56話
グラナルド王国と南の国を直接繋ぐ国境線は、南方戦線が開戦してから拡がる一方だった。しかし最近、南の国の軍が撤退した事で拡大は止まった。
グラナルド王国が既に二国を落としているにも関わらず、南の国は未だ一国を攻めている所であったため、攻められていた国は南の国の撤退をチャンスと捉え反撃に出ていた。
南の国も流石にこの事は予測しており、今は戦線を維持する事を主目的として戦いが続いている。攻め落とした砦を中心に防衛戦線を築き、主戦力が戻るのを待っている。
その指揮を取る将軍は、南の国では防衛戦闘で負け知らずの名将であった。
「将軍!北東より敵部隊接近しています!」
つい最近自国領となったばかりの砦という、勝手の分からない環境にあってもその指揮能力の高さは際立っていた。
現にこうして敵国から攻められても、微塵も動じずに指示をだす姿は、南の国の主力軍が抜けたこの地に残る兵たちに強い希望が与えられていた。
「普段西や北でやっている事と同じだ。場所が変わっただけで出来なくなるお前たちではないだろう!さぁ、さっさと押さえて夕食にするぞ!」
将軍はこの地に着任する前、上から撤退も視野に入れて良いと言われている。多少防衛線を下げた所でお咎めはないのだ。しかし、それは将軍の誇りが許さなかった。どうしても防衛線を下げなければならない事態にならなければ、下げる気は一切なかった。
その将軍の気合が兵たちにも伝わったのか、いつ味方が戻るかも分からない現状にも関わらず兵たちの士気が落ちる気配は無い。
砦を落とすには敵国も兵の数を揃える必要があるが、そもそも殆どの兵は開戦時に打ち破られているため、まとまった兵力をこの砦に向ける事は出来なかったようだ。
それでも数日おきに軍が攻めてくるため、将軍たちも気が抜けない日々が続いていた。
「将軍!傭兵の部隊が我が軍に参加したいとこちらに参っております。」
将軍の下に伝令が来たのはそんな日々に少し疲れが出て来た頃だった。
「傭兵?この辺りの傭兵や冒険者は皆小国についただろう。どこの者だ?」
将軍はまずスパイを疑った。ここは今でこそ南の国の領土だが、少し前までは敵国だったのだ。当然、この地に暮らす民も敵国の民である。武力を持たぬ農民や商人なら兎も角、冒険者や傭兵が南の国の軍に接触する理由が見当たらなかった。
「はっ!しかし、どうやら推薦状を持っているようでして…。」
推薦状と聞いて更に疑問が湧いた将軍は、眉間に皺を寄せた。
「誰からだ。」
一言そう聞くと、伝令は困った表情で恐る恐るその推薦状を出した者の名前を口にする。
「それが…、ヴェルム・ドラグとなっております。貴族では無いようですが、商人でしょうか。しかし我が国で有力な商人ではないです。私の実家は商家ですから。」
推薦状とは有力な者から出されて初めて効力を発揮するのだ。知らない者から推薦された知らない者など、なんの情報も無いのと同じだからだ。しかし、その推薦状の名前を聞いた途端、将軍の表情が一変する。
「すぐに通せ!儂が直接面接する!他の者は部屋を出ろ。儂一人で良い。」
将軍のその言葉に、周りの者たちは驚いた。口々に将軍を止めるが、将軍は頑として意見を変えなかった。
不満げな表情や心配そうな表情を浮かべたままの部下たちを下げ、将軍は傭兵を部屋に迎え入れた。
「将軍、久しぶりだな。一応団長からの推薦状を持って来たぞ。」
部屋に通され、案内の者が下がった途端。傭兵を代表して来た男が口を開いた。
その男を見た将軍は、部下には見せられない程歓喜の表情を浮かべていた。
「久しいな!息災だったか?傭兵と聞いてスパイかと疑ったが、まさかヴェルム殿の推薦状を持った者が来るなど!しかもその傭兵がお前とはな!まったく、二重に驚かされるとは思わなんだ。積もる話は後にして、ここに来たと言うことは、手伝ってくれるのだろう?漸く儂の本領が発揮出来るようだな。」
将軍がそう言うと、男はニヤリと笑ってから背筋を伸ばした。
「我ら傭兵団"暁"、本日より将軍の指揮に従います!暁は始まり。将軍の本来の戦い方を世に刻み込む良き時かと!」
傭兵は暁だった。グラナルドが最初に滅ぼした小国から開戦してすぐ出て、南の国まで来ていたのだ。小国郡の各地に散っていた部隊員を集めながらの移動のため、多少の時間がかかったのは仕方ない。それでも南の国が主力を引き上げる前には到着していたのだが、ヴェルムの指示で参戦は遅らされていた。
「うむ、心強い援軍だ。すぐに作戦会議を行う。これまで通りであれば本日午後には攻めてくるはずだ。そこでお前たちの力を見せてもらう。そうすれば後はすんなり決まるだろう。頼むぞ?」
