270話
「わぁ…!可愛い!」
学院の施設内にある女子寮の、カリンが寝泊まりしている一室にて。双子はドレスの包みを開けていた。
寮に入る際、寮母の女性に顔を見せたアイルは、どこからどう見てもカリンと家族である事が分かるその顔と、ヴェルムから渡された立入許可証を提示した事ですんなりと入寮を許された。
この立入許可証は学院長が発行したものであり、学院に雇われた寮母が断る事など出来ない代物である。そんなものを何故ヴェルムが持っているのかと言えば、単純な話、カリンが現在遂行中の任務に関わりがある。
何かあった際の増援として団員を送るために準備したそれは、ヴェルムの手元にまだ複数ある。その内の一つをアイルに預けた、という訳だ。
「ありがとう、アイル!」
包みを開けたカリンは、すぐにその美しさに目を奪われた。魔力が織り込まれたそのドレスは、一目で分かる程に高級であった。こんなドレスは制作科以外に作れないだろう。
カリンのためにヴェルムが指示を出し、それを受けて制作科が作り、それをアイルが持ってきた。その流れが一瞬で分かってしまうくらいにはカリンも察しが良く、またそれだけドレスが見事でもあった。
「僕は持ってきただけ。礼ならヴェルム様に。」
相変わらずの無表情で素っ気ない返事を返すアイルだったが、そんなアイルにカリンはニコニコと笑みを向けたまま、ううん、と首を横に振って否定した。
「勿論、師父にも制作科の皆んなにもお礼は言うよ。でも、アイルがこれを持ってきてくれたんだもん。だからありがとう、なんだよ。」
アイルはこのカリン独特の幸せな気持ちの押し付けを好ましく思っていない。だが悪い気もしないのは確かで、カリンはこういう奴だから、と半分諦めている。
アイルにしてみればこのドレスを届けたのはヴェルムの指示。つまりカリンから礼を言われる筋合いは無い。
こういった部分が双子なのに似ていないところではあるのだが、二人はその違いをむしろ好感的に捉えていた。
見た目が同じだからこそ、中身くらいは違う方がいい。その方が、互いに足りない部分を補い合えるのだから。
二人の力は主人のために。そして家族のために。
いつだって二人は違う考え方をするが、目的がブレた事など無いと断言できた。
「…そう。どういたしまして。ほら、さっさと着替えよう。手伝うから。」
男性であるアイルが何故ドレスの着付けを出来るのか、などと考えたりはしない。執事として、従者として。出来ることは何でも身につけるのがアイルなのだから。
現にこうして、手当たり次第に身につけた技術がカリンを救っている。カリンはアイルの着付けの腕前を知らないが、きっと公爵令嬢に使用人を貸りるよりもっと良いものが出来るのだろう。
そんな漠然とした信頼は双子だからだろうか。理由は分からないが今はアイルの言う通りにしようと思ったカリンだった。
「そう言えば、私が護衛でここにいるのがバレちゃったけど良いの?」
ドレスの背中の開きを一つ一つ穴に紐を通して閉じていくアイルを、カリンは鏡越しに見ながら問うた。急な質問だった上に、誰が、などの具体的な情報を出さずに質問した事を悔いたりはしない。
「うん、スピア公爵家の御当主と話はついてる。有事の際は軍務卿である彼が主導で学院を封鎖するって。」
通じるからだ。双子の特性なのかどうかは分からないが、二人は互いに思っている事がなんとなく分かる。それにカリンよりも遥かに賢いアイルの事だ。こう聞けば必ず的確な答えが返ってくると分かっていた。
普段、セト以外の誰より長くヴェルムの側に侍る彼は、こういった情報が集まる団長室で日々情報の更新をしている。
アイルに聞けば大体の事が分かるくらいには、世界中の情報が集まるのである。
そんな彼が答えに詰まるはずもなく、カリンは聞きたい事は十分に聞けた。
「つまり、有事になりそうって事だよね。スタークさんとかも周辺を固めてるのに起こるって事は、そうする必要があるんだね。このまま東の国との友好を確立して貴族たちに認めさせるつもりなのかな。」
そしてカリンも地頭は良い。普段の授業で話を聞いていないのは、教師が話す内容を全て知っているからだ。
ドラグ騎士団は基本的に、現場の判断が必要な際に的確な行動が出来るようにと勉強を欠かさない。
カリンはそれがあまり好きでないためにサボりがちではあるが、その勉強が師父の役にたつことに繋がるならば妥協はしない。
それでも勉強はアイルの方が得意なのは確かで、だからこそアイルに聞けば済む事は一々勉強しない。カリン曰く、効率化、だそうだが。
「そう。…そこの櫛を取って。ありがとう。…五番隊も暁も表立って学院の警備をしたら国軍から横槍が入る可能性があるから。国軍の顔を立てて、その上で膿を出せるのはそれしかないんじゃないかな。」
ドレスを着付けたら次は髪型である。化粧を先にしようとしたところカリンが必要ないと断ったため、それならとアイルは髪型だけは完璧にするつもりだ。
「うーん、こないだサイス公爵がやらかしたから、武門の公爵家の評判を上げるためにも、ってこと?」
カリンの言うサイス公爵とは、四番隊サイサリスに何度も求婚した結果、ドラグ騎士団から罠を張られて見事に掛かった哀れな公爵家である。
馬鹿で哀れだったとはいえ、サイス家は王家の血が入った公爵家。昔は武官として出世し侯爵家まで登り詰めた生粋の武人家系であったが、そんなサイス家も凋落の一途を辿った。
ここ数代で公爵家が増えてきたのもあって、カルム公爵を始めとして堕落した公爵家が多かった。そのため国王はここで精算すべしと、国内の膿を全て出し切る考えであった。
