258話
帰還したアレックスとアズ達二番隊。本部に到着するなりすぐに報告へ向かうアレックスとアズの二人と、予想よりも随分と早く帰還したために何があったかを聞く団員に囲まれる二番隊とに分かれる事になった。
とはいえ、隊員たちも交渉が決裂して戻ってきたという事しか分からない。確かに本部天幕でなされた会話を多くの隊員が聞いてはいたものの、なんか態度がすごい上からだった、とか、伝令が弱そうだった、などのどうでも良い言葉しか出ない。
今回の任務は特別秘密にしておかなければならないような内容ではなかったが、それでもこの先どういう判断が下されるか分からない。迂闊な予想は出来ないため、二番隊も言葉を濁すしかなかった。
当然、彼らを囲む団員たちとてそのような事情は分かる。己がその立場に立てば同じように言い淀んだだろう事を考えれば、彼らを突くような事は出来ない。
次第にその騒がしさは違う話題へと変わっていく。最早遠征というより遠足に行って帰ってきただけの二番隊に、道中楽しかったか、などとどうでも良い事を聞き始めた周囲。それに気遣いを感じながら、説明できない罪悪感を薄めていった。
「そうか。うん、良い判断だと思うよ。」
報告に来た二人へヴェルムが苦笑しながら言う。二人は怒られる可能性も考えて緊張していたが、その言葉にホッと肩を撫で下ろした。今考えてもあの撤収は間違っていないと思っているが、そもそも受けた任務はエルフの里への救援である。それを達成する事が出来なかったという一点においてのみ、二人はお叱りの可能性を考えていたのだった。
「そんなにあからさまにホッとしなくても…。君たちはちゃんと任務を果たしたじゃないか。私は言ったはずだよ。エルフの里へ救援に向かえ、と。」
ヴェルムの言葉に対する二人の反応は違った。アズは納得したように頷いているのに対し、アレックスは記憶を遡りながらもそれがどうしたと言わんばかりに首を傾げている。
そんな対照的な二人にふふと声を漏らしたヴェルムは、未だ分かっていない様子のアレックスに説明をするよう、アズに目線だけで指示を出す。押し付けたとも言う。
アズは安堵の笑みを苦笑に変えて、その声なき命令を承ったとばかりに掌を胸にあてた。
「アレックス。団長は救援に向かえと言ったんだよ。だから任務は達成だ。」
すぐに答えを教えても面白くないと考えたアズは、敢えてヒントだけに留める。とはいっても、十分に答えを言っているが。
しかしアレックスは頭を使うのが得意ではない。彼の長所は圧倒的武力とカリスマ性だ。頭脳労働は向いていないと本人も分かっているからか、本部に帰ってきてからはよくこうして頭を抱えている場面を見る。
そんなアレックスはアズのヒントで少し考えた。彼は小さく救援に向かえ救援に向かえと呟き、そこでやっと気付く。
「あ、向かったから良いのか。受け入れなかったのはあっちのせいだし。」
そう。ヴェルムは向かえと言っただけだ。勿論、エルフの里がそれを受け入れればそのまま本当に救援活動をしていただろう。
それを受け入れなかったのはエルフの事情であり、それによって帰還したアレックス達をヴェルムが責める道理はない。だからこそ団長室を訪れた瞬間に、おかえり、任務お疲れさま。と労いの言葉を二人にかけたのだから。
「ていうかアズ。帰って来たら帰って来たでそうやって揶揄うのやめろよな。」
少し不貞腐れたように言うアレックスに、ふふ、と笑う。すると二人の目の前からも押し殺したような笑い声が聞こえてきた。
「おい、ヴェルムまで!なんで俺が笑いものになってんだよ!」
麗人二人からクスクスと笑われるアレックス。まだ子どもと言える年齢からドラグ騎士団にいたアズは、こういう部分で強くヴェルムの影響を受けていた。
他にも料理などの影響は出ており、髪が長いのもヴェルムが長いからではないかと団員は考えている。つまり、他の団員と同じくヴェルムの事が好きすぎるだけだ。
「それで?結局どうすんだ?」
笑い声が収まって最初に真顔を取り戻したのはアレックスだ。それに釣られるように真剣な表情を浮かべたアズも、同じようにヴェルムを見た。
