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闇竜と騎士団  作者: 山﨑
248/293

248話

妖精族の女性がドラグ騎士団に慣れるのに、そう日数はかからなかった。元より顔見知りとなっていたゆいな隊が、任務明けの休暇兼待機を有効活用して彼女と共に過ごした事と、滅多に増員される事のない錬金術研究所の所員達が彼女を大歓迎したからである。

所長と彼女が本部へ入ってから一月。既にほとんどの者と顔を合わせ挨拶をした彼女は今日、緊張した面持ちで扉の前に立っていた。


彼女がいるのは本館の奥。目の前の扉は閉ざされており、その前には零番隊を示す白銀の差し色が入った隊服を着た男が立っている。


「お、おはようございます…。」


未だ慣れぬ相手への挨拶はおっかなびっくりといった様子の彼女だが、隣に立つ所長の瓶底メガネによって隠された表情が慈愛に満ちているのだろうと予想して心を落ち着かせた。

二人が立っているのは団長室の前だが、扉の前に立つ男が扉を叩かないのには理由がある。当然二人は団長に会いに来ているのだが、二人だけで会うためではないのだ。


「おはようございます。教官殿はもう来られますので、少々お待ちください。」


扉の前に立つ男が、妖精族の女性に挨拶を返しながらその理由を述べる。そう、今日はもう一人と一緒に団長に会う予定なのだ。その言葉に頷きを返した女性は、緊張感からかドクドクと脈打つ己の心臓を押さえるように胸に手を置いて、深呼吸を繰り返していた。


扉の前で待つ事一分。その時間は彼女にとって永遠のように感じられたが、いざ後ろから足音が聞こえると、待ち侘びたというよりももう来たのかという感情が支配する。聞こえる足音が大きくなるにつれ、己の心臓も速く大きく鼓動していく。

口から心臓が飛び出そうだ、と考える事が出来たのは、余裕なのか悟りなのか。

そんな彼女を見てクスリと笑う所長に気付かない程緊張している彼女に、廊下の先から現れた人物が声をかけた。


「おはようございます。遅れたようで申し訳ない。」


団服をきっちりと着た青年。彼は準騎士達を指導する教官の一人である。

これで予定されていた三人は揃った。それを見た扉の前に立つ男は頷くと、妖精族の女性に一度目を向けてから微かに微笑んでから扉を叩いた。


「失礼致します。錬金術研究所所長殿、教官殿、お客人が見えております。」


ノックの後に凛とした声が廊下に響く。中から入室の許可を告げる声が返ってくると、彼女の心臓は限界を突破する勢いで鼓動を早めた。

扉が中から開かれるのがやけにゆっくり感じる程に緊張している彼女に、隣に立った所長はゆっくりと肩を撫でるようにして触る。それに一瞬ピクリと震わせた彼女だったが、その掌の温度から大丈夫だと言われているような気がして、少しだけ肩の力を抜くことが出来た。

まだ鼓動の音は煩いが、幾分か冷静にはなれたようだ。礼を言うように所長を見上げて微笑む彼女に、所長や教官、扉の前に立つ男も同時に微笑んで彼女を見た。








団長室には、当然の如くその部屋の主人である団長がおり、穏やかな笑みを浮かべていた。他にも執事服を着た老人と子どもがおり、妖精族の女性は子どもを見てこんな小さな子が働いているのかと、己の見た目を棚に上げて驚いた。


彼女が団長室に入るのは二度目だが、初回は本部に来てすぐだったため、内装に目を向ける余裕などなかった。その時は執事が老人しかいなかったと記憶へ向かえば、やはりこの子ども執事は見覚えがないと改めて己の記憶を探る事になった。

だが、どこかで見たことがあるような気がするのは何故か。彼女がそう考えるのには理由があり、彼女と過ごす時間が多かった所長はその考えが手に取るように分かるのだった。


「彼はアイル。先日会ったカリンの双子の弟よ。」


所長が隠しきれない笑みを手で押さえながら紹介すれば、素直に驚きを顔に出したまま所長を見上げた後にアイルを記憶の中のカリンと照らし合わせるように見つめる妖精族の女性がいた。

アイルはそのような不躾な視線に戸惑うことなく、いつもと同じ無表情のままペコリと頭を下げた。


「初めまして。ヴェルム様専属執事のアイルと申します。」


丁寧に腰を折るその姿勢は、執事として完璧な礼だった。主人のヴェルムは礼儀作法に厳しくないどころか、ヒトの礼儀作法にあまり興味がない。ヒトの世で生きるにあたり、必要だから知ってはいるものの、己がそれをせねばならぬとも思っていない上に他人にもそれを求める事はない。

