283話
大変ご無沙汰しております。7月は忙しいなどと申しながら、蓋を開けてみれば八月の方が忙しかったという言い訳を述べさせてください…。
九月からまた少しずつ更新させていただきます。どうぞよろしくお願い致します。
グラナルド王国は魔法大国である。それは大陸に存在する各国にとっては当たり前の事実だが、具体的に何が魔法大国なのかと言われれば、その答えは国によって変わる事になる。
技術力に優れた多民族国家である西の国は、グラナルド王国に対し並々ならぬ競争心を抱いている。物によっては西の国の方が優れた技術を持つ物もあるが、グラナルド王国は足りない部分に魔法や魔道具を充てる事で、結果的に西の国よりも優れた商品を生み出している。そのためか、西の国の民はグラナルド王国の事を、嫌味を含めて"魔法頼りの国"と呼ぶ事もあった。
北の国は商業国であったイェンドル王国を吸収したからか、商業に関わる魔法を重視する者が多い。輸送で必須である馬車の改良や、寒い地方にしか住まぬ大型の昆虫が生み出す糸から作られる織物の加工などで輸入した魔道具を用いるため、グラナルドから受けている恩恵は大きいと言える。だが決して国として仲が良いとは言えず、寧ろ北の国の上層部はグラナルドの豊かな土地を手中に収められないかと何度も兵を派遣した過去がある。
北の国からすれば、グラナルドは気候もよく商売に有利な魔道具も多い、喉から手が出るほど欲しい理想的な国と言えるだろう。
東の国は少し複雑である。グラナルドと戦争をしたのはまだ記憶にも新しいたったの数十年前の事で、当時を知る者もまだ多い。もっと言えば、旧東の国の国民だった者は更に複雑な感情を持つ。彼らからすれば、大陸外から侵略者が現れて母国を滅ぼされたかと思えば、旧東の国の南部に住んでいた者はそこをグラナルド王国に攻められた形になる。東の国の統治体制が整う前に攻め込まれたからか、現地民は防衛に駆り出される事はなかった。そのためグラナルドを解放者と捉える者が多いのは、グラナルドにとって幸運だっただろう。
しかしその分、北部に住む民は東の国に占領されたままであり、文化も伝統も思想も東の国に染め上げられた。グラナルドを恨むのは違うと分かっていても、何故北部ではなく南部だったのか、と考える民がいるのも仕方がない事だろう。グラナルドが東の国の南部を攻めたのは、そこが海までの最短距離だったからに他ならない。だがそんな事を一般国民が知る由はないのである。
しかしそんな東の国とグラナルドは、昨年正式な友好条約を結んだ。これからの二国の関係が、どう変化していくのか。大陸の目はその部分を注視しているだろう。東の国がグラナルドを魔法大国だと語るかどうかは、まだ分からない。強いて言うならば、戦争時にグラナルド軍が使用した戦術魔法を脅威に思っているくらいなものか。
さて、残る大国は南の国のみ。古くからの同盟国である二国の関係は極めて良好で、グラナルド王国の首都アルカンタにある三大学校に多くの留学生が来ている事からも、両国の心の距離が近い事を世間的にも大きく示している。当然ながらグラナルドからも南の国へ留学に出る者は多く、南の国ならではの気候や発想、そして何より大きな特徴として獣人族が多いという環境に、留学者は目を輝かせるのである。多民族国家であるのはグラナルドも同じだが、多種族国家というのは南の国の特筆すべき特徴だろう。
南の国では気温や湿度が高く、グラナルドと比べて雨が多い事から、生息する動物や魔物、植生まで異なる。食物が腐敗するのも早いため、昔は地産地消するしかなかった。だが、グラナルドが生み出した数多の魔道具によって輸送問題が解決し、代わりにグラナルドでは手に入らない香辛料や食糧、魔物素材を輸出した。そうなると、南の国から見てグラナルドは魔道具の国となるのだが、今は違う。南の国から見てグラナルドの魔法とは、即ちドラグ騎士団の戦闘魔法なのだ。これは南の国王女であるアイシャをヴェルムが救った事に由来するのだが、それだけではなく近年の共同戦線など、ドラグ騎士団の実力を見る事が多かったのもあるだろう。これは軍部でも上層部しか知らぬ事だが。
しかし今でも南の国の民からすれば、ドラグ騎士団とヴェルムは英雄なのだ。王族と民の距離が近い南の国では、王族が市井にお忍びで降りてくる事など日常茶飯事。民の誰もがそれを笑って見守り、敢えて王族として接しない事で民の生活ぶりを見せている。そんな民から絶大な人気を誇るアイシャ王女を救ったヴェルムが、彼らに受け入れられないはずがないのだ。そして多くの民がアイシャ王女とヴェルムの婚姻を望み、国王自ら打診した事は一度や二度ではない。
そんな魔法大国たるグラナルド王国には、魔道具を生産する工場の他に、新たな魔道具を生み出す研究所や、魔法研究のための施設などが多く存在する。
中でも、首都アルカンタの郊外に存在する魔道具研究所は、他国からも所員として働きたいと希望者が集まるほどに有名だった。
