43話
「お、アイルじゃん。またお遣いか?おかえり。」
「ほんとだ、アイルだ。おかえりー。」
アイルが騎士団本部に戻ると、訓練終わりの騎士たち声をかけられる。アイルはそれに、ただいま戻りました、訓練お疲れ様です。と逐一返事を返していく。
「あ、アイル。戻ったら寄ってほしいとアズール隊長から伝言受けてるぞ。」
そんな所に二番隊の部隊長が通りかかり、アズからの伝言を伝えて来た。
「お疲れ様です。伝言ありがとうございます。今アズール様はどちらに?」
アイルが礼を言いアズの居場所を尋ねると、部隊長はアイルの頭を撫でながら、隊長は本部の厨房にいらっしゃるはずだ、と返した。
もう一度部隊長に礼を言ってその場を離れたアイルは、目的地を本部厨房へと変える。
普段、お遣いが終われば直ぐに団長室へ向かいヴェルムに報告をするのだが、今日は何故かお遣いが終わればそのまま休んで良いと言われている。
厨房へ向かう途中、大浴場から出てきたカリンと偶然居合わせた。
「あれ?アイル。お遣い終わったの?今からお風呂?」
「いや、アズール様が呼んでるって。厨房に行くところ。」
タオルで拭いただけなのか、まだ濡れている髪をそのままにアイルへ話しかけてきたカリン。それに返事を返した後、カリンの頭に向けて温風を送る。カリンは戦闘用の魔法は上手く使うが、生活魔法と呼ばれる誰でも使用可能な魔法は壊滅的に下手だった。魔力量は多いのに、質が悪いのである。生活魔法は質が悪くても使えるはずなのだが、カリンとはとことん相性が悪かった。
「ありがと。まだこんな時間だから他にお風呂に人がいなくてさ。助かっちゃった。お礼に後で珈琲淹れてあげるね。」
どうやら広い大浴場に一人だったようだ。普段は団員のお姉様方に髪を乾かしてもらっているようだ。一人で任務を受け国外に出ている時はどうしているのだろう、とアイルは首を傾げるが、それをカリンに問う事はしなかった。
カリンと別れ目的地である厨房に着くと、中は大騒ぎだった。怒声罵声が聞こえてくる厨房に、一度足を止めてから息を吸う。そして意を決して入室した。
「失礼します。こちらにアズール様がいらっしゃると伺い参りました。」
アイルの声は普段から小さい。そしてあまり通らない。しかし、厨房に入ってきた瞬間に怒声罵声が止み、全員から目を向けられた。
「おう、アイルじゃねぇか!アズなら奥にいるぜ。さっきからお前を待ってるみてぇだからな。早く行ってやれ。」
代表で料理長がそう言うと、また厨房が騒がしくなる。今は夕食を作る時間なのだ。厨房が戦場になるのも仕方がない。更に、料理長がこのように言葉遣いが荒いため、その下の者も言葉が荒くなる。最早団内のどの隊どの部署よりもガラが悪い部署になっている。
それはそれで面白いじゃないか、とはヴェルムの言だ。
「あぁ、アイル。待っていたよ。お遣いお疲れ様。無事受け取れた?」
厨房の奥、製菓専用として誂えられた区画でアズが待っていた。アイルがそこに行くと、何やらレシピを見ながらアイルへ振り向く事なくそう言った。
「はい。無事に受け取ることが出来ました。お待たせしてしまいすみません。」
アズはここでやっとアイルの方に向いたため、アイルは待たせてしまった事へ詫びを入れるため頭を下げた。
「いいよ。僕が勝手に待ってただけだからね。それより、お遣いの結果をここに出して貰ってもいい?」
アイルのお遣いはヴェルムからの頼まれごとだ。アズとはいえ勝手に渡す事はできない。そう言って断ろうとしたアイルに、アズから更に声がかかる。
「あぁ、団長から許可は得てるよ。と言うより、このお遣いは僕が団長にお願いしたんだ。ほら、出して出して。」
アイルには意味が分からない。しかし、許可があるならそれで良いかとマジックバッグを開けた。
「うんうん、揃ってるね。よし、じゃあ作ろうか。」
店で受け取った箱を全て開け、笑顔でそう言ったアズ。作る?何を?誰が?アイルの無表情からその疑問を読み取ったアズが、苦笑してアイルに向き直った。