将軍は顔に刻まれた皺を更に深くしながら言う。それを受け暁のリーダーも笑み浮かべた。
南の国西側では現在、小国二つから同時に攻められており、南の国北方の小国郡に攻め入っていた主力軍は西に転進し、砦で防衛をしていた。
しかし、攻めて来た二国も十分に準備をしていたらしく、兵の数も装備も揃っており、南の国は連戦と長距離の移動による疲労で苦戦していた。
「鉄壁将軍だっていつまでももたねぇぞ!俺たちがここを粉砕してさっさと戻らねぇといけないってのに!」
鉄壁将軍とは、現在南の国北方にて攻め落とし損ねた小国からの必死の抵抗を砦で押さえている将軍の、南の国での通称である。鉄壁将軍は既に前線を離れておかしく無い歳であるため、現在の将軍たちの中では最年長である。
そんな鉄壁将軍は他の将軍たちの憧れであり目標である。誰もが一刻も早く鉄壁将軍の下へ援軍に向かいたいのだ。
そんな南の国主力軍の将軍が集まる会議室では、西側防衛の進捗の悪さに激論が交わされていた。
「それは私も思っています。ですが何より、今回はいつもと違って敵方の装備がやけに揃っている事が不思議でなりません。まさかとは思いますが、天竜国から内々で支援を受け取っているのでは?」
一人の将軍がそう言うと、もう一人の将軍も頷く。
先に口を開いたのは虎人族の獣人で、南の国一番の攻撃力を持つ軍の将軍である。それに丁寧な言葉で疑問を投げかけたのはまだ若い人族の将軍で、頷いたのは将軍とは言えぬ見た目をした、フード付きローブにメガネ、そして装備は杖という女性の将軍である。
この三名で西側防衛に送り出されたが、将軍たちが到着する前の初戦で国境線を突破されて以来その勢いに押され、将軍たちが着いた頃には次の砦まで攻め込まれていた。
現在は砦の防御力でなんとか防衛出来ているが、それが厳しくなるのも時間の問題だった。敵は小国とはいえ二国であり、装備も兵の数も今までとは違うのだ。そして、現在砦に攻めて来ているのは一国で、もう一国の軍は何処に行ったか見当もつかない。
将軍たちは内心焦りが募っていた。
三人で話し合いを進めるも、有効な案は出て来ない。何より深刻なのは、偵察に優れた軍が南の国にはいない事と、兵たちの疲労だった。
しかし、そんな話し合いの場である会議室の外が騒がしくなる。そして慌てる様な足音が会議室に近づいて来た。
「失礼します!グラナルド王国の使者を名乗る者が来ております!」
虎人族の将軍は、扉の外に向かって怒鳴ろうと構えていた。しかし、予想外の伝令内容にその気勢は削がれた。
「通してください。」
若い人族の将軍が扉の外に向かって声をあげると、伝令は返事をして去って行った気配がした。
「グラナルドからこちらに使者ですか。鉄壁将軍の下ではなく?何かあったのでしょうか。」
フードを深く被った女性の将軍が言うと、他の二人も首を傾げた。話を聞けばわかる事、と気持ちを切り替えると、扉がノックされた。
「失礼します!グラナルド王国の使者の方をお連れしました!」
入室許可を得た案内は、使者を部屋に入れるとそのまま去った。
三人の将軍は使者を立って出迎える。
「こんな所までご苦労様です。どうぞおかけください。…それで、使者殿はどのような要件で?」
若い将軍が使者にそう尋ねると、使者は真面目な表情を崩さず頭を下げた。そして懐から一枚の書状を取り出す。
「まずはこちらを。」
一言だけ言って書状を差し出す使者は、南の国では珍しい東の国本島の人族であった。長い黒髪を束ねて後ろに流すその姿は、とても美人な女性ではあるが、その格好は使者というより戦闘を生業とする傭兵や冒険者と言った方がしっくり来た。
「な、なんと…!では、貴女があの…?」
女性の将軍が書状を読んで驚愕の表情を浮かべる。虎人族の将軍と若い将軍は二人で顔を近づけて書状を読み、女性の将軍と同じ表情を浮かべた。
「おい、この書状が本当なら俺たちはすぐにでも鉄壁将軍の援護に行ける!本当にこれを信じて良いんだな!?」
「あぁ…、これで事態は大きく動きます…!ありがとうございます!」
立て続けにそう言うが、使者は頷く事で返した。そして、若い将軍に顔を向けた。
「礼ならば、あなた方の王女、アイシャ王女へ。我が主人はそれを受け私たちの派遣を決めた故。お三方の許可が取れたならば私たちはすぐに出立します。あぁ、それと。私たちは正確には使者でありません。そう名乗る方が都合が良いためにそう言っただけですので。私たちはドラグ騎士団。本来ここに居て良い者ではありません。故に内密に。では、失礼します。」
そう言って使者、いやドラグ騎士団員は部屋を出た。
残された将軍たちは、しばらく誰も言葉を発する事が出来なかった。
