4話
「おはようスターク。」
そう言って会議室に入ってきたアズ。先に着席していたスタークは資料を読んでいた視線を上げて頷き、おはよう、と返す。
アズがそのまま、部屋の隅に設置されている机に向かう。上着の胸ポケットから小さな紙袋を取り出し、その中から茶葉を必要分、備え付けられていたポットへと落とす。
ポットとカップを魔法で温め、ポットへと指先から湯が注がれる。魔法を使っているらしい。
高温の湯がポットに満ちてから、アズの動きが一度止まる。
「あ、スタークも紅茶で良かった?聞いてから淹れれば良かったね。いつも僕が先だから、癖でそのまま淹れていたよ。もし珈琲が良かったら、申し訳ないけどガイアを待ってくれる?」
そう言いながら、資料を読んでいたスタークへと顔を向ける。
スタークは視線を戻していた資料から顔を上げ、首を横に振った。そして困った顔をして返す。
「いや、俺がアズの紅茶飲みたくて先に来たんだ。いつもありがとう。餌を強請る雛のようで悪いな。二人が遠征の間、アズの紅茶もガイアの珈琲も飲めないのが辛くてな。」
どうやらスタークは、アズに紅茶を淹れてもらうために一番乗りしたようだ。自分の欲求に素直なのか、それだけアズの紅茶が美味いのか。どちらとも、かも知れない。
「ありがとう。そう言ってくれると紅茶を淹れるのにもやる気が湧くってものさ。」
そう返してまたポットに向き直るアズ。深蒼のストレートの髪を、リクが作った髪紐で束ねた彼は、どこかまだ眠そうだ。欠伸を噛み殺している。
「ん?アズ、寝れていないのか。それとも遠征の疲れが取れなかったか。後で良く眠れて疲れが取れる香草のオイルを届ける。良ければ使ってくれ。ガイアは…大丈夫だろうな。」
欠伸の気配を感じたのか、スタークがまた資料を読んでいた視線を上げアズに言う。
どこか疲れを見せるアズを心配して、スターク自身の趣味でもある菜園の、香草を使ったオイルを届けると言う。アロマオイルといったところであろうか。
スタークの趣味である菜園は、香草だけでなく薬草から野菜まで実に様々な物を育てている。騎士団本部内の一角が、スタークの趣味と実益を兼ねた菜園となっている。
季節により沢山の花も咲くので、騎士団内では息抜きスポットとして人気である。非番の騎士も手伝う事があり、収穫などの大人数を動員する時は、団員の交流の場としても活躍する。
採れた野菜は厨房へ。騎士たちの食事になる。それもあってか、自主的に手伝う者も多く、何より、新人は必ずこの畑の手伝いをする。規則ではないが、暗黙の伝統だ。どの隊、どの部署からも新人が集まるので、同期同年代の騎士団員と交流する一助となっている事は確かだ。
因みに、団長もちょくちょく畑に出向き、作業を手伝った後、畑の側にあるガゼボにて紅茶を楽しんでゆく。自然とスタークもお茶を共にするし、何なら茶請けがその日採れた野菜を切っただけ、という時もある。
そんな二人の姿を見つけ、リクが飛び入りするのもまた、よくある光景だ。
スタークとアズが紅茶を楽しみながら話していると、会議室の扉が開き、女性が入ってきた。煌めくように光を反射する金髪に、金の瞳。フレームレスの眼鏡をかけたその女性は、見た目二十歳ほど、160センチと少しの身長に、抜群のプロポーションを誇る体型。騎士団隊服に黄の差し色、左腕には金の竜の腕章。
四番隊隊長、サイサリスである。
「二人とも、おはようございます。アズはお帰りなさい。無事に戻って良かったわ。」
微笑みながら朝の挨拶をする。二人もそれに、おはよう、とそれぞれ返した。
返事にまた微笑みを返しながら、私も頂いていい?と言いつつカップをアズへと手渡す。
「どうぞ。今日はスタークのとこの紅茶をブレンドしたものだよ。多分、サイは砂糖一つかな。はい、これ砂糖。」
個人の好みの味を把握している様子のアズ。角砂糖が入った陶器の小さな壺を、紅茶の入ったカップの横へ、スプーンと共に置く。
