240話
公爵邸に向かったカサンドラと爺。二人は門兵から止められる事もなく、門に近付いただけですぐに建物へ連絡が行き、すぐに現れた執事によって応接室に通された。
この反応の速さに二人は内心で感心したが、当主が貴族らしい貴族であるとはいえ、西の国という大国の公爵を務める大貴族である。使用人への連絡を徹底しておく事など、当然であった。
温かい紅茶と菓子が並べられた皿が置かれた低いテーブルは、西の国て流行している高級木材で作られた猫脚テーブルだった。
皿やカップは、とある高名な職人が作ったというグラナルド焼である。そのカップを持ち上げたカサンドラは、己の座るソファの後ろに立つ爺にそれを見せ、ニヤリと笑ってみせた。
「あの二人の作品か。こんな所にあるとは。」
そう言ってニヤリと笑い返した爺には、炎帝のローブにかけられた認識阻害の魔法は効いていない。目元まで隠すように被られたローブによって物理的に目は見えないが、鼻から下は彼からもよく見えていた。
「あぁ。これは百年くらい前のやつだろうさ。公爵家ともなれば、財力で何でも手に入るんだねぇ。」
二人が話す職人。それはグラナルド王国の初代国王とその妃の事である。この夫婦は息子に国王の座を譲り、大陸を見て回る旅に出た。
最近になってグラナルドの首都アルカンタに帰ってきたが、その時に二人は夫婦と再会している。
夫婦は旅先で滞在した村や町で、皿やカップなどを焼いて売り、それを元手に生活をしていた。三百年という長い時間をかけて培われた技術と知識は、今では大金を並べても買えない希少な焼き物として貴族や王族に認識されている。
そんな夫婦の百年程前の作品が、今カサンドラが手に持っているカップと菓子が乗った皿である。
「…確かに、今の方が良い物を作っているな。やはり百年分の知識と技術か?」
カサンドラの口元に運ばれたカップを、後ろから見ながら爺が言う。まだ湯気が立ち上る紅茶を、熱を感じさせない様子でクイっと飲んだカサンドラは、その意見にチッチ、と指を振って否定した。
「今の二人が良い物を作るのは当然さね。長年会えていなかった姉に会い、二人が愛した故郷に帰り、孫にも会えた。もっと言えば、ヴェルムと毎日会える生活になったんだ。旅先とは幸せの度合いが違うじゃないかい。」
現在の夫婦が作る焼き物の方が良い物だという意見は、二人とも共通であるらしい。だがその理由を、カサンドラは冷静にかつ楽しげに分析して語っていた。
それを聞いた爺も、厳しい顔つきの中にほんのり優しさが滲む笑顔を浮かべながら、確かに、と頷いた。
「それもそうか。あの二人にとって我らが主人は、特別を超えた格別なのだからな。」
「そういうことさ。…さて、おいでなすったね。頼むよ、爺。」
「頼まれた。公爵の狙いを明かしてみせよう。」
その会話が終わると同時に、応接室の扉がノックもなく開く。既に二人はいつもの表情に戻っており、第三者が見れば無言で待機していたように映るだろう。
二人は開いた扉へ目も向けず、カサンドラは菓子を手に取って口に放り込み、爺は直立したままソファの後ろに立っていた。
「待たせたな。何しろ急な来客は基本断っているものでな。予定が分刻みで詰まっておるのだ。」
連絡もなしに来たお前たちに会う時間を割いてやっただけ有難く思え、という言葉を貴族なりの言い方で上手く包み、意図だけは正確に伝えてくる公爵。
だがその表情は何やら期待に満ちており、それが炎帝に依頼した成果を聞くためだというのは誰の目にも明らかだった。
「して、急に来たのは依頼の件か?まさかもう揃ったという話ではあるまい。一つくらいは見つけたか?」
口では期待していないような言いぶりだが、その目は期待大といったようにキラキラと輝いている。まるで誕生日プレゼントを貰う前の子どものようなその目に、カサンドラは出そうになるため息を懸命に堪えるのだった。
そんなカサンドラに、背後で笑いを堪えている側近の気配が届く。それに理由もなく苛ついた彼女は、手だけをスッと背後に向けて何かを催促した。
すると背後の気配は真剣な物に変わり、出した手に小さな袋が乗せられる。その一連の流れを見ていた公爵は、更に膨らんだ期待をこれでもかと目に乗せ前のめりになって待っている。
