38話
お読みいただきありがとう御座います。山﨑です。
今回、ほんの少しアダルトな表現を含みます。
ドラグ騎士団の様子は一切描かれておりませんので、アダルトな表現が苦手な方はこのまま次のページへとお進み頂くか、次の更新をお待ちください。
ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願い致します。
「アルフォンス!まだなの!?」
貴族街にある立派な屋敷に若い女性の金切り声が響く。アルフォンスと呼ばれた執事が、頭を下げて謝る姿があった。
そこは屋敷の奥、家人のプライベートスペースの一つ、令嬢の私室だったが、屋敷中に響き渡ったのではないかと思うほどの声量で叫ばれている執事。至近距離で叫ばれては執事の鼓膜を心配したくもなるが、執事がダメージを負っているようには見えない。いつもの事だからであろうか。
「未だ連絡は御座いません。既に試験は終了している刻限かと思いますので、最終試験まで残ったと仮定致しましてもそろそろ報告があがる頃かと。」
ヒステリックに叫ぶ令嬢と、冷静な執事。対称的な二人だが、令嬢がこの執事を気に入っておりいつも側に侍らせている。
部屋には他の侍女もいるが、皆一様に壁と同化する勢いで気配を消している。令嬢がこの様子では、自分に飛び火する可能性がある。それだけはなんとしても避けねばなるまい。
「もう良いわ。お茶を淹れて頂戴。それと、中央通りのケーキ屋のケーキも持ってきて。」
今は夜だ。ケーキ屋など閉まっているに決まっている。しかし、ケーキが無いとなればまた令嬢が怒り狂うのは分かっている。こんな事はいつもの事で、使用人たちは心得たものだ。直様厨房に連絡が行き、中央通りのケーキ屋のケーキに似たケーキが出される。これは、令嬢が気に入った店の店員を引き抜いて屋敷で雇用しているからこそ出来る裏技である。
しばらくして令嬢がまた怒り狂いそうになる頃、令嬢の私室にケーキが届く。
いつだったか、令嬢が夜中に名店のケーキが食べたいとごねた事があった。その時もこうして、名店の店員が引き抜かれていたため事なきを得たはずだった。しかし、令嬢が気紛れを起こしたのか、使用人に聞いたのだ。
"あら、わざわざ店の者を起こして作らせたの?貴方、やるしゃない。"
令嬢が気に入った店の店員を、屋敷に引き抜き雇用しているのは令嬢の両親である。故に、令嬢にはその情報は伏せられている。そう、我儘を言う度に使用人が買ってきていると思っている。
その時は使用人が誤魔化したが、この様な事が起こる度に使用人一同ヒヤヒヤとする事になった。
「流石中央通りに店を構えるだけの事はありますわ。明日で構わないから、パティシエを褒めておきなさい。」
言われた侍女は頭を下げてから壁まで退く。以前紅茶を淹れた際、不味いと言って紅茶を頭からかけられた記憶がある侍女は、基本的に令嬢に対して口を開かない。令嬢も、この侍女がどんな声をしているか等覚えていない。
「アルフォンス、まだ連絡はこないの?遅すぎるわ。あぁ、待ちきれない。そうだ、あの二人が戻ったら処分しておきなさい。仕事もまともに出来ない者はわたくしの下には必要ありませんわ。」
執事も頭を下げた。
「お嬢様、あの二人から連絡が御座いましたら起こしに参りますので、どうかもうおやすみください。寝る時間を過ぎております。」
顔を上げた執事がそう言うと、令嬢は分かりやすく眉間に皺を寄せた。そして紅茶を飲み干してからたっぷり十秒ほど黙った後、分かったわ、と小声で呟いた。
その声を合図に、一斉に侍女が動き出す。既に湯浴みは済ませてあるため、着替えるだけだ。執事は男性であるため部屋から退室し、こっそりとため息を吐いた。
それから執事が向かったのは、この屋敷の主の下である。
「遅かったな、アルフォンス。オルテンシアは寝たのか?」
壮年の男性が執事へと話しかける。執事は頷いてから報告をする。
「して、オルテンシアが放ったという密偵は帰ってきたのか?…いや、その様子からしてまだなのだろうな。然もあらん。私が何度放っても一人も帰ってきておらぬからな。まぁ、目的が違う故、今回は可能性があると踏んだのだが。」
