59話
「止めろ、源之助!」
急に襖が勢いよく開き、アベルが飛び込んできた。後ろから部隊員も一人着いて来ている。
「そ、その刀は…!そして源之助、だと…?」
皇族の男は今すぐにでも殺されそうな状況にも関わらず、驚愕により身動きが取れないようだった。
「まさかお前は…!否、生きている筈がない…!貴様、どこでその刀と名を奪った!」
丁度雲の切れ間から月明かりが差し込み、天守閣のこの部屋に光と影が刺す。月明かりは源之助の胸から下を照らし、座ったままの皇族の男の顔も照らした。
「お主、竜司か…?」
源之助の震える声が部屋に響く。
その言葉で皇族の男の表情は、憤慨から驚愕に戻る。
「なぜその名を…!ま、まさか…、本当に源之助だと?我が兄だと申すのか!えぇい、この裏切り者め!ここで切り捨ててやるわ!」
寝所には寝ていても直ぐに手が届く場所に刀が置かれていた。それを手に取って抜き、鞘を捨てる。襦袢に刀というなんとも間抜けな格好であるが、それを指摘する者はここにはいない。
「本当に竜司なのか…?まさかまた会えるとは…!あぁ、無事であったか…。良かった、良かった。」
源之助はそう言って大粒の涙を溢し始めた。
アベルたちは刀を抜いた竜司に警戒を払っており、竜司もまた源之助を射殺さんばかりに睨んでいる。対照的な二人を中心に、混沌とした雰囲気が場を支配していた。
「よくもぬけぬけとそのように言えたものだな。我ら皇族の面汚しめが。」
竜司がそう言って垂れ幕ごと源之助を斬ろうと刀を振りかぶる。しかし源之助は動かなかった。
「貴様のせいで我が受けた仕打ち、身をもって知れ!」
そして振り下ろされる刀。源之助は目を閉じてそれを受け入れた。
しかし、その刀が源之助を斬る事はなかった。
否、出来なかった。
不可視の何かに阻まれ、刀は宙で止まったのである。
あり得ない現実に驚き目を見開く竜司。斬ろうにも引こうにも、刀はそこに固定されたかのようにピクリとも動かない。
「何をした!クッ、何故刀が急に止まる!怪しい奇術師共め!まさか、源之助をその奇怪な術で洗脳でもしたか?あのように優しかった兄が皇族殺しなど、そうでもなければやる筈がない!源之助、目を覚ませ!」
そこまで言った時、源之助が急に目を開き刀を振った。アベルと部隊員は驚いて止めようとするが間に合わない。ルルは魔法を使用しているため集中しており、咄嗟に動けなかった。
しかし、斬れたのは竜司ではなく、竜司と源之助を隔てる透けた垂れ幕だった。
パサリ、と小さな音をたてて落ちる垂れ幕。それと同時に源之助は刀を鞘に収め、ゆっくりと竜司に歩み寄る。
そして未だ刀を動かそうと四苦八苦している竜司の横に来ると、その身体を抱きしめた。
「げ、源之助…?まさか、洗脳が解けたのか?」
竜司が恐る恐る源之助の顔を見る。抱きしめた身体を離した源之助は、竜司の記憶にある昔の優しい兄である源之助そのものだった。
その表情に安堵したか、未だ動かぬ刀を手放し源之助の肩を掴む竜司。
「拙者はそもそも洗脳などされておらぬよ。お主には何も説明せず国を出てしまい申し訳ない事をした。どうか話を聞いてくれぬか?」
源之助は涙の跡を残したままの顔で精一杯笑顔を作り、竜司に話し合いの提案をした。
「そんな!そのような事があったと言うのですか!本当に…?しかし源之助の言う事が正しいとすれば全てが繋がる…。では我の周りの者は全て我の部下ではなく、監視という事になります!なんという事だ…。」
天守閣にある竜司の私室。寝所と襖続きになっているその部屋には、文机と座布団などがあった。しかし部屋の広さの割に物が少なく、家具も決して最高級品ではなかった。とても皇族が住む場所には思えない。
そんな私室に竜司と源之助、アベルとルルの四人が入り、途中で合流した部隊員たちは部屋の外で警備をしている。
