254話
魔導学院では、将来の宮廷魔導師や騎士を育成するための実技に力を入れているが、魔道具師や錬金術師も同時に育成しており、三学年ある内の二年生から選択制の授業を受講する事になる。
クラス分けは単純に成績順ではあるが、どの選択授業を選んでいても厳しい試験を乗り越えなければならないという現実に変わりはなく、最高クラスであるAクラスに在籍しているというだけで将来は約束されたようなものだ。
ではクラスで同時に受ける授業は無いのかといえば、そんな事はない。選択授業で散らばる以外の授業では、クラス全員が教室で授業を受ける事になる。
今日もそんな普通授業である、歴史の授業が教室で行われていた。
「という訳で、先代国王陛下は東の国が体勢を整える前に攻め込んだのです。これによってグラナルド軍は、少ない被害で港を得るに至りました。」
東の国から皇子が来ていようと関係ない。そんな堂々とした態度で教鞭を執る教師に、教室内の雰囲気は何とも言えない空気が漂っていた。
だが、空気が読めない者というのは何処にでもいる。それはこの最高クラスであるAクラスでも同じであった。
「先生。確かに被害が少なかったのは良いでしょう。しかし、そんな手を使っていては他国や戦争に参加しなかった貴族から卑怯者の誹りを受けなかったのですか?そもそも、世に聞く侍がどれ程強かろうと、グラナルド軍ならば勝てた筈です。」
グラナルド王国の貴族には、三つの派閥がある。王家派、貴族派、中立派だ。
先ほど空気を読まずに言葉を発したのは、貴族派に所属する貴族家出身の男子生徒である。
「ふむ。良い質問とは言い難いが、疑問に思うなら説明しましょう。」
教師が少し困ったような顔をしたのは一瞬の事だった。彼はこの魔導学院で教鞭を執って四十年。大ベテランの教師だ。世の道理も社交性も協調生も分からぬ餓鬼の挑発など、笑って流せるだけの経験と自負がある。
「今代国王陛下は武力よりも言葉で戦うお方だが、必要な時はその拳を振り下ろすことも出来る優秀な方だというのは分かりますな?しかし先代は違う。先に殴ってそれからどうするかを決めるお方じゃった。先代陛下の突拍子もない提案に驚いた貴族は数知れず。しかしその結果グラナルドに益を齎すばかりだったため、先代陛下が実は深謀遠慮に長けた方なのではという噂までありました。」
先程までの空気は何処へやら。教師が語り始めた先代国王の人となりは、学院生たちの興味をこれでもかと引いた。ここにいる学院生たちは皆十代後半で、彼らが生まれた頃には今代国王へと代替わりしていた。そのため先代の治世を見た事が無く、話で聞く先代の話はどれも戦争の話ばかり。
余程の戦好きだったのだろうと思って聞いていれば、そもそも考えるより先に手が出る性格だったのだと分かる。よくそれで国を運営できたものだと、いっそ感心すらしてしまうほどだ。
驚きと興味で話を聞く学院生たちは知らない。暴走気味だった先代国王を拳骨で鎮めて間違いを正した騎士団の長の存在を。
その団長は今日も穏やかな笑みを浮かべて、己の片割れである弟執事の淹れた茶でも飲んでいるのだろうと考えるカリン。彼女もまた、学院生達と同じく今代国王の治世に生まれたが、先代はまだ生きており、何ならカリンも会ったことがある。
会う度にお菓子をくれる良い爺さんだと記憶しているが、授業で習うような苛烈な国王だったとは信じ難い。寧ろ先代よりその妃の方が…。
ゾクリ。
カリンはそこまで考えて身慄いした後、その思考を急いで放棄する。これ以上考えてはダメだ、と己の生存本能の全てが満場一致で決を取った。
「おや、飛び級生。ちゃんと聞いていますかな?」
身慄いした挙句、顔をブンブンと横に振ったのが目に入ったのだろう。教師から指摘されて恥ずかしそうに俯いたカリンは、消え行くような声で謝罪だけ述べた。
教室内からクスクスと笑い声が起こる。その笑い声は非難や侮蔑ではなく、単純にクラスメイトが教師に指摘されたが故の揶揄いを含んだ笑い声だった。
「丁度いいですから、飛び級生に問題を出しましょう。今代国王陛下は近年、陛下の治世初の侵略戦争を起こしました。その相手と、同盟国を挙げてください。」
これはカリンにとってだけでなく、グラナルド国民であれば答えられる内容だっただろう。話を聞いていなかった罰にしては軽すぎる内容ではあるが、こういった面がこの教師の生徒からの人気が高い理由だろう。
優しすぎず、厳しすぎず。眠たくなるような話し方はせず、寧ろ興味を惹く口調と速度で語られる授業は、歴史を好きだと言う生徒が増えるくらいには人気だった。
カリンは無事答えを述べると、教師は満足そうに微笑んで頷く。カリンがホッと一息吐いて座れば、彼女の周囲の席からまたクスクスと笑われるのだった。
「よろしい。その調子でしっかり聞いておいてください。」
生徒が気を抜いた瞬間に釘を刺す辺り、彼がベテラン教師だというのも頷ける。慌ててカリンが元気よく返事を返せば、今度こそ教室全体から笑い声があがるのだった。
選択授業では、それぞれに選んだ授業を学年別に受講する事になる。カリンは現在、実践コースと通称で呼ばれる科目を中心に取っていた。その内の一つ、近接戦闘術の授業が始まってすぐの事だった。
