290話
建国記念祭の只中に行われた、騎士学校と魔導学院の交流試合。残すはそれぞれの部の決勝戦だけとなった今、大闘技場では全ての観客が舞台に視線を集め、滅多に無い盛り上がりを見せていた。
個人の部の優勝者が決まる合図が審判から叫ばれれば、観客は惜しみない拍手と歓声を贈る。熱い声援を一身に受けて優雅な礼をしてみせたのは、魔導学院で一、二を争う実力を持つスピア公爵令嬢その人であった。
「エリアーナ様ぁ!素敵です!」
「結婚してください!」
「流石は公爵家!カッコよかったです!」
実に様々な声が上がる中、堂々とした姿で下げた頭を上げる。薄く微笑むような彼女の表情に、観客は更にボルテージを上げた。
魔導学院の生徒同士の決勝戦となったが、対戦相手の生徒がズタボロになりずぶ濡れとなっているにも関わらず、エリアーナはまるで着替えたばかりかのように皺一つない制服姿である。ここに大きな実力差を感じるが、彼女とてこれで満足している訳ではない。己の認めた小さな友人、カリンが対戦相手に含まれていないからだ。
なぜカリンが出場していないかと言えば、本人にやる気がなかった事に加え、ヴェルムから出場を見送るように言われたという理由が強い。
今回の交流試合では、エリアーナこそが若い世代の頂にいるのだと知らしめる必要があったからだ。その理由としては、単にヴェルムがカリンの友人ならばそのくらい出来なければ、という発想を持ったからに他ならない。
親代わりとはいえ立派な親馬鹿、否、馬鹿親になっているのは事実だろう。だがそれすらも分かった上でそう言っているヴェルムに対し、尚の事質が悪いなどと言える者もいない。いるにはいるが、その者たちもヴェルムと同意見なのだから手に負えない。
そのようにして、まるで敷かれたレールを走るようにエリアーナの優勝が決まった。騎士学校の生徒も準々決勝までは駒を進めたものの、今年の魔導大会の個人戦を観た生徒達が熱意に溢れ、交流試合のためではなく個人技術の向上の為に連日訓練施設を満員にしていた事が、ここに来て魔導学院の独壇場という結果を齎すことになった。
騎士学校の名誉のためにも言うが、決して彼らが怠惰な生活をしている訳でも、弱い訳でもない。魔導学院に天才がおり、明確な目標が身近に生まれたが故の差である。
そんな個人戦の決勝が終わった頃、会場である大闘技場の外では、静かでいて確かに問題が起こっていた。
「侵入者を一名確保。所持品に煙幕の魔道具を確認。」
「ご苦労。一番隊に引き渡してから持ち場に戻ってくれ。」
大闘技場の正面入口とは反対にある、貴族が出入りする通用門近く。現在はアルカンタにいるほぼ全ての貴族が大闘技場内にいるため、閑散としており人気がなかった。
そこで報告を受けていたのは五番隊隊長のスタークである。スタークは一番隊、二番隊、そして四番隊と協力して警備に当たっており、五番隊の役目は密かに静かに不審者を取り押さえることであった。
当然ながら隊の全員が来ている訳ではない。そこまでの人数はいらないからだ。中隊だけ連れてきており、小隊に分かれて周辺に忍び警備を行っていた。
スタークの視界から消える隊員を横目に、スタークは真剣な様子で考えをまとめ始める。顎に手を当てて考えるのは彼の癖だが、それでいて隙は無く、周囲の警戒は怠っていない。武人としての生き方が身に染みついた習性だろうか。
今回の警備では、一番隊と二番隊を主軸に四番隊と五番隊が補佐という形で就いている。これは民からの絶大な人気を誇る一番隊と二番隊が表の警備を担当し、万が一にも怪我人が出た際に四番隊が動き、それ以外の怪しい者を五番隊が捕えるための布陣である。
