276話
…名前、安直ですかね?この章意外で出ない人はどうしても適当になってしまって…。
「つまり、その襲撃者たちが嘘をついている、という事か?」
静寂が訪れた謁見の間で、この場の最高権力者である国王が口を挟む。アデレイド侯爵は尋問される側であると正確に認識しているためか、質問以外には答えないつもりのようだった。
黙ってしまった尋問側の公爵たちの代わりかは分からないが、この国王の発言によって止まっていた刻が動き出した気がした。
「いえ、陛下。私も二度目の尋問に立ち会いましたが、彼らが嘘を吐いているとは考え難いでしょう。彼らは確かに、心の底からアデレイド家の私兵でした。」
ここまで黙っていたアクス公爵が、国王に言葉を返す。国王の考えに真っ向から否定を返す形になるが、それを不敬だと宣う頭の弱い者はこの場にはいなかった。
国王もそれを咎める事なく、寧ろ顎を摩って深く考え込んでいる。普段は目にしない、過程という場面に立ち会った事で興味をそそられているのだろうか。
国王に上げられる報告は、基本的に全て結果まで予想されるか結論が出たものばかり。その過程で生まれた苦労や道のりというものが報告される事はなく、それにサインをするという仕事をしている。
例えば、AとBを合わせたらこんな物が出来ました、売りたいので許可ください。と、こんな報告が上がったとする。AとBを合わせるという答えが出るまでのその過程で、AとCを合わせたらこういう物になり、こういう理由で駄目だと判断した。というような情報は含まれないのである。
報告書や許可申請書というのはそういうものであり、だからこそ滅多に見られない推理の場面など、国王としては多少の我儘を通しても見てみたいものなのだろう。
これが国立魔導学院で起こった事件だから、と言って言い訳にするのはお見通しである宰相も、偶には息抜きも良いかと許しているのがその証拠である。
アクス公爵の言葉にしばらく考えていた国王は、分からないとばかりに苦笑してスピア公爵を見た。だが見られてもスピア公爵とて分からない。分からないからこそ襲撃者が主君と呼ぶアデレイド侯爵本人に出てきてもらったのだから。
しかし本人に話を聞いて、より一層分からなくなってしまった。迷宮入りだけは避けたい。折角、武門の公爵家の世論を持ち上げたのにも関わらず、真犯人が誰であるか突き止められなかったとなれば元の木阿弥である。
そんな東の国の言葉を思い出すくらいには焦りが見えるスピア公爵だったが、救いの手は意外な所から差し伸べられた。
「失礼します!国軍の者が参っております。」
謁見の間の扉を護る近衛騎士の声が響いた。謁見の間の扉には、内側と外側にそれぞれ複数の近衛騎士が守備についている。外の近衛に誰何されつつ、急ぎの報告だと受けたのだろう。普段であれば謁見中に呼び出された者でなければ入れないこの場に、近衛が入場の是非を問うような真似をする事自体、入れる必要があると近衛が判断した証拠だ。
その意外な乱入者に、国王は下を向いて考えていたその思考を中断させて公爵二人を見る。その公爵二人も驚いている様子からして、一体何が、と考えているのは想像に難くない。であれば二人も予想外な部下の登場。この迷宮入り一歩手前の事件を解決する鍵かもしれないとなれば、国王が入場を拒否する理由など一つもなかった。
「通せ。」
はっ!