「ありがとうございます、アズ。アズの紅茶が飲みたくて。今日は早起きをしてしまったわ。」
ふふ、と手のひらを口元にやりながら上品に笑うサイ。スタークは、お前もか…、と言いながら笑う。
アズは照れたような表情の後、二人とも…、と困り顔。喜びと困惑と、ない混ぜになっていた。
「あ、いけない、アズの紅茶に夢中で忘れていたわ。会議なんだけど、ここじゃなくて上の会議室でやるそうよ。さっき伝令さんと会ったから、二人へは私が代わりに伝えるからって言ったのに。ごめんなさいね。」
サイの話し方がゆっくりおっとりのため、全然いけないように聞こえないし見えない。しかも結構、いやかなり重要な伝言だった。
それにも関わらず、急いで移動せねばならないはずなのにサイは座ったまま紅茶を飲んでいる。
会議開始まであと少しだ。遅刻する訳にはいかない。アズとスタークは急いで席を立つ。が、動かないサイを見て困惑する。二人して何か考えついた顔をする。座る。
ーそしてゆっくり紅茶を飲んだ。
「やっぱり。こうなってるんじゃないかなと思っていたの。大正解〜。」
本部二階にある大きな会議室。大きく重い両開きの扉の前に立つ騎士に開けてもらい礼をいって入室し、パンっと両手を顔の横で合わせ、開口一言目が先ほどの台詞。予想通り!と言わんばかりのその表情は、誕生日を祝われた子どものように純粋で嬉しそうだ。
アズ、スターク、サイの三人が紅茶を飲んでいた会議室よりも、一回り大きな会議室。
その中では、各隊の副隊長がこれから始まる会議の準備をしていた。だが、もう会議が始まる頃だというのに隊長は一人もいない。
四番隊副隊長が、入室した三人を見て頭を下げると、他の副隊長も頭を下げる。そして揃って朝の挨拶を告げる。
「おはようございます、みなさん。ごめんなさいね、遅くなってしまったわ。リクとガイアはやっぱり遅れてるわね。」
挨拶を返した後、ふふ、と笑いながら言うサイ。どうやら二人の隊長の遅刻を予想していたようだ。
アズは、やはり、と頷いてから挨拶を返す。スタークも挨拶を返してから目を閉じた。どうやら魔法を使っているようだ。
「カイル。リクは今お前の部屋の前にいるようだ。俺が連れてくるからお前は準備の方を。ダストン、ガイアは自室だ。まだ寝てるんだろう。誰か副官を遣ればいい。」
スタークがそう言ってから、今入室したばかりの会議室を出て行く。
カイルは三番隊副隊長、ダストンは一番隊副隊長だ。二人とも会議室を出て行ったスタークの方に頭をもう一度下げ、感謝を述べる。
ダストンは何やら魔法を使うと、話し始めた。
「隊長はまだ自室でお休みだそうだ。お前に隊長を起こすよう伝えたはずだが。もう一度行って起こして来い。もう会議が始まる刻限だ。急げ。」
どうやら副官へガイアを起こすよう頼んでいたようだ。
ダストンが使った魔法は、念話と呼ばれる魔法。話したい相手を思い浮かべ、大凡居るであろう場所をイメージする事で繋がる。会話は声に出す必要があるため、聞かれたくない報告をする場には向かないが、こういう時に便利だ。
しかし、ガイアが起きていないために念話は繋がらず、副官に連絡した、という事だろう。
カイルは、リクに念話を繋がなかったのではなく、リクが念話を無意識に弾く癖があるために、繋げなかったのだ。
リクが常時念話を受け付けている相手は、隊長格と団長くらいである。寧ろ、団長には頻繁に念話をしており、団長も律儀にそれに付き合うため、隊長たちの間では、団長と一番長く話しているのはリクではないか、と言われている。
スタークが使った魔法は、地属性の探知魔法だ。
この魔法は術者の力量にも拠るが、周囲の地に繋がる物を探知する。つまり、浮いていなければ何処に何があり何かいるかどうか分かる。