二対の瞳から見られたヴェルムはといえば、先程までの楽しそうな様子は少しだけ身を潜め、それでいてまだ穏やかな笑みはまだ健在だった。
そんなヴェルムの様子に、二人は少しだけ肩の力を抜く。あまり気負っても仕方ないと深く呼吸して努めて眉間の皺を取り除いた。
「どうもこうもないよ。王子から救援要請が来たのに、向かったら王の横やりが入った。そんな事は想定内だったはずなのに。という事は、今迂闊に手を出せばエルフのいざこざに巻き込まれるだろうね。それはこちらも望む事じゃない。王子としてはこちらを巻き込んででも王位に就きたいはずだけど、それじゃあ今後が困るだろう?ヒトのようにすぐ世代交代する騎士団ならともかく。」
ヴェルムはゆっくりと言い聞かせるように語る。それは確かに尤もな言い分であり、ドラグ騎士団としてはこの問題に積極的に首を突っ込む事はないと意志を表示した。
であれば、二人に出来ることはもうない。エルフとの問題はアレックスが引き起こした面もあるため、アレックスとしては何とも歯痒い結果となった。だが、このまま放置しても良いのだろうかと疑問が浮かんだため伏せていた顔を上げれば、その考えを見透かしたようにアレックスを見るヴェルムと目が合った。
更にその上で微笑まれてしまえば、やはり自分の咄嗟の考えなどお見通しか、と完全に降伏するように両手を挙げるしかなかった。
「アレックスの不安も分かるからね。勿論、ただ放置する訳じゃないよ。対策は考えてあるさ。」
「?」
ヴェルムの言う対策が分からないアレックスは、またも首を傾げるしかない。最近よくアルカンタを出歩くようになった彼が、分からない事に出会うと必ずする癖である、首を傾げるという仕草。
実はこの行動に一定のファンがいる事など知りもしない彼は、機嫌が悪い時のガラの悪さとこの小動物のような仕草のギャップがウケているのだと気付いていない。
こういうとこ、天然って怖いよね。などと考えるアズも、自分の事を棚に上げているなど思ってもいないのだが。
ヴェルムはそもそも人の好感度になど欠片も興味が湧かない上、アレックスの幼少期から見てきた身としては元気に育って何より。と親目線で考えている。
そんな三者三様の思考は明かされる事など無かったが、その空気を割くように団長室の扉がノックされた。
「失礼します。ゆいな隊部隊長のゆいな殿がお見えです。」
部下の訪れを告げるその声に、ヴェルムは壁に控えるセトへと頷きを送る。それを受けたセトが扉へ歩き開けると、予告通り姿を現したのはゆいなだった。
彼女は扉を潜りすぐに敬礼をすると、ヴェルムもそれに軽く敬礼を返す。そのやり取りが終われば、扉が閉まる音の後にゆいなが口を開いた。
「ご歓談のところ失礼します。お呼びと伺って参りました。」
ゆいなが来たのは自主的ではなかった。ヴェルムのからの呼び出しである。呼び出しとはいえ、別に怒られるような事をした訳でもないため緊張した様子はない。任務かと思って出向いてみれば、先程団員たちが騒いでいた元凶である二人がここにいる事を考えて任務内容を予想する。
であれば必然的にエルフ族に関しての事だろう。当たらずとも遠からずだという自信はある。なれば己の、そして己の部隊がやるべき事は限られてくるだろう。
さて予想は合っているだろうか、とヴェルムを真っ直ぐに見れば、そこには普段通り穏やかな笑みを浮かべた白銀の麗人がソファに座っていた。
「やぁゆいな。そこに座って。忙しいところに呼び出して悪かったね。」
ヴェルムがソファを勧めながら謝罪を口にすれば、ゆいなは条件反射のように首を振って否定を返す。この騎士団に、ヴェルムからの呼び出しを後回しにするような愚か者はいない。ゆいなとて仮に食事中でも入浴中でも最速でここまで来るだろう。そしてそれは他の者たちも同じだ。
「失礼します。」
そう言ってソファへ腰を下ろしたゆいなに、先客であるアレックスとアズからそれぞれ挨拶が飛んでくる。それにシンプルながらもきちんと返したゆいなは、スッと横から差し出された緑茶を受け取って礼を述べた。
