288話
「ほう!あの学生、良い着眼点で魔法を使うな。是非宮廷魔導士に欲しい!」
貴族が観戦も程々に貴族としての仕事をする中、貴族用の観覧席からほど近い宮廷魔導士用の観覧席では、二通りの反応が見られた。
魔導学院の生徒が魔法を使うたびに興味深そうに見る者。魔法の練度についてじっくり観察する者。若い世代の独特な着眼点で工夫された魔力運用に興味を示す者。そして。
「あぁ…、この程度なのか。残念だ。実に残念でしょうがない。もっと私の目を、脳を、刺激で満たす魔法を使う者はいないのか…!」
少し、否、随分と頭がおかしい者もいる。しかし宮廷魔導士と言っても、その実態は研究者。魔法を戦闘用に特化させて使用する者は主に軍部や冒険者にいるため、彼らは専ら魔法大国としての名を更に高めるための研究に精を出している。
研究者とは須く一般人と感性がかけ離れている、と言っても過言ではないのは、残念ながら事実である。その証左として、この宮廷魔導士の他にも同じような感想を抱く者は多く、生徒を興味深く観察する者達ですら、その目は魔法にしか向いていない。その術者に対しては取り立てて興味など無く、まして試合の結果など最初から興味を向けられてすらいない。
職業病、と言ってしまえばそこまでではあるが、全力で試合に臨む生徒も、まさかそんな目で見られているとは思ってもいないだろう。魔導学院の生徒にとって、宮廷魔導士とは夢の職業である事に間違いはないのだから。
はたまた、更に貴賓席の一つとして準備された区画では、国軍の上層部や退役した元将軍などが招かれている。そこでは少し冷ややかな空気が流れており、その原因は言わずもがな交流試合の結果にあった。
「また学院に負けたのかっ!今の若いもんはなっとらん!なんじゃ、あの無様な剣はっ!儂の若い頃は…」
杖の先に両手を置き、大きく開いた足の間に立てている老人。杖を使っているとはいえ真っ直ぐに伸びた背筋は美しく、老いてなお衰える事を知らない筋肉がその身を鎧の如く包んでいる。
頭頂部は寒々しくも、顎は密林が如く生え茂る老人の側に控えるのは、現在国軍で重役を任されている権力者である。だが、そんな偉方も元大将軍たる老人の側で小さくなるしかない程に、騎士学校の生徒の勝率は低かった。
「閣下。しかし次に出場するのは騎士学校でも一番の実力者でございます。次は必ず勝利をもたらす事でしょう。」
何とか老人の機嫌を取れないかと、重役は必死に生徒の宣伝をしている。しかし、苦肉の策と言うべきか苦渋の判断と言うべきか。どちらにせよ、老人の心はこれっぽっちも晴れる事はなかった。
「ふんっ!では先ほどの者は最下位か?この交流試合に出るというのに?あのような堕落者がおるから騎士学校の質が落ちるんじゃろうが!」
結局、何があっても文句が言いたいだけなのだろう。そう考えた重役ではあったが、言葉を返さない訳にもいかない。未だ社交界にも軍部にも顔が効くこの老人の、機嫌を悪くして良い事など一つもありはしないのだから。
「あの者には厳しく訓練を課すよう伝えます。…閣下、出て参りました。あの者が現在、騎士学校で一番の実力者でございます。既に近衛騎士団にも内定が決まっておりまして、陛下からも期待の御言葉を頂戴したとか。」
中央の闘技場に姿を現した生徒を見て、ここぞとばかりに生徒のことを持ち上げる。その言葉に効果があったかは分からないが、老人の目つきがスッと鋭くなり闘技場に向いた。そして黙った所を見て、重役はやっと心の休息が取れる事に安堵する。それは一時の事だが、少なくともこの試合が終わるまでは己の身は安全だ。
しかし。彼は知らなかった。騎士学校で一番の実力者と呼ばれる青年の対戦相手が、魔導学院にて最早伝説となっている個人戦を繰り広げた一人だという事に。
スピア公爵家長女。武門の家系で、その出身者は傍系も含めると数多の武人を輩出している名家に生まれた、魔法の麒麟児である。
「スピア公爵令嬢だっ!頑張ってください!!」
「素敵です!頑張って!!」
騎士学校の生徒が入場した時の何倍も大きな声援が会場を包む。それは闘技場に視線を向けていなかった貴族達が皆一斉に視線を向ける程であり、一般観覧席とは打って変わって貴族席が静かになるという異様な光景を生み出していた。
「あら。誰がお相手かと思えば…。"元"婚約者様ではありませんの。…早めに降参した方が身のためですわよ?」
