280話
ご無沙汰しております。少しずつでも更新していきたいと思います。皆様の応援が力になっております。
「騎士学校と交流試合?」
アイルによって温かい茶が出され、それを楽しみつつ四人がソファに座って話をしていた。この部屋の主人から唐突に口にされたその言葉を、公爵位に就く軍務卿であるスピア公爵が鸚鵡返しするように声を出すまでは。
己の発した言葉を繰り返すだけの公爵をニヤリと笑って見ていたヴェルムは、満足そうに頷いてから隣に座るカリンと斜向かいに座るエリアーナ嬢を交互に見た。
「騎士学校も魔導学院と同じように、翌年の士官候補生を決めるための大会が行われているね。どちらも未来は近衛騎士か国軍に入る者が多いのだから、学生の内に交流を深めるのも良いだろう、とゴウルが言うものでね。学院長には既に話が通っているんだ。騎士学校の校長にもね。校長は、理事長である君が良いと言うなら、と言っていたそうだよ。」
ヴェルムの言葉の通り、スピア公爵は軍務卿という軍部のトップでありながら、教育機関である騎士学校の理事長をも勤めている。理事長とは言っても、運営面やその采配に関しては携わっておらず、謂わば印鑑の存在である。
理事長に申請を出して認可が降りなければ行えない事に対し、理事長である彼が印鑑を押す事でそれが認められる、という存在である。
つまりは、普段こんな事してますよ、今年はこんな感じですよ、という報告書を読み、来年はこんな事したいな、という要望に許可を出すか出さないかは公爵の腕先三寸という訳だ。
このように新たな試みを行う場合は、必ず理事長の認可が必要となる。そういった意味を含めて、学校長はそう言ったのであろう。
ヴェルムに問うような視線を向けられながら、公爵は少し悩んでから茶に口をつけた。予想していなかった話だけあって、この場で即断出来るような話ではない気がする。だが、目の前に座る今回の件の恩人は、その場で決めるように言っている気がしてならなかった。
「…つまり、それぞれの大会上位の者が試合を行う、と?いや、交流を目的としているのなら、その後のパーティーも含めて、か。…そもそも、発案は陛下なのだろう?ならば私が拒否する事など無い。学校長には今日中に認可の書類を送っておこう。」
発案者が国王でなければ、公爵ももう少し考えたかもしれない。先日、魔導学院で大会中に襲撃があったばかりだ。学院に子どもを通わせている貴族からは、また襲撃があるのではないか、と連日警備増強の申請が山のように届いていた。それが事件解決の御触れが出た今でこそ落ち着いているものの、今度は騎士学校も含めて大会をやるとなればもっと増えるのは目に見えている。
そんな心配は尽きないが、それを見透かしたように微笑むヴェルムを見れば、また何か腹案でもあるのだろうかと疑いを向けるのは仕方のない事だろう。
「それは結構だね。ゴウルも喜ぶだろう。…交流とは建前な部分もあってね。本音は、近年の国軍騎士や近衛騎士、宮廷魔法師の実力の低迷を嘆いているんだよ。その割に、学院と学校の出身で派閥が分かれてしまっていて、互いの任務に悪影響だという。宮廷魔法師はほとんどが学院出身だから、そういった下らない派閥は存在しない。でも国軍は違う。最も派閥が生まれやすく、そうなる程に人数も多い。学生の頃から交流を深めるのは、そういった狙いが大いにあるのさ。」
ヴェルムの言葉に、公爵は成程と思わされてしまった。彼とて騎士学校出身であり、その実態はよく分かっている。理事長となり学校の内部も見えて来たが、学生の頃に感じた事は今も変わっていないという事なのだろう。事実、息子達は騎士学校を卒業して軍務に就く今、派閥がどうのと文句を言っているのを聞いた事があった。
