239話
カサンドラ隊の多くは、公爵領領都に来ていた。現在は街に散らばり情報を集めており、その拠点として高級宿を建物全て貸し切っている。
宿の支配人は、炎帝のクランが泊まるのならと快く貸切を承諾し、全ての部屋が埋まった時と同じだけの金額を毎日支払われて懐も心もホカホカしていた。
領都のような大きな街には高級宿も複数存在するが、どこも共通しているのは部屋を少し空けておくという事。これは、宿泊中の貴族よりも高い爵位を持つ貴族が急に来たとしても対応出来るようにだ。
そんな万が一のための部屋すら、貸切にされては貸し出す事も出来ない。だが、一国の王ですら帝を従わせる事は出来ないという絶対の常識があるため、他の貴族が来てもそれを理由に追い返すつもりでいた。
支配人は、炎帝が出払ったら宿の宣伝に使おうと、その手段を考えるだけで気分が良くなる程笑顔を浮かべ、まるで小間使いのように炎帝のクラン員からの要望を聞いていた。
「お、支配人!わりぃんだが、飯四人分たのむ。食堂で食うから、そっちに。」
「はい。承知いたしました。いつものようにお出ししてもよろしいですか?」
「おう、たのむ!」
「承知いたしました。では食堂にてお待ちしております。」
「ありがとな!」
いつものように、と言うほどにはカサンドラ隊に慣れた支配人。彼らが宿泊した初日は、支配人の心を大きく揺さぶったのである。
最初にこの高級宿に入ってきたのは、公爵との面会を済ませたカサンドラ達だった。側近の爺と、部下三人。合わせて五人で宿へ入ってきた時、受付に立つ女性は驚いたまま固まった。
カサンドラの着ていたローブを知っていたからだろう。何より、街に流れた噂があった。炎帝が公爵の招きを受けて領都に来る、と。それを聞いていた受付嬢が、ローブを羽織る怪しい集団を見てすぐに炎帝一行だと気付けたのは当然の流れだった事だろう。
だがそれでも、自分の働く宿に現れるなどとは思ってもみなかったに違いない。公爵に招待されたのなら、公爵邸に泊まると考えるのが自然だからだ。
公爵との交渉が上手くいかなかったのか、などと危険な予想が受付嬢の頭を過ぎりもしたが、流石に高級宿の受付なだけはあり、すぐに驚いた表情を営業用の笑顔に変え、丁寧に腰を折ってカサンドラ達を出迎えた。
「すまんが、今日からしばらく貸切に出来るか。泊まっている客にはこちらから補填する。」
炎帝の声が聞けるかと内心期待していた受付嬢だったが、話しかけてきたのは厳しい表情の老人だった。その事を残念に思いながらも、貸切というとんでもない要求に対処すべく頭を回転させる受付嬢。そしてすぐに出した結論は、自分の判断できる事ではないというもの。
支配人を呼ぶので待つように伝えて引っ込んだ受付嬢の背中は緊張で強張っていたが、それを悟らせぬように歩き去る姿はプロそのものだった。
このような経緯があって貸切となった高級宿だが、支配人の驚きは貸切だけに留まらなかった。
五人で貸切にしたのかと思えば、続々とクラン員たちが集まってきたのだ。皆揃いの服を着ており、従業員はすぐにクラン員だと判別出来るようになった。
そんなクラン員が四人、または五人ずつ宿を訪れ、炎帝のクラン員を名乗って部屋に案内される。どんどん増えて数が百に達する頃、支配人は炎帝からの伝言をクラン員から聞いた。
それは食事に関して。食堂で一斉に済ますというその指示に、支配人は厨房へと丁稚を走らせた。
この高級宿では、西の国の伝統料理であったり、公爵領の名産である山の幸を用いた料理が提供される。当然ながらコース料理となるのだが、それを取りやめるように指示を受けたのだ。
作ったものを全部一度に持ってこい。このような指示をされた事など一度もなかった支配人と料理長だったが、冒険者の生態はよく知っている。彼らにとって食事とは栄養補給であり、食べる時間も短いのだと噂で知っていたのだ。
時間をかけて会話やマナーを気にして食べる貴族とは違う。それを思い出した彼らは、炎帝からの指示通りに全ての皿をテーブルへ並べた。
そして、彼らは冒険者の食事がどんなものかを身をもって知ることになる。
「あ、そうだ。」
「如何なさいましたか。他にもご指示が?」
「いや。いつも俺らに合わせて無理な飯の出し方してるだろ?ほんと悪りぃな。俺らにゃどうも、お貴族さんのチマチマした食い方は出来なくてよ。でも、飯も美味いし感謝してるんだぜ。んじゃ、四人で食堂に行くからよ。頼むぜ。」
クラン員からの不意打ちな礼の言葉に、支配人は一瞬固まった。だが、すぐに笑顔を浮かべて首を振る。
「何を仰いますか。私どもはやれる事をしているだけで御座います。それに、皆様が賑やかに楽しく食事する光景は、従業員一堂、大変気持ちよく感じております。本日もどうぞ食事を楽しんでいただければと。」
零番隊だけあって、この部隊員は相手の気持ちを読むことが出来る。その言葉に嘘が無い事はすぐに分かり、高級宿の支配人がこんな事を言うとは、と感心する様子を見せた。そしてニヤリと笑いながらもう一度礼を言い、階段を上って部屋へと向かう。
