275話
エルフの里で長が倒れた時と同じ頃。中央の国グラナルド王国の首都アルカンタの、小高い丘に建つ王城の謁見の間にて。軍務卿であるスピア公爵と将軍の地位に立つアクス公爵、二人の公爵家当主が国王に謁見しているところであった。二人は軍礼の正装を身に纏い、数段登った場所にある玉座に座る国王に対して跪礼をとっている。
彼らが謁見を申し込んだのは、数日前に起こった国立魔導学院への襲撃事件について報告するためだった。
「面を上げよ。」
目上の者から話しかけねば下の者は頭も上げられないという伝統を、心の底から煩わしく感じて数十年。しかしこれも代々続く慣わしである事を考えれば、貴族社会の秩序のためにも必要な事だと理解はしている。
それでも面倒なものは面倒なのだと、国王の友である竜の騎士団長に愚痴を溢したのはいくつの頃か。その時は確か、友からこう言われたはずだ。
"それをやめたら君は、有象無象からも声をかけられ続ける日々が訪れるね。暇がなくなっていいじゃないか。やってみるかい?"
その莫迦にしたような言い方に腹が立ったのは確かだが、同時に友の言う事は正しくその通りである。そうする事で訪れるだろう日々を想像しただけでゲンナリとした若き日の国王は、それから心の内で面倒だ面倒だと唱えながらも、この慣わしを変える気は起こらなかった。
だがしかし面倒だ。毎回偉そうに命令しなくてはならないのも面倒だし、こちらが声を出さないといけないのも面倒だ。早く言ってやらねば相手を疲れさせる事になるが、それすらも国王の威厳として利用せねばならない事も面倒くさい。
はぁ、とため息を漏らしたくなる衝動にどうにかして打ち勝った国王は、そんな内心などおくびにも出さずに、やたら豪華な玉座の肘置きに肘を立ててから拳を作り頬にあてる。
偉そうな自分が嫌だと思いながらも、長年染みついた行動は事実偉い国王の存在感を偉そうにする助けを果たしていた。
「して、魔導学院の襲撃事件についてだったか。」
壮年に差し掛かる国王にとって、目の前で跪く二人の公爵は歳上で政界の猛者たち。世間的には、長い間侵略戦争をしていなかったグラナルドで、権力と財力を誇示するだけの武家とも呼ばれる事があるのは国王も知っている。
だからこそ今回、友であるヴェルムから提案されたこの方法を採用したという背景がある。国王も認可したとなれば、武門の公爵家は王家に対する恩を感じるし、世論も落ち着くと考えたためだった。
実際、事件から数日しか経っていないにも関わらず民の反応はすこぶる良い。攻め滅ぼしたい国など無いに越した事はないが、それでも武門の家系は必要なのだから。
国防はドラグ騎士団が担っているとはいえ、それも契約によって限られた期間のみ。次代であるユリア王太女が契約の更新をするかどうかはその時にならねば分からない。無論そんな心配は必要ないとは考えているが、それにしても国軍を率いる彼らの存在は国にとって重要な存在である事は確かなのだ。
国王が問いかければ、跪礼のまま顔だけを上げた二人の内、代表するように軍務卿であるスピア公爵が口を開いた。先日の魔導大会では、彼の娘が団体で優勝、個人では準優勝となったのだったか。
観覧した国王も、あれだけの魔法が使える娘をもった公爵はきっと誇らしいだろうと思う。当然、うちのユリアも負けてないが、と言いたいところだが。
「はっ。此度の襲撃において、それを指揮する指揮官を捕縛し尋問したところ、アデレイド侯爵の名が出ました。しかしどうにも腑に落ちない点がありましたので、そちらは報告書という形に纏め、我らで追加の調査を行ったのですが…。」
スピア公爵はそこまで言うと、苦虫を噛み潰したような表情で一度言葉を切った。同時に、隣で黙っているアクス公爵も似たような表情をしている。何か言い難い事でもあるのかと国王が黙っていれば、数秒で覚悟を決めたように顎を引いて、再度スピア公爵が口を開いたのだった。
