241話
「お嬢、何か掴めましたかい?」
カサンドラと爺が貸し切った高級宿に戻ったのは、既に夜中と言える時刻であった。
西の国はグラナルドと比べ、技術が遅れている傾向にある。そのためアルカンタのように夜も明るい訳ではなく、また夜の治安も暗さに比例して悪化する。
そんな中でもこの二人に破落戸が絡まなかったのは、カサンドラが羽織っている炎帝のローブが原因だろう。
二人が宿に入ると、わざわざ起きて待っていた支配人から挨拶され、それに返事を返した後すぐにこの宿で一番高い部屋へと戻った。
そこで待っていたのは、カサンドラのもう一人の側近の若い男であった。
「公爵の目的はまださね。だが、小公爵と話は出来た。性格も野望も何となくだが分かったのが収穫かねぇ?」
炎帝のローブを脱ぎながら言ったカサンドラに、若い側近はススっと近寄り、ローブを受け取る。それを大事に抱えてローブ掛けに掛けた側近は、ソファへ豪快に座り込んだカサンドラに笑顔を向けた。
「それは重畳!こっちもさっき、ゆいな隊から連絡が来ましたぜ。…えっと、これです。」
彼は炎の部族特有の赤い髪を揺らしながら、書き物机まで歩いて封筒を手に取る。それをカサンドラの元まで運ぶと、カサンドラが差し出した片手にしっかりと乗せた。
「お嬢。茶でも飲むか?」
カサンドラが封筒を開く前に、爺が声をかける。カサンドラは視線を封筒から爺に向け、少しだけ考えて頷いた。
「熱いやつを頼むさね。」
「勿論だ。」
カサンドラの好みは熱い茶である。炎の部族出身の者が多いカサンドラ隊では、部族が好んで飲む薬草茶を熱いまま飲むのが主流なのだ。
炎の部族以外の出身者も、カサンドラ隊に入ってからこの茶を飲み、ほぼ毎日飲む事で慣れるため、今ではこの茶を飲まない者はいない。
実はこの茶は、ドラグ騎士団の料理長が監修した改良された物である。元々、炎の部族が飲んでいた茶は、茶と言えぬくらいひどい物だった。薬草を複数湯に入れ煮出し、それをそのまま飲むという物で、それを見た料理長が四百年近く前に、茶を名乗るならこうしろ、と言って怒り作り変えたのである。
それ以来、現在もグラナルドの一部領地に残る炎の部族や、ドラグ騎士団にいる部族出身者たちはその飲み方で茶を飲む。
元の飲み方なぞ忘れてしまったようにこの茶を楽しむ彼らを見て、料理長は満足気に頷いたのだとか。
そんな思い出ある茶を爺が淹れる間、カサンドラはゆいな隊から送られてきた封筒を指に纏わせた魔力でスッと斬って開封し、中に入っていた報告書を読んでいた。
若い側近はカサンドラの対面に座り、今日のカサンドラ隊の報告をしようと書類を纏めている。
ゆいな隊からの報告が先だったのは、カサンドラ隊から優先すべき報告がなかったからなのだろう。
「へぇ…?忍者っ子もやるじゃないかい。明日から忙しくなりそうさね。」
報告書を読み終えたカサンドラが呟くと、同時に爺が淹れた茶が目の前に置かれる。カサンドラはそれを手に取りクイっと傾けながらも、報告書からは目を離さなかった。
「ゆいな嬢はなんと?」
爺がその低い声で問えば、カサンドラは答える代わりに報告書を爺に差し出す。爺はそれを受け取り、恐るべき速度で読み終えた。彼は速読の達人なのである。とは言っても、大体どの部隊も副官や副部隊長は速読を身につけているのだが。
「なるほどなるほど。明日から忙しいのは確実だ。公爵からの依頼品はどこまで集まっている?」
カサンドラの意見に同意した爺が若い側近に確認する。それに若い側近は、笑顔でマジックバッグを持ち上げ、親指をグッと突き上げてニカっと笑った。
「勿論、全部揃ってますよ!お嬢が帰ってくるちょっと前に、一番遠くまで行ってた小隊が戻ってきましたからね。」