執事は黙って男性の話を聞いている。男性が一度黙ると、全ての音が聞こえなくなる。ただの静寂がこんなに緊張を強いるものだっただろうか、と執事は考える。令嬢の側にいて静寂など無い生活をしていると、どうしてもこういった場に緊張がある。
「今回は寄り子の貴族も動かしたらしいな。それに関しても同様か?」
男性は、娘であるオルテンシア嬢が父親の寄り子を使ってまで情報を集めていた事を知っていた。当主である故、当然と言えば当然だった。
執事は一言、はい、と言うのみ。当主は執事の蒼の長髪とコバルトブルーの瞳に、令嬢の執念を感じる。自身にとっても都合が良い事であるため放置するか偶に手を貸したりもしている。当主としては、娘がこの執事で満足してしまわないか危惧もしていた。しかしその様な様子も無く、この執事が娘の側に就いてからは寧ろ、娘の精神が安定してきたように思う。更には執事としての仕事ぶりも完璧だ。娘が本懐を遂げた時は、自身の執事にしてしまえば良いとまで考えている当主だった。
一日の報告が済んだ時、当主の執務室の扉がノックされる。どうやら、当主ではなく執事に連絡のようだ。令嬢が呼んでいる、と。行ってやれ、という視線を当主から受けた執事は、当主に頭を下げてから退室し、連絡を持ってきた侍女に様子を聞く。それを聞いて進路を変更した。
「失礼、夜分遅くにすまない。まだ起きているか?」
灯りが消えた令嬢の部屋に、ノックの後すぐ扉が開いて侵入する人物が一人。当然、扉の前には警備の兵がいるため通常ならこの様な事は起こらない。しかし、いつもの事なのか兵はその人物をすんなり通す。
「えぇ、起きていますわ。こちらにいらして?」
天蓋付きのベッドから令嬢の声が届く。侵入者だと言うのに、待っていたかのような反応を見せる令嬢に、その侵入者はベッドの近くまで寄り、天蓋越しに声をかけた。
「仕事終わりでそのまま来たんだ。綺麗なベッドを汚せないからね。僕はここで良いよ。」
侵入者がそう言うと、天蓋から垂れるレースが開き、寝間着姿の令嬢が顔を出す。
「つれないことを言わないでください、"アズール様"。今日はわたくしの事を名で呼んでくださらないのですか?」
上目遣いで侵入者"アズール様"を見上げる令嬢。そこには、二番隊の隊服を模した服を着た執事アルフォンスが立っていた。
「意地悪を言わないで、オルテンシア。今日もこうして君に会えて嬉しいよ。君はいつ会っても女神のように美しい。会うたび君に心が奪われていくのが分かってしまう。僕の心を弄ぶ君は、悪戯好きの妖精のようだね。」
執事の言葉に頬を朱に染め、恋する乙女のようにしおらしくなる令嬢。普段の姿からは想像の出来ない姿だった。
令嬢は手を伸ばし執事の手を掴む。そしてそのままベッドへと引き摺り込んだ。
「さっきも言ったじゃないか。仕事帰りだから汚れてるって。君のその美しさを僕の汚れで侵したくないんだ。」
側から見れば執事が令嬢を押し倒しているようにも見える光景だが、令嬢が執事の腕を引き自身でベッドに倒れ込んだだけである。
そのまま手を執事の後頭部に移動させ、頭を引き寄せ口付けをする。それはまるで、高級娼婦のような淫らさと年齢特有の初心さが合わさった、見るものが見ればのめり込んでしまう魅力があった。
最初は軽い口付けだったそれも、次第に熱い濃厚な口付けへと変わっていく。
「アズール様、わたくしを満たしてくださいませ。」
耳元で囁くその言葉も、抱きしめる腕に込める力も、その全てが令嬢の愛に満ちていた。熱い夜は令嬢と執事ではなく男と女を溶かしていく。
結局、執事が部屋を出たのは日が昇る少し前、時刻は午前四時を少し過ぎた所だった。
「お疲れ様です。」
部屋を守る兵から同情と嫉妬が混ざり合った視線を受ける。執事はそれに笑顔で、お疲れ様です。と返す。
令嬢は美人だ。年齢も、次期当主と離れているためにまだ十代である。それ故に扱いが難しいが、慣れれば何と言う事はない。そんな美少女と言える令嬢の夜伽に嫉妬し、しかし自身ではなく他人に成りすましての行為に同情か、と兵の心情に当たりを付けながら自身の部屋へと向かう。まずはこの格好を着替えなければ。
湯浴みを済ませて令嬢が起きるまでに済ませなければならない仕事もある。
令嬢が執事を呼ぶ時は、何かしら拗れている時だ。つまり、中々機嫌が治らない。つまり、夜伽で満足するまでに時間がかかるのだ。どれだけ早く令嬢を満たす事が出来るかだけを考えているため、執事の体力もかなり限界だ。