「アイル、僕と一緒にケーキを作ろう。アイルとカリンがこちらに来て十年くらい経った。そして血継の儀も受けた。まだ団長にお礼をしてないだろう?血継の儀を見たことがない者が儀を受ける事は無かったからね。前回は双子揃って任務で出てたし。その前も。アイルが知らなくても仕方ないよ。別に強制じゃないんだけどね。でも皆は個人で出来る範囲のお礼をしているんだ。毎年、団長は皆の誕生月か、それが分からない者はここに来た月にプレゼントをくれるだろう?でも、僕たちは団長の誕生日を知らない。団長自身が知らないのだから仕方ないけれど、お礼したいじゃないか。だから皆んな新年の宴では何かしら団長にプレゼントするんだけどね。それと一緒。血継の儀は特別なのは知ってるだろう?だからそのお礼を、自分が出来ることでするんだ。どう?アイルもやってみない?」
アイルは知らなかった。血継の儀は特別で、ヴェルムは家族になる事だと言っていた。自分たち家族の父であるヴェルムに、普段から感謝の念を込めて奉仕しているつもりだった。しかし、物に込めて渡すというのはアイルの発想になかったのだ。
そのお礼の手伝いをしてくれるというアズに深く頭を下げる。それに対してアズは、お礼、したくなった?と問うてきた。頭を上げたアイルは、力強く頷いてから言った。
「よろしくお願いします。」
こちらこそよろしくね、と返したアズ。それから何を作るか相談を始めようとした時、アイルはハッとした顔になり魔法を使用しようとした。しかしそれはアズに止められた。
「大丈夫、今頃カリンもリクと一緒だから。同じ話をしてるんじゃないかな。」
念話魔法を使用しようとしていたのがバレていた。
念話魔法は相手の場所が分からないと使用出来ないが、アイルとカリンの間ではどこにいようと使用出来る。強い絆で結ばれた相手とは場所が分からなくても念話が出来るという論文があるにはあるが、それは長年連れ添った夫婦などに極々稀に起こる現象であり、アイルとカリンのような子どもに起こったケースは報告されていない。
兎に角、カリンに連絡を入れなくても良い事が分かったため安心したアイル。後で何故自分だけ、と怒られるのも嫌だし、二人で受けた儀だ。二人で礼をしたい。何故アズとリクで分けて提案をしてきたのかは分からないが、今は自分に出来ることをやるしかない、と気持ちを切り替えた。
それを待っていたように、自然に話を戻すアズ。その視線の先には、お遣いで受け取ってきた箱があった。
「さて、じゃあ作ろうか。アイル、サハトルテ食べてきたんだろう?どうだった?」
何故サハトルテを提供された事を知っているのか分からないアイルだが、頷いた。食べたのは事実だ。
「懐かしく感じました。アレはアズール様と共にヴェルム様から指導を受けた初めてのケーキです。紅茶も、今思えばあの時ヴェルム様が淹れてくださったブレンドの素になった茶葉でした。あれはアズール様の根回しでしたか。」
アイルの言葉に、アズは目を細めて微笑みゆっくりと頷いた。
「今回、お礼の品を渡すと言ってもすぐには思いつかないんじゃないかと思って。アイルも随分腕が上がってきたし、十年でここまで成長しましたよって団長に見てもらうのも良いんじゃないかと思って。きっと、僕らが初めて作ったサハトルテの味を覚えているよ、彼の方は。」
アズの挑戦的な視線を受けたアイルは、無表情のまま頷く。
「それは良いですね。ヴェルム様に感謝の気持ちを込めてサハトルテをお作り致します。しかし、紅茶ではなく珈琲を淹れさせて頂きます。僕の中ではサハトルテと共に在るべきは珈琲ですので。」
アズは一瞬だけ目を丸くして驚いた。しかしそれも直ぐに戻ると、満足そうに微笑んだ。
自分の気持ちを表現する事が苦手なアイルに、アズなりのやり方で伝え方を教えたつもりだったが、まさか自分の流儀まで団長にアピール出来る程になるとは思わなかった。これは良い傾向だ、と一人ほくそ笑む。
