26話
「ふむ、この辺りは変わりませんな。昨年と何処が変わったのか探す方が大変かと。と言っても、あのお二人程変わっていないものを探す方が大変かもしれませんがな。」
そう言って笑うセト。ご機嫌な様子でヴェルムの数歩後ろを歩いている。そんなセトに苦笑しながら先を歩くヴェルム。二人は森を分けるように続く凸凹の激しい道を歩いていた。
しばらく進むと、ずっと続いていた森が終わり見晴らしが良くなる。と言っても、夜のため夜目が効く者でないと辺りは見渡せないであろう。二人には関係の無い話ではあるが。
それから更に進むと、遠くに集落の灯りが見えた。ここは広い森に囲まれた平原だが、こんな人里離れた所に集落があるのも珍しい。更に、夜に灯りが使えるということはそれなりに裕福な集落である可能性が高い。
「あぁ、着いたね。流石に集落の中に転移するのは避けたけど、歩くならもう少し近くても良かったね。」
首の後ろを掻きながらヴェルムが言う。それはガイアが普段とる行動にそっくりだった。
「慣れぬ仕草で誤魔化しても釈明にはなりませんな。ですが我々にとって距離はあまり意味のあるものではありませんからな。お気になさらず。」
セトは何でもないかのように返した。実際、古くから生きる竜である二人には、この程度の距離は有って無いようなものだ。
集落まであと少しの距離を、二人は談笑しながら歩く。果たして、この集落にいるであろう尋ね人は誰なのか。
集落に辿り着き、入口にある木製の粗末な門で、不寝の番をしている門番に話しかけてから集落に入れてもらった二人。
昨年も訪れたため、顔見知りであった事が幸いだった。当たり前だが、毎年この夜に尋ね人に会いに行く時、門で止められるのだ。
村や町から一歩出れば、街道沿いでも盗賊や魔物の被害にあう可能性は格段に上がる。治安維持に力を入れる領主がいる領では、騎士団や領兵団が街道沿いを巡回し、盗賊の拠点や魔物の巣などを駆除してまわる事もある。しかし、そんな領主は多くない。どの国も一定数そういった領主がいるが、ほとんどの領では町の外は無法地帯な事が多い。
そのため、夜は門番がいても中に入れないという村や町が圧倒的に多い。そういう場合、ヴェルムとセトはドラグ騎士団に所属する者として門を通る。ドラグ騎士団は世界的に有名で、侵略に関わらない事は小さな集落の子どもでも知っているためだ。
「昨年と同じなら、この先の家のはず。さぁ、行こうか。」
無事集落に入った二人は、目的の人物の元に向かう。ヴェルムの記憶通りに集落を進むと、家が集まる場所から少しだけ離れた一軒の民家があった。
迷う事なくその民家の戸を叩くヴェルム。中から、女性が返事する声が聞こえた後、パタパタと駆けてくる音がする。
「あら、お二人ともいらっしゃい。待っていましたよ。あの人はもう待ち切れなくてそわそわしていたの。どうぞ上がってください。」
戸を開き姿を見せたのは中年の女性だった。スラっとした背筋にハリのある声で、とても中年には見えない。だが、その顔に刻まれた目尻の皺が、女性の貫禄を醸し出していた。
女性は家の奥に向かって、あなた、お二人が見えましたよ!と声をかける。すると家の奥から何やらドタバタした音が聞こえ、その後壮年の男性が姿を表す。
「あぁ、友よ!君たちが来たということは、今日は記念祭なのか。そろそろだとは思っていたが、今日だとはね。ここに住んでいると日付の概念がないからね。最近は毎日じっとしていられなかったよ。」
男性はそう言ってから豪快に笑い、ヴェルムにハグをする。その後セトとも抱擁を交わした後、女性の肩を抱いて二人を奥に案内する。歳の離れた夫婦に見えるこの二人が、ヴェルムたちの尋ね人であった。
「久しぶりだね。昨年は来るのが遅くなってあまり時間がなかったからね。今年は少しはやく来たよ。」