スタークは更に、誰がいるのかも大体分かる。曰く、体重や足の大きさ、重心、歩幅などで予想がつく、らしい。集中すれば更に地を振動して伝わる音も拾えるらしく、五番隊の隊員は基本、全員がこの魔法を使える。精度に差はあるが。
「みんなおはよー!今日も元気?お仕事がんばろー!」
そう言ってスタークの左肩に座るような形で入室してきたリク。朝から元気いっぱいだ。
リクの歩く椅子となっていてるスタークは、やや呆れ顔。自然な動きで、サイの座る席に身体を向ける。
必然、リクもそちらを向く。その瞬間、リクがスタークの肩から音もなく降りる。そして、トタトタとサイの元へ。真面目な顔して口を開く。
「おはよう、さっちゃん。良い朝だね!それと、遅れてごめんなさい。スタークもありがと。」
そう言ってサイからスタークへと視線を移す。サイも、おはよう、と返して微笑んでいる。
どうやら、この部屋で今一番怒らせてはいけない相手に最初に謝ったらしい。
四番隊副隊長のカイルがリクの登場からここまで、焦ったり青ざめたりホッとしたりで忙しい。
ススっとリクへ近付き、朝の挨拶をした後、席へ案内する。
リクが座ると、すぐに紅茶と茶菓子が置かれる。今日の茶菓子はラングドシャのようだ。量も少ない。朝食後だからだろうか。
「すまねぇ、遅くなっちまった。大寝坊だ、大寝坊。」
だっはっは、と笑いながら謝り入室して来たのはガイア。ここまで豪快に笑いながら謝られると、仮に怒っていても気勢を削がれる者もいる。開き直り、とも言うが。
昼食後には珈琲を振る舞うと約束している辺り、お詫びの気持ちもあるのだろう。
遠征から帰った次の日だ。疲れが残っていて当然で、そもそも誰も怒っていない。呆れた顔をした者はいるが。
一番隊の"親父"こと副隊長のダストンなどは、大きな溜め息を吐いている。
隊長がそれぞれに席に座り、思い思いの行動をしていると、徐にスタークが立ち上がり、会議室の扉へと向かって膝をつく。
他の隊長もそれに倣い、副隊長も続く。
全員が膝をついたと同時、会議室の両開きの扉が開く。入ってきた人物は白銀の長髪を蒼の髪紐で緩く縛り、おはよう、と漆黒の目を細めて笑いながら言い歩く。ドラグ騎士団団長、ヴェイル・ドラグその人だった。
後ろには執事のセトが続く。
団長の手振りで、膝をついていた全員が立ち上がり、団長へ朝の挨拶をした後、セトとも挨拶を交わす。
この会議室は、隊長だけで行う会議ではなく、副隊長も含めたり、時には議題に関わる部署の代表者も同席するための部屋だ。
そのため、団長の席を上座として、団長の左右を部屋の奥から入口へと真っ直ぐ長机が二台置かれている。各隊長がその長机につき、その斜め後ろに副隊長が書き物をする小さな机と椅子がある。基本的にどの副隊長も現在は使わない机と椅子だが、団長はいつも、楽にしていいよ、と声をかける。座らず隊長の後ろに立って控えるのは、副隊長たちの意志である。
「遅れてごめんね。今日は朝の紅茶がなんだか何時もより美味しくてね。思わずゆっくりしてしまった。さて、始めようか。昼までに終わらせて、昼食を一緒に。どうかな。」
隊長たちは笑顔で頷く。そして全員同じことを考える。
遅れた言い訳は嘘で、おそらく、リクとガイア、特にガイアが遅れているのを気配か魔法かで知り、敢えて遅れてきたのだろう、と。二人に遅刻の謝罪をさせないために。
普段は時間きっかりに会議室に現れる団長が、今日だけ遅れるなんて事はあり得ないのだ。
ガイアは申し訳なさを感じながらも、此方にもバレているのを承知で嘘をついた団長の気遣いを無駄にしない様、顔には出さずにいた。
きっとその感情も、ここにいる全員にバレているのだろう。
それがなんとも恥ずかしく、また心地よいガイアだった。
「じゃあ、この辺で良いかな。今代がいつまで王位を持つか分からないけど、王位継承と同時にこの国との契約は終わり。それで決定。他の件もさっき決めた通りで。」
団長がそう言ってから紅茶を飲み、次いでアズとガイアを見る。
それから首を傾げて質問する。