「カリンさんは武器を幾つから教わっているの?」
カリンと同じく近接戦闘術の授業を取った竜司が、木刀を地面に刺して手をつきながら問うた。
東の国の侍と呼ばれる戦士達は皆、和刀と呼ばれる片刃の反った剣を使う。それの形に木を削った木刀は、竜司が自前で持ち込んだ物であり、学院の備品である木刀はどれも両刃の直剣を模した物だけだ。
そんな竜司の問いに、うーん、と首を傾げたカリンだったが、ふと思い出したように手をポンと叩いた。
「物心ついた時にはナイフとか触ってたって聞いたよ。師父に武器の使い方を本格的に教わり始めたのは四歳のはず。だから…、十年くらい?やってるのかな。」
子どもの時分では、一年の差は大きい。しかし何百年も生きている者に囲まれて育ったカリンは、十年以内はほとんど数えないという大雑把な大人勘定が身についてしまっていた。
確かに具体的に言えば十年なのだが、その計算すらも面倒な上、己の年齢などどうでも良いカリンは細かい事を気にしない。
そんなカリンに随分と慣れてきた竜司は、頬を少しだけ引き攣らせながらも無理に笑顔を作ってみせた。流石の皇子である。こんな事に社交界での技術を活かすのもアレだが。
「そ、そっか。カリンの得意な武器は剣なのかい?」
どうにか無理なく話題を変える事に成功した竜司だったが、そこでカリンから思わぬ事実を告げられるとは思わなかったのである。
「え?ううん。剣も使えるってだけだよ?わたし、ウェポンマスターだから。」
話題の尽きない飛び級生と留学生。そんな二人の会話に聞き耳を立てていた者は多かった。それ故にだろうか、カリンが発した言葉で学院内の野外訓練場はシンと静まり返った。
アハハハハハハッ!
そんな時、一人の男子生徒が堪えきれないとばかりに笑い声をあげた。反り返って腹を抱えて笑うその姿は、余程面白い事を聞いたか余程笑いのツボが浅いかのどちらだろう。
しかし、一人が笑い始めると周囲もまた釣られたように笑いだし、遂にはほとんどの者が笑い始めた。
ポカンとしているのは全体の四分の一程度だろうか。
カリンが笑われているのは確かだが、その理由まで分からなかった本人は至って普通に笑顔を浮かべている。その様子は言葉を発した時のままで、周囲の爆笑など耳に入っていないかのようだった。
逆に、自分が笑われている訳でもないのに怒りの表情を浮かべる者がいる。竜司だ。
彼はワナワナと握った拳を震わせ、周囲を睨みつけている。我慢できないとばかりに怒鳴りつけようとして息を吸った瞬間、隣から己を呼ぶ幼い声が聞こえてグッと堪えた。
「竜司くん。ウェポンマスターには会ったことある?」
それは怒りも悲しみも含まれない、ただただ純粋な興味として聞いているような声だった。
咄嗟の事に怒りも忘れて振り返れば、先程までと変わらぬ笑顔のカリンが立っている。
「あ、あぁ。どれも達人級の腕前で、一つの武器を極めた者と同じ武器で戦い勝利を収めるのを見た事がある。」
急に問われたものだからと慌てて記憶を掘り起こせば、竜司の父である天皇の御前試合で見た事を思い出した。あれは旧東の国で傭兵をしていた猛者だったはずだ。朧が攻め込んだ際に傭兵らしく契約によって従軍し、軍が敗れたため捕虜となっていた彼が本島に送られ、そこで実力を見せたため御前試合に出たのだったか。
そんな記憶からカリンに肯定を返せば、カリンはその幼い見た目から想像も出来ないほど妖艶な笑みを浮かべてみせた。春を売る女性とは違うが、怪しい笑みでも無い。その裏に何かあると分かっていながらも手を出してしまうような、そんな魅力と抗えない力があった。
「ウェポンマスターってね、自称ばっかりで本物は少ないんだよ。竜司は本物を見られて良かったね。でないと、こうして勘違いした馬鹿と同じだったかも。」
十二歳程の見た目からは想像も出来ない艶やかな笑みから、酷く相手を侮辱する言葉が飛び出す。それはその笑みを見て笑いを止めていた生徒達にもはっきりと届いた。
「なっ!ガキだからって調子に乗ってるのか!?」
当然、こういう反応になる。彼らは国を支える貴族出身が多い。その分教育にも金がかけられており、平民よりも質の高い教育を受けてきているはずだ。そうなれば、ウェポンマスターに会ったことのある者もいるのかもしれない。
だが、残念ながらこの場にはいないようだった。カリンの言葉に笑った者は、冒険者などによくいるただの器用貧乏の事しか知らなかったのだろう。
ウェポンマスターは全ての武器を自在に使いこなす。そして凡そ武器になりそうもない物でも武器として戦う事が出来る者を指す。
フォークやペン、燭台など何でも使い、その基本は武器として世に生まれた全ての武具を使う事を基礎としている。
その辺にある物を使って攻撃するのは、暗殺術にも通ずる部分がある。だが暗殺術は相手を必ず殺す事を目的としており、ウェポンマスターは使いこなす事を目的とする。似て異なる二つの武術は、相容れる事はないのだろう。
男子生徒の挑発は安すぎる物言いだったが、カリンはそれに満足そうに微笑んだ。そして己が持っていた木刀を肩に担ぐと、気負いしない様子で言い放つ。
「じゃあ、見せてあげるね。」
ぐぁ!
