243話
西の国の大貴族、公爵が家督を息子に譲り渡したという触れが領都を駆け巡った日。カサンドラは炎帝のローブを着ずに、一目につかぬよう魔法で身を隠して、カサンドラが泊まる高級宿とは別の宿を訪れていた。
四階建てという建築技術の最高峰を集めて作られたようなこの宿の、最上階全ての部屋を借りているゆいな隊に会うためだった。より正確に言えば、一人の人物に会う事を目的としている。
カサンドラが音もなく四階に足を踏み入れると、すぐにその気配を察知してゆいな隊の部隊員が横に現れた。
カサンドラに向けて敬礼する部隊員に片手を挙げて返すカサンドラは、ここに来た理由を目線で問う部隊員に向かってニヤリと笑みを向けた。
「例の嬢ちゃんは居るかい?ちと聞きたい事が出来ちまってね。」
カサンドラがそう告げれば、部隊員は黙ったまま頷いて二つ先の扉を示す。そこに居るという事はすぐに伝わり、カサンドラは礼代わりに部隊員の肩をポンと叩いた。
ここはまだ廊下であるため、あまり大きな声を出すと下の階に声が届いてしまう。そのためカサンドラは遮音結界を張ってから声を出しており、口を閉じるとその結界を解いていた。
部隊員は勿論その事に気付いており、肉声による返事は必要ないと判断しての行動を取った。部隊員は笑みを浮かべたまま扉へ向かうカサンドラを見送りながら、カサンドラがここに来た事と領都を駆け巡る触れにより、そろそろ任務も終了か、と期待に胸を膨らませた。
「あぁ、初めましてかい?アタシはカサンドラ。ドラグ騎士団零番隊の一部隊を預かってるもんさ。不自由はしてないかい?」
身体の大きなカサンドラの対面には、その腰を少し越える程度の身長しかない女性が座っていた。二人はテーブルを挟んで対面のソファに座り、二人の間、テーブルの短辺の席には所長が座っていた。
科長は席を外しており、聞けば公爵家に雇われた魔道具師の尋問をしているとか。捕獲して数日経つというのに、未だに尋問が必要な事があったかとカサンドラが思い返せば、なるほど確かに尋問が必要な点があった。
それを思い出して不適な笑みを浮かべそうになったカサンドラだったが、今目の前で緊張した様子を見せる妖精族の女性に怯えられてはならぬと、意識して穏やかな笑みを浮かべてみせた。
「は、はい…。その、所長さんや皆さんが、とても良くしてくださいます…。」
妖精族の女性はカサンドラに少しだけ怯えた様子を見せたが、所長が微笑みながら紅茶を口にする姿をチラリと見て、深く息を吸ってから堂々と受け答えをした。
そんな彼女の様子に、カサンドラは無意識に微笑む。保護された当初は緊張から言葉が吃ると報告を受けていたが、今は所長などの慣れた人物が側にいればゆっくりとでも話す事が出来るようにまでなっている。
その変化をカサンドラは感じ、近い将来新たな家族になるであろう彼女に心からの笑みを向けるのだった。
「そうかい。まぁ、早く慣れることさね。アタシはこの通りガサツなもんで、アンタの助けにはなれないかもしれないが。それでも、何かあればアタシや部下に言いな。喧しい連中しかいないが、皆家族を大切にする良い奴らさ。」
そう言ったカサンドラが紅茶に手を伸ばす。それを見て、ふふ、と笑った所長がカサンドラに睨まれて更に笑う。二人のやり取りの意味が分からなかったのか、妖精族の女性は首を傾げていた。
「あのカサンドラがそんなに優しいなんてね。まぁ、すぐに家族になるのだから、間違ってない、か。」
所長がポツリと零せば、カサンドラは訝しげにそれを見た。そしてチラリと妖精族の女性を見た後、所長に向かって口を開く。
「この子が望んだのかい?ウチに入るって。」
片眉を上げて問うカサンドラに、所長は紅茶の湯気で瓶底メガネを曇らせながら口角を上げた。錬金術師である彼女の指は、作業や調合、調薬で酷使しているはずにも関わらず、細く滑らかで綺麗だった。
「私と一緒に研究所に勤めてくれるって言うの。団長にもお会いする希望を受けているわ。それに、本部に来て生活に慣れたら、すぐに皆んなの人気者になるわよ。これだけ可愛いんですもの。」
まるで子どものような扱いをしている所長だが、妖精族の女性は何度も記した通り、成人済みである。
妖精族という種族の特性により、人族の成人女性よりも身長はかなり小さい。ドラグ騎士団にも多くの妖精族が所属しており、ゆいな隊にも複数人がいる。獣人族のように、妖精族も更に種類が分かれるが、彼女はその中でも一番数の多い、所謂一般的な妖精族であった。
昔から、小人族も妖精族の一種だとする学説も存在するが、逆に妖精族は小人族の一種だと主張する学者もおり、学術的根拠はどちらも無いため、現代に至っても解決はしていない。
所長の言葉に顔を赤らめる妖精族の女性だったが、視線に気がついて顔を上げる。そこには、彼女を優しく眺めるカサンドラがおり、彼女はバッチリと目が合った事でその表情を目撃してしまう。
見守るような様子に気付いた彼女は、恥ずかしい気持ちで慌てて紅茶をごくりと音を立てて一口飲み込んでから、急に何かに気付いたようにハッと表情を変えるのだった。そんな彼女の様子を見ていて楽しいのか、所長もカサンドラも穏やかな様子で彼女を見ていた。
