268話
少し短めですが。
それぞれの部門で決まった優勝者と準優勝者を讃える表彰式は、予定よりも一時間以上遅れて開催される事になった。
しかしその決定が魔導学院生徒会から通達されても、観客は誰一人席を外さなかった。コロシアムに集まった人々の興味は、中央の舞台に出来上がった芸術的氷像の運命にあったのである。
魔導学院の教師や学院長が、関係者席で話し合いをしていた。まるで生きているかのような氷の竜をどうするかについでだ。
表彰式のために即時撤去を提案する教師もいた。しかしそれは圧倒的多数から反対されて棄却される。
あまりにも見事な氷の像を壊すのは偲びない。だが壊さずに移動させる方法も思いつかない。ついには、学院側で決めかね困っていたところに、観客席から貴族がこの像を買うと言い出した。
そうなれば当然後に続く者が出てくる。オークションにでもなりそうな程勝手に金額が釣り上がっていくコロシアムでは、学院長が生徒の教育に悪いと中止させるまで貴族たちの独壇場となっていた。
結局見かねた国王がヴェルムに頼み、氷の竜はマジックバッグに収納されたのである。すると今度は別のオークションが始まった。
ヴェルムのマジックバッグである。中身の氷像ごと買うと言い出した貴族がおり、それにヴェルムが微笑んだまま何も言わなかった事から金額が足りないのだと勘違いした貴族たちがどんどん金額を釣り上げ始めたのだ。
どんどん上がるその金額は、最終的に裕福な公爵家ですら家財全て売り払っても足りない程の金額が提示された。
当然売るつもりなどないヴェルムは呆れた国王が止めに入るのを見ていただけだったが、どこか満足そうでもあった。
氷の竜が手に入らなかった貴族たちは顔には出さないものの、止めた国王をチラチラと不機嫌そうな様子を隠しながら見ていた。そんな貴族たちの気持ちなど手に取るように分かる国王は苦笑しつつも、この混乱を広げた張本人であるヴェルムを半目で睨め付けるしか出来なかった。
壊すか収納するしか手段がなかったのだから仕方ない。これは最上の結果になったと思うしかないだろう。
「ヴェルム。お主覚えておれ。」
だがそれを黙って享受する国王ではない。その苛立ちは一割の怒りと九割の八つ当たりとでヴェルムへと向かう。しかし当のヴェルムはどこ吹く風。暖簾に腕押し。糠に釘、である。
そしてダメ押しに一言。
「これは私の弟子が苦手な魔法で頑張った証だ。貴族の坊ちゃん達にはあげられない。」
元々の竜はスピア公爵令嬢が作った物なのだが、ヴェルムにしてはそんなもの関係ないのだろう。カリンとアイルの双子が拾われてから十年以上。訓練を重ねても難易度の高い魔法は無詠唱で発動できないカリンが、詠唱短縮でも頑張って発動した魔法だ。
魔法が得意な弟アイルとは反対で、詠唱を決める事すら得意ではない彼女にしては頑張った方だろう。今日は帰ってから、像を見ながらカリンと反省会をするのだ。師弟の時間は誰にも邪魔はさせない。
そうと決めたヴェルムの意志は固い。それを容易に察した国王は、友であるヴェルムが偶に見せる唯我独尊な態度に苦笑しながらもそれを認めた。
ヴェルムの気持ちが分からないでもないため、今は貴族からの非難よりも友の気持ちを優先しようと思った。何故なら、国王とて娘ユリアが聖属性上級魔法を頑張って発動する場面を見れば、同じようにした事は容易に難くないからである。
「お主もそのように思う者が出来たか。」
何百年どころではない年齢差の友人に、敢えて親のような生温かい視線を向ける国王。その内訳は半分が揶揄いであったが、残りは紛れもなく本心だった。或いは、照れ隠しも含まれているのかもしれない。
友として何十年と接してきたが、国王は常々ヴェルムに思うところがある。それは天竜であるヴェルムには必要ないのかもしれないも思いながらも、騎士団を家族と宣うヴェルムにだからこそ感じてほしい想い。
普段からユリアに対する態度を親バカだと笑われるのに対して仕返しをしたい気持ちが無い訳でもない。だがそれとは別に、やはり友にそういった感情を持ってほしいと思うのは我儘だろうか。
そんな少し複雑な想いを面には出さず、揶揄いを前面に出して言う国王に、ヴェルムは慌てる様子もなく平然と笑みを返した。
「温度の変化などに詠唱が必要なようでは実戦では使えないからね。今日はこの像を見ながら反省会だよ。」
揶揄いという名の照れ隠しを見事に流された国王。そしてまた聞こえた、弟子に対する酷評。求める地点が遠すぎるのでは、と考える国王や近衛は知らないのだろうか。ドラグ騎士団では準騎士ですら魔法を無詠唱で放つという事を。
