279話
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「遅くなったが、改めて礼を言う。今回は我ら国軍の名誉回復の機会を頂戴した事、感謝する。」
ドラグ騎士団本部に、軍務卿であるスピア公爵が娘であるエリアーナ嬢と共に足を運んでいた。この日の朝一番に来訪の許可を求める伝令が届き、ヴェルムが許可を出すと直ぐにまた返事が来る程真剣な要請であった。
その日のうちに両者の対面が叶ったのは、何としても感謝を述べたい公爵の気持ちをヴェルムが汲んだからに他ならない。仮に伝令が国王から派遣されたものであっても、その用件が緊急性の無いものと判断すれば棄却するヴェルムが、こうして国内貴族の訪問を即断で許可するのは大変珍しい事であった。
丁寧に腰を折って頭を下げる公爵に、執務机から立ち上がって出迎えたヴェルムは苦笑を浮かべる。伝令の本気度から、彼が心底ヴェルムに感謝しているのは伝わっていたが、公爵位に就く当主自ら頭を下げる程感謝されているとは思っていなかったのである。
それだけ、武門の一家であったサイス公爵に関わる悪評が国軍に影響を与えていたという事だろう。
スピア公爵家はアルカンタの北部に領地を持つ大貴族であり、建国後に王族の姫が降嫁して公爵位を賜っている。当時、現在のスピア公爵領である地には小国があり、その国ではドワーフ族が奴隷として非人道的扱いを受けていた。その国からドワーフ族を解放する為にグラナルドは戦争を起こし、小国を滅ぼす事でドワーフ族を解放するに至った。
そのように歴史書には書かれているが、内実、先に宣戦布告をしたのは小国である。ドワーフ族を酷使して武具を作らせたは良いが、良質な鉱石の採れる鉱山を保有していなかった小国が、国境を接しているグラナルドにそれを求めて仕掛けたというのが真相だ。
当時の国境は山であり、標高はそこまで高くないものの良質な鉱石が採れる鉱山でもあった。しかし安全や効率を考えるとどうしてもグラナルド側から掘り進める必要があり、我慢出来ずに戦争という手段に訴えたという訳だ。
その戦争で多大な功績を挙げたのがスピア家であり、その褒賞として小国の領土の半分以上と、王家の姫の降嫁が決まった。そしてスピア家は公爵位を賜り、ドワーフ族を多く抱え鉱山を持つ大貴族となったのである。
今でも国内数カ所の製鉄技術に優れた領地と競争するように技術を磨いており、北部の長と言っても過言では無い影響力を持つ。
寒い北部で鍛え上げられた私兵団は屈強で、スピア家の家紋にもあるように槍を使う戦術を多く生み出し、槍道場は国内一の実力と数を誇る。当主自身も槍を得意とし、小公爵である長子も父に劣らぬ実力を持つという。
そんなスピア公爵の唯一の娘であるエリアーナ嬢は、現在魔導学院三年生。末っ子姫として真綿に包まれるような溺愛を受けているかといえばそんな事はなく、溢れる魔法の才能に鼻を高くする事なく真摯に学び、そして昨年と一昨年は魔導大会にて個人の部で優勝。今年は団体の部で優勝という華々しい活躍を見せている。
団長室に父公爵と共に現れたエリアーナ嬢は、公爵が頭を下げるのに合わせて完璧で優雅なカーテシーを見せた。軍務卿としてというよりも、国軍として、そして武門の公爵家として頭を下げた父に合わせて、令嬢もその気持ちを伝えるべく頭を下げたようだった。
これがただ単に父が頭を下げたから合わせた、という訳ではない事を、観察眼の優れるヴェルムは見通した。同時に、この頭のキレる令嬢に対する評価を一段階上げる事にした。
「構わないよ。頭を上げて。…元より、国軍や武門の家系の評判を上げる為にこちらから提案した事だからね。やるなら最後まで徹底的にやるべきだと考えた。だから礼など必要ないんだよ。」
ヴェルムがそう言えば、公爵は下げた頭をスッと上げた。しかしその表情は変わらず真剣であり、それが形だけ頭を下げた訳ではない事を物語っている。
公爵はほんの少し思考を巡らせたかと思えば、真剣な表情は崩さずに緩く頭を振るのだった。