これで必要な物は揃った。明日はまたカサンドラ達の狩りが始まる。罠も武器も既に手配済みであり、後は獲物をジワリと追い詰めるだけだ。
カサンドラは無意識に唇を舐めた。そして獰猛な笑みを浮かべて眼光を鋭く光らせる。側近の二人は、そんなカサンドラの様子から狩りも終盤だと肌で感じるのだった。
ゆいな隊は大森林の野営地を片付け、隊を三つに分けて行動していた。ゆいなは伯爵を探っており、ゆいな隊の一部は公爵領領都に入っている。一部は小さな町に旅商人として宿を取って私兵団の尋問をしていた。
そんな中で、私兵団から救出された唯一の人物、妖精族の女性は所長と共にゆいな隊に着いて領都に来ており、カサンドラ達とは別の高級宿に宿泊していた。
「…あの、こ、こんな高そうな宿、泊まれません…。」
出会った頃に比べれば随分と言葉が流暢になった彼女だったが、驚きで言葉を詰まらせる妖精族の女性。彼女は所長に連れられて入った高級宿に目を回していた。
「大丈夫よ。こんな宿に何年泊まったって払えるくらいの給料は貰ってるから。気にしないで楽しみなさいな。」
所長は穏やかに笑って言うが、妖精族の女性からすればこんな高級宿に泊まるなどという経験はした事もなければ夢見た事すらない。
折角、言葉が流暢になった所でまた元に戻ってしまいそうな様子を見せる彼女に、所長はその手を優しく取って両の掌で包み、落ち着けるように語りかけた。
「…は、はい。中隊長さんも、本部はすごい所だって、言ってました…。慣れないといけない、ですね。」
彼女の吃りは極度の緊張からくる物だと発覚してから、ゆいな隊や所長、そして科長は彼女を落ち着かせるために様々な事を試した。それは気分の落ち着く茶であったり、彼女の好きな錬金術であったり、雑技団に扮する事もあるゆいな隊の芸であったりと、それはもう涙ぐましい努力があった。
そして数日を共に過ごした彼らは、やっと彼女の心からの笑顔を見、丁寧で綺麗な発音で礼を述べる言葉を聞いたのである。
一度は高級宿に圧倒され戻りそうだった言葉も、所長の柔らかい温かみに振れ解きほぐされていく。
やっと笑顔を浮かべた彼女を見て、所長だけでなくその後ろに立つ科長も、ホッと安堵の息を吐くのだった。
「そう。慣れていかないとね。折角だから、色々と楽しんじゃいましょう?あの二人の仕事が終われば、私たちも一緒に帰るから、ね?」
「はいっ!」
これまで一人で生きてきた彼女にとって、所長や零番隊のような親身になってくれる人というのは存在しないものだった。祖母に感じていた温かみや親愛というものを、それ以外に向ける対象がいなかったのである。
だが、付き合ってみて言葉を交わせば、彼女の本質は優しくて思い遣りのある人物だという事がすぐに分かった。
そういった面は、ドラグ騎士団として活動するのに必須だろう。上を目指し、家族を愛する事が出来る。それだけでドラグ騎士団の一員になれる資格があると、所長や科長、ゆいな隊は判断した。
落ち着いた笑顔を見せる彼女を見て、もう問題ないと判断した所長。宿の手続きを済ませて部屋に案内されると、内部を見てまた驚いた彼女にクスリと笑うのだった。
「貴族も泊まる事があるから、こうして部屋に色々と設備が整ってるのよ。ここは大貴族なんかが泊まる階だから、この階全部、私たちが借りてるのよ。後で探検でもしてみる?」
案内された部屋だけではない、という事実に、彼女は驚いて開いた口を更に広げる。それを優しく閉じさせる所長の手を甘受しながらも驚きっぱなしの彼女に、所長は瓶底メガネの奥で目を細めた。
「任務で出ているゆいな隊も、ここに戻るようにしている。お前はここで、奴らの帰りを出迎えるのが仕事だ。疲れた奴らをその笑顔で癒してやれ。」
妖精族とあって小さなその身体からすれば、立ち塞がる壁の如く大きな科長。そんな彼は普段無口だが、彼女を落ち着かせるために幾度か長い言葉を話した事があった。
