274話
「なっ!最終勧告、だと!?」
「ふん、天竜などと呼ばれて尊大になり過ぎたか。蜥蜴め。」
エルフの里に届いた一方的な内容の書簡は、送り主の想定通りにそれぞれの宛先へと正確に届けられた。
書簡を脚に括り付けて飛んできた鷹の魔物は、里に飛来すると同時にエルフの戦士による攻撃を受けた。しかし風属性魔法によって矢や魔法を弾き飛ばし、そのまま宛先へと真っ直ぐに飛行したのである。
この魔物はドラグ騎士団零番隊の隊員がテイムしている魔物で、騎士団の訓練を興味深く覗いていた事から試しに訓練を共にさせると、魔法や近接戦闘での訓練に楽しそうに参加したためそのまま続けたという経歴がある。
それのせいか、やけに戦闘技術の卓越した鷹の魔物が爆誕した訳で。今ではこのように書簡を届ける際に戦闘が予想される場合に選ばれる、ドラグ騎士団きっての配達員だ。
賢い魔物は宛先の人物の前に数度羽ばたいて着陸し、器用にも嘴で己の脚から書簡を取り外して投げた。
ハラリと落ちたそれはその場の全員の目を集め、その隙に大きな翼を広げて羽ばたき去る。あっという間の早業で、それを二箇所に渡って行った魔物は既にエルフの里を飛び去ってしまっている。
現在、エルフの王が住まう四本の大樹と、里の長の家に寝泊まりしている王子の元にそれぞれ書簡が投げられており、それを読んだ両者の反応は見事に違うものだった。
焦ったように書簡を長へと見せる王子とは反対に、王には何処までも余裕が見える。この態度の違いが彼らの運命をどう分けるのかは分からないが、両者共に王としての素質は感じられないという点でのみ、親子であると分かる場面であった。
「じぃ!これは、エルフ族はもう守護者としての任を解かれるという事か…!?」
まだ書簡を読み終えていない長に縋り付くように聞く王子。長は王子に落ち着くよう言いながらも書簡を読み進めた。そして読み終えると、眉間に皺を寄せて大きなため息を吐く。王族の前で不敬ではあるが、そうでもしないとやってられないというのが長の正直な心持ちだった。
「王子。」
やがて意を決したように真剣な表情をとった長は、短く王子を呼ぶ。木製のゆったりした椅子に深く腰掛ける長に縋り付くような姿勢だった王子はそれを聞くと、瞳を潤ませて長を見上げた。
「な、なんだ、じぃ。」
アレックスの前でとった気丈な姿は何処へやら。これが元来の王子の気性であり、古代エルフとしてはまだ幼年期といったところの彼にとって、このような一族の存亡が関わる難事になど毅然と対応出来る方がおかしい事であった。
それでも、あの時はやらねばならなかった。王族として閉ざされた教育を施されてきた彼にとっても、実父である王の態度はおかしかったのだから。
しかし早い。まだ数十年は猶予があると考えていたのに、書簡が届くのが早すぎる。だがそれに関してもエルフ側のせいである事は、書簡にしっかりと記載されていた。
王子は知らなかったのだ。父である王が、大迷宮へ送り込んだ他の里の戦士達を癒すために人族を攫おうとしたなどとは。だが、一族の王を名乗ろうという立場の者がそれを知らなかったなどと言えるはずもない。
ここ最近は長の指導によって教育を受け直している王子には、その事がよく分かった。
そんな王子のどうしたら良いのか分からないという視線の攻撃にも耐えた長は、甘やかしたいところを懸命に堪えて真剣な表情を努めて維持している。そして少しの間を空けてから、ゆっくりと髭に覆われたその口を開いた。
「よく聞きなされ。王子よ、これが最後の問いになります。」
王族らしくないと怒られた時よりも、遥かに真剣な様子でそう言った長に、王子は縋り付いていた姿勢から立ち直りしっかりと長の目を見た。そしてゆっくりと覚悟を決めるようにして頷くと、長の鋭い眼光が少しだけ慈愛の色を乗せた気がした。
「この書簡は王の元にも届いています。しかし内容は異なるでしょう。それは、闇竜様がエルフ一族を一纏めに考えておらぬ証拠。であれば王子。今この瞬間が、王になるというその御言葉を取り消す最後の機会になりましょう。」
「なっ、何を言うのだ、じぃ!僕、いや私は…」
「良いからお聞きなされ。儂の事はこの会話の後に処罰するなり好きになされよ。」
長の真剣な目は、王子のまだ幼い心に突き刺さるような剣呑な鋭さを持っていた。これまで厳しくも優しい一面しか見てこなかった王子にとって、二百年の間里の長を務めてきた長の、まだ見ぬ一面を見たような気分だった。