「お主には残酷であろうが、これが事実なのだ。一族を出た拙者には東の国で生きる事は叶わぬ。そこで大陸に渡り出会ったのが、今の主人であるヴェルム殿よ。陛下と話はついているとは言え、内々の事。真相を知らぬ皇族が刺客を差し向けておってな。危うく死にそうになっておったところを救われたのだ。今はヴェルム殿を中心とした家族の一員として過ごしておる。この二人や今夜ここに侵入した他の者たちも家族の一員よ。」
源之助が嬉しそうに言うと、竜司は少し安心した表情を見せた後、拗ねた表情に変わった。
「源之助が苦労したのも今が幸せなのも分かった。しかし何故我にその話をして行かなかった?先ほどまで我は源之助を叔父殺しの大罪人だと思っておった。現に我が国のほぼ全ての者がそう思っておる。」
竜司の疑問と拗ねた表情に、少し困った顔をした源之助。しかしはっきりと理由を告げた。
「陛下の指示だ。あの夜叔父上を斬ったその足で陛下の下に向かったところ、既に陛下は全てをご存じだった。竜司は次の天皇になる故、何も明かさずに国を出ろとの指示でな。」
驚く所がありすぎて言葉にならない竜司に、源之助は苦笑した。
「天皇になるには、先代が崩御して天竜の魂がその身に宿らねばならぬ。そう教えられている筈だ。しかしな、天竜はそもそも生きておるのだ。故に皇族が生まれ変わりとその一族というのは根本から間違っておる。ではどうやって魂が宿ったとするのか。それは魔法なのだ。天皇だけが使える魔法を生前に使用しておくのだ。そうすれば天皇の死後、その魔法によって次代の天皇が決まる。陛下はその魔法で既に竜司を指名しておる。全ては陛下が崩御する前にお主に伝えると仰ってな。一つ例外として、もしまた拙者とお主が再会したのならば、真実を告げてもよいとのお言葉をくださった。」
竜司の驚きがおさまらない内に立て続けに真実を暴露され、最早思考が停止している竜司。
これ以上は無駄だという事で、この日は解散となった。
「そ、そういえば、源之助たちは何故この城に侵入した?我がおるのは予想外だったのだろう?」
立ち上がった源之助たちに慌てて声をかける竜司。
すっかり忘れていた源之助は、首の後ろを掻いて誤魔化した。
「殿下、私たちは先ほども申し上げました通り、ドラグ騎士団の者です。つまり、貴国から我が国に対する国境侵犯を止められればと思いお訪ねした次第。」
ルルが代表して言うと、竜司は少しバツの悪い表情になった。しかしそれを直ぐに消した。
「うむ、分かった。明日、否、もう今日か。兎に角後で指示しておく。我がこちらに居る間はグラナルドへは手は出さぬ。我が国の国土を削ったグラナルドは憎くて堪らぬが、源之助が護る国ならばそういう訳にもいかぬ故に。詳しくはまた後日堂々と訪ねて来ると良い。話は通しておく。」
それから少し打ち合わせた後、三人は退室した。
竜司にとって人生で一番驚いた日になった。今まで一番は当然、源之助が叔父を斬って逃走したと聞いた朝の事だっただろう。
極度の疲労感に襲われた竜司だったが、それを上回る喜びを感じていた。
小さな頃から兄は目標だった。剣術、礼儀作法、教養、そして何より上に立つ者が必ず持つもの、覇気。竜司にとって源之助は常に憧れで壁だったのだ。
時にコンプレックスを感じた事はある。しかし、兄はそんな愚かな弟をいつも救い上げてくれたのだ。
天皇になるならないなどどうでもいい。今は源之助にまた会えた事、言葉を交わせた事が竜司の心を支配していた。
「まさか源之助が東の国の皇族だったとはね。」
「黙っていて申し訳ない。この事を知っておるのはヴェルム殿やセト殿、鉄斎殿の部隊くらいであろうか。既に皇族ではない故、拙者も一々吹聴することでもないかと思いまして。ご迷惑をおかけしました。」
「いや、良いんだけどね。それは。ビックリしたってだけだよ。一応、主目的は果たせたからね。暫くこちらに滞在して、ちょこちょこ殿下に挨拶に行こう。ゆっくり話したい事がたくさんあるだろう?」