五番隊の中でも目立ちたがりな性格の者もいるが、任務とあればそれに不満を持つことすらしない辺り、五番隊の訓練の厳しさが窺える。組織である以上、必要以上に個を出すと崩壊に繋がるというのは当たり前の事だろう。何より、ドラグ騎士団には最も尊ぶべき存在がいる。そこがブレなければ任務に否やは無い。
そんな目立たない五番隊だが、実のところ一番忙しくしているのは五番隊だった。
一番隊や二番隊は、その存在自体が民にとって強い憧れであり、不埒な考えを持つ者も彼らが警備しているだけでその意欲を無くす。つまり、その場にいる事自体が抑止力となっているのだ。そうなれば四番隊の出番も無いに等しい。混雑によって出た怪我人が数人治療を受けたが、その程度である。
そして、五番隊が悪意を持った侵入者を捕縛するのだが、何故かその人数が多い。既に交流試合開始から様々な不審者を捕縛していた。
「隊長。捕縛した侵入者の一人が目的を吐きました。どうやら北の国からの間者のようです。」
「北の国?今も観覧席にいるだろう。確か大臣格の者だったか。」
部下からの報告に片眉を上げたスタークが、思い出したように言う。確かに北の国からは建国記念の祝いとして使節団が訪れており、統治者が変わったばかりの北の国から来たとは思えない程に盛大なパレードを行っていた。グラナルド上層部は、だからこそ派手なパレードを行う事で北の国が安泰である事を主張する目的があると読んでいるのだが。
「隊長。こちらはグラナルド貴族の手の者でした。東の国との交流を邪魔したい者のようです。」
また別の隊員が報告に現れる。それを聞いて盛大なため息を吐きたい衝動に駆られるスタークだったが、すんでの所で堪える事に成功する。部下の前で弱い姿を見せる訳にはいかない。ため息を飲み込む姿を頷きに変え、スタークは厳しい表情のまま次の指示を出す。
「分かった。引き渡しが済んだら配置に戻れ。」
指示を受け音もなく去っていく部下を見送り、今度こそ静かにため息を漏らす。様々な侵入者が既に捕えられているが、まだまだ終わりそうにない。確かにこの交流試合はこういった者を炙り出す目的があったが、何もここまで釣れなくても良いではないか。今は大陸が色々と動いている時期だけに、一見平和なグラナルドにも火の粉が降り掛かるのは仕方がない事だろう。だとしても、また平和な日常が戻ってこないかと懐かしむ気持ちになるくらいには今日が忙しい。
「隊長。エルフ族の侵入者を捕獲致しました。」
「本命が来たか。尋問は私が行う。何処だ?」
「待機所に。」
「よし、向かう。」
スタークの願いを嘲笑うかのように部下の報告が入ると、スタークは瞬時に切り替えて反応を返す。待っていましたと言わんばかりのその反応は、実に彼がそれを待っていた事を如実に述べていた。
現状、ドラグ騎士団が取り扱っている事件の中でも大きなものがエルフ族の問題である。魔導大会の際もエルフ族が侵入してきた事を鑑みるに、この交流試合でも忍んで来るのは分かっていた事だ。前回は生徒達に危害を加えられる手前で処理したが、今回は他国の重鎮も集まる大闘技場での事。国王からも国際問題にする許可は出ており、それだけにこの侵入者がエルフの里からの不法侵入者であると証明しなければならない。
スタークは久々となる尋問に、肩の骨をポキリと鳴らした。
「アズール様!こちらにいらしたのね?」
スタークが気合を入れ直していた頃、大闘技場の某所では二番隊隊長のアズが貴族令嬢に捕まっていた。アズには女性不信な部分があるが、それでも顔がヒクつきそうになりながらも懸命に取り繕ってからその声に振り返る。ドラグ騎士団の者が見れば、それは笑われてしまう程に不恰好な笑みだったが、令嬢には関係ないらしい。アズに向かってきていた歩みを止めて、ウットリと光悦の表情を浮かべている。
「どうかなさいましたか、ご令嬢。貴族の観覧席への道は彼方ですよ。」