「ですが、アデレイド侯爵家は昔から代々王家に忠誠を誓う家門。文官筆頭である御当主であれば、そのような愚かな真似はしないと考えたのです。そこで捕縛した襲撃者達を再度尋問しましたが、確かに彼らはアデレイド侯爵家に仕える私兵でした。なれば陛下、アデレイド侯爵にそのような心積りがあるのかどうか、直接取り調べをする許可をいただきたく。」
スピア公爵の語る通り、確かに襲撃者は侯爵家の私兵だった。だが文官筆頭の侯爵がそのような無謀な行動をとるとは想像し難く、東の国との友好に反対しているからという理由だけでは納得し難い程に彼は国に忠誠を捧げている。
それは公爵家たる二人から見ても分かる程で、二人も国王へと忠誠を誓った騎士として、同じく忠誠を誓った者を見通す程度の眼力はあるつもりだった。
そんな二人だからこそ感じた違和感。今はアデレイド侯爵の私兵が学院を襲ったという事実を伏せているが、遅かれ早かれ露呈してしまうだろう。そうなる前に、侯爵がやったのかそうでないかを確かめる必要があった。
ここで問題になるのは、貴族に対して捜査権を国軍が持たないという事。近衛騎士団であればそれを持つが、国軍は各領主の私兵を集めて戦争に向かう集団である事実から、汚職の温床になる可能性を考慮して捜査権を与えられていないのだった。
近衛とは別に、ドラグ騎士団も貴族や王族への捜査権を持つ。なんなら法も影響しないため、仮に彼らが有罪だと判定しその場で斬首形に処しても、それが王族であれ文句は言えない。その事に対していつの世も文句が出るが、悪い事をしなければそんな事にはならないと歴代の王はそれを認可し続けている。
玉座に座りスピア公爵の話を真剣に聞く今代国王もその一人である。
アデレイド侯爵はこの場にはいない。普段なら謁見がある際はここにいるのだが、今回は国王からの指示で下がっているのである。
国王はスピア公爵の意見を聞き、数秒だけ黙ったままその目を見つめた。この行動はよくある事で、下級貴族が国王へ裏取り出来ていない情報や嘘を手土産に様々な要求を宣う際に必ず見られる行動だった。当然、高位貴族にもこれをする事はある。普段は畏怖の対象という目で見られず、寧ろ気さくで人の良い国王だと認識されているからこそ、この真実を見抜かんとするような、心を見透かされているような瞳に耐えきれず慌てる者が多いのである。
だが、スピア公爵は違った。断じて今述べた事に偽りは無く、アデレイド侯爵の仕業であると決めつけるのは早計だと考えているのも確かだ。今は審判の時。この瞳の圧力に負けて視線を逸らすような事があれば、国王は公爵の言い分を棄却するだろう。なれば耐えるしかない。
公爵という王家を除けば最高の地位を持つ公爵ですら、目の前で黙ったまま己を見る国王に気圧されるような気がしてならない。公爵は武門の家系で、目の前の国王など剣を交えれば百戦百勝である事は間違いないというのに。
それは何秒だったか。それとも何時間か。公爵にとって永劫とも取れる時間は、実際のところたったの十秒程だった。
徐に瞳を閉じた国王は、一つ頷いて近くに立ったまま待機していた宰相を呼ぶ。宰相は全て分かっているとばかりに丁寧に腰を折ると、謁見の間の関係者が出入りする扉から出て行った。
再度沈黙がその場を支配するかと思えば、意外な事に国王が公爵二人へと声をかけた。それは先ほどまでの緊張感ある雰囲気とは違う、どこか温かさを感じる力を抜いた声だった。
「二人とも、立っておれ。侯爵よりも位が上でいて、しかも彼は容疑者だ。お主らが立っておらねば尋問にはなるまい。あぁ、侯爵が来たらこの場で尋問せよ。良いな。」
貴族への尋問。それは大抵、豪華な客間のような一室で行われる。唯一客間と違うのは、警備兼監視の騎士がおりそこからは許可なく出られないという事だろうか。
近衛騎士の行う貴族への尋問は、見方によってはただの接待である。茶が出され菓子が並び、高級なソファに座って質疑が行われるのだから当然だろう。
しかし今回、国王はここでやれと言った。つまりは謁見の間でという事であり、更にはおそらく、国王もそこに同席するつもりなのだろう。これは異例中の異例だ。国軍が貴族への尋問を行う事もだが、それ以上に国王の前で、というのもあり得ない。もし仮に侯爵が黒であれば、それは王家へと叛意を持っていると証明されるのだから。そんな危険な場所に国王を滞在させるなどあり得ない。
