55話
「陛下!南の国より使者がお越しです。」
アルカンタ中央の小高い丘に聳え立つ王城の国王の執務室では、国王の侍従が来客を告げていた。
「なに?何故このタイミングで。しかもこちらにか?前線ではなく?まぁいい。客間に通せ。」
国王は盛大に疑問符を浮かべているが、会って用件を聞けば早いと判断したらしく、客間に通すよう指示を出した。
現在読み進めていた書類にサインだけ済ませてから立ち上がった国王は、南の国の使者が待つ客間に向かった。
その移動の間も用件について想像を巡らせるが、やはりどれもしっくりとこない。なんの予測も立たないまま使者に会いたくなどないが、仕方ない事と腹を括った。
南の国の使者は慌てた様子だった。客間に入って国王の目に入ったのは、大汗をかいてソワソワと落ち着かない使者だったのだ。
それほど待たせていないにも関わらず、出された飲み物は既に空である。
大使館から城まで余程急ぎで来たのか。これは何かあったな。などと考えながら国王は、立ち上がって頭を下げた使者に楽にするよう声をかけた。
「急ぎの用件と聞いておるが。その慌てよう。何かあったようだな。」
国王が使者へそう言うと、使者は堰を切ったように話し始めた。
「お忙しい所のお呼び立て、大変申し訳なく思っております。今回参りましたのは、小国郡への戦時同盟に関してです。結論から申し上げますと、我が国は小国郡へ向かった軍を一度引き上げさせて頂きます。こちらからの戦時同盟の声かけだったのにも関わらず大変失礼なのは重々承知なのですが…。」
使者はそこまで言って一度止めた。黙って話の続きを促す国王を見た後、大きく息を吸ってからまた話し始めた。
「撤退の理由なのですが…。実は、我が国の西、天竜国ドラッヘがまだ統合出来ていない小国が二国ありまして。その二国が同時に国境を越えて進軍してきたのです。ドラッヘへの警戒に多くの軍を用いていたため小国郡への進軍を決めたのですが、ドラッヘが動かない確証でもあるのか、殆ど全ての軍を我が国に向けて出陣させているようなのです。また以前のような危機を迎える訳には参りません。よって、西が落ち着くまで軍を退かせていただきたいのです。」
使者が真剣な表情で国王を見る。国王は黙ったままだった。
「もちろん、こちらからお声がけしておいて先に退くのですから、当然、最初に取り決めた小国郡の領土に関しては我が国が占領予定の地域からグラナルド王国に譲渡する場所を作ります。これは国王の指示ですので、そちらのご要望等が他に御座いましたら伺います。」
黙っていた国王は、そこまで聞いてからやっと口を開いた。
「ふむ。仕方のない事だ。優先すべきは侵略より防衛。当然の事であろう。よって、領土に関しては先に決めた通りで構わん。その代わり、取り決め以上の範囲を我が国が攻め取った場合は、その地域の占領権を主張するがな。つまり、さっさと終わらせて戻って来ねば南の国の国土が広がる事は無いということだ。もちろん、間に合って当初の取り決め通りに戦が終われば領土も勿論、取り決め通りだ。」
使者としては、自国が無茶を言っている自覚がある分、国王の要求に首を縦に振るしかなかった。
このある意味寛大である意味鬼畜な提案に頷かなければならない使者の胃が、無事である事を祈るばかりである。
結局、国に話を通すとは言ったものの、使者は即断せねばならない状況であるのは確かだった。
よって、一度大使館に戻り鷹便による手紙のやり取りだけ済ませ、その日のうちにまた城に向かった。
「まったく、西の小国共には困ったものだな。天竜国もあれだけ大きな顔をしているならさっさと統合してしまえば良いものを。」
グラナルド国王がボヤくと、耳聡く聞きつけた壮年の男性が言葉を返して来た。
「陛下。それは言っても始まりません。天竜国は国土に対して国力が低う御座いますので。それにあの程度の騎士団では、攻めたとして一国が限界。滅ぼす、または併合、統合するにしても時間がかかりましょう。それに、南の国西側の二国は、天竜国から見て旨みのない国。仮に攻めるにしてもまだ先の話でしょうな。」
「そんな事は宰相に言われんでも分かっておる。全く、毎年ドラグ騎士団に挑む暇があるなら国境警備に力を入れておれば良いものを。」
壮年の男性、宰相はカルム公爵の後任である。彼は代々宰相を務める家系に生まれ育ち、国王と歳も近いためカルム公爵が宰相になってからは国王の側近として働いていた。
カルム公爵が宰相になったのは、彼の父が事故によって亡くなった直後で、王太子がまだ子どもであった時である。