やはり吐き出したいため息をもう一度我慢したカサンドラは、その袋をテーブルの上に置いてからゆっくりと息を吐き出した。
「それが依頼にあった聖属性の魔石だ。それからこれも。」
話さないカサンドラに代わり、爺が説明を加える。そしてもう一つ出した袋は、先ほどの袋よりも大きかった。
「おぉ、まさか!…ん?今どこからそれを出した?」
もう一つ出した袋とは別の事に意識が移る公爵に、爺は何も答えなかった。当然ながら、依頼の品が入っていたのは腰に提げたマジックバッグだ。そこからマジックバッグの見た目よりも大きな物が出てくる事に、公爵が興味を持つのも当たり前だろう。
だがそれは、爺のミスでもなんでもなかった。
「これで最後だ。他の依頼品は現在集めているところだ。」
次々に取り出す袋を見るよりも、爺の腰に視線を固定したまま動かない公爵だったが、爺が最後だと言った事で我に返った。
流石に大貴族だけあって、興味津々に人の持ち物を見つめるなどという不躾な事はしない。彼としては盗み見る程度のつもりだったのだろう。しかし、二人にはそんな小細工が通用しない事を、公爵は知らないのだった。
「途中経過といったところだが、報酬は最後の品が揃ってからになるのか?」
そんな公爵に厳しい表情のまま訪ねた爺は、内心で笑いながらもそれを面に出す事はしない。カサンドラは認識阻害の魔法を良いように利用して、声に出さずに大笑いしている。身体も動いていないため公爵にはバレていないが、後ろに立つ爺には丸わかりな程無声で笑っていた。
たまにピクリと肩が揺れる事が、その証左だろう。
「報酬は最後に…いや、ここまでの報酬を先に渡そう。残りの品を手に入れるのに使うと良い。して、報酬の準備に時間がかかる。もうじき夕食の時間だろう。ここで食べていくと良い。」
公爵は途中で意見を変えた。そして二人を労うように笑みを浮かべて食事に誘う姿は自然だった。
しかし、二人はそれを見て内心でニヤリと笑う。祖父と孫が同時に思ったのは、かかった、という一言のみだった。
「公爵邸の食事を?有り難い事だ。では遠慮なくご馳走になろう。」
口を開かないカサンドラに代わり、爺がその誘いを受ける。まるで予期していなかった幸運に見舞われたかのように話す爺を、公爵は満足そうに見て笑った。
公爵が去った後、カサンドラと爺の二人は侍従によって食堂へと通された。邸の奥まった場所にあるそれは、公爵家の者が利用するプライベートな場所であり、客を招いて食事する場所ではない。
そこへ通されるのは余程大事な客か、家族同然の扱いをする貴族、もしくは親族に限られる。
であれば、公爵が炎帝の事を余程大事な客だと見なしている、というのが使用人達にもすぐに伝わるのは、当然の流れであった。
「ほぉ。まさか身内の席に呼ばれるとはな。使用人と同じ席でも文句は言わんというのに。」
侍従によって案内された直後、爺が独り言のように呟く。だがそれは、すぐ前にいた侍従の耳にハッキリと届いていた。
「まさか!ご当主様は炎帝様に大変お心を砕いております。ここにお通しするという事は、それだけ炎帝様を大事にお考えなのだと思いますよ。」
そう言ってにこやかに笑う侍従はまだ若く、しかしその年で公爵家の邸に勤める事が出来るのであれば、優秀なのだろう。侍従は高い身分ではないが、優秀でなければ務められる訳がない。執事や主人の命をすぐに実行できる能力が全てであり、目の前の青年からはその立ち振る舞いから、一定の能力を持っている事が見て取れた。
「ふむ。そうであれば良いがな。さて。どの席に座って待つ?」
敢えて問いかけた爺は、この問いかけで侍従の能力を測った。客として招かれたは良いが、その座る位置にも意味がある。
主人と対等であると判断されれば、座る位置は主人と横になる。目下であれば対面となり、待たされる時間も長くなるのだ。
冒険者がそのような席順についての知識があるはずもなく、侍従も炎帝が勝手に好きな位置に座るだろうと考えていた。しかしその思惑は外れ、侍従に席を選べと言う。
だが侍従は迷いなくそれに笑顔で応えて見せた。
「ではこちらに。炎帝様はこちらで、お付きの方はこちらになります。ご当主様がいらっしゃるまで、お飲み物は如何でしょうか。ご希望の物をお持ちします。」
