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闇竜と騎士団  作者: 山﨑
267/293

267話

はぁ、はぁ、はぁ…。


公爵令嬢の荒い息の音だけが舞台から聞こえる。これまで数多の水属性魔法が乱打された舞台は、その魔法の残滓によって大雨が降った後のようになっていた。

これまでカリンは試合が始まって一歩も動いていない。それでも令嬢の魔法をいなし、時に相殺させて全て無傷で対処している。


そんなカリンの息は当然ながら上がっておらず、悔しそうに眉間に皺を寄せる令嬢とは反対に、その表情は明るく楽しそうですらあった。


「まさかこれ程とは…思っていませんでしたわ。これ以上は無駄かと思いますから、わたくしの全力の一撃を放たせていただきます…。勿論、受けてくださいますわよね?」


いつもの優雅な姿はそこになく、滝のように流れる汗を運動着の袖で乱暴に拭う令嬢。それによって化粧が崩れようと、今の彼女の意識に一切入らなかった。

対するカリンは飄々としたもので、これまで令嬢が放った水属性魔法を消した時と同じように余裕を持って立っていた。


「いいよ。たっぷり時間かけて準備して?令嬢が後悔しないくらい強いやつ。」


挑発するように言うカリンに、令嬢は一瞬だけ優雅な微笑みを見せた。普段なら確実に怒りだすようなカリンの挑発に、今だけは怒りすら湧いてこない。

この時ばかりは、絶対的な壁に立ち向かう挑戦者として令嬢は立っていた。


「感謝しますわ。学院に入学してから敵無しだったわたくしが、唯一認めた貴女にこそ受けてほしいのです…。いきますわよっ!」


十分な戦意の乗った令嬢の声が響く。そして練り上げられる魔力は、どこにこんな魔力が残っていたのか不思議に思えるほど濃厚で膨大な量の魔力だった。

令嬢の魔力がそれだけ多いという事だろう。魔力視などせずとも何かしらを感じられる程に高まる魔力の奔流が舞台を包み形となっていく。

後は令嬢の詠唱を待つのみとなったそれは、コップから溢れる寸前の水のようにギリギリのところで維持されていた。







スピア公爵家の長女として生まれた彼女は、武門の生まれとはいえ大した期待をされていなかった。女であるなら分家や寄子の家に嫁として送り、政治の駒にされる予定が生まれた時に立てられた程である。

だが彼女は魔法という彼らの家門とは違う方向で才能を見せた。


幸いだったのは、スピア家が才能ある者を育てるのに躊躇いが無かったことだろう。当主は宮廷魔法師を定期的に家に招き、末っ子であり長女である娘の指導を任せた。

更に良い事に、彼女が得意としたのは水属性だった。しかも魔力量も多い。これならば武門のスピア公爵家として働けずとも、領民のために水属性魔法を用いて働けるのではないかと当主は考えていた。

しかし現実は当主の予想と違い、戦闘魔法として魔法を使う才能が令嬢にはあったのである。御息女には才能があります、と嬉しそうに報告した宮廷魔法師に、何度か聞き返した当主がいっそ哀れになる程だった。


己の才能を伸ばせ、と言わんばかりに魔法の授業が増えた令嬢は、それまでも行われていた淑女教育や勉学にも励みながら魔法に打ち込んでいった。

結果、スピア公爵家お抱えの私兵団に所属する魔法師にも勝てる程の実力を得た。令嬢が十二歳の事である。

それでも師匠である宮廷魔法師には敵わなかったが、同世代で彼女に勝てる者はいないと太鼓判を押されもした。


元々は魔導学院に入学するつもりなどなかった令嬢だったが、戦闘以外の魔法を学べば視野が広がる、という師匠の言葉によって渋々ながらも入学した。

入学試験では一位を獲得し首席入学。大会では個人の部を圧倒的な実力で優勝し、大会終了後に手合わせを願い出てきた上級生すら完膚なきまでに叩きのめした。

だがそれでも決して驕らず、社交性も高い彼女の周囲にはいつも人がいた。キリッとした目鼻立ちが女性受け良く、彼女より年上の先輩からお姉様と呼ばれた事もある。


他の学院生が魔法について尋ねれば、彼女は優雅に微笑んで教授した。平民の学院生が礼儀作法の授業に困っていれば、同じく困っている平民の学院生で希望者を募り礼儀作法について補習もした。