それを解消するための一案だと思えば、やってみる価値はあると感じる。何より、国王が軍部の問題に解決の一案を出してくれたという事が、彼には喜ばしい事だった。
だが、当然ながら不安もある。
「警備に関してはどうする。また我らに任せてもらえると?」
そう、警備の問題だ。国軍が担当するのは構わない。構わないが、今回のように陰ながらドラグ騎士団が護るのとは訳が違う。今の国軍では先日のように、堂々と乗り込んできた者に対してしか力を発揮しないだろう。
隠れて学院生を誘拐しようとした者を倒したり、黒幕を吐かせる事は出来ないだろう。ドラグ騎士団から報告書が届くまで全容を知らなかったのだから、無いものを有ると言い張る事は今の自分には出来ない。
しかし、そんな公爵の心配はヴェルムに筒抜けのようであった。厳しい表情で問う公爵に、ヴェルムは安心させるような穏やかな笑みを向けたのである。
「その点に関しては、ゴウルから依頼を受けているよ。ドラグ騎士団と国軍の合同警備、という事にしたいらしい。私達に不利益は無いし、条件を飲むなら良いと答えておいたよ。」
今までに無い事だ、と公爵は思った。グラナルド王国の歴史上、国軍とドラグ騎士団が協力した事など無いはず。専守防衛を掲げるドラグ騎士団は、攻められた時に無双の力を発揮する。国軍は攻める時にのみ動き、攻めあぐねた時にはドラグ騎士団の力を使えば良いと多くの貴族が叫んだと言うが。しかしそれは当時の国王達によって尽くが棄却されたという。
それもあってか、この二つの軍隊が力を合わせた事など一度も無いのだ。先日のような非公式であればこれまでもあったかも知れないという考えは過ったが、今回はそれとは訳が違う。だが、武門の家系にしては珍しく頭の良い公爵は予想できてしまった。これによってどういう結果を齎すかを。
「…条件とは?」
だがまずはその条件を聞かねばならない。目の前で穏やかに微笑む麗人が、自分の予想を上回る発想で事を成すのは先ほど身に染みたばかりなのだから。
多少の警戒を含んだその声に、ヴェルムは笑みを深めて頷いた。その行動すら、今の公爵には背筋に冷や汗が流れた気がする程に警戒対象になっている。そしてそんな公爵の反応も含めて楽しむような様子のヴェルムに、公爵は話を聞かずに帰りたい気持ちがムクムクと湧き上がってくるのを感じざるを得なかった。
「そんなに難しいものじゃ無い。一つ、指揮系統は別に準備する事。一つ、国軍と騎士団とで問題が起こった場合、こちらの裁量で裁く権利を有する事。一つ、緊急事態の時はこちらの指示に従う事。以上だよ。」
その条件は、誰がどう聞いてもドラグ騎士団に有利なものだった。一つ目は良い。要するに、国軍は軍務卿が、騎士団はヴェルムが指揮権を持つという事だ。そうでなければ合同で訓練などやった事のない二つの組織が、正常に機能する訳がない。
問題なのは二つ目と三つ目だ。明らかにドラグ騎士団有利で構成されており、国軍のトップである公爵がそれを認めれば、下からの突き上げは確実だろう。だが国王がそれを飲んでいるのならば、断れるはずもない。避けようのない未来が見えた気がした公爵は、それだけで頭がクラクラするような気がした。先ほどの冷や汗は嫌な予感と共に量を増している。
「そ、それは無理があるのではないか…?どちらもいざという時に必要な取り決めである事は分かる。しかしその条件が最初から付いているとなれば、国軍の騎士から反発が起こる事は避けようがない。」
なんとか条件を変えてもらえないかと粘る公爵。そんな公爵を娘であるエリアーナ嬢は視線を送る事すらせず、対面のカリンと微笑みあって茶菓子に舌鼓を打っている。興味がないのではなく、覆しようがないと分かっているのだろう。その点、足掻く公爵よりも利口であると言えた。