「アベル殿…。かたじけない。」
「何言ってるの、源之助くん。私たち、家族よ?殿下は貴方にとっての家族でしょ?なら、私たちにとっても家族みたいなものよ。」
「ルル殿…。そうですな。では頼れる兄上、姉上。今暫く手を貸してくだされ。」
「聞いたかい、ルル?僕は兄上だよ!いやぁ、兄って言われる事ないから嬉しいな。まぁ、ルルが姉っていうのはちょっと…ね?」
「ちょっとってなによ!私だって姉上って言われたわ。源之助くんにはちゃんと私の大人の魅力が伝わってるって事でしょう?」
「う、うむ。拙者が血継の儀を受けたのは双子の前ですから。当然、お二方は先輩でありますし、そもそも年齢も…」
「源之助くん、何だって?今何を言おうとしたのかな?ん?」
「い、いや、ルル殿…。ルル殿は大人の魅力溢れる女性だと言いたかっただけで…。」
「あらそう?なら良いのよ。源之助くんよく分かってるじゃない。この頓珍漢にも言ってやってほしいわ。」
城下町には昨晩の城の騒ぎは伝わっていない。
部隊員は、忍は殺したが警備の者は意識を奪うだけだった。
警備の者は忍の存在を知らなかったようで、大した混乱は起こっていなかった。
よって城下町にまで情報が届く事はなく、いつも通りの生活が送られている。
一先ず東の国からの嫌がらせのような国境侵犯は無くなりそうだった。
三番五番の混合隊の仕事が減るのは大歓迎である。
朝市が始まった市場を覗きながら騒がしく歩く三人組。
徹夜明けのテンションからか、騒々しい。朝市の活気にも負けない三人は、必要ない物まで朝市で買い込み、拠点に戻って部隊員から怒られた。
「源之助は無事に弟に会えたみたいだね。」
ヴェルムが報告書を見ながら安心したように言う。
「そうでしたか。では、あちらの新しい城に軟禁されていたという所ですかな?」
ほっほ、と笑いながらセトも嬉しそうに言う。今日も彼は執事服をビシッと着込み、絶好調のようだ。
「石の街は周囲の村ですら余所者への監視が厳しかったみたいだし、上手く華族が連れたら御の字かな?」
ヴェルムの不穏な言葉にも、セトは朗らかな表情を崩さない。
「そうですな。例の、皇后の弟君殺害の件も奴らにとっては痛手でしたでしょうからな。しかし、東の国のシステムはよく出来ておりますな。天皇の死後魂が宿るならば、後継者争いなど起こりようがありませぬからな。」
セトの言う事は尤もだが、そこには重大な欠点が存在する。どうしても天皇になりたい者がいれば、天皇になった者を端から暗殺すればいつか自分が天皇になれると思いかねないからだ。
それの対策もあってか、天皇は皇族と離れて暮らす。皇族は基本的に与えられた敷地から出る事は叶わないのだ。
そして、代々の天皇に忠誠を誓う忍の集団がいる。彼らが天皇の住まう皇居を厳重に警護しており、鼠一匹通さない。
源之助が叔父殺しの後、捕まらずに天皇に会えたのは、天皇から忍に指示が出ていたからである。
「まぁそのシステムの裏を突いて、天皇になった者を全て暗殺しようと画策したのだから、源之助に殺されていなくてもいつか忍に殺されていたのだろうね。偶々、源之助が知って自身の手で片を付けただけで。」
ヴェルムがしみじみと言うと、セトは返事をせずにいつも通り、ほっほ、と笑うだけだった。
暫く沈黙が部屋を支配していたが、報告書を読み終わったヴェルムが背もたれに体重を預けた。
「さて、現天皇に会いに行こうかな。甥の近況と、その兄弟の再会を聞かせにね。」
「土産は地酒で構いませぬぞ。都より北東に良い地酒の産地がありましてな。」
「おや?君は主人を足に使うつもりかい?なら私が戻るまでに国内の警備見直し案を作っておいてくれるんだね?頼んだよ。」
セトが何か言い返す前にヴェルムは消えていた。
忽ち静寂が訪れる部屋に、ほっほ、と笑い声が虚しく響いた。