「まさか、アイシャ王女を救ってくれた方の一人とは…。それに、ここにサインがあるヴェルムって、アイシャ王女を救ってくれた本人だよな。そうか、ドラグ騎士団の団長だったんだな。そりゃああの時も公にできないわけだ。護国騎士団が外国にいるのはおかしいからな。」
虎人族の将軍がそう言うと、二人も納得の表情で頷いた。
「ドラグ騎士団って五隊だけじゃないのね…。あれだけの強さの五隊とは別の部隊って事でしょう?書状には、南の国で活動してもおかしくない獣人ばかり集まった部隊と書いてあるけれど…。さっきの女性は人族だったわ。彼女が率いているのかしら。」
女性の将軍が疑問を呈すと、虎人族の将軍は顔を輝かせた。
南の国は獣人族が多く住んでいる。どの街にも獣人がいるくらいには。
「獣人部隊か!良いな!俺もそんな部隊を作りたいぜ!」
南の国は獣人族などの亜人を差別や区別しない。そのため、軍の色々な部署に所属している。それはグラナルドも同じではあるが、どちらも獣人だけが集まる部隊など存在しない。偶々とはいえ、ドラグ騎士団が特殊なのである。
「それもこの戦が終わり、小国郡を潰してからの話ですよ。さぁ、僕たちも忙しくなります。まずは今ここを攻めている小国の相手からですよ。もう一国は書状の通り、彼女たちに任せましょう。終わり次第こちらに合流して共に防衛戦を手伝うとありますが、手伝ってもらって二国を相手にするなど、僕たちの恥ではありませんか。周囲にもう一国がいないか警戒する必要がない分、僕たちの動きも簡略化出来ます。彼女が戻る前にこちらも片付けてしまいましょう。」
若い将軍がそう言うと、二人も頷いてやる気に満ちた表情を浮かべた。
そのやる気は砦にいる兵たちにも伝わり、防衛戦でその力を見せた。砦で防衛するだけでは飽き足らず、南の国主力軍は二国を国境線まで押し返す勢いで反撃を続け、ドラグ騎士団零番隊の部隊が合流する頃には、あと一歩で国境線、という所まで押し返したのだった。
「流石はゆいなの部隊。一度国境線を越えて攻めた後静かに退いて海から内陸に攻め込む軍は綺麗に片付けてくれたね。このまま南の国の国土を西に拡げるようアイシャ王女には伝えたし、ゆいなにはその手伝いが終わり次第南の国の主力軍と共に小国郡攻略軍に参加するようにも伝えたよ。あとはそうだね、この西側のイザコザの黒幕には御退場願うくらいかな?」
ドラグ騎士団本部、団長室でヴェルムがそう呟く。
「では、あちらにはカサンドラ殿がいらっしゃいますからな。丸投げで構いませんかな?」
ほっほ、と笑いながらセトがその呟きを拾うと、ヴェルムはセトに視線を向けて頷いた。それから誰もいない場所へと向かって視線を動かして口を開いた。
「アイル、カリンを連れてカサンドラのお手伝いに行っておいで。あくまで目標は黒幕。国自体を潰す必要はないからね。君たちにはカサンドラのお目付け役を命じるよ。」
すると空間が揺らぎ、アイルが無表情で現れた。そのまま頭を下げてからまた消える。
カリンのいる所へと向かったのだろう。
それからヴェルムは紙を机から取り出し、何やら書き始めた。どうやら、アイルに持たせるカサンドラへの指示書であるらしい。
「あぁ、そういえばアベル殿から報告が入っておりましたぞ。個人の判断で動く許可が欲しいと。こちらで許可しておきました。」
セトが今思い出したように言う。ヴェルムはそれに少し呆れ顔を作りながらも、ありがとう、とだけ返した。
また手元の紙に視線を戻し続きを書こうとしたヴェルムだったが、徐に顔を上げてセトを見た。
「そうだ、彼も連れて行くように言って。流石に本島じゃないとはいえ東の国だ。彼の希望通り連れて行かないと、拗ねてしまうかもしれない。」
ヴェルムがそう言うと、ほっほ、と笑いながらセトがウインクと共に返事を返す。
「そちらも指示は済んでおりますぞ。彼は既に出立しております。アベル殿にも既に通達済みですからな。何も心配はいりませんぞ。」
最初から纏めて報告しなさい、と言いたくなる気持ちをグッと堪えたヴェルムは、ため息を吐くだけに止めた。
セトに何を言っても仕方がないからである。
カサンドラへの指示書を書き上げたヴェルムは、紅茶を飲もうと左手を動かす。しかしそこに紅茶は無い。先ほど飲み終えたのだった、と思い返した時、スッと紅茶が差し出される。
「お疲れ様です。指示書は私からアイルへ預けましょう。」
セトだった。こういう何気ない所で気が利くからこそ、ヴェルムに悪戯してもため息だけで済まされるのだ。それがよく分かっているセトはその辺りの加減は間違えない。二人には、この辺りに国がない頃からの付き合いがある。長く続く主従関係は、無言の意思疎通が出来る程に深まっていた。