そんな彼女に憧れ彼女のようになりたいと願う学院生は多い。


期待されずに生まれた彼女は、今では周囲からの期待を背負って立つ存在になっていたのである。


そんな時、その少女は現れた。

彼女が首席として入学した時よりも歳若く、発育も良くない十二歳ほどの見た目をした少女。十八歳になる彼女は既に身体つきも大人になっており、大きく育った双丘に男子生徒からの視線を感じる事すら慣れてしまった今、まるで義務教育の子どものような見た目の少女が纏う雰囲気に、彼女は驚いたのだ。


よろしくね、スペア公爵令嬢!


今まで彼女にそのような無礼な言葉を吐いた者はいなかった。平民の学院生ですら、いや平民だからこそ彼女には恭しく接していたし貴族ならしゃ爵位の差を痛感する程距離を置かれていたはずだ。

それでも彼女の人柄と面倒見の良さでなんとか打ち解けきたはずだが、突如現れた少女はそんなもの知るかと言わんばかりに距離を詰めてきたのである。


ただの無礼な子どもかと思えば、しかして彼女が入学した手段が異常だ。

飛び級。天才と謳われる彼女ですら浮かびもしないそのルールは、確かにそんなものもあったかもしれない、と教師が首を傾げる程に珍しいものだ。

しかも一学年ではなく二学年。つまり、この大陸最高の魔法教育を行う学院の二年分を独力で身につけた事になる。

当然ながら優秀な家庭教師がいたのだろうが、それなら何故ここまで身につける前に入学しなかったのか理解できない。確かに、未だ一般的な入学に適した年齢に届いていないのも理由だろうが、それだけでこんな天才を放置するとは考えづらい。


考えれば考えるほど謎な飛び級生と、入学が遅れたものの最高クラスに試験の結果でもって入った東の国皇子。

この異質な二人がすぐに仲良くなったのは意外だったが、何処となく彼女にはこの二人との出会いが己の現状を更に引き上げてくれる存在だと察したのだろう。

気がつけば三人で行動する事が増え、元からの彼女の友人たちもそれに加わった。


その異常性に気付いたのはいつだっただろうか。

どの授業でも楽しそうに受ける少女は目を引いたが、熱心に受けているわけでもなさそうだった。ノートを見れば落書きが多く、無駄にクオリティの高い動物や人物の絵が描かれていたし、ポーション作りの授業では皆と違うレシピでサクッと完成させ、教師から怒られたかと思えばそのポーションが授業で作る物より高性能であり逆に教師から質問攻めにされていたりと。

とにかく少女は異質だった。


とある日、選択授業を終えて教室に戻った彼女は気付いた。教室の雰囲気がおかしい事に。だが最後尾端の席に座る二人の男女は普段通りで、クラスの学院生達はそんな二人の様子をコソコソと窺っていた。


聞けば、少女と皇子は近接戦闘の授業であったらしい。

そこで少女がウェポンマスターを名乗り、それを嗤った学院生を全員救護室送りにしたとか。

あれだけ賢い上に武術まで。彼女は初めて気付いた。少女に感じていた違和感は、少女が原因ではなかった事に。これまで感じた違和感。そして今まで感じたことのない感情。それは羨望。

彼女は生まれて初めて、他人の才能に嫉妬したのである。


スピア公爵家は家紋に槍を掲げ、これまでの当主たちは皆槍の名手である。だが彼女には武器を扱う才能は無かった。女であればそれも良いと言われるところが、彼女には並外れた魔法の才能があり、それを伸ばす事に必死になって生きてきた。勉学も同様である。

だが、そんな彼女の才能と努力を何個も下の年齢である少女に抜かれた。


彼女にとって、それは重大な死活問題であった。

それからの彼女はひたすらに少女を観察した。言葉を交わせば交わすほど、少女の言う師父という存在が気になる。父である当主に聞いても、カリンという少女もその師父も知らなかった。