そう考えたスピア公爵は、国王の言葉に従って立ち上がってから隣に立つアクス公爵を見る。アクス公爵もスピア公爵を見ていたが、そこには若干諦観の念が見えた気がした。反対しても国王は聞かないと思っているのだろう。
であれば、もしもの際にはこの身を盾にしてでも国王を御守りせねば。そう考えたスピア公爵の意思を受け取ったのか、アクス公爵は頷きを一つ返してきたのだった。
「陛下。アデレイド侯爵をお連れしました。」
宰相が戻って来るのにそう時間はかからなかった。やはり普段は謁見の間で共に過ごすからか、外されたとはいえ近くにいたらしい。もしくは、彼を外した国王自身、こうなる事を予想していたか。
どちらにせよ、国王に相対してずっと黙っているのは精神的にも辛い。公爵二人にとっては侯爵が早く現れたのは行幸だった。
「陛下。お呼びと窺いまして参上しました。」
理由も告げずに謁見の間から外されたというのに、侯爵は不満など一つもないように丁寧な礼をしてみせた。それが本心から憤慨していないかどうかは分からない。しかし公爵二人から見ても侯爵は、王家に忠誠を誓った騎士と同じような潔さが見えた気がした。
そんな侯爵に国王は緩く手を振ると、その手で公爵二人を指し示してからゆっくり口を開く。
「普段と違う事ばかりですまぬな。苦労をかける。侯爵を呼んだのは他でもない、先日の魔導学院襲撃事件の首謀者が、お主であるという供述が取れたからだ。」
如何にも普段の会話ですと言わんばかりの言い方で、内容はとんでもない事を平然と言い放った国王。しかし侯爵はそれを聞いて片眉を上げると、視線を国王から二人の公爵へと自然に移してまた戻す。それだけで経緯は全て理解したようだった。そして、彼が今回だけ謁見の間から追い出された理由も。
賢い。公爵二人はそう思った。状況や己の置かれた立場を瞬時に把握する能力。そして己の状況が悪いと察しても一切動揺しない胆力。流石に文官筆頭というだけあってか、その表情には焦りも無ければ言い訳を考えているようにも見えなかった。
そんな侯爵へ自然と警戒心を強める公爵二人は、たったそれだけで犯人である可能性を高めた己の思考を否定する。しかしあまりに動揺が見えないのもおかしな話だと考えれば、侯爵を疑ってしまう気持ちとあり得ないという気持ちが同時に存在してしまうのも無理からぬ事だった。
「であれば陛下。私はここで軍務卿と将軍から尋問を受ければ良いのでしょうか。」
「うむ、そうなるな。」
「畏まりました。陛下のご指示とあれば。」
「うむ。椅子はいるか?」
「必要ありません。そう時間もかかりますまい。」
「で、あるか。さぁ公爵、侯爵は尋問を受けると申しておる。好きに質問せよ。」
流れるような会話で唐突に始まった尋問。公爵二人はそれに着いていくのがやっとだったが、それでも国王からの指示は出た。ならば即座に始めねばならないだろう。
謁見は基本、極短時間で終えられる。国王の執務が溜まっているのもあるが、謁見を長引かせてしまうと後ろが困るのである。ただでさえ謁見の申し込みから実現までに時間がかかるというのに、今日はここまで、と区切られてしまう後ろの者は災難である。
その者たちから恨まれたくはない。ならば侯爵の言う通り、早く始めて早く終えなければならない。そんな思いが二人をせき立てた。
「アデレイド侯爵。事件の詳細について説明が必要か?」
「いいえ。魔導大会の後夜祭を行なっていたところに襲撃者が現れ、それをお二人が率いる国軍にて対処された、というところまでは聞き及んでおります。」
流石に文官筆頭ともなれば、おそらくそれ以上の情報も掴んでいるのだろう。だが侯爵が語ったのは事件を知っている者なら誰でも知っている事で、それが逆に違和感を覚えさせる。
「その襲撃者を捕え尋問したところ、彼らの所属はアデレイド侯爵の私兵であるという事が分かった。これについて申し開きは?」