それでも今日があと少しで始まる。毎日では無い事が唯一の救いだが、それでも大変なのは変わらない。
カルム公爵家令嬢、オルテンシア・ラ・カルムには困った習慣があった。それは、ドラグ騎士団二番隊隊長アズールを愛するがあまり、自身の執事に蒼い長髪でコバルトブルーの瞳を持つ者を据えた事。そして、その執事を常に侍らせ、遂には二番隊隊服に似た服を作らせ、それを執事に着せた。最初はそれで満足していた令嬢も、次のステップとして執事にアズールの言葉遣いを叩き込んだ。と言っても、令嬢はアズと殆ど話した事が無い。よってそれは令嬢の想像の産物でしかないのだが、執事は素直にそれを身につけた。
他の使用人達は、執事に同情の視線を送る。執事は人当たりが良く、他の使用人達とも仲良くしていた。令嬢からの無理な要求にクビを覚悟した使用人も、執事に庇ってもらった者が多い。執事は令嬢からも使用人からも求められる存在になっていた。
こうして夜伽に呼ばれるようになったのは最近の事だ。以前、本部がダメなら支部を、と密偵を支部に送り、アズの服を盗ませようとしたが失敗した。執事がその後、ならば似せて作れば良いのでは、と進言した事により本当に服が作られた。令嬢の就寝後に突然呼ばれる時、執事としてかこの服を着てなのかはその時による。よって、自分を呼びに来た侍女から様子を伺い、その都度判断して格好を決める。この判断が外れた事がない所を見るに、執事の優秀さが伺える。
朝、まだ眠そうな令嬢が屋敷の食堂へ姿を現す。そこには、カルム公爵家当主、夫人、令嬢の兄である次期当主が既に揃っていた。
「オルテンシア、おはよう。昨日は夜更かししたのかい?オルテンシアの美しさを保つためにも、夜更かしは良くないよ。」
次期当主の青年がオルテンシアへと声をかける。令嬢は小言には反応せず、朝の挨拶だけ返してから両親へ挨拶をする。
令嬢が席に着いたと同時、朝食が給仕される。貴族の朝食は、客がいる時とそうでない時で大きく変わる。この日は客人はいないため、一度に食べ切れる量が給仕されているが、客人がいる時は食べきれない量を出すのがマナーだ。普段から食べきれない量を並べる貴族もいるにはいる。残りは使用人が食べる家もあるし、全て廃棄する家もある。カルム公爵家は見栄とプライドは高いが、無駄な事も嫌う貴族だった。
よって、朝食は食べ切れる量である。
食事が済んだ頃、それまで食事の音しかなかった食堂に、令嬢の声が響いた。
「お父様。一つ聞きたい事があるのですが。」
「なんだ?」
令嬢の言葉に疑問を持ちつつ、すぐに返事をする当主。
「ドラグ騎士団を護国から解任し、国王陛下に退位を迫り王太子殿下を王位に、という計画は本当ですか?」
何故娘がそれを知っているのか、と疑問に思う当主。次期当主の息子には話してあるし、貴族の夫人たちを纏める意味でも妻には動いてもらったため、夫人も知っている。しかし迂闊な行動を取られては困るため、令嬢には話していなかったのだ。
「なぜお前がそれを知っている?」
「勿論、調べさせたからですわ。それより、わたくしが気になっているのはドラグ騎士団の進退ですわ。護国の立場を追われては、わたくしがアズール様と婚姻を結ぶのに難が出てしまいます。ただでさえアズール様は平民出身。わたくしと婚姻を結ぶには護国騎士団の隊長、という肩書きが必要になるのです。ドラグ騎士団を衰退させる訳にはいきませんわ。」
令嬢は自身の目的には一直線だった。だからこそ、こうして情報収集を欠かさない。と言っても、事前に当主から明かされていた執事が"アズール"として昨晩ベッドで令嬢に伝えたから知っているだけだ。
「ふむ。ならば、ドラグ騎士団を解体した後、二番隊隊長を国軍で雇用すれば良い。そのままどこか攻め込んだ時にでも功績を立てさせ、隊長なり何なりにすれば良い。そうすれば騎士爵くらい貰えよう。その後も功績が立てられるようなら、爵位が上がる。それでは駄目なのか?」
解決案を提示する当主。仮にも宰相だ。昔は外交官だったこともあり、頭の回転は速い。
「いえ、わたくしがアズール様と婚姻を結ぶ事が出来るのなら何でも構いません。お父様もお母様も、今更文句は無いですわよね?」
令嬢の言葉に、当主と夫人はやれやれと肩を竦めるのだった。