公爵である父が知らないのであれば、それは人里から身を隠すように暮らしている賢者に違いない。しかしそれならば、何故弟子のカリンが魔導学院という人の注目を浴びる場所に出てきたのかという謎が残る。

彼女はまたより一層少女の事が分からなくなった。


そんな時、遂に三連覇を賭けた大会が近づいてきた。これまではそれに何の価値も感じず、ただ本に書かれた文字を読むようにして己に渡される優勝旗が一つ増えるのだと思っていた。

しかし、魔法実技の授業で見た皇子の魔法は発動も速く威力も高かった。彼女はその時、魔導大会での決勝戦は彼との戦いになると直感したのである。


初日、彼女は信じられない物を見た。それは彼女が初戦をたった二つの魔法で勝ち抜いた後のこと。舞台に立った少女は、なんの気負いもなくそこに立っていた。そこから距離を空けて対峙している筈の学院生は、昨年彼女と決勝戦で戦った相手だ。

しかしその学院生は荒い息を吐いて膝に手をついており、それを信じられない様子で見る彼女の視線の先で、対峙した少女が放った水属性初級魔法で倒れたのである。


魔法に詳しくない観客の多くは、接戦だったと歓声を上げている。だが彼女には分かってしまった。なんという無駄の無さ、繊細さ、そして魔法を構築するその美しさ。

練り上げられた魔力はどこにも隙間がないほどに凝縮され、ほんの少しの魔力で対峙する選手よりも圧倒的に強い魔法を繰り出した。


なんだ、なんなのだ、あの少女は。その瞬間、これまで最大の障害であると認識していた皇子の存在は彼女の頭から綺麗に消えた。そして、勝者として歓声に手を振って応える少女の姿が強く強く焼きついたのである。







「…お待たせしました。これが今のわたくしの全力ですわ。」


時間にして十秒程だっただろうか。それだけの短時間で上級魔法を練り上げる彼女の才能は確かに優れている。だがそれを放てるのはこのように相手が素直に待ってくれる場合だけだろう。

実戦で使えない魔法は使える内に入らない。それは彼女とて分かっていた。しかし、それでも目の前の少女に放って己の実力を確かめたかったのだ。

果たして、この少女と己の差はどこまであるのか、を。


「いつでもどうぞ。私もそれなりに強い魔法を使うけど、大丈夫だよね?」


カリンはいつも通り楽しげな笑みを浮かべたままそう言った。試合が始まって十分程だろうか。しかし令嬢にとっては何時間もここで魔法を使っているような疲れを感じている。

正真正銘、これが最後の一撃だ。


「わたくしが、貴女の魔法に打ち勝ってみせますわ。さぁ、いきますわよっ!」


次いで素早く詠唱されたその魔法は、観客だけでなく審判の教師も驚く魔法だった。

周囲に水が浮かんだかと思えばそれが集まり、海竜のように長い生き物の形を取る。そして彼女の周囲をグルッと泳いだかと思えば、口を開いて巨大な牙を見せてカリンへと襲いかかった。


「…いいね。流石っ!」


カリンが呟いた言葉は誰にも届かない。本当に水が動いている音か疑わしい程の轟音と共にカリンへと突っ込んだ水の竜。その巨大な顎が少女を飲み込もうとした瞬間、その巨体は動きを止めた。


パキンッ…!!


耳が痛い程の高い音。そして何か砕けるような音。

続けて響いたその音と、目の前で起きた現実に誰もが反応できなかった。


「…ダイヤモンドダスト。」


小さく、しかしハッキリと聞こえた幼い声。その言葉の意味を誰もが理解した時には、既にそれは終わっていた。


ドサッ


急に寒気を感じて我に返れば、そこは一面の氷。水の竜は少女に襲いかかる寸前で止まりその身を凍らせており、舞台どころか客席の一歩手前まで地面ごと全てが凍っていた。

凍っていないのは審判の周囲と、試合開始から一歩も動いていない少女の周囲。そしてほとんどの魔力が枯渇し音を立てて倒れた気高き女性の周囲だけだった。


「…ス、スピア選手戦闘不能っ!勝者は…、カリン選手っ!!」


司会者の拡声魔道具を通した声に、目の前の現実をやっと受け入れた観客。次いで一気に下がった気温を暖めるような割れんばかりの歓声と拍手が、コロシアム全体を支配した。




「良い魔法だったね。でも、師父の方がアレよりかっこいいよ。」


凍った舞台を踏みながら令嬢の側に寄ったカリンの呟きは、未だ鳴り止まぬ拍手と歓声に掻き消された。魔力不足により意識を失った令嬢も、その言葉を耳にする事は無かっただろう。