「公爵、一つ聞くけれど。国軍は上の決定に文句を言うような軟弱者なのかい?これは国王であるゴウルが決めた事だ。グラナルドの騎士とは、国王に忠誠を誓った者の集まりだと記憶していたのだけど。」
国軍は、最大の規模で考えれば各貴族の私兵団の集まりである。だが、普段首都に滞在し貴族街の警備をする国軍は、国王に忠誠を誓った騎士達だ。そこに貴族平民は無く、平民であっても功績を挙げたりすれば騎士爵に叙爵される機会はある。
普段から首都にいる者達こそが国軍の要であり、平時はグラナルド騎士団の名で警備をし、たまにドラグ騎士団ではなく彼らが近隣のダンジョンに間引きをしに向かったりもする。これはドラグ騎士団でなくとも可能だと判断し国王に連絡が行った時のみだが。
そんな国軍は騎士叙任を、国王自ら受ける。謁見の間にて跪き、国王から肩に剣を添えられ、そこで忠誠の言葉を紡ぐのだ。つまり、首都に常駐する国軍の騎士達は皆、国王直属と言っても過言では無い。
ヴェルムが言いたいのは、そんな騎士達が国王の決めた事に文句を言うのか、それを抑えられない程に公爵は仕事が出来ないのか、という事である。
貴族同士のやり取りではあり得ない直接的な表現だが、武人である公爵にしてみればそれは有難い。彼は貴族的な会話も出来るが得意ではないのだ。
だが有難いと言えども内容は有難くない。己だけなら兎も角、長年共に過ごして来た部下まで悪し様に言われるのは我慢ならない。公爵は先ほどまでの冷や汗を忘れて怒りと共に拳を握りしめた。
「如何にドラグ騎士団の長といえど、我らを侮辱する事は…」
「なら問題無いじゃないか。この条件にしてもそちらは文句など出ないという事だろう?それにね、公爵。君は勘違いをしている。これはただの合同作戦では無いんだよ。君たちに私たちの名を貸してやる、と言っているんだ。その意味、君になら分かるだろう?」
初めからそうだったのだ。先日の件で国軍の名誉は回復した。その上で、民から絶大な支持を誇るドラグ騎士団が名を貸す事で更に名声を高めてやろうという事なのだ。
それに公爵は気付かなかった。気付いていたのは、優雅に茶を楽しむ娘一人。公爵はただ単に頷いていれば良かったのだ。どの道、国王が認めたのであれば反論する価値などない。それは決定事項であり、覆せるのは事実一人だけ。その一人がこうして公爵に話を持って来た時点で気付くべきであった。
「…クッ。大変、失礼した。その条件で良い。我ら国軍にその名を貸してくれ。」
公爵位という最上の地位を持ちながらも、己やその身内に利ある事であれば頭を下げられる公爵は、貴族の中では異例と言っても良いだろう。だからこそ、娘であるエリアーナ嬢もカリンと友人になれたのかもしれない。
どこか似ている親娘を見て、カリンは声を出さずに笑う。それを見たエリアーナ嬢はその意図に気付き少しだけ膨れた様子を見せるも、すぐに笑顔へと変えた。
「承ろう。では今後連絡を取り合う事にするよ。ゴウルに心配させないためにも、協力は密に、ね。」
ヴェルムが再度微笑み、公爵に握手を求める。それを力無く握った公爵だったが、その後茶を飲んでから一つ疑問を口にした。
「して、今回協力する事にした理由を問うても良いだろうか。まさかとは思うが…。」
「うん?それは勿論、スピア公爵令嬢が活躍できる舞台を増やす為さ。カリンの友人なら、グラナルド一の魔法師になって貰わないとね。箔をつけるというのは大切だよ。」
やはり。理由は公爵の嫌な予想とズバリ的中していた。最初からそれが分かっていたのか、エリアーナ嬢は澄ました顔で何杯目かの茶を飲んでいる。その姿に動揺はなく、いっそ優雅ですらあった。流石は公爵家のご令嬢。ヴェルムはエリアーナ嬢への評価をまた一つ上げた。




