26話
グラナルド王国建国記念祭が終わって二日。街は落ち着きを取り戻していた。しかし、そう感じているのは町民だけだった。市民や貴族は、どこか王城が騒がしい事に気付いていた。それは、まだ王城に残る西の国使節団のせいなのか。それとも王女が来たという南の国のせいか。様々な憶測が飛び交っては消えてを繰り返していた。
王城の奥の一角は、王族しか立ち入れないプライベートゾーンだ。勿論、侍女や執事などは出入りする。ようは、王族の家だ。城は家と職場が複合した建物だと考えれば分かりやすい。
そんな王族のプライベートゾーンの一部屋に、近衛騎士団長や宰相、財務大臣などの大臣たちが集まっていた。
王族の部屋として相応しい部屋であるが、この人数が集まると些か狭かった。ほとんどの者は立っていて、中央のソファに座る王太子や宰相を囲んでいた。
「結局父上は王位を譲ると言わなかったではないか。公爵よ、本当に確実な手なのだろうな。」
対面に座るカルム公爵を、顎を上げる事で見下ろして言う王太子。贅を凝らした装いは、その身に付けた物を売るだけで一生遊んで暮らせる程の価値がある。
全ての指に着けた指輪をカチャカチャ言わせながらカルム公爵に指を突きつける。
しかし、王太子の態度にもカルム公爵は大した反応を見せなかった。
「これは異なことを仰いますなぁ。私は、王太子殿下が国王陛下を説き伏せるための証拠が揃ったと聞いた故に後押しをお手伝いさせて頂いただけですが?その根幹たる証拠が不十分だったのは私のせいではありますまい。」
宰相であるカルム公爵は、立派な顎髭をさすりながら言う。
「宰相殿!王太子殿下に対して失礼であろう!弁えられよ!」
口を挟んだのは近衛騎士団長だった。分厚い胸板をこれでもかと膨れさせ、顔は血が昇っているのか真っ赤だ。
「団長、良いのだ。カルム公爵も悪気はないのだ。さて、証拠を持ってきたのは誰だったか。お前、分かるか?」
無駄に威厳たっぷりにそう言い、団長を宥めた後、周囲を囲む貴族たちを睥睨する。誰もが自分のせいにされたくないため、王太子と目を合わせる者は皆無だった。
「ふむ、ここで犯人探しをしても仕方ありますまい。それより、陛下を如何にして混乱無くご退場頂くかを考えませんとな。」
カルム公爵はしれっと言う。王太子に証拠を提出した貴族は命の恩人を見る目でカルム公爵を見るが、それも公爵の人心掌握術だった。
なにせ、これ程扱いやすい王太子はいないと公爵は思っている。王太子が失敗するのも分かっていたし、誰かに責任を擦りつけようとする事も分かっていた。だから自分は王太子の追求を躱し、他に矛先が向いたところで助け船を出す。自分に傅く貴族がまた一人増える。何せ、首が飛ぶ所だったのに自分が助けたのだ。自分に命を差し出す覚悟で首を垂れてくれないと困る。
「では、何か良い案がある者はいるか?…誰もいないのか?それでもグラナルド王国が誇る貴族なのか?嘆かわしい事だ。」
王太子がそう言ってまた周りを見るが、ついさっき失敗の責任を追及されそうになったばかりである。誰も言葉を発しなかった。
王太子がため息を吐くと、周りの貴族たちはピクッと肩を揺らす。
そんな中、言葉を発した勇者がいた。近衛騎士団長である。
「殿下、一つ提案が。」
王太子の後ろに立つ近衛騎士団長は、王太子の隣まで来て膝をついた。
「ふむ。誰も何もないようだ。お主の案が良いものなら採用しよう。申せ。」
周囲を見回していた王太子がソファに背をつけそう言うと、近衛騎士団長は膝をついて下を見たまま口を開く。
「はっ。おそれながら。現在城には西の国使節団が滞在しております。騎士が随行しておりまして、後日ドラグ騎士団と模擬戦を行うようです。更には南の国の王女殿下も滞在しております。」
近衛騎士団長はここまで言うと一度口を閉じた。
「なに?いつも記念祭が終わっても滞在しておるのはそれが理由か。南の国の王女も、流石は国一番の美女と言われるだけはある。父上とばかり何やら話をしておるようだが、果たして何を話しておるやら。して、それがどうしたというのだ?」
幾分か機嫌が直り、南の国から来た王女の姿を思い出してだらしない表情を浮かべる王太子。何とか近衛騎士団長の言葉を思い出し、続きを促した。