そしてそれは同時に、王になるのであれば己が併せ持たねばならない物だと気付く。こんな時ですら不甲斐ない王子を教え導こうという長を、どうして罰したり出来ようか。
折角引っ込んだ涙がまた溢れそうになるのを懸命に堪える王子を見て、少しだけ穏やかな笑みを見せた長。だがそれも一瞬の事で、またも厳しい表情で再度口を開いた。
「そのような覚悟で王が務まると御思いか!王になると嘘でも口にしてみせたなら、この不敬者がと叩っ斬る気概を見せなさい!」
長が顔を赤くして怒鳴るのを、王子は生まれて初めて見た。あまりの驚きに涙は止まったが、驚き過ぎて身体が動かない。誰も何も言わない長の家では、長の荒い呼吸音だけがやけに大きく聞こえた。
「じぃ…。私は、わたしは!王になるという言葉を嘘にするつもりはないぞ。だがじぃの言うような孤高の王になるつもりもない!だからじぃ、その目でよく見ているといい。私がどんな王になるのかを!」
これまでの甘さや幼さを捨てた王子は、見た目通り若い青年のように熱い心の内を宣言してみせた。次第に熱が篭るその語りを、長は満足そうに見ていた。
しかし。目を閉じて語っていた王子は、語るうちにじぃの荒い呼吸が聞こえていない事に遅れて気が付いた。
「じぃ…?じぃ!!」
目を開けた王子は、そこにいつも通りの穏やかな優しい目で己を見つめる長がいると信じて疑わなかった。だが目を開けて最初に飛び込んできたのは、彼の想像とは違う現実。
胸元が真っ赤に染まった長は薄目を開けているが意識は無く、どうにも満足そうなその表情は、長が先ほどまでそんな心境だった事を予想させた。
「じぃ!頼む!まだ私は王になっていないっ!目を開けろ、開けるんだ!これは命令だぞっ!じぃ…!」
溢れる涙をそのままに、王子は先ほどの自信に満ちた様子すらもかなぐり捨てて長の身体を揺らす。エルフ族の優れた聴力でもその呼吸は聞こえず、触れれば長の身体を巡る魔力が少しずつ動きを止めていくのが分かってしまった。
「だ、誰かっ!誰かおらぬか!」
長の家の玄関に向かって必死に叫ぶ王子は、一瞬だけ悪しき想像をしてしまう。もし仮に父である王が人族の治療師を誘拐出来ていたら。この場にその者がいれば。
だがそんな妄想は目の前で横たわる長を見て霧散する。先ほど長に誓ったばかりだ。王子は孤高な王ではなく、周囲と話し合いを持ちながら民を導く王となるのだと。
悪い想像を打ち消すように頭を振る王子は、またも外に向かって叫ぼうと長の側を離れる。走って玄関に向かってその取手を乱暴に掴み、その勢いのままグッと扉を力任せに開いた。
「おっと!王子、急に扉を開いたら危ないですよ。」
そこに立っていたのは、先日里に戻ってきたこの里出身のエルフだった。王子の記憶によれば、彼は戻るなり外を旅してきたという実力で戦士を下し、王の側付きに任命されていたはずだ。つまりは父の側近であり、王子にとってはこれからの行動如何によって敵となる可能性がある人物である。
「貴様は呼んでいない!ここに何をしに来た!」
今は長の命に関わる大事な時。このような事で時間を取られたくはなかった。だが、この者を放って治療師を探しに行けば、長の家に入って長が倒れているところを見てしまうだろう。
ここ最近は王子が長の家に寝泊まりしている事もあり、王から目を付けられている。そうなれば王子が王となる事に賛成している民にも、長が倒れたという情報が伝わってしまうだろう。
長が倒れたなら別の教育者を、と王が別の側近を送ってくる可能性もある。故にこの者にバレる訳にはいかなかった。
「まぁまぁ。王子が叫んでる声が外まで聞こえてましてね。何かあったかと様子を見に来たって訳ですよ。そんな訳で、そこ、どいてくれやしませんかね?」
だが目の前の男は王子の言う事を聞いてはくれなかった。寧ろ、王子の後ろ、つまり家の中を頻りに気にしている様子だった。ここで押し問答をする暇などない。しかし目の前の男は手強かった。
そこに、また別の者の声が届く。そちらは女性の声だった。
「貴方、まだこんな所にいるの?早くしないと!」
彼女も最近里に戻ってきたエルフだ。里を出るエルフが多くないのもあるが、それ以上に戻ってくるエルフはもっと少ないため、立て続けに里帰りを果たしたエルフの事を王子もよく知っている。
何より、彼女は王子派の民と仲が良い。彼女が明言した訳ではないが、その態度からきっと王子派なのだろうと思っていた。
そんな味方だと思われる女性が来た事に、王子は少しだけ安堵した。目の前の男の相手は彼女に任せ、王子は治療師を探しに行けば良いのだから。