チョコレート専門店ではチョコやケーキの素材を。工房ではアイルの小さな手にも馴染むよう子ども用製菓道具を。喫茶店ではアイルの好きな品種の珈琲豆を注文した。それを今回使わなくてもそれはそれでいいと思っていたが、アイルは素直にアズの考えに賛同してくれた。
アズもここに来たのはアイルとそう変わらないくらい前だ。少しだけ先輩というだけで。カリンの方に行ったリクもそれは同じである。だからこそアイルとアズ、カリンとリクはこれまで仲良く出来てきたのだ。アズはアイルを友だと思っている。アイルもそう思ってくれていたら良いなと思いながら。
「失礼します。ヴェルム様、今よろしいでしょうか。」
夜、夕食が終わって団長室で一人書類仕事をしていたヴェルムの下へアイルが訪ねてきた。
「アイル?今日はお休みで良いと言ったのに。何か用かな。」
ヴェルムはセトにもアイルにも、休みを与えたら仕事は頼まない。どんな小さな事でも自分でやるか他の者に頼む。近くにいては手伝いをしたくなってしまうため、アイルは休みをもらうとヴェルムの前に姿を現さない。
珍しい事もあるね、と眉尻を下げて笑うヴェルムにアイルはもう一度頭を下げた。
「本日、アズール様にお手伝いを頂きましてケーキを作りました。血継の儀を行っていただいたお礼として是非ヴェルム様にご賞味戴きたく思います。」
アイルの言葉にヴェルムは下がった眉尻を戻し、嬉しそうな笑顔に変わった。
「なるほど、それでそのマジックバッグなのか。それならそちらに移動しよう。」
ヴェルムはそう言って執務机からソファに移動した。
アイルはテーブルにサハトルテを取り出してから、サイフォンを取り出し魔法で温め始めた。
「へぇ?サハトルテか。よく出来てるね。そうか、アイルは初めての製菓がサハトルテだったね。しかしあの時とは随分腕を上げたね。あの時の不格好なサハトルテも良いけど、こちらはまるで芸術品だね。食べるのが楽しみだよ。」
更に乗った一ピースのサハトルテを興味深々といった様子で眺めるヴェルムに、アイルは少し笑った。しかし今は大事な珈琲の抽出作業をしている。気は抜けない。すぐに無表情に戻った。
「そうか、サハトルテに珈琲ね。確かに合いそうだ。私が初めてサハトルテを食べた時、共に出されたのは紅茶だったんだ。だからサハトルテは紅茶と楽しむものだと思い込んでいたが。この香りは南の国の北西地域特産の珈琲だろう?確かにサハトルテと合いそうだね。なるほど、だから生クリームは無いんだね。」
食べる前からアイルの意図を悉く見抜いていくヴェルムに、アイルは苦笑いだ。全幅の信頼を寄せるヴェルムの前では、決して動かないはずの表情もコロコロ変わる。最近ではカリンの前でも表情が動くようになった。アイル自身特に意識しているわけではないが、団員たちの間では誰が最初にアイルの無表情を崩すのか賭けられていたりする。
「お待たせしました。どうぞお召し上がりください。」
そう言ってアイルが出した珈琲の入ったカップ。それを見てヴェルムが首を傾げた。
「おや?これは今まで見たことがないカップだね。」
そう言ってカップを繁々と眺める。それは陶器のカップだった。小さなそれは、珈琲を飲むために作られたという。アイルが以前遣いで行った陶器工房でもらった物だ。職人に気に入られたアイルは、好きなものを聞かれて珈琲だと答えた。すると職人がくれたのだ。会心の出来だから、大事な場面で珈琲を飲むのに使いなさい、そのあとは普段使いにして良いから、と言って渡されたカップだ。何故職人がそんな事を言うのかサッパリ分からなかったアイルだが、何となく今日がその大事な場面だと思った。
「そのカップは陶器職人の方からの頂き物です。珈琲専用として作ったそうです。」
「そうなのか。これは名品だよ。珈琲のため、という意思を感じるようだ。」
アイルの説明にヴェルムはカップをもう一度見た後、一口珈琲を飲んだ。するとヴェルムの目が見開かれる。そしてアイルを見た。