だがアイルはセトの弟子であり、下の者の失礼は主人の失礼にあたると言われて厳しく作法を教わってきた。彼が何よりも優先するのは、己でも片割れの姉でもなくヴェルム唯一人。そのため、アイル自身の行動や所作がヴェルムの評価に繋がると言われれば、何がなんでも身につけるべきだと判断するのに時間は必要なかった。

その結果が今のアイルであり、知識や礼儀作法、魔法を含めた戦闘術に流行の把握など、学びを得ない日がない程に充実した生活を送っている。

今も客人の身分にある妖精族の女性への礼は完璧な所作であり、上流階級に仕える執事など見たことも無い彼女ですら、その洗練された動きに思わず見惚れてしまう程であった。


「さぁ三人とも座って。まずはお茶でも飲みながら、ここに来た感想でも聞かせてくれるかい?」


アイルに見惚れていた彼女を含めた来訪者三人に声をかけたヴェルムは、執務机に持っていた書類を置いて立ち上がる。所長と教官はそれに頷いてソファを目指し、遅れて気付いた妖精族の女性もそれに慌てて続く。

青年の見た目をした教官と、瓶底メガネに白衣という出で立ちの所長の後を歩く妖精族の女性は、親子と言っても過言では無い身長差があった。だが彼女は歴とした成人女性である。

妖精族という種族の特性から身長は百と数十センチ程にしか伸びない上、顔も人族の幼い子どものようなまま歳をとるため、そういう好みを持つ人族から狙われる事も多々あるようだ。特に妖精族の女性ともなればそれは顕著で、中央の国グラナルドが法で禁じている奴隷として捕らえ飼っている貴族もいるのが問題になっている。


ソファに座った三人の対面に置かれた一人がけのソファに座ったヴェルム。それと同時にテーブルに置かれた紅茶と皿に盛られたクッキーから、まだ焼きたてなのか仄かに香ばしさが漂い、座った四人の鼻腔を擽った。

西の国公爵領の小さな町でも見たことのあるクッキーだったが、見た目からしてこちらの方が美味しいと分かる程に綺麗で揃っていた。それよりも目を惹くのは、クッキーに練り込まれたチョコレートチップの存在である。


まじまじとクッキーを眺める彼女に薄く微笑んだ所長が、目線でヴェルムに何かを問う。それに同じく微笑んで返したヴェルムに頷いた所長が、皿を寄せ彼女の前に差し出した。


「えっ!?」


まさか見られていたとは思わず、食い意地が張っているように見えただろうかと不安になる女性に、所長は微笑んだままどうぞと手でクッキーを示し、女性が手に取りやすいよう己も一つ手に取り口へ運んだ。


「うん、美味しいです。私はこのシンプルなチョコクッキーが好きで。」


普段よりも若干大袈裟に美味しがる所長に、その意図を正確に読んだヴェルムが追従するように笑う。するとヴェルムの斜め前に一人で座った教官も手を伸ばし、美味しいですね、とサクサクの食感を楽しみながら声をあげた。


そんな一連のやり取りを見た妖精族の女性が勇気を出してクッキーに手を伸ばすのを、部屋の全員が彼女にバレないよう見ていた。背の小さな彼女が懸命に手を伸ばし、やっと皿から一枚のクッキーを取る。それはすぐに口へ向かわず、わぁ、と感動を内含した声をあげながら表、裏、そしてまた表と何度も観察されるのだった。

そして瞳をキラキラさせながら、えいっと音が聞こえそうな勢いをつけて口へと消えるクッキー。サクッという音が聞こえたかと思えば、キラキラした瞳が閉じられ上を向く。まるで神の御業を目撃したかの如く何かに祈るようなその仕草は、美味しい物に出会えた奇跡に感謝を捧げているのだろうか。

人族の中で神と呼ばれているのは目の前にいる闇竜だが、それを知らない彼女は何に祈っているのだろうか。


「どうやら口に合ったようだ。良かったね、アイル。」


「ありがとうございます。より精進致します。」


交わされる会話から、このクッキーの作者はアイルだと分かる。所長や教官はそれを聞き、口々にアイルへと褒めの言葉を贈った。それに丁寧な礼を返したアイルは変わらず無表情だが、アイルが幼児の頃から見てきた二人からすれば、その無表情の中にも照れと喜びが浮かんでいるのが見える。周囲に花がポンと飛ぶかのように見えるそれは、アイルを知らない者が見れば酷く冷静な子どもだと考えるだろう。