「カ、カサンドラさん。私に、聞きたいことが、あるという事でしたが…。」
まだどこか辿々しい声ではあったが、カサンドラの要件を聞きつつ話題を変えようと必死な様子に、所長とカサンドラはクスクスと笑ってから、真面目な表情に変わった。
「アタシは貴族のように遠回しなのは苦手でね。単刀直入に言わせてもらうよ。気を悪くしたらすまないね。」
「…いえ、大丈夫です。皆さんには、感謝、していますので。」
前置きとして謝罪を含めたカサンドラに、彼女は毅然とした態度で頭を振った。その様子に少しだけ安堵の息を吐いたカサンドラは、心配そうに彼女を見る所長をチラリと見てから向き直る。
「公爵の狙いとは別に、アンタを使い走りにしていた錬金術師と魔道具師が結託して、泉に悪さをしていたんだけどね。アンタ、その時に薬を作らされたかい?例えば、魔素を中和する薬とか、そういう類の薬じゃないかって部下は言ってたね。」
真剣な様子で聞くカサンドラに、妖精族の女性は少しだけ考えてから慎重に口を開く。その様子は、何かを思い出そうとしているのがよく分かる。
「確か…、町に私兵団が来てすぐの時に、魔素の微振動を緩める薬を作って欲しいと言われました。お婆ちゃんから教わった中にあった物だったので、作ってお渡ししたのを覚えています。」
カサンドラに慣れてきたのか、もしくは真剣に考えているからか。言葉が随分と流暢になった妖精族の女性。
彼女は視点をテーブルに固定し、口元に拳を当てながらゆっくりと説明した。記憶を掘り起こすように語る彼女に、カサンドラはその鋭い勘を向ける。その勘は、彼女が嘘を言っていないと告げていた。
「魔素の微振動を緩める薬…?何のためにそんな物を?」
口を挟んだのは、カサンドラの質問の意図も薬の利用目的も分からない所長だった。だがそんな所長にカサンドラの視線が向き、その目が今は聞いていろと言っているような気がしたため、大人しく口を閉じて己も考える態勢に入る。
それを見届けたカサンドラは改めて妖精族の女性を見ると、ふっと微笑んでから礼を述べた。
「そうかい。ありがとうね。これで奴らの目的は何となく分かったよ。」
一人で満足しているカサンドラだったが、妖精族の女性は何のことやら分からず首を傾げている。同じく情報が足りない所長だったが、まだ妖精族の女性がドラグ騎士団に入団した訳でもないのに任務に関わる情報を与えすぎるのは危険だと判断し、この場で追及する事はしなかった。
「いえ、お力になれたのなら嬉しいです。…でも…。」
そこまで言って言い淀んだ妖精族の女性に、カサンドラは片眉を上げて続きを促した。しかしどこか悩んでいる様子の彼女はそれを見て何でもないとばかりな首を振り、顔を伏せてしまう。
気落ちしたようにも見えるそれが可哀想に見えたカサンドラだったが、任務の情報を無益に渡す事は危険に繋がる。落ち込む理由は薬の利用目的が分からないからだろうと見当を付けたカサンドラは、その場で所長に念話魔法を飛ばす。
突然魔法を繋がれた事にほんの少しだけ驚いた所長だったが、その意図は考えずとも分かったため見た目はほとんど変わらなかった。
(錬金術師か魔道具師。どっちかが竜脈に悪さした可能性があるよ。そのために自分の薬が利用されたと分かったら更に落ち込んじまう。フォロー頼むよ。)
念話魔法は覚えたてだと、声に出した事しか相手に伝わらない。そのため、一般的には通話魔法とも呼ばれているが、ドラグ騎士団は準騎士のうちに念じるだけで通じるように訓練をする。
カサンドラは念話魔法が苦手ではあるが、この程度は息をするようにこなす事が出来る程度には習熟していた。
念話魔法を受けた所長がカサンドラを見て頷くと、カサンドラはあからさまに安堵した様子で笑った。それから紅茶を飲み干すと、聞きたい事は聞けたとばかりに立ち上がる。
「ありがとうね。アンタのおかげで悪者を退治出来そうさね。胸を張りな。アンタは世界を守る手伝いをしたんだ。」
妖精族の女性はカサンドラが何を言っているのか少しも分からなかった。言葉は分かるが、その意味するところが分からなかったのだ。
しかしそんな事は百も承知でカサンドラは言っている。そして落ち込んだ様子から考える表情に変わった彼女を見ると、ニヤリと笑ってから手を軽く振って部屋を出て行った。
「あの、カサンドラさんは何を伝えたかったのでしょうか…。」
考えても分からなかったのか、妖精族の女性は冷めた紅茶の水面を見ながら所長に問う。所長はそれに答えずスッと立ち上がると、壁の隅に置いていたポットを取り紅茶のお代わりを自分のカップへ注ぎ、その香りを楽しんでからやっと口を開いた。
「カサンドラはね、優しいのよ。ぶっきらぼうだし言葉はキツいけど。今言えるのは、あなたに感謝しているのは確かだって事かしら。あなたが伝えた情報で、この世界が守られるというのは嘘じゃないのよ。」
この言葉によって、妖精族の女性の頭は更に混乱した。だがこの数日で信頼の置ける人だと認識している所長がそう言うのだから、カサンドラの事も信じてみようという考えに至るのに時間はかからなかった。




