251話
魔導学院。それはグラナルド王国が誇る三大学校の一つである。
将来の国軍や近衛騎士を輩出する騎士学校。民や貴族の生活にかかせない商いの基本を教える商業学園、そして魔法先進国として大陸最先端の魔法を研究し教授する魔導学院。
商業学園の学園長が爵位を得てからは、それら全ての学校が貴族もしくは国王の名の下に運営されている。
騎士学校は代々近衛騎士を輩出している公爵家が、魔導学院は国王がそれぞれの頂点に立つのである。
所謂王立と呼ばれる魔導学院だが、貴族家や裕福な市民の出で魔法の才能が認められた者が入学する由緒正しき学院だ。
卒業生は国軍で魔法部隊に配属されたり、近衛騎士になる者もいる。だが一番競争率が高く誰もが目指すのはやはり、宮廷魔導師だろう。
宮廷魔導師はかなりの狭き門であり、毎年行われる国家試験では一人も合格が出ない年もある。逆に、複数人の合格者を出す事もあるため、定員が特に決められている訳ではないようだ。
今年も三月、つまり年度末に試験が行われたが、合格者は一人だけだったという。
そんな魔導学院で、入学式を終えた後すぐに新たな入学生が来るというのは、驚きと疑問を持って在校生達に伝えられる事になった。
「新しく来るのは留学生らしいな。南の国か?」
「いや、東の国かららしい。今年の建国祭に東の国使節団が来ていたからな。」
「あぁ、そういえば今、王宮にそれらしい団体が来ているようだ。それか?」
学院生達の興味は専ら留学生へと向いていた。そもそも中途入学というのが珍しい上、それが他国からの留学生となれば若者達の興味を引くには十分すぎるのだろう。
ざわざわと教室の彼方此方で噂される留学生だったが、これがこの教室だけでなくほとんど全ての教室でなされている事を、今年度入学の一年生は知る由も無かった。
噂によれば、留学生が入るのは最高学年である三年生であるらしい。入学出来る年齢に決まりは無いとはいえ、大体の生徒が十六歳になる年度で入学する。飛び級も可能だが、卒業後に貴族社会で生きる者も多い中、学生の内に交友関係を広げるためにもそれをする者は滅多にいない。とは言っても、そもそも飛び級が出来るというのは極一部の天才だけだが。
今年度は奇跡的に、十四歳の天才が入学し飛び級して三年生になっている。そんな奇跡はそうあるものでもなく、必然的にその生徒は注目を浴びていた。
奇跡の飛び級は除き、最高学年である三年生は十八歳になる年度ではあるが、これまた噂によれば留学生は二十を越えているらしい。
更にその留学生が東の国から来るとなれば、自国の魔法が世界一だと信じて疑わない学院生達は、東の国では魔法も碌に教えてもらえないのか、という考えになるのも仕方ないのかもしれない。
グラナルド王国から見て東の国とは、多少なりと交易のあった旧東の国を滅ぼした島国である。そして何より、グラナルドの英雄を生み出した戦争でグラナルド軍に大した反撃も出来ず、占領した領地の南三分の一を切り取られた弱小国という認識がある。
それは軍部に勤める貴族の子息などの態度に顕著に現れており、東の国から皇子が来ると聞いてもその態度が変わる事は無かった。
「本日より卒業まで共に学ぶ事になった東の国の皇子、皇竜司だ。他国の皇子とはいえ、この学院の規則である身分問わずの方針を変える必要は無い。では皇。挨拶を。」
三年生の教室。朝礼もそこそこに今年度から新任として配属された担任が、このクラスに留学生が入る事を告げる。
この魔導学院ではクラスを成績順にしており、このクラスは成績上位の者が集まる優秀者クラスだ。三クラスある中でもトップの者達が集まるこのクラスに、東の国から留学生が入れるとは誰も思っていなかった。
今年度は飛び級の年下が急にこのクラスに配属され、更には担任も新しい者になった。それに加えて留学生まで来るとなれば、生徒達が混乱するのも当然だった。
「少し遅れたが一年間共に学ばせてもらう、皇竜司だ。どうぞよろしく。」
身分は関係ないとはいえ、皇族が他国の貴族に頭を下げるのは外聞が悪い。そのため竜司は敢えて平等に見える態度を取った。
高圧的でも謙りもしない。それは皇族として生きてきた彼ならではの絶妙な距離感の取り方だった。
疎な拍手がクラスで鳴り響く中、良し、と頷いた担任が教室を見渡す。そして今気付いたと言わんばかりに一点を見ると、そこを指差して竜司に告げた。