「いや。こちらだけではアデレイド侯爵の責任を無くす事は出来なかっただろう。あの報告書に記載されていた、尋問に立ち会った者の名前に覚えが無かったのだ。あれはドラグ騎士団の団員なのだろう?それに、東の国との書簡のやり取りや、アージノス伯爵を捕らえたその手腕。更に言えば学院生が攫われそうになったのを助けたのもドラグ騎士団だという。立案してもらった上に結局はほとんどそちら任せになってしまっているのに、世間は今回の手柄の全てが国軍にあると考えている。上に立つ者としてそれは飲み込まねばならぬ事だが、それでもドラグ騎士団なくして名誉挽回とはいかなかったのも事実。しかし公表は出来ぬ。であれば、国軍の長である私がヴェルム殿に頭を下げる事になんの不思議があろう。これはケジメでもあるのだ。是非この謝罪と感謝は受け取ってはくれぬだろうか。」
スピア公爵は厳格な面持ちのまま、一切表情を変える事なく言い切った。公爵という立場から、おいそれと頭を下げることの出来ない彼にとって、このような言い回しでも十分過ぎる程の下手に出ている事だろう。それは凝り固まった貴族主義による矜持ではなく、純然なる身分の違いという点でのみで為していた。
ヴェルムの正体を知らない彼にとって、最大限の姿勢である事に間違いはない。そしてその気持ちは、対するヴェルムにしかと届いていた。
「正直に言えば、こちらとしては凡その事が予定通りに進んでいるんだよ。国軍の風評に関してはこちらも原因となった部分があるからね。結局かの元公爵家は暗殺ギルドに手を出した。いつか纏めて潰せば良いと考えてその繋がりを放置していたこちらにも責任はあるという話だよ。でもそんな事より公爵、君に今回の事で提案をしたのはそれが一番の理由じゃないんだ。」
ヴェルムはそう言ってから、少し含みのある笑みを浮かべた。ここに他の団員達がいれば、また何か企んでるなぁ、と笑った事だろう。しかしこの場にいるのはヴェルム専属執事の二人と、一人の零番隊隊員のみ。
ヴェルムの問うような言葉に、微かに片眉を上げた公爵だったが、その理由とやらに辿り着ける程の情報はその身に宿していなかった。
「…その理由とは?」
腑に落ちないような理解できないような表情で公爵が問い返す。しかしヴェルムはそれに答えを返さなかった。
返したのはほんの少しの苦笑と、意味ありげに公爵の隣に立つエリアーナ嬢への視線。次いで部屋の隅で待機している零番隊隊員へと向けた視線だけだった。
その僅かなヒントで答えを導き出したのは、公爵ではなかった。
「口を挟む無礼をお許しください、団長様。」
「構わないよ。君の意見を聞かせてくれるかい、スピア公爵令嬢。」
エリアーナ嬢が発した声に公爵が叱責の声をあげる前に、ヴェルムは軽い調子で穏やかな笑みを向けながら許可を出した。本来、身分が上の者同士の会話に割り込むのは無礼とされる。それを知らないはずもないエリアーナ嬢が口を挟んだ事に、公爵家の教育の不出来を指摘されても可笑しくない場面であった。そのため公爵が止めようとしたのだが、公爵の予想と反してヴェルムはどこか楽しそうですらある。
会話していた者に許可を出されれば、エリアーナ嬢が口を挟む事は許された事になる。貴族社会では高位の者のみに出せる許可であるが、この場において公爵はヴェルムに謝罪と感謝を伝える立場であり、この場に限って言えば明確にヴェルムの方が上位であった。そんなヴェルムが許可を出せば、公爵は黙るしかない。
開きかけた口をグッと意識して閉じた公爵はさておき、エリアーナ嬢は許可をくれたヴェルムに対して丁寧に礼をしてから己の意見を口にするのだった。
「寛大な御心に感謝申し上げます。わたくしの浅慮である可能性は否めませんが、そこにいらっしゃるカリンさんが関わるのではないでしょうか。」
そう、隅で待機していたのは零番隊特務部隊所属のカリンであった。スピア公爵が訪問すると分かった段階で、ヴェルムの指示により魔導学院の寮から呼び戻されていたのである。カリンは公爵家親娘が入室した時には既に団長室に待機しており、アイルが立つ壁際とは反対の、扉から最も遠い壁に背を向けて綺麗な姿勢で立っていた。
執事服を着たアイルとは瓜二つの容姿を持つカリンに、ここで初めて目を向けたスピア公爵。彼の育ちからして、部屋に待機する使用人に目を向ける事などない。一々他所の使用人の顔など見ないからだ。加えてあまりに自然に立っており気配も薄いためか、その存在に今気付いたようだった。
エリアーナ嬢の意見を聞き、驚いたようにカリンを見たスピア公爵。よく見れば魔導大会で優勝した娘よりも高度な魔法を使いこなす飛び級生だと分かる少女の事は、公爵自身もその試合を見ていたためにその容姿でもってすぐにそれだと理解が追いつく。だが、果たしてこの飛び級生が今回の件とどういう関係があるのか。そこが公爵には理解できない。