笑みを浮かべるだけで精一杯なアズを庇うように、副官が前に出る。暗に迷子かと問えば、ウットリしていた令嬢は一瞬で表情を変え、まるで般若か何かの様に鬼気迫る勢いでズンズンと歩み寄ってきた。
怖い。来ないで。
アズはそう思ったが声は出ない。アズの女性不信は特に貴族令嬢に対してが酷くなる。アズ自身平民である事と、権力を振り翳して物を言う女性に抵抗感があるからだ。
街の女性達も苦手ではあるが、貴族のように香水臭くもないしネットリとした視線を向けてくる事も少ない。何よりドラグ騎士団に対する尊敬があるため、あまりにしつこい行動は周囲が注意してくれる。
だが貴族はダメだ。既に処刑されグラナルド貴族からも名前が抹消されているが、元公爵家であったご令嬢がトラウマの原因になっている事は否めない。何せ、アズによく似た容姿の執事を連れ回し、アズの隊服を盗む為に本部へと侵入者を送り込む程の執着を見せていたのだから。
「隊長、お下がりを。私が対処する間、黙って立っておくかガイア隊長を呼ぶかしてください。隊長ならガイア隊長が何処にいるかすぐに分かるでしょう?」
ボソッと小さな声で言う副官が、途轍もなく頼もしく感じる。情けないが今のアズに出来ることはない為、大人しく念話魔法を繋ぐ事にした。なけなしのプライドがあるため、この場を離れるという選択肢はなかった。
「誰よ、貴方。私が誰だか分かってるの?良いからそこを退きなさい。私のアズール様を隠さないで頂戴。」
アズ達の近くまで来た令嬢は、金銀散りばめられた扇を畳んで口元に当てながら偉そうに言う。貴族であるため事実偉いのだが、それはこの令嬢の父親もしくは母親の事である。彼女は貴族家を継ぐ訳ではないだろうし、近い将来嫁ぎに行く事になるだろう。その嫁ぎ先によっては更に偉くなるかもしれないし、そうでないかもしれない。だが一般的に見て平民でしかないアズや副官にとって、どちらにせよ令嬢が偉いのは確かだった。
しかし、副官は心が強かった。ドラグ騎士団にいる者はほとんどがそうだが、相手が貴族だろうと国王だろうと関係ないと考える者は多い。そして副官もそうだった。
「失礼。我が隊長に御用でしたら、副官の私を通してください。今二番隊は職務中です。職務に関係ない御用でしたらお引き取りを。」
身体の大きな副官がアズの前に立てば、平均より少し大きい程度のアズは令嬢からほとんど見えないだろう。この副官、最も得意とするのは守護と治癒。護衛任務などを任せれば対象を傷ひとつなく護る事が出来る優秀な人材である。
魔物でも盗賊でもない令嬢からアズ一人護る程度、造作もない事であった。
「あ、貴方、私が誰だか分からないの!?私のアズール様の横に立つなら、私の事くらいすぐに分かりなさいよ!」
迫力ある圧を見せる令嬢だが、貴族の常識として未婚の女性がみだりに男性に触れてはいけないというものがあるためか、副官を物理的に排除しようとはしない。回り込もうとすればその分だけ副官がアズを隠し、令嬢は外側にいる上副官よりも足が短いため追いつけない。然りとて、副官も貴族に手を上げる訳にもいかずこう着状態となっていた。
だがそんなアズと副官の下に、救いの天使は訪れた。
ガイア、ではない。もっと強き者だ。
「あら。騒がしいと思ったらアズ、あなたこんな所で何してるの?」
複数の部下を連れて歩いてきたのは、ドラグ騎士団四番隊隊長のサイサリスその人だった。
「サイ…!その、すまない。」
アズは助かったと思う反面、サイの言う通りこんな所で何をしているのか、と自省する。獣人族であれば耳が垂れ下がっていたであろう程にシュンとした様子のアズを見て、サイは穏やかに笑う。その笑みは慈愛に満ちており、仕方ない子ね、とでも言いたいようだった。
「だ、誰よ!」
アズとサイの会話に割り込んだ声に、その場の誰も反応しなかった。アズの副官は未だ令嬢に対して警戒をしているが、サイ達四番隊の面々は令嬢など視界にすら入っていないようだった。