カルム公爵が処刑された時、屋敷の捜索により現宰相の父の死はカルム公爵による暗殺だった事が判明。
彼はそれが分かった事を、ドラグ騎士団に深く感謝していた。
「天竜国はドラグ騎士団のような最強の軍事力を持っておりませんからな。それもこの事に関係するかと。今回の南方戦線も、ドラグ騎士団の力無くしてここまで迅速な作戦行動は取れていないでしょうから。」
続けて宰相がそう言うと、国王は深く頷いて肯定した。
「それはそうだ。小国郡を落とす事は出来たかもしれんが、その場合今もまだ一国を落としている最中であろう。既に二国を落とし三国目に取り掛かっている今がおかしいのだ。そんな事は私が一番よく分かっている。何が一番悩みかと言えば、この戦が終わればファンガル伯爵に約束を果たさねばならぬという事よ。全く、何故あんな約束をしたのか…。」
国王がボヤくと、宰相は困った様に笑った。仕方がない事だ。国王がヴェルムに乗せられて約束してしまったのだから。
「過ぎた事を言っても仕方ありますまい。ここは、南の国が帰って来る前に小国郡を全て切り取り、その上で南の国に領土を分ける度量を見せつけてやれば良いでしょう。南の国に恩を売れるならば、陛下の苦労仲間が一人減るくらい訳ないでしょうからな。」
宰相の言葉に深いため息を吐く国王。彼は彼で悩み過ぎて頭の毛が薄くならないか心配である。
「とまぁ、この様な事になっているみたいだから。選択肢が二つあるんだよ。どっちが良いと思う?」
ドラグ騎士団本部、団長室にて。
いつも通りの柔らかい笑顔を見せるヴェルムは、その笑顔を目の前に並ぶ者たちに向けていた。
「俺は現状維持か、国王の意思に合わせるべきかと思いますね。」
いの一番に返事をしたのはガイアだ。訓練終わりなのか、隊服のジャケットを脱いでおり、下は隊服、上は黒のタンクトップ一枚という格好である。ガイアの引き締まった筋肉の鎧が惜しげもなく晒されており、街の女性たちが見れば失神間違いなしである。
「僕もそう思います。と言うより、選択肢はあるように見えて無いと思うので。」
ガイアの意見に苦笑を浮かべながらも追従する意見を出すアズ。彼はいつも通り隊服を綺麗に着こなしていた。
「そうね。アズの言う通りだわ。カインの部隊を送った時点で最初の選択肢はあり得ないもの。だって、カインやあの部隊がゆっくり侵攻なんて出来るわけがないわ。団長もそれが分かって言ってるのでしょう?」
更にサイが同意すると、アズは頷いた。ガイアも、だよなぁ、と呟きながら肯定する。
サイの隣に立つスタークも、声には出さないものの同意していた。
「団長の事だから、こうなる展開も予想した上でかーくん達を送ったんじゃないの?」
最後にリクが疑問をヴェルムにぶつけると、他の四人もヴェルムを見た。
「流石リク。よく分かってるね。天竜国やその周辺国に向かわせた零番隊から、今回の進軍の情報は得ていたからね。と言っても、南の国が国境を手薄にしたらすぐ攻められるように準備している、という情報だけだけどね。小国にしたら今回の戦争は願ってもないチャンスだろうし、必ず攻めて来ると思ったよ。」
ヴェルムが答え合わせのように言うと、隊長たちは納得した表情になる。しかし、相変わらず疑問の表情を浮かべる者がいた。
「でも団長、ならなんで選択肢があるみたいに私たちに聞くの?」
リクだった。いつもリクは鋭い質問をするため、ヴェルムとしてはあまり面白くなかった。それは何故かというと。
「やっぱりリクにはバレたね。その答えは一つ。君たちにちょっとした試験だよ。消去法で答えを出すのは良いけど、そうすると前提となる情報が、そもそも何故そういう状況になったのかと考える余地がなくなるからね。君たちにはそれを学んでもらおうと思って。意地悪して悪いね。」
ヴェルムが全く悪いと思っていない表情で言う。それに対して隊長たちの反応は同じだった。
「そんな事だろうと思ったよ。ほんと、我らが団長はいい性格してるよな。」
「こうして試されるのも慣れましたからね。どんな任務だって日常生活だって、常に試されていると思って行動していますから。この程度では迷いませんよ。」
ガイア、アズと続けて言う。この二人の言葉に他の隊長たちも頷いた。
「ふーん。じゃあ私の完敗だね。そんな勤勉な君たちに私からのプレゼント。新しい任務だよ。頑張ってね。」
ヴェルムの言葉に、隊長たちは呆れ顔を作った。これもいつもの事である。既に耐性が出来た彼らは、今更驚きなどしなかった。
反応が良く無い隊長たちにヴェルムは少しだけ眉間に皺を寄せたが、うまく取り繕って誤魔化した。