末っ子姫に与えられた才能は魔法だけではなかった。魔法を得意とする者は知能も高い傾向にあるのは事実だが、それを差し引いてもエリアーナ嬢の教養の高さは武門の家系において稀と言わざるを得ないほどの才能があった。
その娘が言う、飛び級生と今回の提案にどういった繋がりがあるというのか。考えても分からなかった公爵は降参とばかりに隣に立つエリアーナ嬢を見つめるしか出来なかった。
「流石はスピア公爵令嬢。正に槍の如き鋭い考察だね。ご令嬢の言う通り。そこのカリンが大いに関係しているよ。さて、もっと詳しく聞かせてもらえるかい?」
だが反対に、ヴェルムはその回答に満足そうな笑みを浮かべた。エリアーナ嬢の回答を気に入ったのか、先ほどまでの企むような笑みは既に無い。そんなどこまでも楽しそうな師父を若干呆れたように見るカリンだったが、まだ発言の許可が出ていないからか黙ったままだ。
父である公爵が答えられないと分かったエリアーナ嬢は、ヴェルムの褒め言葉に首を振って謙遜を返しつつも、完全に答えられるまでは本当に褒められている訳ではないのだろうと漠然と感じていた。そしてその予想は正しい。ヴェルムは自分も他人も等しく過小評価もしないが過剰評価もしない。楽しげな笑みの裏には、エリアーナ嬢を見定めるような想いがあるのは確かだった。
「正直に言えば、カリンさんが関わっているという予想は絶対の自信がありました。しかしその先は自信が無いのです。荒唐無稽な予想と笑われても良いような予想とも言えないものでございます。」
エリアーナ嬢は自信なさげに少し声を落とした。しかしヴェルムはそれでも構わないと続きを促す。エリアーナ嬢はチラリとカリンを見た後、一度だけ会った事のあるアイルを見てからヴェルムに視線を戻し、静かに息を吸い込んだ。
「では僭越ながら…。ドラグ騎士団に関して、アルカンタでは様々な噂が流れております。それは団長様の事であったり、団員の方々の事であったり。その中の一つに、団員同士を家族として扱う、というものがございました。それが本当であれば、団長様にとってカリンさんは家族。あれほどの実力を持ったカリンさんであれば、その修行は想像すら出来ない厳しいものだったでしょう。となれば、同年代の友人などほとんどいらっしゃらないはず。そうと知らないわたくしが、彼女の友人として名乗りを挙げた事に対する礼、というのがわたくしの予想でございます。」
随分と迷いながらも最後まで言い切ったエリアーナ嬢だったが、自分でも言いながらこれはないと思った。
国を護る騎士団の団長が、仮に家族と看做している者の事だとしても、その者に友達が出来たからといってその親に恩を売るような真似はすまい、と。
あまりに無茶苦茶な事を言っている自覚はある。だからこそ、最後の方は顔を赤くしながら言ったのだから。
この予想がおかしいと感じたのは彼女だけではない。隣に立つ父も同じであった。途中でヴェルムから鋭い眼差しを向けられなければ、娘の発言を止めていたに違いない。
だが、嬉しそうにその予想を聞いていたヴェルムは違った。先ほどよりも更に楽しげな笑みを浮かべ、何度も頷いていたのである。その姿は、エリアーナ嬢の周囲にもいる、己の子息や子女を溺愛する所謂親バカと呼ばれる類の者にしか見えなかったのだ。
そしてエリアーナ嬢が言い切って数秒後。ヴェルムは機嫌良さげにこう言った。
「素晴らしいね。スピア公爵、君は良い娘を持った。彼女の言う通り、うちのカリンの友人となってくれた彼女の親である君に、一つ礼でもしようかと思ったんだ。だから先ほどから言っているように、礼も謝罪も必要ないのさ。分かったかい?」
公爵家の親娘はキョトンとした。エリアーナ嬢など、自分で言っておいていざその回答が正解だと言われたのにも関わらず、あり得ないとばかりに目を見開いていた。当然ながら公爵も同じく目を見開いており、その姿は親娘なのだと納得出来る程似ていた。
「ヴェルム様。そろそろお客人をおもてなしさせて頂いてもよろしいでしょうか。」
そんな固まった空気を破壊したのは、これまで黙って気配を薄くしていたヴェルム専属執事の少年であった。
「あぁ、そうだね。公爵、それにご令嬢も。気が利かなくてすまないね。ゆっくり茶でも飲んで行ってくれるかい?」
ヴェルムが朗らかな顔でそう提案するのに、親娘は黙って頷く事しかできなかった。