アイルが喜んでいるのが騎士団員にはバレている事を、アイル自身も知っている。知っていて隠さないのは、彼にとってヴェルムが何よりも優先だからだ。

血継の儀を経た団員の事を家族と呼び尊重し愛するヴェルム。そんなヴェルムが大事にする家族に己の無表情から感情を読み取られようと、欠片も問題がないためである。

部屋の隅に待機するアイルから花が散るのを穏やかに見ていたヴェルムだったが、チョコクッキーの感動からやっと抜け出した妖精族の女性に視線を戻してから紅茶を飲んだ。


「さて、この一月で感じた事を教えてくれるかい?」


その一言で始まった茶会を模した報告会は、滑り出しも順調で緊張感も解された和やかなものになった。













「という事がありました。ここの皆さんは本当に優しくて、特に所長さんにはお世話になりっぱなしです。…あの、団長様。私、所長さんやゆいなさん達に恩返しがしたいです。」


この一月で感じた事、考えた事。過去の自分、祖母との生活。多岐に渡った整理されていない想いを語った彼女は、不意にヴェルムに向かって真剣な表情で考えを述べた。

急な話題の変更ではあったが、ヴェルムは変わらず微笑んだままその言葉を受け止めた。カップを掴んでいた手を下げ、ソーサーに戻す仕草ですら美しいと、関係ない事を考えている所長の視線に苦笑しながらも、妖精族の女性の言葉に真摯に言葉を返す。


「そうだね。君の好きなようにしたらいい。そのために必要な事は、私が責任を持って手助けするよ。君はあの町に残るか出るかという選択肢に、出るという選択をした。次に選ぶべき選択肢は、騎士団に残るかアルカンタで生活するか。旅に出たり町に戻るという選択肢もあるね。さぁ、どうしたい?」


その言葉に優しさも厳しさも存在しなかった。ただそこにある事実のみを言葉にするヴェルムだが、彼女からすればあり得ないほどの優しさだと感じるのはおかしな事ではないのだろう。

ありがたい、そう思っているのがよく分かる表情で微笑み、隣に座る所長を見てからヴェルムへ戻した視線には、決意が込められていた。


「私、騎士団に入りたいです。錬金術くらいしかお役に立てる事はないけど、私に優しくしてくれた皆さんの事を助ける手伝いがしたいんです。どうかよろしくお願いします。」


決意の宿った瞳はそのままに、座ったまま深く頭を下げる。それを黙って見ていたヴェルムは、所長に目を向けた。所長はニッコリと微笑んでそれに返し、次いで教官を見たヴェルムはこちらも頷きを返された。


「顔を上げて。では手続きに入ろうか。」


ヴェルムがそう言うと、すぐに動いたのは教官だった。妖精族の女性が顔を上げた時には既に、教官の手には先ほどまで無かった書類がある。それは入団試験を経ずに入団する者に使用する書類であり、教官がこの場にいるのもこの為だった。


「こちら、入団における契約書となります。この騎士団は国に仕える組織ではありません。その為、他のどの騎士団とも異なる運営をしております。まずはこちらをじっくりと読んでいただければ。疑問等あれば適宜お答えします。」


そう言って差し出された書類の重さに驚きながらも受け取った彼女は、すぐにそれを読み始めた。それから数分後に最初の質問がされ、後は質疑応答と、たまに書類を捲る音だけの静寂とが交互に訪れた。

十枚程の書類は隅々まで読み込まれ、全てを読み終えたのはお代わりの紅茶が冷めた頃だった。


「お待たせしました。これで大丈夫です。よろしくお願いします。」


書類から目を上げた彼女はやや疲れを見せたが、それ以上に真剣な様子でヴェルムを真っ直ぐ見ていた。


「お疲れさま。難しく考える必要はないよ。まずは準騎士と同じ生活に慣れるところから始まるのだから、焦らずゆっくりとね。その生活も、君が錬金術師として働くのに必要な体力を育ててくれる。その書類にサインをした瞬間から、君は私たちの仲間だよ。」


穏やかに微笑んでそう告げたヴェルムに、彼女は安心したような笑顔を見せた。そしてセトによって差し出された羽ペンを礼を言って受け取り、迷う事なく己の名前を書き上げる。


「改めて、よろしくお願いします。いつか、所長さんのような、祖母のような錬金術師になってみせます。」


そして言った言葉は彼女の偽らざる本心であった。この日、ドラグ騎士団にまた新たな仲間が増えたのだった。

お読みいただきありがとう御座います。山﨑です。


まずはお詫びを。GW中、一切の更新が出来なかった事、深くお詫び申し上げます。音楽業界で生きる山﨑ですが、GWは有り難い事にたくさんの仕事が詰まっておりました。長距離移動やその先での仕事に、あまりの体力の無さを痛感した山﨑でございますが、昨日一日寝て過ごしたおかげか体力も戻りました。

また更新を再開しようと考えておりますので、今後ともお付き合いいただければ幸いにございます。


本作品が、皆様の日常の一つの華となりますよう。山﨑

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