「今日は宮廷魔導士が視察に来る。研究中でも質問があれば応対しろ。いいな。」
所長の身分を示すバッヂを白衣の胸元に輝かせた男性が、研究所員達を集めて言う。所長の言う通り、この日は国直属の魔法使いである宮廷魔導士が研究所の視察に訪れる日だった。一日の始まりに必ず集合する事を義務付けられている所員たちは、所長の話を聞いているのかいないのか、気のない返事をする者がいるだけマシといった風に解散していく。誰もが足早に去って行くのを見るに、皆それぞれの研究に早く入りたいのだろう。
そんないつもの光景を見た所長は、一つ大きなため息を溢してから己も研究へと向かう。所員一人一人に与えられた研究室に向かってしまえば、所長とて一人の研究者となるのだった。
「今日はよろしく頼む。」
話す事自体が酷く面倒だと、表情だけでなく全身の雰囲気からも滲み出ている男が言う。彼は宮廷魔導士。魔力が多いほど寿命が長いとされるこの世において、宮廷魔導士になって百年ほどの古株である。彼が発表した理論や魔法は、今となっては多くの者が当たり前に知っているほどの重要な魔法理論が多い。グラナルドが魔法大国だと言われる理由に、この男が大いに関係しているのは確かだった。
そんな生きる伝説とでも言える宮廷魔導士の登場に、ただ宮廷魔導士が来るとしか聞いていなかった所員たちは驚き動揺していた。
「なんて幸運なんだ…!彼の発表した理論を用いて魔道具を作るのが当たり前になった今、彼の意見を研究に活かせるチャンスだ!」
一人の所員が溢した言葉は、多くの同意をもって伝播していく。始業の集まり以外で集まりたくない所員たちが自主的に集まる程、この男が現れた事自体が異例であり驚愕であった。
「では宮廷魔導士殿には自由に所内を見てもらうとするが…。案内は必要かね?」
所長がいつもより少しだけ意識して胸を反って言えば、宮廷魔導士は変わらず酷く面倒そうにそれを一瞥した後首を振った。
「必要ない。陛下から賜った任務は魔道具研究所の視察。そちらの主観ではなく、あくまでこちらからの視点で見させてもらう。疑問があればその研究者に直接聞こう。」
国王からの勅命である事を強調するその姿勢には、隠蔽や不正は許さないという意志を感じる。だが発言している本人からやる気が一切感じられないためか、言葉の割にやっつけ仕事であると感じられてしまう何とも不思議な雰囲気になってしまっていた。
「わ、分かった。では存分に見て回ってくれたまえ。ここは我らがグラナルドの魔道具研究における最前線であるからな。宮廷魔導士殿の目にも珍しく映る事だろう。」
所長はそれだけ言うと、目線だけで他の研究者たちに対し意志を伝える。その目には力と鋭さがあり、研究者たちはそれを見て各々に頷きを返した。即ち、目をつけられるなよ、と。そういう意志は正確に伝わっていた。
それを見ていた宮廷魔導士だったが、さも見ていませんと言わんばかりに我関せずといった飄々とした態度を崩さない。そればかりか、これから始まる視察自体が面倒で不本意だと言わんばかりに欠伸など漏らしてすらいた。
「これは?…なるほど、生活密着型の魔道具を専門にしているのか。とすると、これはドライヤーの改良型か。…ここの魔法陣はこれではなくこちらを使うと良い。」
「あぁ、これだと魔力消費が多くなるだろう。ここの接地がもう少しだけ右にズレれば解決するな。」
「ほう…?これは良い。発想としては良いが、この回路がその理念を邪魔しているな。こうではなく、こう繋げばより良くなるだろうな。」
全ての研究室を見てまわった宮廷魔導士は、酷く面倒そうな様子を隠さないままに、それでいて的確な助言を残すという何とも矛盾した視察を終えた。彼が通った後の研究室からは、研究者のものらしき悲鳴とドタバタした音が鳴り響く。行き詰まっていた研究が彼の言葉によって問題が的確に浮かび上がり、更には解決策まで提示されたのだから仕方がない。
最後に所長の研究室を見た宮廷魔導士は、研究者を集めると言った所長に断りを入れてから、来た時と同じように酷く面倒そうな顔をしたまま帰って行った。それに苦笑いを返した所長とて、今の研究者たちが呼んでも出て来ないことくらい分かっている。だがそれでも立場があるため、研究者たちを集めようかと言ったのは本心だった。
「我々の事をよく分かっていらっしゃる…。いや、私の事を、か?どちらにせよ、研究者というのも難儀な生き物だ。」
研究所の出入口まで宮廷魔導士を見送りに来た所長は、小さくなっていく背中を見送りながら一人呟く。誰にも聞こえないのが分かって言っているその言葉とは裏腹に、所長の表情は晴れやかだった。そして彼も踵を返して己の研究室へと向かう。数ヶ月悩まされていた己の研究に、一目見ただけで改善点を出されたのは素直に悔しい。だが今はそれを悔やむよりも、新たな道筋が目の前に拓けた事を喜びたい。そして浮かんでは消える様々な案を一刻も早く試したい。所長という立場にあれど、やはり彼も研究者でしかなかった。