それがあったからこそ何の罪悪感もなくヴェルムはサイス家を嵌めたのだが、それによって武門の公爵家全体の評判が落ちたのである。
当然ながらそんな事は織り込み済みであったが、ヴェルムはそのフォローをしたりはしていない。これまで地力でのし上がった武門の家系が、こんな事で潰える程度になったのなら必要ないという考えからだ。
そんな煽りを喰らったのがスピア公爵家などの公爵家たち。軍務卿という立場に就くスピア公爵もこれには頭を悩ませており、そんな中東の国から皇子が来るという。
何かあれば大変だと国軍による警護を申し出たが、国王によってそれは却下されたのである。
そんな状況で手も足も出せないスピア公爵に、ドラグ騎士団の遣いが姿を現したのは最近の事。
魔導大会が終わってから事が起こる可能性を示唆され、功績を挙げたい公爵はその提案に飛びついた。
元々、武門の貴族にしては珍しい事に、ドラグ騎士団を敵視していなかったスピア公爵。彼からすれば護国騎士団がいるが故に侵略戦争以外で出世出来ないはずなのだが、平和ならそれが一番だと口には出さずとも思っている公爵は、内心ドラグ騎士団に感謝すらしていたのである。
「そう。スピア公爵家とアクス公爵家も賛同した。だからこの二人が率先して動く手筈になってる。」
アイルから多くの言葉が出てこないが、それだけでも十分な情報が集まった。今回の件に関しては、情報は多いに越した事はない。カリンにとって大事なのは、竜司を護ることではなかった。
最も大事なのは、どのようにして護るか、である。
護衛だと明かしていない状況なら、ピンチになった護衛対象を助ける形で救うほうが恩を売りやすい。最初から完璧に守ってしまう必要がある時も存在する。最初から襲撃など起こさせない、という事だ。
つまりは、護衛任務といっても様々であり、果たして自分に求められているのはどの護り方なのか。それを予想するためには情報が必要だった。
「じゃあ国軍が表立って動くから、五番隊は潜めるし暁と私はそれとなく対象を護ればいいのね。」
「そう。…はい、出来たよ。」
二人の会話の終了は、カリンの支度が整った事を合図にした。先ほどまで真剣な表情でアイルと会話していたカリンが、今は姿見を見て年相応な様子を見せている。
これまで視界には入っていても、思考に集中力を使っていたためにまともに見ていなかったのだろう。
わぁ…!かわいい!
はしゃいでドレスの裾を掴みクルクルとまわるカリンを、アイルは相変わらずの無表情で眺めていた。
「ほら、時間がない。そのドレスなら戦闘も出来るから。悪いけど武器は魔法で取り出して。仕込みを入れるとラインが崩れるって科長が言ってた。」
少しだけカリンを放置してあげたアイルは、胸ポケットから懐中時計を取り出してその蓋を開ける。
白銀の装飾が美しいその時計は、アイルにとって宝物だ。
流石に制作科が作ったドレスだけあって、その防御力は半端ではない。魔蚕と呼ばれる魔物が吐く絹を惜しみなく注ぎ込み、竜種の鱗を砕いて溶かした溶液に浸けてから縫い上げている。
肌が露出している部分以外は上級の魔法を浴びても傷一つつかないだろう。またかなりの防刃性を持ち、同じく肌の露出以外でドレスの内側に傷をつける事はない。あるとすれば、打撲や打ち身、骨折だろうか。流石に布で衝撃は吸収できない。
仕込み、というのは暗器のことであり、ドレスの内側にナイフや短剣をベルトで肌に直接固定する事だ。暗殺者や女性の護衛が用いる方法で、会場に武器を持ち込めない場合でも恥部まで武器の有無を確認したりはしないためにこういった方法が取られる。
一番多いのは太腿だろうか。そのため判断するのが難しい故に、相手が武器を所持しているかどうかはドレスの動きと対象の歩き方を見るという。
「うん、大丈夫。仕事だもん。ちゃんとやり遂げるよ。」
先ほどまでの浮かれた様子をキッと引き締めたカリン。不特定多数の者が出入りした魔導大会の直後であり、学院生の緊張も緩むこの時間。
襲撃ではなく暗殺が行われるなら正に狙い所だろう。今は竜司の側に暁の部隊員がいるが、あまり近くにいても怪しまれる。はやく行かねば。
そう思ったカリンがアイルに真剣な目を向ければ、アイルもまた無表情の中に真剣な様子を見せていた。時間がないのは確かだ。急がねばなるまい。
「ヴェルム様から伝言。」
「え?」
戦場に向かうような面持ちで部屋を出ようとしたカリンに、後ろからアイルが話しかけた。
ノブにかけていた手が止まり、首だけで片割れに振り返る。
「存分に楽しんでおいで。」
たった一言だったのに、カリンはその表情をガラリと変えた。真剣に任務へと取り組む様子は何処へやら。今は小さく、楽しまなきゃ、と呟いて段々と笑みが広がっている。
もうこれで後夜祭という華やかな時間に合わない表情を浮かべる事はないだろう。
ドレスという慣れない服装での行動も、これだけ元気なら大丈夫そうだ。
二人は部屋を出て歩き、寮を出る。寮母に挨拶をすれば、カリンの姿に大層驚いてから可愛い可愛いと褒めてくれた。
「ねぇアイル。後夜祭が終わったら、迎えにきてくれる?私の部屋でいいから。」
唐突にカリンがアイルへと願い事を口にした。
「うん。一時間だけね。」
アイルも分かっていたように時間制限まで付けてみせる。姉は弟の願いをいつだって叶えたいし、弟は姉の願いを叶えてやりたいのである。
「十分だよ。ありがと。」
そう言って微笑んだカリンは、なぜだかいつもより数倍も輝いて見えた。