スピア公爵令嬢が優美に微笑みながらも、どこか棘のある様子で言った。周囲は大歓声に包まれているため観客にその声が届く事はない。だが会場を警備するドラグ騎士団の面々の中でも、その口元を見ていた者は唇の動きだけで言葉を読み取っていた。
その声が向けられた先にいるのは、騎士学校で一番の実力者と謳われる青年。彼は令嬢と同じ歳の騎士学校の最高学年児であり、彼女の言う通り二人は以前婚約者の関係だった。
「久しぶりだな。まさか再会がこんな場所になるとは思っていなかったよ。対戦相手は舞台に上がるまで分からないとはいえ、これでは何か作為的なものを感じてしまう。」
令嬢の挑発を軽く流した青年は、腰に提げた鞘から長剣を抜く。武骨ながらも丁寧な造りをしたそれは、貴族家だからこそ手に出来る高級な逸品だというのは見れば分かった。
騎士学校の代表として、そして元婚約者として。絶対に負けられないという強い意志がその眼に宿る。まだ開始の合図はされていないというのに、二人の間には激しく散る火花が見えるかのようだった。
「ふふ。魔導大会と今のわたくしでは、天と地ほどの差がありますわよ。…と言っても、貴方は観に来てなどいないのでしょうけど。」
不適に微笑む令嬢の圧に押されたのか、青年が少しだけ怯んだ様子を見せる。だが実力者だけはある。怯んだように見えてもその佇まいに隙は無かった。
歓声が未だ鳴り止まぬ中、審判が片手を挙げる。両者はそれを視界の端で捉えると、いつでも合図を受けられるよう息を吸う。大歓声とは裏腹に舞台の上は酷く静かだった。
「始めっ!」
審判が手を降ろしながら叫ぶと同時、青年は勢いよく飛び出した。彼が立っていた場所にはほんの一瞬遅れて水飛沫が舞う。その場に立って様子見でもしようものなら、槍の形をした水が舞台を少し抉ったのと同じように、彼の身体が貫かれていたに違いない。
そしてそんな殺意の高い攻撃を放ったのが、目の前で動揺も見せずに次の魔法を準備する美麗な令嬢だという事に、彼はほんの少し苦笑したい気持ちだった。
「シッ!!」
息を鋭く吐きながら長剣を振るう。しかしそれは空を斬る事になり、てっきり魔法で防ぐものだと考えていた青年は虚を突かれる結果となる。そして、そんな隙を見逃す令嬢ではない。
「ガラ空きですわっ!水槍!」
短縮詠唱と呼ばれる技術で、詠唱を省略する技術がある。これは高度な技術であり、無詠唱まではいかずとも、本人が得意で使い込んだ魔法でしか実現できないというのが通説だ。
しかし彼女はそれを見事に己の物としており、そんな奥の手があるとは知らない青年はなんとか身を捩って回避するも、肩に直撃を喰らってしまった。
「…ツッ」
そして、ここでこの試合の運命を決める瞬間が訪れる。利き腕ではないとはいえ、血が激しく流れる肩の痛みは相当なものだろう。予想外の攻撃を貰ったせいか、青年は令嬢から距離を取る。否、取ってしまった。
「わたくしが剣を振り回す騎士だとでもお思いかしら!」
魔法を主軸にする者との対戦において、必ず念頭に置かねばならない事。それが距離である。距離が離れるという事は、相手に詠唱の時間を差し出すのと同義。つまり、彼が取るべき行動は様子見のために離れるのではなく、一気に距離を詰めて攻め続けることだった。
だが。そんな事は関係なかったかもしれない。距離を取った青年に襲いかかったのは、先ほど彼の肩を貫いた水の槍ではない。龍。東の国で語り継がれる、天竜の姿と思わしき身体の長い水の龍がそこにいた。
「これで終わりですわ。」
その言葉と共に水龍が彼を包む。仕舞いとばかりに令嬢が手を振るえば、蟠を巻いた龍が瞬時に凍る。青年は水の龍に抱かれたまま、氷像となった。
「そこまで!」
水龍の魔法は、竜司とカリンと令嬢の三人が話し合いながら生み出した魔法である。とはいっても、術式の構成のほとんどはカリンが担当しており、龍の姿に関しては竜司が自国の資料を見せてくれた。
とは言っても実際にこの魔法を使用するのは令嬢自身であり、秋から冬の間に死に物狂いで特訓した成果がここに出ているのである。
他の生徒達よりもほんの少しだけ、この交流試合がある事を知っていたが故の初速の速さ。だがそれだけでこの大魔法を発動させる事など出来ないだろう。魔力の流れを視ることが出来るカリンの助言と、令嬢に負けじと魔法や武術に力を入れた竜司との切磋琢磨が、ここまで彼女を成長させたのである。
実際、彼女の動力源はこの交流試合ではない。カリンと再戦し勝利すること。そしてもう一つ、彼女の人生の目標が定まったからだ。
