかしゆいなは形に残る土産を、しかも一日早く受け取っている。どこか負けた気がしてならない暁のリーダーは、ゆいなを悔しげな目で見る。
それに軽く笑ったゆいなは、この差の理由について語った。
「違うのだ、これは。アイルの気遣いだよ。天竜国はその国力を活かした財力のゴリ押しで、香辛料を売りにしているだろう?しかし私の部隊は獣人族だらけだ。食べ物の土産などあの国はほとんどが香辛料たっぷりだからな。鼻のきく獣人族には辛いだろうと、代わりに天竜国らしい土産を買って来てくれたのだよ。しかも全員分黒の竜という拘りっぷりでな。まったくアイルは可愛いやつだ。撫で回してやろうと思ったら既にうちの奴らにもみくちゃにされていたよ。」
帰ったらカリンを代わりに撫で回すのだ、と言うゆいな。暁のリーダーは土産の差に納得すると同時に、双子へ憐みの気持ちが湧いてきた。
「そっちが一日早かったのは?」
最後に気になったことを聞くと、それもすぐ答えが返ってくる。
「それは団長殿の気分だよ。私の部隊は次の指示がまだ明確に出ていなかったし、先に指示が出たのも頷けるよ。お前たち暁は既に指示通りに行動中だっただろう?私たちは終えたところだったからな。その差だろう。」
そう言われれば仕方ない。アイルは土産を渡しに来たのではなく、指示書を渡し報告書を受け取って帰ったのだから。
分かっていても釈然としないリーダーは、次の任務地は天竜国を希望しようと決めた。その理由は簡単だ。黒い竜のキーホルダーが欲しい。ただそれだけである。