「あぁ、良い香りだ。ありがとう、アイル。」
「いえ。お口に合えば幸いです。」
ヴェルム専属執事となってまだ数年のアイルだが、既に仕事の精度は完璧に近い。本人はセト以外の執事をほとんど知らないため、目標をセトに設定している。だがそれは無理があるだろう。何せ、セトはヴェルムがヒトと関わる前から世話役として時間を共にしている。それこそ、ヴェルムが生まれた時から。
執事という存在を知ったのはグラナルド建国よりもっと前だが、それを知った後に初代国王と出会いヒトの姿で出歩くようになり、それからヴェルムの執事として働いてきた。
そんな根っからの執事にたった数年で追いつくのは無理がある。それはアイルも自認しており、だからこそ追いつきたいのだと切に願う。
執事の世界など全く分からないゆいなからすれば、こうして好みど真ん中に淹れられた緑茶や、持ちやすい湯呑みを選ぶ鑑定眼、必要時以外は気配すら殺して空気のように微動だにせず待機する体力と集中力。それら全てが素晴らしいと、諜報部隊の長である彼女から見ても思う。
だからこそ、アイルに告げた礼は心からのものだ。彼がまだ子どもだからといって、凄いな、とは言わない。彼にとってそれが当たり前だからだ。
当たり前の事でも出来たら褒めるべきだという者や親は多いが、仕事としてやっている上に彼自身ここで止まるつもりはない。
ならば、感じた事をそのまま伝えるのが一番であるとゆいなは考える。
そんな事を考えて熱々の緑茶をズッと口に含めば、春摘みの若々しい甘みと苦味がトロッと口内で踊った。
これは本島西部の島で採れた茶だとすぐに分かるのも、ゆいなの隠れた特技かもしれない。独特な甘みとトロッとした舌触り、鼻に抜けるほんのりとした苦味に混ざる甘みは、その地方の茶によくある特徴である。
「あぁ、やはり美味い。」
ゆいなが呟くように言えば、斜向かいから羨ましそうな視線を感じた。そちらを見れば、飲み切ったカップを手持ち無沙汰に指で転がすアレックスと目が合う。
飲みたいなら頼めば良いだろう、とゆいながアイルを見ると、そこには既にもう一杯の緑茶を準備しているアイルの姿が。
執事とはいえ子どもにそんな気を遣わせて、と思わなくもないが、それが仕事であり誇りを持っているアイルの前では言い難い。ゆいなはその辺りの空気は読めるタイプだった。
「今回ゆいなを読んだのは、エルフの里についてなんだ。」
ヴェルムはゆいなに、アレックス達が即時帰還した理由を告げる。その上で、現状分かっているエルフ族の問題をこちらから解決に動く気はないと告げ、対策としてゆいな隊の力が必要だと言う。
「つまり、我が部隊のエルフ族を何名か里に帰せば良いのですね。」
ヴェルムが告げた任務とはゆいなが告げた通りだ。ドラグ騎士団が里へ戻れずとも、その里の出身であれば入る事が出来る。前回アレックスと共に派遣された部隊員以外のエルフ族を送れば良いと言われれば、これが王にバレないための方策だと分かる。
「そう。こちらも里の動向が分からないと対策が立てられないからね。今回は里長も王子側についたみたいだし、王の情報は得難い。だからこその潜入捜査だよ。」
ヴェルムがそう言えば、ゆいなは胸を張って一度頷く。これはゆいな隊、通称亜人部隊の最も得意とするところだろう。エルフ族であり諜報部隊である部隊員たちにとっては、この程度何の支障もない。
ゆいなは早速どの小隊に任せるか考えながらもう一度緑茶を飲み込んだ。
「ではその旨伝えます。アレックス、君にも送られてきた情報は共有しよう。いざという時、君も動くのだろう?何せ、君は王子とのパイプ役だ。」
立ち上がったゆいながアレックスを見下ろして言えば、アレックスは驚きながらも頷く。
「あ、あぁ。頼むぜ、ゆいな。」
「任された。」
そう言って敬礼をヴェルムに向けた後颯爽と退室していったゆいな。それを見送ったアレックスは、完全に扉が閉まってから呟く。
「あいつ、かっけぇな。」
王族とは思えない口の悪さだが、アズもヴェルムもその気持ちはよく分かる。だが口に出す程でもないため、またもアレックスは二人から笑われる事になった。