しかしそれには問題がある。どうやって女性にだけ現状を伝えるかだ。その方法をあれこれ考える内に、王子以外の二人は何やら焦った様子で話し始めた。
「仕方ないだろ?王子が話を聞かねぇんだ。」
「そんな事言っている場合じゃないでしょう!?はやくしないと!」
「分かってるよ!んなこたぁ俺の方がな!」
「あぁ、もう!王子!」
苛ついた様子の二人はそこで口論を止め、同時に王子を鋭い目つきで見た。思わず肩がビクッと跳ねた王子は、それを懸命に隠しながらも動揺は隠せなかった。
「な、なんだ?」
しかしそれでも王子らしくとは言えないが返事は返す。だがそんな虚勢は女性の放った言葉で脱兎の如く消え去った。
「いいからそこを退きなさい!」
怖かった。こちらはエルフの王族なのに。もうじき王を継ぐのだと覚悟を決めたのに。民の一人に怒鳴られただけで身が竦むとは。
そんな落ち込んだ王子を無視して家に乗り込む二人に、王子は手を伸ばす事すら出来なかった。
「さっさと始めて。必要な物があるなら言いなさい。」
「あぁ…、こりゃ大動脈が弾けてやがる。乖離した部分治しながら心臓を動かすぞ。最初は弱く、それでもダメなら少しずつ強く電気流してくれ。」
「わかった。タイミングは指示して。」
「勿論だ。」
まるで長が倒れている事が分かっていたかのように動揺もなく動く二人に、王子は唖然とするしかない。だが医療の知識など無い王子にとって、彼らが何か長に悪い事をするのではないかと気が気でなかった。
「お、お前たち…」
「静かにしてなさい。」
恐る恐る声をかけてみるも、女性にピシャリと言い放たれてまた口を閉じる。やっぱりこの女性怖い。涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら、王子は拳をキツく握りしめるしか出来ない。
そんな王子に、集中した様子の男が声をかけてきた。その声は緊迫していたが、その中に王子を気遣う色が含まれている事に気付かない王子ではなかった。
「王子。長を助けたいでしょう?ならまずは扉を閉めて。それから、長を寝かせる寝所の準備をお願いできますかね。大丈夫。長は僕と彼女が治しますからね。」
王の側近である彼の言う事など、王子は信じたくなかった。王子が目を離したその隙に、長に止めをさしてしまうかもしれない。だが、もしその言葉が本当なら。王子がこの場にいる事は邪魔でしかないだろう。
王子にとって最も大切な存在を賭けた二択に、即決出来ないでいた。しかしそんな王子に、またも男の声が聞こえてくる。それはどこか呆れたような、自分の失敗を責めるような声色だった。
「名乗り遅れてすみませんね。そういやぁ王子には言ってなかったんでした。僕と彼女の所属はドラグ騎士団零番隊、ゆいな隊の第六小隊です。この里出身だから潜入しやすいって事で里帰りしてました。そんな訳で、僕の主人はエルフの王じゃありませんよ。ご安心ください。」
なんだそれは。最初からそうと言ってくれ。
王子の心に最初に浮かんだのはその言葉だった。だがすぐに思考を切り替えると、開きっぱなしだった玄関の扉を閉めに行く。そして寝所の準備をするために彼らの横を通り過ぎる際、王子は一言だけ呟くように言った。
それは聞こえるか聞こえないかといった声量だったが、聞こえなくても問題ないと思ったからこその声量だった。
「じぃを、頼む。」
長の家の奥へと消えていった王子の背を、長の心臓が動き始めたが故に魔法を止めた女性が目で追う。男は治療師で、女性は戦闘員だ。だからこその役割分担だが、男はまだ破れてしまった大動脈を繋ぎ合わせるために集中している。
だが王子の言葉は聞こえていたようだ。
「頼まれちゃったわよ。とにかく心臓は動き始めたから。後はよろしく。」
「うん。任せてよ。四番隊のエースだった僕なら余裕さ。」
そんな簡単な訳がない治療を、敢えて余裕を見せて引き受けた男に、女性はふふと笑った。
これからのエルフ族を背負うかもしれない王子の、この世で最も大事な人を死なせられない。何より、この長は彼らほどではないが竜の血を継いでいる。なれば彼らの家族のようなもの。任務でなくとも救わないという選択肢はない。
ヴェルムからはエルフの里で怪我人が出ても完治させなくて良いと指示を受けているが、長だけは別だろうと独断で行動している。仮にこれでヴェルムから怒られても、二人は後悔などしないだろう。そもそも、ヴェルムから怒られるなどと万が一にも思っていないが。
それから長の治療を終えるまで、王子が長の寝所から出てくる事はなかった。