「二人とも、昼食は何処で何を食べたい?とりあえず副隊長の二人も含めて四人の意見を聞こうかな。」
夜は二隊の帰還と勝利を祝う宴会がある。団内では祝会、と呼ばれる。ただ飲んで騒ぎたい宴会ではなく、何か祝い事がある時に祝会が開かれる。
そのため、昼は別に特別祝わずとも良いのだが、単純に団長が皆と食事をしたいだけだった。
アズとガイアは顔を見合わせ、そして各々後ろに立つ副隊長に視線を移す。
副隊長はどちらも頷くだけで、ガイアとアズに任せる、という事だろう。
「では、スタークのところの屋外、でお願いします。」
アズが代表して告げる。
スタークのところというのは、スタークの菜園の事。屋外は菜園の横にある、屋外炊飯場と呼ばれる一角のことだ。
これは、スタークが団長の許可を貰い菜園を造った頃、それを見た団長が、この野菜や果物を皆で食べたい、どうせなら外が良い、と魔法でサクッと作ったものだ。
石のベンチとテーブルが並び、テーブルの中央には日除けのパラソルが差し込める穴が空いている。
また、レンガの調理台も何台か設置してあるため、各自で焼いて食べたり、大きな料理をする事も可能だ。
最初は小さかった屋外炊飯場も、騎士団員が増える毎に少しずつ拡張し、今では全員で食事をするのにも使える。
基本、夕食は任務等がない場合は決まった時間に食堂ホールへ集合し、全員で食べる。特に規則があるわけではないが、時間帯が重なるため、皆集合する形になる。
宴会で使われることが多いのが、屋外炊飯場だ。
今夜は食堂ホールで祝会の予定だ。であるからこその屋外炊飯場というアズの提案であった。
会議室を出て、片付けをしている副隊長を除き、隊長と団長、そしてセトが屋外炊飯場へと向かい歩く中。
一番前を歩く団長のヴェイルが、スタークへと話しかける。
「スターク、今朝は何か採れたかな。新鮮な野菜を使って何か作りたくて。」
どうやら、ヴェイルも何か作るつもりのようだ。
「そうですね。最近随分と暑くなりましたので、瓜やトマトが実っておりましたよ。今朝の収穫は各隊各部署の新人騎士が行っているはずですので、私がするより多少時間がかかっているはず。本当に採れたてのタイミングになります。」
スタークが答えた内容に、ヴェイルは満足そうに微笑む。
ガイアの好きなカレーにしようか、夏野菜で。などと呟きながら歩くその背中に、リクの、私もカレーすき!でも甘いのがいいな!と声がかかる。
あらあら、と上品に笑いながら言うサイも加わり、カレー好きのガイアも、辛いものが苦手なリクを揶揄いながらも賛成する。
ただただ嬉しそうに微笑むアズが続き、スパイスを準備して参ります、と厨房の方へ消えるセト。
騎士団の結束力の強さは、こうして育まれている。
きっと、副隊長から話を聞いた他の隊員も、今日はホールではなく屋外炊飯場に集まるのだろう。
早飯で昼から任務の者は嘆いたかも知れない。
ヴェイルは偶に、団員からせがまれて料理を振る舞う。それ程に餌づ…、好み求める団員が多い。
スタークの菜園で自分で収穫した野菜や果物を、そのまま団長室へ持って突撃するリクの姿がよく目撃される。
その後リクは、ヴェイルに作ってもらった料理や菓子を、趣味の散歩の時に出会った団員に配る。もちろん、自分の分は多くはないがしっかりと確保している。殆どは団長と共に食べるのがリクの好みなのだ。団員の中ではこの突発的なイベントを、リクに倣って"幸せのお裾分け"と呼んでいる。
お読み頂き有難う御座います。山﨑です。
登場人物が増えて参りましたが、頻出のキャラクター以外は立場が分かるよう書いていくつもりです。ご意見、ご感想等御座いましたら、コメントを寄せて頂ければと思います。
また、飲み物や食べ物、人物についての表現が入るお話ですが、現実と違う場合は、そういうものか。と納得するか、ガイアの様に深く考えず、豪快に笑って頂ければ幸いです。