そして己よりも大きな身体の令嬢を軽々と抱き上げ、所謂お姫様抱っこで運び退場していくカリン。その小さな背中が姿を消しても、気温とは裏腹に冷めない興奮と歓声はまだ続いていた。













「…あれは、水属性魔法の極地、氷魔法か…?」


驚いたように目を見開いて氷の彫刻と化した竜を見続ける国王は、なんとかそれだけを絞り出した様子だった。

しかしその後ろに立つヴェルムは至って普段通りで、それでいてどこか機嫌良さげに微笑んでいた。


「そのように言う者もいるね。しかしあれは水属性魔法で間違いないよ。炎の温度が上がれば蒼くなるように、水の温度が下がれば氷になる。当然だろう?」


魔法によって水を生み出す事は出来ても、その温度を変えるのは高等技術である。水属性を司る冒険者の頂点、水帝であればそれも可能だろう、などと思うほどには難しい技術で、まさか成人に満たない少女がこのように大規模な氷魔法を使えるなどと国王も思っていなかった。

そして当たり前のように告げられる真実に、これまで学者が自慢げに発表した氷魔法の論文は何一つ真実を追求できていなかったことを知る。


氷を生み出す魔法は、水属性魔法の使い手が極地として体得する奥義のようなものだと考えられていたのである。

それがただの温度であった上、それを変えればなどと簡単に言うヴェルムに困惑を隠せない。変えようと思って変えられるなら、この世は氷魔法使いだらけのはずだ。


「まさか…あのような水属性魔法の天才がおるとは、な。」


最早驚きを通り越して呆れるしかない国王だったが、まだ溶けない氷の舞台を見ていて気付かなかった。背後のヴェルムがどんな表情をしているかに。


「うん?カリンは魔法が苦手なんだよ。水属性魔法も、あれならまだ使える上に、水を飲みたい時に便利だからと教えを乞うたくらいだからね。本来あの子は、魔法を攻撃に用いたりしない。あれは苦手分野なんだ。」


少しずつ小出しにされる情報に、もう国王は着いていけない。頭が理解を拒み、眼前に広がる幻想的な景色をただ眺めていたいとさえ思った。

既にヴェルムに対する文句は頭に浮かんでこず、現実逃避という言葉が脳裏に過っては消えた。


「元々あの子は空間魔法にしか適正がないんだよ。様々な武器をそこから出し入れして戦う、生粋の武闘家だよ。」


もうダメだ。それ以上口を開くな。空間魔法?何故そんな国に一人いるかいないかの希少な魔法の名が出てくる。


国王は言いたいことを全部脳内で言い切った。しかしそんな脳内と反して口は思う通りに動いてはくれない。まるで縫い止められたように視線すら動かせない国王は、いっそ此処での記憶を消したいとすら思うのだった。


何やらヴェルムが話しているようだが何と言っているか聞こえない近衛騎士は、何とか聞こうと聞き耳を立てる。だがその直後、スッと半身を振り返ったヴェルムと目が合う。

全ての女性、いや男性すらも見惚れるような白銀の麗人が、その両手で自身の両耳を塞ぐように当てる。それだけで聞くなという意味だと理解させられた彼らは、元々聞こえていなかったが絶対に聞かないと心に決めた。

国の中枢で交わされる会話を聞いても碌なことにならない。これまで大会初日と最終日の二日間を側で見ていた彼らは、国家機密ですら平然と彼らの前で話す二人が聞くなと示す意味を正しく理解した。


そんな彼らを褒めるように微笑んだ白銀の麗人は、何もなかったようにまた国王と同じ方向に身体を戻した。後ろ姿からはその表情を見ることは出来ないが、きっといつものように穏やかに微笑んでいるのだろうと思った。


現実は悪戯が成功した子どものような笑みだったが。

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