284話
とても短いですが…
魔道具研究所を後にした宮廷魔導士は、研究所にいた時と変わらず酷く面倒そうな表情を浮かべたままアルカンタを西に向かって歩いていた。彼の職場である王城には向かわず、人の少ないエリアに足を踏み入れた彼は、しっかりと目標があるのか迷いも見せずに一軒の家に入って行った。
宮廷魔導士の身分を示すローブを着ている彼はよく目立つ。街行く者たちが物珍しさから彼に視線を向けるのを彼自身もよく分かっていた。だがそれを気にした様子もなく自然に入って行ったその家は、なんの変哲も無い普通の民家である。その存在を見失えば、日々を生きるので忙しい民たちも興味を失くす。彼が消えた家に視線は向かず、そこにはいつも通り人々の往来が残るのみとなった。
「お。お疲れさん。今日は研究所の視察だったか?」
家の中に入るとすぐに声をかけられる。しかし彼はそれに驚いた様子もなく、ただただ面倒そうな表情を少しだけ緩めてからその声に耳を傾ける。そして一つ頷きを返してからローブを脱ぎ、腰に提げた小さな鞄の口を開けローブを放り込んだ。見るからに小さな鞄には入らない大きさだったが、ローブは吸い込まれるようにしてその中へと姿を消す。彼が腰に提げた鞄は、世にほとんど出回らず存在すら知れ渡っていないマジックバッグである。
「疲れたよ。あれが国の最先端かと思うと、頭が痛くなってくる…。あの程度で詰まってしまう研究者しかいないのに、どうしてあれで国の最先端を名乗れるのかな。」
研究所で視察をしていた時とは異なり、相手に気を許しているのかどことなく声の高さが上がった彼は、それでいて面倒そうな表情のまま思ったことを口にした。それに呆れたような様子を見せる相手にしても、普段の彼を知っているのかいつもの事なのか、軽く笑って受け流す。内容は捉え方によって国に唾吐く会話だが、二人がそれを気にする事はなかった。
「そりゃそーだろ?お前や俺たちが見れば、あんなもん子どもの思い付きと変わらねーんだからよ。」
家にいた男は椅子に座ったまま机に肘をつき、手に顎を乗せて息を吐きながらそう言った。それに対し宮廷魔導士の男も、まぁね、と小さく言ってから部屋の奥へと向かう。そこは台所で、隅に置かれた冷蔵保管の魔道具、通称冷蔵庫に手をかけた。
「あ、良いもの発見。これ、貰うね?」
そう言って冷蔵庫から取り出した瓶を軽く振った彼は、その返事を待つ事なく指で瓶の口を弾く。するとピッタリと閉められていた蓋がポンッという音と共に宙を舞い、クルクルと回転して彼の左手へと飛び込んだ。
「あー!それ!俺が楽しみにとってたやつ!」
「ははは!早い者勝ちさ!」
「てめぇ!」
酷く面倒そうな表情はいつの間にか消えている。対する男も文句を言いつつ、どこかそのやり取りを楽しんでいた。近年流通するようになった炭酸飲料を取り合う二人の間には、一般人では速さに追いつけない速度で魔法が飛び交う。しかし互いに高度な実力を有しているのか、当然のように詠唱もなく、それでいて低次元の言い合いをしながらの闘いとなっていた。
「っておい!流石にそれは危ねぇだろっ!」
「おや?この程度も防げずにこのラムネを飲みたいなんて宣ったのかい?残念、あと二口しか残ってないよ。」
近衛騎士や国軍でも間に入れないであろう魔法戦の合間に、下らないやり取りも飛び交う。家の中でする事ではないが、二人にとってはその程度の事であるらしい。息をするよりも簡単に発動しているように見えるそれも、二人の確かな研鑽があってのものなのだろう。
そしてその終戦は、宮廷魔導士の男が最後の一口を飲み干した事で訪れた。
「あー!ちくしょう、俺のラムネ!」
「んー、ごちそうさま。なんだい、その顔は。本部に戻れば食堂にあるじゃないか。こっちは息の詰まる王城暮らしだよ?少しは譲ってくれよ。」
「う…そう言われるとそうだけどよ…。そのラムネはリクとの賭けで勝った報酬だぞ!?横から掻っ攫いやがって。」
「そうなのかい?なら、お詫びにリクへ今度お菓子でも贈っておくよ。」
「いや、お詫びなら俺にだろうが!」
騒がしい二人は、それからもしばらく賑やかに話を続けた。宮廷魔導士として活動する彼の本職は、騎士である。ドラグ騎士団制作科、錬金術研究所所属。彼の立場としては、所長の部下という扱いになっている。もっと言えば、所長は科長の部下であるため、彼も科長の部下と言える。
彼の仕事。それは宮廷魔導士としてグラナルドの発展を操作する事である。あまりに危険な技術や思想の研究をされぬよう、大陸一の技術力を誇るとされるグラナルドの宮廷魔導士として彼らを見張っている。これによって完成前に潰された研究もあるが、そのどれもが自然破壊や大陸中を巻き込む戦争に発展する可能性のあるもので、それら全てがドラグ騎士団団長ヴェルムによって指示され消滅した。
今日もその仕事の一環として研究所を訪れたのであり、普段は王城にて自身の研究室に籠り研究をしているように見せかけている。
実際はかなり自由に過ごしており、ドラグ騎士団と王城のどちらからも給料が支払われるために懐も大層潤っている。金持ちで顔も良く実力や地位もある。当然ながら王城勤めのメイドや侍女たちに人気の彼だが、それらが鬱陶しいと感じてからすぐに始めた酷く面倒そうな表情が、彼に纏わりつく女性たちを大幅に減らしたのは確かだった。
そんな彼が、賑やかに話していた相手へとふと真面目な視線を向ける。すると静かに口を閉じた相手も鋭い視線を彼に向けた。
「エルフの里の件、どこまで聞いてる?」
そして話し始めたのは、エルフの里で起こった事件についてだった。
「あー、里長が倒れてから一気に国王派がやりたい放題してるってやつか?」
「うん。それについて、国王への非難が高まってるんだよね。」
「らしいな。」
エルフの里には零番隊の隊員が潜入しており、彼らが逐一情報を本部へと報告している。その情報は騎士団内でもある程度共有されており、彼らも自らが知る事の出来る権限内での情報しか手に入れていない。しかし二人とも準騎士や五隊よりは情報を多く所持しており、その情報の交換が主たる目的であると、相手はここで漸く悟った。
「どうしてほしいんだ?」
「話が早くて助かるよ。実は、学院が襲われた際と同じく、王城にもエルフ族の侵入者がいたんだよね。当然、全員捕縛されて牢に入れられてるんだけど。」
「あ?そうだったのか。それで?」
エルフ族の侵入者は、夜中に王城に近付いた。王城を警備する兵や騎士は掻い潜れたものの、国王を陰から守護する零番隊によって呆気なく捕まったという。
尋問に関しては近衛が行っているが、大した情報は手に入っていない。侵入者は誰もが理由は明かせないと口を閉ざしている。そこで宮廷魔導士が尋問に立ち会う事になり、彼ではない宮廷魔導士がそれを務めた。しかし結果は芳しくなく、今では小康状態となっていた。
「尋問に関してはこっちで引き受けるから、里に関して何かある時は僕を連れて行ってもらおうと思ってさ。」
「ん?何か気になるもんでもあんのか?」
「まぁ、ね。」
そう言ったきり黙った彼を見て、相手は黙って頷いた。