家の奥、キッチンと併設した空間で、暖炉の前のソファに掛けながらヴェルムが言う。自分の家のように寛ぐその姿は、確かにこの夫婦とヴェルムが友人である事を表していた。
ヴェルムの隣に男性が座り、セトはヴェルムの後ろに立つ。いつもの配置だった。
キッチンに行っていた女性が盆を手にして戻る。盆には焼き物のコップが人数分乗っていた。
「おや、新作ですかな?また随分と美しい仕上げですな。」
セトがそう言い、女性が微笑む。男性と話していたヴェルムも、首を伸ばして覗き込んだ。
「今年は節目の年だからな。ヴェルムやセトに気合入れた作品を見てもらおうと思って作ったんだ。家の裏にある窯は昨年見せただろう?あれを更に改良して、良い物が焼けるようになったんだ。そんな事してたから今年も此処にいるが、来年はそっちに向けて動こうと思ってるよ。約束だからな。」
男性が自慢げにそう言う。毎年移動していた夫婦だが、どうやらグラナルド王国に少しずつ近づいて来ているようだ。
ヴェルムは微笑んで頷いてから、盆に乗った焼き物を手にとる。様々な角度から眺め、また頷いてから盆に戻しつつ、口を開いた。
「良い出来だね。これまでで一番を争うくらいには。この飲み口なら、紅茶より珈琲の方が良さそうだ。これに合う珈琲はあるかい?」
そう言って笑うヴェルム。珈琲ならあるぞ、と男性が言うと、それが分かっていたかのように女性が、着ていたエプロンのポケットから珈琲豆が入った瓶を出す。瓶が入っていたエプロンは膨らんでいなかったのにも関わらず。
「これが一番合うかと思います。南の国最西部地域で採れる珈琲です。」
女性はそう言ってから瓶を男性に渡し、エプロンのポケットから、今度はコーヒーミルを取り出す。どう見てもポケットより大きいが、誰も疑問に思わない。
テーブルで豆を挽き始めると、部屋中珈琲の香りが漂う。ヴェルムは、珈琲を挽く音に目を閉じて聞き入りながら香りを楽しむ。男性も笑顔で、女性が豆を挽く姿を眺めている。
豆を挽き終わると、ヴェルムが空間魔法から何か大きなガラス製の物を取り出した。
「おぉ、それだよ。やはりこの豆はサイフォン式が一番美味しいからな。うちにはサイフォン式の道具がないから助かる。」
男性の言うサイフォン式とは、フラスコに入った水を沸騰させ、気圧の変化を利用する事で湯を移動させながら珈琲を抽出する方法を言う。
ロートの中で粉と湯を混ぜ抽出するため、ロート内で飽和状態になるとそれ以上には溶け出さない。結果、柔らかくすっきりとした味わいになる。
珈琲は紅茶と違ってあまり大陸に流通しておらず、東の国では全く見かけない上、北の国では忌諱されている。西の大国では好まれているし、中央の国グラナルドでは裕福な市民や貴族が好んで飲む。しかし、メジャーな飲み方はドリップ式だ。
ドリップで淹れる珈琲は、粉に湯を注ぎそのまま抽出するため、飽和状態にならない。そのため、成分が止まることなく溶け出していく。コクのあるしっかりとした味わいになるのはそのせいだ。
サイフォン式は道具が多く必要なのも、ドリップ式がメジャーな理由だろう。ドリップ式はフィルターさえあれば良い。フィルターは比較的安く手に入る。しかし、サイフォン式に必要な道具は、割れやすかったり数が多くなかったりと、入手難度が高い。
珈琲に拘りを持つ貴族が、サイフォン式を自慢する茶会を開いたという話題で貴族界が盛り上がったことがある程だ。
ヴェルムが手早く珈琲を淹れる準備をすると、セトが進み出てヴェルムと場所を代わる。女性が弾いた粉を使ってセトが珈琲を淹れる間、三人ともフラスコを温めるゆらゆらと揺れる炎を眺めていた。
「うん、やはりこの焼き物にはこの珈琲だったね。淹れ方もサイフォンで正解だ。カップの口当たりがこの珈琲とよく合うよ。これは貰って良いのかい?」
珈琲を香りから味、舌触りや余韻まで全て楽しんでからヴェルムが言う。男性はそれを嬉しそうに見ながら頷いた。