近衛の太い声が敬礼と共に返される。それから少しして大きく重い扉が開くと、現れたのは確かに国軍の制服を着た一人の騎士だった。
騎士は重厚な扉が閉まると共に国軍の最上礼で腰を折り、上司の公爵というより国王に対してそれを向けているのが分かる様子で敬意を見せた。これは騎士として正しき行為であり、彼が貴族の出身である事を理解させる。平民であれば如何に騎士学校で教わっていても、このような場でその場に相応しい礼を尽くす事など咄嗟には出来ないからだ。
加えて、最近は少し風化したとはいえ、やはりまだ貴族の出身である騎士が出世するという事情もある。伝令のためとはいえ、貴族がこの役に選ばれるのはここが謁見の間であるという理由もあるのだろう。この伝令を選んだ者が、謁見の間で尋問が行われていると知っていたかは分からないが。
そんな伝令の騎士は、赤い絨毯を踏みしめながらゆっくりと、しかし気持ち急いで公爵たちの下へ向かう。その手には厚く膨らんだ封筒があり、その存在を主張していた。
緊張感漂う謁見の間で、どうにか公爵の下へと辿り着いた騎士は、軍務卿であるスピア公爵が手を差し出した事で迷う事なくその手に封筒を乗せた。どちらに渡すか迷っていた事を見抜かれた訳ではないだろうが、騎士としてはそれがとても助かる事だったのは間違いない。
スピア公爵は封筒を開ける前に国王の方を振り返り、国王が頷いた事を確認してからそれを開けた。中から出てきたのは当然の如く紙の束。それらにはびっしりと字が書いてあり、表題のようにして少し大きく書かれた一番上には、"魔導学院襲撃事件について"と記載されている。
まさかここで関係ない事件などについての報告など持って来ないだろうが、それでも少しだけ安心したのは公爵が悪いのか。手柄を挙げる事が難しい今の国軍において、己の欲に塗れた承認欲求の塊のような、生まれの地位だけ高い無能な部下の事が頭を過ぎる。
しかしそんな雑事に思考を奪われる訳にもいかず、スピア公爵は努めて冷静に報告書に目を通した。
パサリ。報告書を捲る音が止むと、一枚読み終える毎に隣のアクス公爵へ渡していた手が止まる。スピア公爵は伝令の騎士を立たせたまま、アクス公爵が読み終えるのを待たずに国王の方を向いた。
「お待たせして申し訳ありません。この報告書によれば、襲撃者の正体はアデレイド侯爵の私兵ではありませんでした。侯爵、ご迷惑をおかけした事をここに謝罪する。」
そう言って頭を下げたスピア公爵に、驚いたのは伝令の騎士だけだった。謁見が始まった時から、周囲には近衛騎士や文官が並んでいる。そんな衆目のある場で、公爵という立場の者が頭を下げたのである。
しかも、スピア公爵が頭を下げると同時に報告書を読み終えたアクス公爵も、同じように少し遅れて頭を下げた。
これには部下である伝令も頭を下げるしかない。上司が頭を下げているのに部下も下げないなどというのは許されないという考えからだった。
「いえ。謝罪は結構です。それより、何故私の私兵という疑惑が生まれたのかを説明していただいても?」
アデレイド侯爵は、国軍の三人が頭を下げる時間を引き延ばしたりはしなかった。寧ろ慌てて頭を下げた伝令が頭を下げきるかどうかといったタイミングで声を発し、最初に頭を下げたスピア公爵ですら数秒だけしか頭を下げていない程の短さで頭を上げさせた。
そこに焦りも愉悦もなく、淡々と言う侯爵の姿があったのは言うまでもない。
頭を上げたスピア公爵は、もう一度だけすまないと小さく呟き、隣のアクス公爵を見る。説明は報告書を持っている彼に任せるという事だろう。
その視線を受けたアクス公爵は、心得たとばかりに一つ頷いてから報告書へと視線を移し、それを読み上げるように説明を始めた。
「我々の予想通り、確かに襲撃者はアデレイド侯爵に忠誠を誓っておりました。しかし、彼らはどうやら主君と面通しをした事が無かったようです。加えて、彼らは元々傭兵団でありました。小国郡との南方戦線にて傭兵として働き、その際にアデレイド侯爵の元寄子であるアージノス伯爵の傘下として武功を立てております。」
"元"寄子というのは、読んで字の如く。寄子だったが寄親に頼らずとも自立出来るだけの財力とコネを得たとして、寄親と対等になるために独立する貴族がいる。アージノス伯爵はそういった貴族の一つであり、アデレイド侯爵の下には他の貴族家よりも、独立を目指す多くの寄子がいる。
これはアデレイド侯爵が推進している方針で、いつまでも何代も侯爵に世話になるな、という叱咤なのである。
そのため他にも"元"寄子という貴族は多く、今は立派に独自のコネクションで生計を立てている貴族は割とどこにでもいた。