「ドラグ騎士団ではなく、我ら近衛騎士団との模擬戦に変えて頂くのは如何かと。そして、近衛騎士団の勝利を持って南の国の王女殿下に接近、王位を譲る際の後ろ盾の一つになって頂くのです。南の国が後ろにいると分かれば、この場におらぬ愚か者どもも、自らの身の振り方を考える事でしょう。上手くすれば王女殿下を妃とする事も出来ましょう。」
王太子は過去、一度だけ南の国を訪れた事がある。グラナルド王国と南の国は昔から親交が深い。南の国の建国記念祭に合わせて、国王代理として祝いに行ったのだ。王太子となる前の話ではあるが、その時に王女に一目惚れしていた。
それ以来、国内の令嬢との縁談は全て断っている。一途にずっと思っていた相手が今城内にいるのだ。近衛騎士団長の意見は最上に思えた。
周囲の貴族たちも、自分たちが思いつきもしなかった案を近衛騎士団長が奏上した事に歓喜の様子で受け入れている。
対面に座るカルム公爵が、どこか諦観の様子で見ている事に気付かないまま、深く頷く王太子。既に頭は南の国の王女を娶る事で頭が一杯だ。
「よし、では団長の意見に反対の者はいるか?…いないようだな。ではその方向で行く。では進捗を報告しに来い。それ以外は何か案があれば私の元までもってこい。良いな。」
王太子がそう言うと、貴族たちは各々部屋を出て行った。残ったのは、妄想に耽る王太子だけだ。
ふふふ、と気色悪い笑みを浮かべて目を閉じている。
その様子を天井裏から見ている者がいるとも知らずに。
「では来年の通商はこちらの品目をメインに致しますわ。陛下、有意義な交渉でした。ありがとうございます。」
王太子たちが話し合いをしている頃、国王の執務室でも話し合いが行われていた。
南の国の王女は、凛とした姿勢で国王を見て言う。その姿は、深窓の令嬢とは真逆の、世に出て一定の地位を持つ女性と同じ輝きを放っていた。
「うむ。アイシャ殿下と話していると、こちらも気が抜けん。だが、良い交渉になったのはこちらもだ。お互い、これからも良い関係が築ける事を願う。」
国王も同意して握手を求める。南の国の王女アイシャはそれを受けながら、国王の隣にいる女性にも握手を求めた。
「今回は交渉も良くて、更にはユリア王女と面識を持てたのが大きな収穫でしたわ。まさか、こんなに話の合う方がいらっしゃるなんて。陛下もお人が悪いですわ。ユリア王女を今まで隠していたんですもの。でも、これからは私たちは良き隣人として、そして友人としてお付き合い出来ることを望みますわ。」
国王の隣で交渉の場に参加していたのは、騎士団本部から城に居を移動したユリア王女だった。次期女王にとしての経験を積ませようと、国王が手配した。
「いえ、私もアイシャ殿下とお会い出来たことは正しく宝となります。こちらこそ、今度ともより良いお付き合いをさせてください。」
ユリアは緊張していたが、アイシャ王女のサバサバした性格に救われ、肩肘張らずに交渉の場を見る事が出来た。これが例年通りの使者であったなら、こうはならなかったに違いないと思っている。
「さて、難しい話は終わりましたし、この後お茶でもいかが?私、グラナルドの紅茶に興味がありますの。こちらでしか味わえない物も多いですし、この数日色々と楽しませて頂いておりますの。でも、折角ならユリア王女のお勧めも頂きたいと思いまして。それから、ドラグ騎士団に所属していたのでしょう?その時の話を聞きたい、というのもありましてよ。」
交渉の場が終わったから、と元気いっぱいになるアイシャ王女。仕事モードからの切り替えがあまりに早い。ユリアが驚いていると、国王が口を挟んだ。
「それは良いですな。ユリア、ぜひご一緒させて貰いなさい。色々とアイシャ殿下から学ぶと良い。殿下、ユリアの事を頼みます。それと、ドラグ騎士団ではなく、ヴェルムの話が聞きたいのでしょう?後ほど、ヴェルムがブレンドした紅茶を届けさせましょう。ユリアとの話の種にでも。」
国王の言葉に目を輝かせるアイシャ王女。ぜひ!と言ってから、華やぐ笑顔を見せた。それは彼女が親しい者にしか見せない笑顔だった。昔、この笑顔を家族に向ける王女に一目惚れしたのが、グラナルド王国王太子だ。
そんなアイシャ王女は、ドラグ騎士団ひいてはヴェルムの大ファンなのだ。最早崇拝していると言っても過言ではない。