「勿論だ。ヴェルムやセトに持って帰ってもらうために焼いたんだからな。渾身の出来だと思ってる。ぜひ普段使いにしてくれ。」
男性の返事に、ありがとう、と返したヴェルムは、また黙って珈琲を楽しむ。一杯目を全員が飲み終わると、お代わりをまた淹れる。次は摘みの菓子も準備した。女性のエプロンのポケットから出てきたパウンドケーキだ。
「ここまで来ているなら、あと数年で首都まで来るね。まぁその時に私たちが首都にいるかは分からないけど。」
談笑していた途中でヴェルムがそう言うと、夫婦は真面目な顔をしてヴェルムを見た。
「どういう事だ?何か問題でも…?まさか、契約が切れたのか!?誰だ、そんな馬鹿な真似をした奴は!こうしちゃいられない。おい、明日にでも此処を発つぞ。寄り道なしで首都に向かう。今の国王を殴りに行かなきゃ気が済まない!」
男性が慌ててそう言い、女性も真剣な表情で頷いた。ヴェルムは苦笑しつつ手を挙げそれを止める。そしてヴェルムの代わりにセトが口を開いた。
「どうなるかはわかりませんが、おそらく大丈夫かと。我が主人は相変わらず意地悪なもので。話には続きが御座います故、最後まで聞いてから行動されては如何でしょう。」
セトの冷静な発言に、夫婦は一度咳払いしてからソファに座る。そして男性はジト目でヴェルムを見た。しかし、ヴェルムは何も無かったように珈琲を飲み、それからニヤリと笑って言った。
「相変わらず君たちはちゃんと話を聞かないね。レクス、フロース。何百年経っても変わらない君たちを尊敬するが、そういうところは改めてくれていいんだよ。」
揶揄うように言ったヴェルムの言葉に、レクスと呼ばれた男性は、ぐぬぬ、と悔しがる。反対に、フロースと呼ばれた女性は穏やかに笑った。
「ヴェルム様、相変わらずなのは貴方様です。揶揄いが過ぎると、家族に嫌われてしまいますよ。また新しい子たちが血継の儀を受けたのでしょう?私たちも辛かったのに、今回はまだ十を過ぎたばかりの子どもだとか。いくら本人が大丈夫だと言っても、こちらは心配ですよ。」
やられたらやり返さないと気が済まないのか、フロースは花のような笑みのままヴェルムに言い募る。ヴェルムの後ろでセトは目を逸らし、レクスはしてやったりとドヤ顔だ。
「いや、彼らなら耐えられると分かっていたから受け入れただけだよ。それに、君はあの時生きるか死ぬかだったじゃないか。それとも、後悔しているのかい?友ではなく眷属となった事に。」
途中から真顔でそう言うヴェルムに、フロースはたじろいだ。そしてその後怒りの表情を浮かべ、口を開こうとした瞬間、ドヤ顔だったレクスが先に大きな声を出した。
「ヴェルム!言って良い事と悪い事がある!何度言えばわかる!私たちは君の血を受け入れ眷属となったが、友を辞めたつもりはない!私たちを試すような真似はするな。君を友だと言ったあの日から、今この瞬間まで一度たりとも友を辞めようと思った事などない!それは妻もだ!」
すごい剣幕で怒るレクスと、静かに怒っているフロース。二人の怒りを向けられながらもヴェルムは真顔だった。
「試してるわけじゃないさ。言いたいことを言い合えるのが友だと、君が言ったんだろう?それに長い付き合いだ、私が試すために言ったわけじゃない事くらい知っているだろう。なのにわざわざ怒った振りまでして。だが、それで現実は変わらないよ。今グラナルド王国は滅びるかどうかの瀬戸際にある。このまま国王が無事に第二王女に王位を渡せば問題は無い。王太子がクーデターでもして王位に就けば契約は終了。私たちは国を出る。何処に向かうかはまだ決めてないけれど。」
夫婦はグラナルド王国の衰退の可能性について聞きたくなかったようだ。つまり、夫婦はグラナルド王国に縁があるのだろう。レクスは観念したように大人しくなり、夫婦揃って眉尻をさげてから、ゆっくり頭を下げた。