今回も、言い方はぶっきらぼうではあるものの、何もせずこんな高級宿に泊まって良いのか、と考える彼女の思考を予想した彼なりの優しさだった。
「科長さん…。はい、分かりました!私の、お仕事です!」
その心は、数日共に過ごしただけとはいえ、彼女にしっかりと届いていた。何かと勘違いされる科長が、正しく理解されている事に、所長は可笑しくなってクスリと笑う。
それを科長はギロリと睨むが、所長はそれでも笑いを隠したり我慢したりしなかった。
何故所長が笑っているのか分からない妖精族の女性も、楽しそうな所長を見てクスクスと笑う。自分を挟んで笑う女性陣に、科長はその鋭い目つきを和らげ眉尻を下げるしかなかった。
次の日の朝。
所長達が宿泊している階層に、調査を終えたゆいな隊の小隊が帰還した。彼らは夜の間に公爵邸に忍び込み、公爵の目的を探っていたのだ。
徹夜など日常茶飯事である彼らは、疲れなどという言葉からは程遠い存在で、普段の任務なら疲れた様子すら見せなかっただろう。
だが、部屋に入る前に何故か扉の前に立っていた科長に挨拶すると、返事と共にある事を告げられた。その言葉によって、彼らは急に疲れた様子に変わったのである。
「あ!お帰りなさい!任務お疲れ様でした。今お茶を淹れますね。」
部屋に入ると、出迎えてくれたのは妖精族の女性だった。
彼女は年齢で言えば成人だが、数百年生きるゆいな隊の面々からすれば子どもと同然である。そのため、どうしても彼女を保護者目線で見てしまうという難点があった。
「あー、美味い!徹夜の疲れが吹き飛ぶなぁ!」
「そうね!一晩中息を潜めて動き回ってたもの。でも、このお茶のおかげで疲れが取れていくわぁ。」
「こんな美味い茶が飲めるなら、また潜入も悪くないな。」
「…うむ。美味い。」
口々に彼女が淹れた茶を褒める小隊に、彼女は頬を染めて喜んだ。
科長から言われた事。それは彼女に与えた仕事についてだった。
「お前らの疲れを労うのが彼女の仕事だと伝えてある。少しで良いから疲れておけ。」
帰るなり要件を伝えて去った科長に、彼らは一瞬意味が分からなかった。だがすぐにこの妖精族の女性の事だと理解した彼らは、こうして疲れた表情でもてなしを受けているのである。
身体的に疲れがくる事はないが、彼らとて生き物である。精神的に疲れているのは確かだった。今は大袈裟に反応しているが、内心、この茶が彼らの疲れを癒しているのは確かだと感じていた。
「ありがとう。まさか任務終わりにこんな美味しいお茶が飲めるなんて。」
「ほんとだよ。ところでこれ、何か入っているのかい?茶葉は飲んだ事ある味だけど…。知らない味がする。」
嬉しそうに妖精族の女性へ声をかけるゆいな隊に、彼女は笑顔でそれを受けながら質問へ答えを返す。
「それは、お婆ちゃんが育ててた薬草なんです。疲れが取れるし、心が落ち着くよって。私がお手伝いした後なんかに、よく淹れてくれたんです。」
そんな説明も、ゆいな隊からすれば興味の対象だった。ドラグ騎士団は基本、己の知らない事に対して吸収意欲が強い。一体どんな薬草だろうか、と考える彼らを見て、妖精族の女性はクスクスと笑うのだった。そして、薬草の名前と煎じ方を伝える。
そうすれば知っている薬草だったのか、茶を飲む手元をじっくり眺めて彼らは驚いた。
「へぇ、そんな使い方が!睡眠導入剤として使う事があるのは知ってたけど、そうやって煎じれば効果が薄くなるから、茶で飲むには丁度良いんだね。凄いや!お婆さんは凄い方だったんだね!」
彼らの本心からの賛辞に、自身ではなく祖母に向けられたそれを我事のように喜ぶ妖精族の女性。それだけ大切で尊敬する存在だったのだと分かる喜び様に、小隊はここ数日で随分と元気になった彼女を見て安堵の息を吐いた。