その中でもアージノス伯爵は少しだけ事情が異なる。他の寄子が巣立ちをしていく中、アージノス家だけはアデレイド侯爵に追い出されるようにして寄子を辞めている。
その事情を知っている者は、その名が出ただけで凡その流れが把握出来たのは確かだった。
「そのアージノス伯爵は、傭兵に対して己はアデレイド侯爵の部下であると説明していたようです。特に今回の襲撃事件を起こした彼らは、南方戦線にて壊滅しかけた所をアージノス伯爵軍によって助けられており、それすらもアデレイド侯爵の指示だと聞いていたと言います。それから彼らは、アージノス伯爵家ではなくアデレイド侯爵家に雇われる事になったと、伯爵の遣いから聞いていた、と。新しく用意された拠点にて命令を待ちながら訓練を続けていたようです。」
アクス公爵の報告は続く。アデレイド侯爵と袂を分つ前なら兎も角、追い出されたというのにそんな行動を取る理由が分からない。あるとすれば私怨か。しかし私怨で報復するにしても、アデレイド侯爵の名が上がるような事をしたのは何故か。
その答えこそが魔導学院襲撃なのだろう。忠誠心高き元傭兵が、私兵としてアデレイド侯爵の名を掲げて学院を襲う。
確かにそれはアデレイド侯爵の名を落とすのに格好の材料になるだろう。事実、この場の国王たちは気付いていないが、現在アルカンタでは魔導学院襲撃の犯人がアデレイド侯爵だったという噂が一部で流れていた。
だが、一部である。その噂は学院襲撃の号外が出ると同時にばら撒かれたのにも関わらず、大して広がっていないのである。その理由は報告書にも書いていなかった。
「結果、アージノス伯爵からの命令をアデレイド侯爵からの命令だと勘違いした彼らは魔導学院を襲撃。東の国の皇子が、魔導学院に通うアデレイド侯爵のご子息を襲う計画をしていると言われたようです。」
アクス公爵はそう言って報告を切り上げた。だがその報告に驚く者は多い。
「私には子息などおりませんが。そもそも、妻帯者ではありませんからな。」
そう言ってアデレイド侯爵は、ほんの少しだけ尖った耳を揺らした。そう、彼はハーフエルフ。両親共にエルフでは無いが、先祖返りとしてエルフの特徴が出た者は皆ハーフエルフと呼ばれる。つまり、人族よりも長い寿命がある。
そして彼の言葉の通り、彼には妻も子供もいない。使用人すら最低限の彼の屋敷は、侯爵という貴族位最高の地位を持つにも関わらず小さい。同じ侯爵の位を持つ貴族の屋敷と比べれば、その何分の一か分からない程である。比べるとするならば、裕福な商人の家と変わらない、といえば良いだろうか。
そんなアデレイド侯爵の、無いものばかりが露骨に利用されている。元傭兵の襲撃者が、グラナルドではなかったことが大きな理由だろうか。仮にグラナルド出身でも、首都に住んでいるかアデレイド侯爵領の領民でもなければ、彼の家族構成や見た目を知らずとも不思議はない。
実際、襲撃者たちに用意された拠点は、アージノス伯爵領の領都郊外にある町にあったようだ。それを疑問に思わなかった彼らも愚かだが、私怨の為に他人の忠誠を創り出し利用するアージノス伯爵は、あまりに愚かと言えた。
「では、私の責任もあるようですな。陛下、私は本日限りで役を降りさせていただきたく。」
「待て待て。」
この報告が事実なら、アデレイド侯爵は責任が生じるだろう。高位貴族も含めた数多の貴族家の令息令嬢が危険に晒され、才能ある平民も巻き込んだ。そして何より、東の国皇子がいる場での襲撃。
この件を材料に東の国が物申し立ててくる事は確実だろう。友好条約をより有利な形で進めるために。既に成った条約でも、付け加える事などは難しくとも、特例異例として賠償を請求されてもおかしくはない。というより、普通は請求するだろう。継承権を持つ皇子を、グラナルドを信じて預けたのにも関わらず、その身を危険に晒したのだから。
アデレイド侯爵は、それらの責任を国の中枢に携わる文官筆頭の己が辞すれば良いと言っている。
しかし国王はそう簡単に片付けるつもりなどないようだ。それもそうだろう。彼ほど国に尽くし民に尽くしその頭脳を活かしてグラナルドという大国の基盤を支える忠義者は滅多にいないのだから。
元寄子が犯した失態を代わりに償うために払わせる代償としては、些か大きすぎる。しかし、幾千山千を乗り越えてきた国王であっても、変わらないアデレイド侯爵の表情は読めない。一体何を考えているのか、会う時は穏やかな笑顔を崩さない竜の友以上に分からなかった。
国王に対してもハッキリと意見を述べる侯爵を、どのようにして説得するのか。国王と侯爵の舌戦が広がるかと思えた謁見の間は、途端に先程までよりも強い緊張感に包まれた。
その時。
「その説得、変わってあげようか。」
場に似つかわしくない、ここにいるはずのない者の声が突如、全員の耳に穏やかに届いた。