「何が一番の実力者だっ!手も足も出ずに負けておるではないか!それになんだ?魔導士相手に距離を取るなど言語道断っ!あの腑抜けはどこの家の者だ!?」
国軍関係者の観覧席では。騎士学校で一番の実力者が軽くあしらわれた事に驚愕しつつも、最前列で叫ぶ老人の怒りが向かぬよう身を小さくしている者が多かった。
大将軍まで務めたその老人の元部下は多く、誰も頭が上がらない。我儘で傲慢に見えて、現役時代にこの老人に世話になった者は多いのだ。昔から厳しかったが、今の騎士の在り方に憤慨しているのもまた本音なのだろう。その想いが分かるからこそ、国軍の上役達が招待されているこの席で、誰もこの老人に意見しないのだった。
しかし、そんな老人が座る最前列に近付く者がいた。
「そんなに怒鳴っていると、頭の血管が切れてしまうよ。老い先短いのだから、大事にしないといけない。」
とてもではないが元大将軍閣下に向ける言葉ではなかった。コツ、コツ、と靴音を響かせて歩いてきたその男は、長く伸ばした白銀の髪を首の後ろで緩く一纏めにしている。
黒を基調とした制服に、白銀の差し色。胸にはその長を示す勲章が付いている。
「おぉ、おぉ!ヴェルムかっ!久しいな。元気にしておったか!」
ドラグ騎士団団長、ヴェルム。彼の登場だけで周囲の者達は騒めいたが、それよりも"あの"厳しい老人が愛好を崩しヴェルムを歓迎している事に、二度見をする者までいた。
「やぁ、元気そうでなによりだよ。奥方も元気にしているかい?」
「あぁ、元気じゃぞ。元気すぎて毎日茶会だけじゃなくサロンまで開いとる。休みかと思えば馬で遠乗りに行く始末じゃ。アレも寂しがっておった。たまには遊びに来んかい。」
そんな騒がしい周囲は無視して、ヴェルムと老人は楽しそうに話を始めてしまった。こうなれば周囲はただ見守るしかない。若い世代の者はヴェルムが誰なのか知らない者も多かったが、誰かが発したヴェルムの正体を告げる声に驚いたりする様子も見られる。
隊服を見れば分かりそうなものだが、この状況でそれを察しろというのも中々に酷であろう。
「君の奥方は少々元気が良すぎるみたいだね。まぁ、君たちがまだ結婚する前からずっと彼女に振り回されていたのだし、それはきっと、ずっとこのままだという事じゃないかい?第一、それが嬉しくて彼女と結婚したんじゃないか。」
「ヴ、ヴェルム!こんなところでそういう事を言うか!」
元部下や部下の部下。そんな下の者に囲まれた老人の、弱味を暴露されるというのは確かに恥ずかしいだろう。だがこんな悪戯はヴェルムにとって日常であり、それも心の底から嫌がる者にはやったりしない。その辺りの機微を正確に見抜けるからこそ、悪戯ばかりしているという訳だった。
「ほら、君がイライラしていると周りも迷惑するだろう?それに、今年の騎士学校は私たちの教えを蹴った子達だよ。そして、先ほどのサイス公爵令嬢は私の愛弟子の友人だ。勝てるはずないじゃないか。」
あっさりと告げたのは、騎士学校に一番隊と二番隊を派遣した時の事。おそらく、老人にはその話が伝わっていないのだろう。毎年騎士学校にはドラグ騎士団が指導に出向いているが、とある年を経てから形骸化した。騎士学校の生徒のやる気が、全くといって良いほどに無くなったのである。
「だから、君が生徒に怒るなんて事は体力の無駄だろう?それよりも、後進の育成という意味では士官候補生にでも講義してあげたらいいのではないかな。君の生きた話はきっと、若い世代の心に残るはずさ。」
中央の舞台で次の試合が行われる間も、ヴェルムは老人の横に座って話をしていた。正直、周囲の者にしてみれば学生同士の試合よりも目の前の二人の話の方が興味をそそられる。老人は大将軍として数多の戦場に身を置き、その魔力の高さから100年ほど生きている。既に剣を握れない歳のはずだが、現役の頃と変わらずスッと伸びた背筋は、見ている側の背筋も不思議と伸びるような錯覚さえ引き起こす。
もう一人は言わずと知れた最強の護国騎士団の団長だ。国王とも友人であり、まさか元大将軍とも友人のような関係だとは思えない。だが目の前の光景がそれを裏付けており、二人の間に遠慮は無く気安さすら垣間見える。
高々、生徒同士の試合など見る意味もなくなっていた。だが、同時に何故ヴェルムがここに来たのかという疑問が湧き上がる。しかしそれを問える者などここには誰もいなかった。