近衛騎士など、近年零番隊と準騎士による指導が入ったはずなのだが。ヴェルムは現場を見ていないため分からないが、まさか無詠唱で発動したところを見ていないはずもないだろう。
当の任務を担当した極道隊のカインから報告は受けているが、確かに魔法の指導をしたとは聞いていない。それでも魔法を使う場面など幾らでもあっただろうに。
「反省会、か。お主の感覚で言えば無詠唱も当たり前なのは分かるがな。それをヒトに求めるのは難しい事だろう。」
「え?」
「ん?」
噛み合わない。国王が幼い頃より友人関係である二人だが、友に過ごした時間は多いとは言えないのである。ヴェルムからすれば代々の王族と友人関係になるのを繰り返した過程にすぎず、国王にしてみればヴェルムという人外の世界そのものと言えるような存在の言葉に一々驚いていられない。
だからこその齟齬。互いに当たり前であったりわざわざ確認することでもないが故の。
この会話がなければ表面化することなど無かっただろうそれが、ここにきて認識が大きくズレているという分かっていた事を再認識する結果となってしまった。
どちらからともなく視線を互いの瞳に合わせ、もう一度目に疑問符を浮かべる。そして二人がとった行動は同じものだった。
まぁいいか。
つまり諦めた。今更互いの常識を擦り合わせるつもりなどない。友人として過ごす時間は気が楽なのだからそれで良いのだ。
天竜と国王。どちらも一般的とは言い難い二人は性格が少しだけ似ていた。天竜も国王も細かい事を気にして生きられるような存在ではないのだから。実際のところこの場合、国王がヴェルムに似たのかもしれないが。
ともかく、二人にとっては特に問題などないのだ。
いやいや、問題あるだろう。
側で聞き耳を立てていた近衛騎士達の気持ちが、ここ数日でまたも揃った瞬間だった。
そんな事がありつつ、ヴェルムによって回収された氷像意外の未だ凍った舞台を溶かしたり整えたりする時間をとった結果、一時間以上の遅れで表彰式が行われた。
その頃には魔力不足によって気絶したスピア公爵令嬢の意識も戻っており、彼女とカリンが仲良く並んで舞台へ姿を現した時には、他の決勝戦を戦った学院生達が入場した時よりも遥かに大きな声援と拍手が鳴り響いた。
二人の戦いを思い出しながらも、目を閉じれば浮かぶような強烈な印象を受けた観客達は、二人の健闘を讃えるために全力を尽くした。
惜しみない程に鳴らされた拍手は、隣を歩く令嬢にカリンが声をかけても聞こえないほどだ。しかしそれでも、聞こえなくて良いから、と考えて続きを話すカリン。その声は数十センチ先の令嬢の耳には届かない。だというのに、言い終えたカリンはどこか満足そうであった。
「スピア公爵令嬢。あなたと一緒に戦う事が出来る日が来たら良いな。」
その時、聞こえていないはずの令嬢が不意にカリンを見た。カリンの声に反応したようには見えない。カリンは前に向けた視線を令嬢へ向け直すと、令嬢は少しだけ驚いたような様子を見せた。
何か用事だろうかとカリンが首を傾げてみせれば、それに令嬢が少しだけ照れたような雰囲気を醸し出す。
別に自分のの姿が可愛いからという理由では無いだろう。ならばなんだろうか。
そう考えたカリンが笑みを少しだけ深めて促せば、令嬢はいつもの覇気ある声ではなく呟くような声で何かを呟いた。恥ずかしそうにボソボソと言ったのが分かっており、聞こえてないだろうと思っているのか、口を閉じた令嬢の頬は少しだけ紅いがどこか残念そうでもある。
しかしカリンは天竜の血を継いだヒト族とは違う身体能力を有する。この程度の騒音で目の前の呟きを拾えないはずがなかった。
その証拠に、カリンはその呟きをしっかりと拾ってニヤリと口角を上げたのである。
照れたように前を向いてしまった令嬢はその笑みを見なかった。それは幸か不幸か。誰にも分からない。
しかし、直後カリンから袖を引かれて顔を向けた時、思いの外近くにあったカリンの顔を見て少し驚いた。そしてカリンの口が令嬢の耳に向かっているのを感じ、反射的に少しだけ身を屈める。
成人女性の平均よりも少し背の高い彼女の耳は、十二歳程の身長しかないカリンの口元よりも幾分も高い位置にあるからだ。
そして、令嬢の気遣いによって無事彼女の耳元へ口を近づけたカリンが呟く。直後離れていったカリンは更に満足そうで、反対に令嬢の顔は熟れた林檎のように真っ赤であった。
「とっくに友達だと思ってたけど?エリアーナさん。」
貴女とは好敵手、いいえ。本当の意味でお友達になりたいですわ。その証拠に、その、名前で…呼んでいただいてもよろしくてよ?
カリンは、確かにそう言った令嬢の言葉に、その返事を返しただけだというのに。




