263話
「エルフの王子からまた手紙が来た?流石にまだはえぇだろ。」
ドラグ騎士団本部の訓練場の一つで、メイドの一人から報告を受けたアレックスは驚きと疑問でいっぱいだった。
春から夏本番に移行したとはいえ、年月の感覚が恐ろしく長いエルフがこうも早く行動を起こすとは考え難かった。ならば緊急か。そう気持ちを切り替えたアレックスは、汗一つかいていない額を腕で拭うと、近くのベンチに丁寧に畳んで置いていた零番隊の隊服に袖を通す。
その下に敷いていたハンカチをパタパタとはたいて砂を落とすと、メイドに礼を告げてから本館に向かって走り出した。
風を切るようにして走るアレックスを見かけた団員は、また何かあったかと疑問の表情を浮かべた。しかしいつも何かしら理由をつけて動いているアレックスのその行動に、いつものように声をかける事など出来ない。
それだけ彼の表情が真剣だったからである。
団長室に着いた彼は立ち止まり、軽く服装の乱れを直す。あちこちチェックを入れる彼はそこまで服装にこだわる質ではないが、アレックスとてヴェルムに尊敬と忠誠を誓う者。主人として認めた相手の前に立つのに、服装が乱れていてはならない。
普段からおおらかで大雑把な彼でも、譲れない物はあるのだ。特に、ヴェルムから貰ったばかりのこの隊服だけは何がなんでも大事にする。彼にとって服とはそういうものだ。
自身でチェックをしてもまだ満足いかないのか、団長室の前を護る零番隊隊員に目線を向ける。すると扉の前の彼は万事問題ないとばかりに力強く頷きを返してきたのだった。
ならばよし、とアレックスも力強く頷き、それを確認した扉番は扉に振り返って優しく叩いた。
「失礼します。アレックス殿が参られております。」
何百、何千。いやそれ以上だろうか。扉番の彼が団長室の扉を叩くのは。既に慣れた動きだというのに、彼はたったそれだけの仕事を至上の栄誉かのように誇りを持ってそれをこなす。
彼が扉を叩き来訪者の名を告げるのは、それだけの価値と名誉があった。
「お待ちしておりましたぞ。さぁ中へ。」
叩いた扉が数秒の後開き、中からヴェルム専属執事のセトが顔を出す。そしてアレックスを招き入れると、扉番に向かって好々爺然とした笑顔を向けた。
彼はそれに会釈を返すと、閉まりゆく扉を眺めた。そして誰もいなくなった団長室前の廊下を、ただただ一人で見つめ続ける仕事が再開する。
彼の表情はアレックスが来る前よりもやる気に溢れているような気がした。
「あー、ヴェルム。エルフから手紙が来たって?」
ヴェルムとの挨拶もそこそこに、アレックスはソファへと座るよう促された。そこにすかさずアイルから茶を出され、それに礼を言うとすぐに本題を切り出す。
それに苦笑するでもなく穏やかな笑みを浮かべたままのヴェルムは、執務机から一つの便箋を持ち上げた。
おそらくそれが件の手紙だろう。アレックスがそう考えて差し出された便箋を受け取れば、便箋が入っていただろう封蝋は外されて机に置いてある。つまり開封されており誰かが読んだ事がわかった。
当然誰かというのは考えるでもなく、目の前のヴェルムその人なのだろう。でなければアレックスが呼ばれるはずもない。
何が書かれているのかという若干の緊張と闘いながらもスムーズに便箋を開き、折り畳まれていたそれを最初から読み始めた。
「おかしい…。早いだろ。エルフにしちゃあ、だが。」
手紙を読んだ感想はそれだけだった。手紙にあったのは、エルフの王位継承の準備が整ったという事。そして継承が終わればすぐにドラグ騎士団と契約を結びたい事。
契約の内容は一年に一度、大迷宮の魔物を間引く事。その対価にエルフ族は、大迷宮で得られる素材の買い取りと、里で採れる薬草などの素材を取引すると申し出ている。
「はっきり言ってしまえば、こちらはわざわざダンジョンの間引きをやってまで取引したい物がエルフの里には無いんだよ。そして、この契約とやらはダンジョンが無くならない限り終わらない。つまり実質的に無期限と変わらないね。さて、アレックスはこれをどうするべきだと考えるかな。」
ヴェルムはこの契約に利点など無い事を示す。その上で、エルフとの協力を提案したアレックスに意見を求めていた。