まだアイシャ王女が小さい頃、西の小国と南の国は戦争をしていた。今でこそ大陸西部は天竜を崇める国が覇権を握っているが、当時はまだそこまで大きくなかった。群雄割拠の様相だったため、野心の強い国が多く、南の国と大陸西部の国々はそれぞれに戦争中であった。国境線など知ったことかと、毎日のようにどこかの国が攻め寄せる。南の国が防衛しかしない事をいいことに、どこの国も好き放題していた。前線の兵の戦意は落ち、いつ攻められるか分からない緊張が疲れを生んでいた。
そこで王家は王族の派遣を決める。士気を上げる事、王族は民を見放していないという意思表示。色々な思惑を含んだ王族の前線への派遣。その一人がアイシャ王女だった。
しかし、この派遣は失敗する。西の小国同士が手を組んで、タイミングを合わせて南の国へ大挙で押し寄せたからだ。
王族の派遣と被ったその襲撃は、指揮を採っていた王族諸共軍を破り、アイシャ王女が詰める砦まで押し込まれた。籠城して時間を稼ぐも、各地で同じように攻められているため王都から援軍は期待できない。
王族は死地にこそ王族たれ。そう教えられて育っていたアイシャ王女は、年齢が一桁でも王族だった。共にこの砦に来ていた兄王子は、敵の槍にその首が掲げられているのを兵士が確認した。これ以上士気を下げるわけにはいかない。
王族の役目は国を守ること。自分一人の首を差し出せば終わるのならとうに差し出している。敵はこちらを皆殺しにする気だと気づいていたアイシャ王女は、来るかも分からない援軍を頼みに必死の籠城戦の中で生きていた。
そんな時、援軍に来たのは南の国の軍隊ではなかった。人数は十にも満たない。しかし、その援軍は数千の敵を全て葬り去った。そして援軍の指揮官は、敵に掲げられていた兄王子の首だけでなく、死んだ兵士や将校たちの遺体を集めて弔った。
その日の夜、アイシャ王女は泣いた。緊張が切れてしまったのだろう。それは援軍の指揮官、ヴェルムと話していた時だった。
ヴェルムは王女に、良く頑張った、と頭を撫でた。ただそれだけだ。しかし、気を張っていた時に頼れる大人からそのようにされては、泣いてしまうのも仕方ない。そもそも十にも満たない年齢だ。女性は精神の成長が早いとはいえ、戦場で人の命を預かるにはまだ子どもすぎた。
それ以来、アイシャ王女は命の恩人であるヴェルムを崇拝している。
当時ヴェルムが派遣されたのは、例外中の例外だった。グラナルド王国との契約は、専守防衛に関することだけだ。しかしその中に、ヴェルムが世界を見て回る時はその限りではない、とある。つまり、この時ヴェルムは世界を見て回っていた、という事だ。普通に騎士団本部にいたが、南の国のピンチを知って駆けつけたのが真相だ。
南の国の国王は、ヴェルムの友であるグラナルド国王ゴウルダートによって引き合わされていた。そして、その時三人で意気投合し、南の国の国王とヴェルムは友となったのだ。そんな友の国がピンチなのであれば、騎士団としてではなく個人として助けに行く。ヴェルムとしてはそれだけだった。
グラナルド王国で表沙汰になれば、ドラグ騎士団の存在が危ぶまれてしまうため、南の国には他言無用としている。そもそも、救援時にドラグ騎士団を名乗っていない。ヴェルムについて行ったのは零番隊の数人だが、全員隊服は着ておらず、自前の装備だった。そのため、冒険者を名乗ったのだ。
アイシャ王女とヴェルムが二人で話せたのは、アイシャ王女が望んだからだ。勿論見張りは居た。しかし、王女が泣くところを見なかったことにしてくれたのだ。
そんな事があり、今でもヴェルムに対し敬愛を抱くアイシャ王女は、ヴェルムの話を聞きたがった。ドラグ騎士団に所属していたというユリアは、アイシャにとってヴェルムの話を聞く格好の的だったわけだ。
ユリアの、ヴェルム様の事でしたら父上の方が…、という言葉に瞬時に反応したアイシャ王女。凄まじいスピードで首を国王へ向け、目を輝かせる。
それに苦笑で返した国王は、仕事があるため晩餐の時にでも、と断りを口にする。酷く残念そうな顔をしたアイシャ王女に罪悪感を抱いた国王だったが、すぐに元気を取り戻したアイシャ王女に安心する。
「では晩餐を楽しみにしておりますわ。さぁ、ユリア王女。それまでは私にヴェルム様のお話を!大丈夫、私の知らないヴェルム様を知っているからと言って、刺したりしませんわ。行きましょう?」
最後の一言にユリアは固まった。しかし、自分に輝く笑顔を向けるアイシャ王女に、何とか笑顔を向ける。
その笑顔は少し引き攣っていたが、その事を指摘する者はここには誰もいなかった。