「これは?私が予想したのは南の国北西地域の珈琲だ。でもこの珈琲は香りも味もそれなのに、どこか違う。カップとも最高の相性だよ。」
ヴェルムは自分の知らないことに対しての好奇心が強い。紅茶をブレンドするのも、自分の知らない味に出会うためだ。
それからサハトルテを一口。じっくりと味を記憶に刻み込むように食べる姿を、アイルはじっと黙って見ていた。目を閉じて食べていたヴェルムは、飲み込んでから目を開いてアイルを見た。
「あぁ、おいしい。アイル、腕を上げたね。サハトルテに関しては料理長だって勝てないよ。正にこれは世界で一番美味しいサハトルテだよ。」
アイルは涙を流していた。自身の持つ全てを込めて作ったサハトルテだ。実は、アズは隣で見ていただけである。途中から自分も食べたくなったのか、自分の分も作っていたが。
「アイルは随分心が動くようになったね。良い事だよ。アイルはこれからも沢山成長する。それを近くで見られる私は幸せ者だよ。ほら、アイルも一緒に食べよう。今日は二人でゆっくり話そう。」
涙をボロボロと流しながらも頷き、対面のソファに座るアイル。ヴェルムはそれを見てから立ち上がる。そしてパーコレーターを取り戻ってくる。そして空間魔法から珈琲豆を取り出し淹れる。
「ほら、私がこのサハトルテに合うと思う珈琲だよ。アイルが出してくれた珈琲も最高の相性だけど、こちらはまた違う感じで合うと思うよ。是非比べてみてほしい。」
そう言ってアイルに出したカップを見て、アイルが固まった。
「ヴェルム様、こちらは…。」
「あぁ、うん。よく分かったね。気にせず飲んで良いよ。もう大丈夫だろうからね。」
ヴェルムが出したのは北の国の北部、大山脈で見つかった品種である。魔物があまりに強く、そして常に雪に覆われたその山脈は人の手が入るのにはまだ険しすぎる。そもそもこの珈琲豆を発見したのも零番隊である。世の中には公表されていない。樹氷だと思って採取した物が実は珈琲になる豆をつけていたなどと思わないだろう。
一つ問題があるとしたら、この珈琲、魔素が多いのだ。よって、魔力が少ない者が飲むと魔素酔いを起こす。アイルの魔力量なら大丈夫だろうが、まだ子どもという事で飲ませてもらった事がない。
飲んでみたかった珈琲であるため、アイルは喜んで飲んだ。
それは少し酸味の残る味で、サッパリとした味わいだった。確かに、甘みが強いサハトルテとは相性が良いだろう。
それから二人はサハトルテと珈琲を楽しみながら、久しぶりに仕事以外の会話を楽しんだ。それはまるで、本物の父子のような光景だった。
アイルの団内での様子や、カリンとの事。アイルはそう言った事をヴェルムに聞かれた端から答える。逆にアイルはヴェルムに沢山の質問をした。昔の事、魔法の事、ヴェルムの友に関して。気になっていた建国記念祭に毎年何処へ行くのか。たくさん聞いて話した。
夜も更け二人は話を切り上げ、アイルは団長室を後にした。カリンは起きているだろうか、今日の事をなんと話そうか、と考えながら。
「ゆっくりと話せましたかな?」
アイルが去った団長室にセトが顔を覗かせた。
「あぁ。気を遣ってもらって悪いね。」
「いえいえ、私がいてはあの子もゆっくり出来ませんからな。」
ほっほ、と笑うセト。セトはアイルに気を遣って部屋に立ち入らないようにしていた。
セトはアイルの師匠である。執事の。ヴェルムと茶会をする以上、給仕という部分が出てくるため、執事の師匠がいてはやり難かろうと離れていたのだ。
「彼はいつか君を越える執事になるよ。でも今は、自分の事にしっかりと目を向けられる優しい人になってほしいね。」
ヴェルムがポツリとそう言うと、セトは頷いた。
「そうですな。彼が執事として立派になれば、私はお払い箱ですかな?」
ほっほ、と笑いながらヴェルムに言うセト。そういうところだよ、と言われても変わらず笑っていた。