全てトップであるヴェルムが決定する事に意味などない。ヒトの世に過度にあれこれ口を出すつもりはないのだから。
しかし、エルフ族の里がダンジョンから溢れ出た魔物によって滅ぼされるのはよろしくないだろう。何故なら、彼らは世界樹という世界の秩序を保つものの一つを守護しているのだから。
かといって、絶対にその守護者がエルフである必要もヴェルムには感じられない。もしグラナルドとの契約が終わりドラグ騎士団がグラナルドから離れる事があれば、その守護者の役割を変わればいいのだから。
エルフよりも遥かに強い彼らがその役目に就けば、単にエルフ族がいらなくなるというのもある。これは極端な考えだが。
アレックスとて元王族であり、諸外国や国内貴族との交渉にあたって、己が提示出来る利益を相手が喜ぶとは限らない事は知っている。だからこそ相手の情報を集め、相手が欲しがるものを交渉に用いるのである。
だがエルフは排他的な種族というのもあってか、またはドラグ騎士団が欲しいものなどないからか。王子が提示する内容は特に旨みのあるものではない。
「そう…だよなぁ。それにダンジョンで倒した魔物の素材をエルフが買うってのも、結局は向こうの利点にしかならねぇし…。」
そう言いつつ悩むアレックスは頭を使う事が苦手である。だがそれでも、ヴェルムから与えられた試練だと思えばやる気も出るというものだ。彼はうんうんと唸りながらも懸命にドラグ騎士団の益になるものがないか考えていた。
すると、未だ良い案が浮かばないアレックスを憐れんだのか、セトがワザとらしい咳払いなどしてみせる。そしてさりげなくアレックスを見ていると、何度目かの咳払いでやっとアレックスがそれに気付いて頭を上げた。
「エルフの、いやエルフの里にしかないものがあればよろしいのですが…。果たしてそのようなものがありましたかのぉ。」
チラチラとアレックスを見ながら言うセトに、ヴェルムは呆れたような苦笑を向ける。しかしそれを無視して尚もアレックスにヒントを与えるセト。アイルは壁際に立って無表情でそれを見ていた。
「そーなんだよなぁ。エルフから貰うのにちょうど良いもんなんてなぁ。森のもんは別の場所から取ってくりゃいいし…。エルフの里にしかないもの…。エルフの里にしか、ない、もの…?あっ!!」
セトの出すヒントから呟きを続けるアレックス。悩みながらもぶつぶつ言い、やっと答えにたどり着いた。
「世界樹!あれの落ち葉やら枝やらを素材として貰えないか交渉するのはどうだ!」
世界樹。それは世界の地下、竜脈と呼ばれる世界中を巡る魔素の大河から、地上へと拡散させる役割を持つ。またその逆として、大気中の魔素を取り込み竜脈へと流す。
世界に数本だけある、なくてはならない星の機能である。
そんな世界樹の葉は、万病を癒す霊薬の材料になると言われている。妖精族の錬金術師が子々孫々に伝える秘薬の一つも、この世界樹の葉と朝露を素材に用いる物があるという。
また、枝は木材独特の柔らかなしなりを持ち、それでいて並みの金属では敵わない程に硬い。世界樹から枝を手に入れようと斧を突き立てたところで、斧の刃が欠ける事になるだろう。
世界樹の枝を加工出来る木工師はほとんどいない。名工が打った名剣の鞘を作る木工師ですら、その加工が出来る訳ではないのだ。
そもそも素材として出回る事がないというのが一つ。そして、それが理由で加工した事がないというのも一つ。更に言えば、世界樹を加工出来る程の道具を持たないというのもある。
ヴェルムが使用している刀の鞘は世界樹の枝で作られている。これは騎士団の団員である制作科の木工師が、命を賭けるような勢いで連日挑戦を重ねた結果である。
鞘自体が武器になる程の硬度を誇り、決して傷つかないそれは敵の武器を受ける防具としても使用できる。ヴェルムはそのように使用した事など一度も無いが。
世界樹の素材は金を幾ら積んでも手に入るものではない。であれば、エルフの里が契約の一つに織り込むのに良い条件となるだろう。