や、やめ…!
ぎゃあぁぁぁ!
か、母さん…!
魔導学院といえど幼い頃から剣術も教育の一環として修めてきた生徒たちは、悲鳴と共に地面に打ちつけられて一人、また一人と気絶していく。
それを無言で成していくカリンの手には、相手を倒すたびに倒れた相手から奪った訓練用の木製武具が握られている。
今も倒した相手から奪った木槍を構え、一番近くにいた男子生徒へと突撃している。これは彼女が理性を失って暴れているのではなく、寧ろ冷静だからこそ生徒でも目で追える速度で移動し、派手に倒されているにも関わらず怪我などしていないのだ。
その巧みな技で一人ずつ打ち倒していく姿に、竜司はただ見ている事しか出来なかった。近接戦闘術の授業を取ってから、もう何度もカリンと手合わせしてきた。
手加減されているとは薄々感じていた。しかしここまでとは思わないではないか。
己が何人いようと届かないと思わせるには十分な実力で、飛び級生とはここまでの実力を持つのか、と深く納得もした。
「ほら、君で最後だね。どう?本物のウェポンマスターを見た気分は。まだ器用貧乏だって笑う?」
ふと聞こえて来たカリンの声に、周囲を見渡せば笑っていた生徒が一人を除いて誰も立っていない事を知る。立っているのは笑っていなかった生徒だけで、竜司との会話の間に誰が笑って誰が笑わなかったのかを把握していた証拠だった。
その事実に気付いても、もう驚く気力もない。圧倒的なまでの実力を見せつけられた竜司だったが、心の中に湧き上がったのは恐怖や畏れではなかった。そこにあるのは、ただただ強い憧れ。
近年再会した兄、源之助はドラグ騎士団に入団したという。再会から定期的に会って会話をする中、一度手合わせを頼んだ事がある。
その時に見せつけられた、圧倒的な実力。視線の先にいるカリンと、その時見た兄の姿が重なって見えた気がした。
兄のようになりたい。そう思ったのはいつだったか。初めて思ったのはまだ幼い時分だっただろう。今でも同じように思うが、その内容は随分と変わった気がする。
親族から殺されかけても挫けず強くなる、そんな兄に再度憧れたのは確かだ。そんな兄と幼い少女が被って見えるのは何とも不思議な気がしながらも、酷く納得する自分がいるのも事実。
矛盾する思いが駆け巡っている竜司を他所に、カリンは最後の男子生徒を打ち倒して残心を振るところだった。
「竜司くん!どう?何か参考になった?」
パタパタと駆け寄って来たカリンの口から出たのは、聞く者が聞けば傲慢とも取れる言葉だった。しかし竜司はそれに苦笑を返す。なんだか肩の力が抜けた気がした。
「あの剣の動き、こっちじゃなくてこっちから振ったのはどうして?」
「ん?あぁ、あれ?ほら、こっちからいくと向こうの武器の角度からしてこっちに反撃が…」
二人は訓練場の阿鼻叫喚とした光景を背景に、いつもと変わらぬ会話を始めた。いや、確かに変化はあった。
元より意見交換の形で話していた二人が、明確に竜司が吸収する意欲を見せた。それは些細な変化ではあったが、同時に大きな変化でもあった。
この流れを一部始終見ていた近接戦闘術担当の教師は、コッソリとため息を吐いて誰にも聞こえぬ声で呟く。
「団長ぉ…。なんでカリンなんだよぉ…。他にいねぇのは分かるけどさぁ…。」
南部戦線で傭兵団"暁"として暴れ回った部隊員の一人が、その時の勇ましい姿からは想像も出来ない萎れた姿でそこにいた。