それが既に受けていた指示だったのかは分からない。しかし澱みなく紡がれたその言葉に従えば、侍従は心の底を見せない笑みで二人を見るのだった。
「では赤を。炎帝様にも同じ物で。」
「かしこまりました。すぐにお持ちします。」
赤、というのは赤ワインの事である。カサンドラも爺もワインは嗜み程度に飲むが、特に好んで飲むわけではない。しかしワインというのは貴族が好んで飲み、毎食に必ず一杯飲むくらいには選ばれている。
そのため、どの貴族家も挙って珍しいワインを買い求め、親しい者との間でそれを自慢するのだ。公爵家ともなれば、さぞかし美味くて高いワインがあるのだろう。
先ほどの席順と同じく、敢えて産地や何年物かを指定しなかった爺。これで出てくるワインによって、炎帝をどのように考えているかが分かるだろう。
結果的に、運ばれてきたのは高価だが希少というわけではないワインだった。それでも、金のない貴族では手も出ないようなワインである事に変わりはない。
それを見た爺は満足そうにそれを飲み、産地と何年物かを当てて見せた。すると侍従は少しだけ驚いた様子を見せたが、すぐに笑顔に戻って爺を褒め称えた。
そこに冒険者如きが、という感情は一切見えず、主人の客をもてなすためにいる使用人としては満点の存在になっていた。
「遅くなった。おぉ、先に飲んでいたか。だがそれはいかん。もっと良い物をお出ししろ。」
公爵が来たのは、二人が席に着いてから数分後の事だった。これは異例といっても良い程に早い。
料理すら並べられていない状態で、当主が姿を現すのは珍しい。
当主が来た事で使用人達がすぐに食事の準備を進めていく。準備しているのはどうやら六人分のようだ。ここにいない三人は誰だろうかと考えた爺は、考えるでもなくその当人が現れた事で答えを得た。
「お待たせしました。炎帝殿、ようこそ我が家へ。」
それは公爵の息子、次期公爵たる小公爵とその妻であった。
「何故お前がここにいる?使用人にも根回ししおって。」
その姿を見て驚いたのは爺でも炎帝でもなく、何故か公爵本人だった。どうやら噂で聞いた、親子関係に問題ありというのは事実のようだ。これで、爵位を譲りたくない公爵が小公爵を離れに追いやっているというのも間違いではない可能性が高まった。
「父上が大事な客人を食堂へお招きしたと聞きましてね。父上が身内しか呼ばぬこの食堂に呼んだという事は、私も挨拶せねばならない大事な方なのだとすぐに分かりましたよ。」
公爵の怒りを含んだ目線に反応すらしない小公爵。彼も次期公爵として育てられただけあり、現当主の父にも毅然とした態度で己の席に着いた。
睨み合う形となった親子をよそに、カサンドラと爺は使用人が新たに持ってきたワインを飲む。もっと良い物を、という指示の通り、そのワインは希少で高価な、それこそ王族や大貴族しか味わえないワインであった。
そのワインですら、爺が産地と何年物かを言い当てる。使用人は大いに驚いた顔をしたが、貴重なワインについて爺が謝辞を述べると、丁寧に一礼してからお代わりを注いだ。
「ほう。帝ともなれば付き人すら高級なワインが親しみのある物になるか。やはり実力ある者は良い。先日Aランク冒険者がパーティーに来ておったが、見ておれん程に礼儀のなっておらん俗物であったわ。」
公爵は自分の思い通りにならない小公爵を無視する事に決めたようだ。何やら冒険者を侮辱する発言をしているが、カサンドラと爺は本物の冒険者という訳でもない。情報を集めるために他の冒険者と語らう事もあるが、それ以外で必要以上に関わる事などないのである。そのため、公爵の発言に憤慨する様子もなかった。
「お待たせしました。まさか私が最後だとは思いませんでしたわ。大変な失礼を。」
そう言って最後に現れたのは、豪奢なドレスを見に纏った公爵夫人であった。公爵としては、夫人を含めた四人で食事をするつもりだったのだろう。だが小公爵夫妻が来たため、結果的に六人での食事となった。
カサンドラとしては、小公爵の性格や人柄を把握しておきたいところだったため、寧ろ良かったと考えている。
こうして、公爵家の晩餐に呼ばれた炎帝、という構図が成り立ち、数多の思惑が絡む食事が始まった。