加工出来る職人がいないというのは、流出の危険の面からも安心である。とはいっても、薬の素材にするなどの目的でオリハルコン製の道具を用いれば削るくらいは可能であるため、やはりヒトに流出させるのは危険だろうか。
だがドラグ騎士団の警備で運ばれるのであればその問題はあってないようなものだろう。マジックバッグに入れて運べば誰が所持しているのかも分からない上、一人一人が一騎当千の実力を持つ。仮に素材を強奪しようと襲われたとて、それを殲滅するのに数秒もかからない。
問題は、エルフが素直にその条件を飲むかどうかだった。
だがそこに関してもアレックスは心配していない。何故なら、そもそもエルフの戦士が弱くダンジョンの魔物に勝てないのがいけないのだから。
アレックスは自信ありと言わんばかりの表情でヴェルムを見る。ヒントを与えたセトも満足そうに頷いて、ほっほ、と笑っていた。
「そうだね。世界樹の素材は報酬としては十分だと思うよ。それを飲むかはエルフ次第だけど。でも、それだけかい?」
考えに考えた結果出した案を是とされながらも、それでは足りないと言われた。一山越えたような達成感を感じていたアレックスは、その一言でまた深い谷底に突き落とされた。
「それ、だけ…?い、いや!まだある!ちょっと待て!」
ヴェルムは基本、その者が越えられる壁しか準備しない。ならばきっと、この問いもアレックスが答えられるはずなのだ。感性と勘で生きてきたアレックスは察しも良いし普通に頭が良い。これでも一応王族だ。
だがそこに多角的視点を求められると弱い。一つの事に一つの答えを出して、それで終わりとしてしまう癖がついているのだった。
結局、それからはセトのヒントも貰えないまま数分の時が過ぎた。もう限界かと思ったが、アレックスはこれでもかと拳に力を入れて考えを纏めている。
別に力んだところで案が浮かぶ訳ではないが、基本脳筋の彼ではこうなるのも仕方ない。
「世界樹がだめなら…。いや、原因か?それなら…ダンジョン?ダンジョンは仕方ねぇ…。なら…?エルフが弱いのがいけねぇ、のか?てことは…」
ぶつぶつと呟きを溢すアレックスを見守る事十分程。彼は遂に壁を越える。
「あ、鍛えれば良いのか!今ゆいなんとこのエルフ族が潜入してるんだから、そいつらが戦士を鍛えれば良い!」
これでどうだ、と顔を輝かせて言うアレックス。やっと出た答えは思いつけば簡単な内容だった。だが交渉の内容を考えるところから入ったために、根本となる原因に目を向けるのは中々難しい事ではある。
それを乗り越えたアレックスが清々しい表情で冷めた茶を飲み干す。温くなった茶は呟き続けた喉によく沁みた。
「そう。だけどそれには問題があるね。」
そしてヴェルムはアレックスに試練を与え続ける。だがこの答えが出せたアレックスに怖いものなどない。
「あぁ。果たして次のスタンピードまでに仕上がるのか、って事だろ?そこを交渉に上乗せすれば良いんじゃねぇか。十分に間引き出来る程度の実力がつくまではこっちがやるが、その間は世界樹の素材を譲ってもらうってな具合に。そうすりゃ嫌でも必死に訓練する事になるだろ。」
つまり、最初の契約に期限を設けるという事。そして報酬に世界樹の素材を求める事。他に欲しいものなどないのだから、ドラグ騎士団としてはこれ以外に求めようが無い。だがエルフとしても世界樹を外に出したくなどないだろう。
この契約が無期限で間引きをする事になるのであれば、それは永遠に世界樹の素材を外に出すという事。それだけは阻止したいエルフが、契約を結ぶのを躊躇う可能性は高い。
だがどちらにせよ契約はせねば、魔物が溢れ出した時にエルフの里は滅びる。そして世界樹は侵され世界の機能を失う可能性すらあるのだ。
であればどちらもが譲歩するしかなく、その妥協点がそこではないかとアレックスは言っている。
「そうだね。まぁその辺りが落とし所かな。という訳でアレックス。また君に行ってもらう事になる。今回もあちらがおかしな真似をしたら、今度こそ森の守護者を変えてくれて構わないよ。」
アレックスの回答に満足したヴェルムは、今回もアレックスを指揮官として任命した。エルフの血を薄くだが継ぐアレックスが、エルフの王である古代エルフと再会する日は近い。