アズとの会話を優先しているだけのサイはともかく、四番隊の隊員は令嬢の動きに多少の警戒は残しているようだ。しかしその意識をほとんど周囲に向けており、治療班だとしても会場の警備に気を抜く理由はないと言わんばかりだ。その事からも、アズは一人の令嬢に捕まった程度で本職を疎かにしてしまった事を悔いているのだろう。サイからは責められているようには感じていないが、その事実に気付かされた事で己を恥じているようだ。
「ちょっと、私を無視して話続けてるんじゃないわよ!後から出て来て何?アズール様を渾名で呼ぶなんて失礼だわ!」
令嬢はサイの事を知らないらしい。よく見ればデビュタント前の子どものようである。とは言っても、グラナルド貴族は平民に比べ魔力が多い傾向にあり、その分だけ身体の発達も早い。見た目は既に若い女性と言っても過言ではない令嬢が、社交界に出ていないが故にサイを見たことがないのも仕方がないだろう。尤も、サイもそう頻繁に社交界へ顔を出している訳ではないが。専らヴェルムやガイアのパートナーとしてしか出ていない。
そんな令嬢の騒がしさに、やっと優先順位を変えたらしいサイ。スッと視線を令嬢に向けると、ドラグ騎士団の敬礼でもってまず礼を見せた。
「失礼。我が団員は職務の最中なの。…あら、お嬢さんは確か、子爵家の方だったかしら。名乗りもせずに御免なさいね。ドラグ騎士団四番隊隊長、サイサリス・ブルームよ。お嬢さんのお名前は?」
国内一の美女との呼び声高いサイの微笑みと共に向けられる興味の視線。ただそこにいるだけで女神だなんだと持ち上げられるその存在が目の前にいるのは、仮に初見だろうと子どもには荷が重いに違いない。令嬢は信じられない物を見たとばかりに目をパチクリと開閉しており、礼も忘れてただポカンとするだけだ。
「今お嬢さんの親御さんに連絡を入れたから、もうすぐ迎えが来るわ。安心してね。」
何も言わない令嬢に、サイはニコリと微笑んで告げる。それは手洗いにと言って観覧席を離れた令嬢にとって都合の悪い言葉だった。
「…なっ!嘘をつかないでくれる!?何もしてないのにどうやって家族に連絡なんて取るのよ。嘘やハッタリにしても質が悪いわ。」
少し冷静に考えれば分かる事。そう言わんばかりに胸を張って、先ほどの動揺を包み隠す。貴族だって人を呼ぶ時は使用人を使うのだ。平民がそんな瞬時に家族を呼び出せる訳がない。そう思って言った言葉だったが、令嬢にとって予想外な事に、サイは狼狽えも怯みもしなかった。
「お嬢さん、魔法って知ってるかしら。」
「し、知ってるわよ!馬鹿にしてるの!?」
勿論、貴族でなくとも魔法くらい知っている。だが本格的に学んだ訳でもない令嬢は知らない。念話魔法という存在を。
「魔力探知と念話魔法。この二つでこの会場内であれば簡単に人探しは出来るものよ。例えばほら、そこに隠れているのはお嬢さんの侍女かしら?」
「…え?」
サイがそう言って方向を示せば、令嬢は素直にそちらを見る。その先には、確かに侍女らしき女性が心配そうに令嬢を見る姿があった。
「アンナ!」
「お、お嬢様!」
そしてその女性は確かに令嬢の侍女であった。サイがこの場に来た時には既にそこに隠れており、おそらくだが最初から令嬢の動きを見守っていたのだろう。アズに声をかけるところまでは出来たものの、まごついている内にサイまでやって来て心配している様子だった。
しかし、サイが連絡を取ったというのはこの侍女ではない。その証拠に、この場へ近付く集団がまた一つ。
「何をやっている!」
「…え、おとうさま…?」
令嬢の父である、子爵家当主である。貴族は一人で出歩いたりしないため、側に執事らしき男性や使用人もいる。その姿を見て令嬢は観念したようだった。