これしかない。アデレイド侯爵に対する疑念としては、たったこれだけの情報しかないのだ。だが状況証拠としては揃いすぎており、アデレイド侯爵が白であるという証拠は無い。実行犯ではない以上、指示をしたしてないの水掛論になる事は想像がつく。
しかしここは国王の座す謁見の間。ここで嘘など許さないと他者に強要している立場の者が、まさか嘘を吐くなど出来はしまい。公爵二人が感じた、侯爵の忠誠が本物であるのならば尚更だ。
そんな公爵たちの考えを見透かすような真っ直ぐな視線を彼らに向けた侯爵は、いつものように少しだけ刻んだ眉間の皺を更に深くして少しだけ考え、そして口を開いた。
「何を勘違いしたかは知りませんが、私に私兵などおりません。領地にて確認されても良いですが、それでは手間でしょう。確かに隠れて私兵を持つ貴族も多いようですが、私にはそんな暇はない。陛下にお仕えするのに手一杯ですからな。」
この答えは公爵二人を驚かせた。私兵を持たぬ高位貴族などいないと思っていたからだ。ではグラナルドが戦争をするときはどうするのか。そんな事を考えてしまう程に公爵は私兵の存在が当たり前の物として映る。
だが侯爵は違う。彼は文官であり、彼の住まいですら首都にある。領地に帰る暇があるはずもなく、社交シーズンですら侯爵は城で仕事をしているのだ。それでいて夜会などには参加しており、彼を慕う寄子や勢力バランスを調整するために必要な他派閥とのやり取りなどもしっかりと行なっている。
確かに、考えれば考える程私兵を維持する必要もなければそんな暇もない。
しかしそうなれば、あの指揮官はどうなるのだ。あれほど主君に忠誠を誓う私兵は多くなく、また部下想いである指揮官は悪徳貴族の下にはいない。アデレイド侯爵ほどの人物であればそれもあり得ると考えたからこそ、指揮官の言葉を信じたのだ。
一応とばかりに部下も尋問したが、そちらも同じくアデレイド侯爵の私兵だと言った。その様子は演技には見えず、本気でそう思っているのがよく分かった。
だからこそ。侯爵が私兵を持たないというのは信じられない。混乱する公爵二人と反して冷静なままの侯爵は、それを見てまた何やら考えているようだった。
「な、ならば何故、心から忠誠を誓った騎士のような心持ちの彼らは、アデレイド侯爵こそ主君だと言う?恩義があるのだと言っていたのだ。救われた、とも。そんな彼らの存在を無いものとして扱うような不義理をすると言うのか。」
騎士として育った公爵は、忠誠という言葉を他人が思うよりも遥かに重く考えている。忠誠を誓った相手のためならばその命すらも惜しまないのは当然の事であり、それは領民という背負う者たちがいても変わらない。
そんな己達と同じである襲撃者が哀れに感じてならない程、侯爵の態度は騎士として、仕える者として許せなかった。
「ふむ。そう感情を荒ぶらせては尋問は出来ません。どうか落ち着きください。そもそも、その者達は本当にアデレイド侯爵の私兵ですか。」
冷静な侯爵が顎に手を当てて問う。それは誰が見ても、己の潔白を証明しようと言い逃れをしているというよりは、事の真相を明かそうと淡々と事実を確認しているように見えた。
「そうだと言っている。あれだけの忠義に溢れた者たちが言うのだぞ。主君を間違うなどあり得ない。」
まるで犯罪者を庇うような言い方をするスピア公爵に、アデレイド侯爵は敢えて突っ込まなかった。それに気付いた国王も最初以来黙っており、尋問を見るだけという方針は変わっていないのだろう。
「おかしいですな。振り出しに戻るようですが、私には私兵はいない。そもそも護衛など必要ありませんからな。戦の事に関しても、陛下から我が領地から兵を出す必要はないと承っております故。」
護衛がいらないとはどういう事か。いや、陛下から許可を得ている?意味がわからない。
公爵たちの正直な気持ちだった。尚も混乱を深める二人だったが、侯爵が言う通り振り出しに戻っている。指示をしたしてないの話になるかと思えば、そもそも私兵はいないという段階で話をするとは思っていなかったのである。
質問する側の公爵から言葉が止まる。それだけで謁見の間は、痛い程の静寂で満ちるのだった。