「悪かった。まさかそこまで愚かになっているとは考えたくもなく。ヴェルムを悪しき様に言った事は謝る。だが、そう言う言い方をするのはやめてくれ。先程私が言ったのは本心だ。君とはずっと友でありたいと願っている。我儘を聞いてもらっている中なのは分かっているが、それでもいつか二人で恩を返すために君の元へ帰るつもりだ。まさかその前に祖国がそのような事になっているとは思っていなかったが…。」
レクスはしおらしくなってそう言い、ヴェルムが軽く許すとフロースも同じような事を口にした。何時迄も落ち込んでも仕方ないと、ヴェルムが軽く笑う。夫婦はそれからもう一度頭を下げた後は、もう申し訳なさそうな顔はしなかった。
グラナルド王国の近況や、騎士団で最近あった事などを話す内に夜も更け、ヴェルムたちは暇する事になった。
「二人とも、毎年ありがとう。また来年会えることを楽しみにしているよ。少し帰国を急ぐつもりだ。私たちが首都に着く頃には王位も変わっているだろうが、私たちは今の国王を信じようと思う。話に聞いた第二王女もしっかりした人物のようだしな。あのカルム家が公爵になっている事が驚きだったが、これから取り潰されるなら特に考えることは無かろう。二人とも、元気でな。また来年会おう。」
それぞれに挨拶しヴェルムとセトは姿を消す。残された夫婦はしばらく互いに無言だったが、しばらくしてフロースがポツリと言った。
「まさか私たちの祖国がそんな事になっているなんてね。今までも問題は起こったけれど。王族がここまで愚かになるのは聞いた事がないわ。民に悪い影響がなければ良いのだけど。昔とはまるで違う風景になっている事を想像するが楽しかったけれど、ヴェルム様たちに任せきりになってしまうのが申し訳ないわ。」
暖炉の火を落としながら聞いていたレクスは頷いて同意する。
「あぁ。だが、それでも私たちの我儘を聞いてくれている。ヴェルムには感謝しかないな。私たちもなるべく早く帰国しヴェルムを手伝おう。幸い、大陸中に私たちの作品によって名を広げた。最悪、騎士団が国を出ても私たちは騎士団に着いていく。それはお前も一緒だろう?」
下がった眉尻をそのままに、元気なくそういうレクスにフロースは頷き、二人は自然に近づき抱き合う。今年はただ楽しいだけの再会にはならなかったが、二人には己と向き合う貴重な時間となった。
グラナルド王国建国記念日の今日、グラナルド王国でない国で記念日を祝う二人。そこには祖国に対する深い愛があり、騎士団とヴェルムに対する、それよりも深い敬愛があった。
お読みいただきありがとう御座います。山﨑です。
前回、謎を残して終わったお話ですが、今回も夫婦の正体は分からず。引っ張る形になってしまいすみません。
その上で恐縮ですが、次回もまた夫婦の正体は明かされません。
気になっている方がもしいらっしゃいましたら、正体が分かるまでどうかお待ちください。
さて、山﨑ですが。本業で東京に行く機会がありまして。その時は友人宅に泊めてもらいました。東京の前が福岡の仕事だったため、南蛮往来という菓子を買って土産にし、そのまま友人に渡したところ、とても喜んでくれました。山﨑も南蛮往来大好きですが、その友人も見事にハマってくれまして。(知らない方はぜひ検索を!笑)
その友人は普段、歌を仕事にしておりまして、自分で書いた曲を歌って収入を得る、職業歌手で御座います。所謂芸能人な訳ですが、山﨑と南蛮往来を取り合って食べる姿はまるで子どものようで。芸能人でもそういうところは普通の人なんだな、と思いました。
きっと、リクみたいにアイドルのような人も、プライベートでは普通なんでしょうね。
皆さんは、そこに行くと必ず買うお土産はありますか?山﨑は初めて行く地では必ずお土産を買います。それが楽しみでしょうがない所もありますが…苦笑
新たな出会い(食べ物)を求めて出歩くのは幸せですね。