「あの席が空いている。とりあえずはあそこに座っていてくれ。…本日の一限は私の授業だな。ならば皇のために自己紹介でもしていろ。」
あっさりと授業の放棄をした担任に、教室中から非難の視線が突き刺さる。しかし留学生からの自己紹介だけでは一方的過ぎるのも分かっているため、渋々といった様子で彼らは納得を見せた。
それを見た担任はしれっと教室を出て行ったが、教卓の横に放置された竜司は何が何やら分からないといった様子だった。
「ほら、こっちだよ!」
そこに元気よく声をかけたのは、担任が指定した席の横に座っていた女子生徒。この教室で異彩を放つその席は、彼女の見た目に理由がある。
周囲は成人した青年ばかりであるのに、その女子生徒だけはどう見ても未成年の子どもなのである。どう見ても十を少し過ぎたようにしか見えないその女子生徒は、機嫌良く手を振ってから椅子をバシバシと叩いていた。ここに座れ、という意味であろうか。
「ちょっとカリンさん。その椅子は学院の物ですのよ?そんな乱暴に扱って良い物ではありませんわ。」
近くに座っていた貴族然とした令嬢が嗜めるように言うも、女子生徒カリンはあははと笑いながらも機嫌良さそうに竜司へ手を振る事は辞めなかった。
とにかく席に着かねば始まらない、と竜司がその席へ移動すれば、にんまりと笑ったカリンが嬉しそうに身体を竜司へと向けた。
「わたしカリン!竜司くん、よろしくね!」
相手が皇子であろうと態度の変わらないカリンは、入学式の日も自己紹介で同じように高位貴族の子息にそう言った。この学院内では身分問わず。これを方針として掲げる学院に入学した以上、カリンの態度に怒る事も出来ない子息が悔しそうに手を握りしめた事をカリンは知らない。
それを見ていた周囲は知っているが、今回も同じようになるのでは、と心配そうな視線が二人を囲う。しかし予想に反して竜司は、にっこりと笑顔を浮かべて握手を求めるように手を差し出したのだった。
「カリンさんだね。よろしく。来たばかりで分からない事ばかりでね。色々と教えてくれると助かる。」
竜司が浮かべた朗らかな笑顔は、その整淡な顔つきも相まって、教室の半分、つまり女子生徒の視線を釘付けにした。男子生徒も一部惚れ惚れするような表情で見ている辺り、半分以上であったかもしれない。
そんな竜司に一切の動揺を見せずに笑ったカリンは、しかし直後困ったように眉尻を下げた。どうかしたかと疑問に思った竜司だったが、その理由は聞くまでもなくカリン本人の口から語られる事になる。
「わたしもまだ通い始めて一ヶ月も経ってないし、全然分かんないんだぁ。ごめんね、力になれなくて。」
その言葉で竜司は全てを察した。今年度入学して直ぐに三年生へと飛び級したという天才児の存在。目の前にいるどう見ても十二歳程度の少女。これだけ明るく元気な少女でありながら、誰も話しかけないという異質さ。
なるほど確かに。そんな言葉がふと浮かぶくらいには納得した竜司だったが、政に携わる彼がそれを表情に出す事はなかった。
「それでしたらわたくしが案内して差し上げますわ。その、お二人とも、一緒に。」
溢れ出す自信が凄い勢いで萎びていくように最後は消え入る声で告げた女子生徒。彼女は恥ずかしかったのか顔を俯かせて耳を赤くしているが、彼女の隣に座った女子生徒はそれを心配そうにオロオロとしながら見ているだけだった。
「良いのかい?ありがとう。カリン、良かったね。」
「うん!ありがとう、スペアさん!」
カリンが満面の笑みでそう言えば、竜司は女子生徒の名を聞いていなかった事に気付く。スペアというのか、と納得しかけたその瞬間、俯いていた彼女はバッと顔を上げて目尻を吊り上げた。
「何度言えば覚えますの!?わたくしはスペアなどという予備ではありません!スピア公爵令嬢ですと何度言えば覚えてくれますの!?」
スペアじゃなくてスピアだった。代々武官を輩出するスピア家だが、彼女は魔法の才能があったのだろう。最高学年になっても最高クラスに在籍しているあたり、その実力は本物のようだ。
先ほどまで照れで赤くなっていた耳が、今度は怒りで真っ赤に染まる。あはは、と笑うカリンに反省した様子は無く、水色の瞳を細めて愉快そうにしていた。
結局そのままスピア公爵令嬢から自己紹介が始まり、担任が戻ってくるまで自己紹介が続けられたのだった。
ほとんどの生徒が竜司に友好的な視線を向けなかったが、それでも早速友達が出来そうだと、竜司は機嫌良さそうに笑った。