伝えた感謝の気持ちは本物だったが、それに返された気持ちも本物だった。こうした本物同士の気持ちのやり取りが、どことなく部隊員の心を擽るのだった。
「あぁ、姐御がはやく戻ってこねぇかなぁ。支配人のあの顔見せてやりてぇ。」
ポツリと言ったその言葉は、支配人へは届かない。機嫌良く階段を上る彼を見送る支配人は、彼が見えなくなっても笑顔だった。
「姐御。公爵の依頼の品、採ってきましたぜ。」
「あぁ、ご苦労さん。爺に預けときな。」
「へいっ!」
ゆいな隊が私兵団を全て確保したという情報は、既にカサンドラへと伝わっていた。その情報が公爵家に届く事はない。何故なら、早馬や伝令すらもゆいな隊によって確保されているからだ。
だが、もう一度出向くという連絡は受けているはず。それが何日も連絡がなければ、不審に思って伝令を出すかもしれない。
それを確保すれば時間は稼げるが、そんなことが通用するのは一度だけ。公爵の目を欺けるかどうかはカサンドラ達にかかっていた。
そもそも、何故時間を稼がねばならないかといえば。
ゆいな隊による私兵団への尋問や、公爵の本当の狙いを探るために必要だからだ。現在、ゆいな隊は三つに分かれて情報を集めている。領都、小さな町、そして公爵の腹心である伯爵の治める伯爵領へと向かい、それぞれから情報を探る。ゆいなもカサンドラも、この伯爵から得られる情報こそ大事だと考えているようで、伯爵自身の動向についてはカサンドラ隊の一小隊が張り付いていた。
ゆいな隊からは、公爵が目標としている場所と、そこで何をするのかといった情報が得られたと報告を受けている。
それは、報告してきたゆいなが呆れた声で言うように、カサンドラも思わずため息を吐く内容だった。
公爵が欲している物は未だ分からないが、それとなく予想することは出来る。その根拠となったのは、公爵家お抱えの錬金術師の証言と、魔道具師が作っていた魔道具から得られた情報だった。
公爵が目標としている場所は、泉であるという。
この泉は不思議なことに、清麗で神秘的な見た目と反して、地元住民が近寄らない事で有名だった。
その理由は、泉の水が湧き出る場所にある。
水が地下から湧き出るのは当然だが、その湧水に大量の魔素が含まれているのだ。
その水を飲めば、人は急性魔力中毒に陥る。大量の魔素が含まれた水は、それだけで人体に有害な物へと変わっていた。野生動物ですら近寄らないというその泉が清麗な理由は、その辺りにあるのである。
公爵が何故その泉を目標としているかは分からなかったが、魔道具師によって作られた魔道具を科長が分析したところ、大量に含まれた魔素はそのままに、人体への害だけを抑えるための物だと発覚した。
言ってしまえば魔力の含まれた水を、何かに転用しようとしているのは明白であった。今は、その何かを探るために動いている。
しかし、魔道具師も錬金術師も、果ては私兵団の団長ですらその目的は知らされていなかった。
錬金術師の仕事は、その魔道具によって手に入れた魔素水とでも言うべき泉の水を、錬金術において必須である水の管理方法を用いて安全に領都へ運ぶ事。
そのため、水が手に入らねば仕事がない。しかし魔道具師が魔道具の調整をする間は暇であるため、小さな町で己の研究を進めていた、という訳だった。
この報告を思い出して考えに耽るカサンドラに、部下が採取してきた素材を受け取ってマジックバッグに詰めた爺が徐に声をかけた。
「お嬢。一度経過報告に行ってみらんか。」
カサンドラへと提案をする爺の目は真剣で、カサンドラはそれに不適な笑みを向けながら、理由を目で問うた。
爺は側近として、祖父として。これまで長い時間カサンドラと共に歩んできた。
カサンドラから向けられる視線の意味が分からない筈もなく、そして理由など問わずとも分かっている事も理解した上で説明をするのだった。
「単に公爵の動向を見るために。あの者の考える事など手に取るように分かるとしても、公爵家ならば優秀な部下も多いだろう。あの者の虚栄心を満たしてやれば、すんなり計画を吐くかもしれん。」
公爵は当主の座を息子に譲りたくない一心からか、息子であり小公爵である後継を公爵邸の離れに住まわせている。本邸に住むのは公爵とその妻だけであり、小公爵は政務のために毎日本館の執務室へ出向いているのだ。
当然ながらそのことに不満を持っており、それを知っている公爵は殊更、彼を近付けようとしなくなる。負の連鎖となって絡みつくこの親子関係は、公爵家に仕える者なら誰もが知る事である。
「…まぁいいさね。今回はそれに乗ってやろうじゃないか。それに、使えない父の息子もまた、使えないとは限らないからねぇ。」
街の人々から聞く限り、小公爵に関しては悪評がない。しかし、良い評価もないのだ。どんな政治をしても、必ずどちらかの評価がつく。しかし小公爵にそれがないということは、それだけ彼の存在が表に出ていないことの証左だった。
「ついでに息子の顔を見てみるのも面白そうではあるな。」
「だろう?さて、そうと来たら行こうかね。依頼の品はどの程度集まった?」
「八割ほど。残りはまた、とでも言えば良いだろう。」
対外的な場面では、どこぞの執事よろしく徹底した部下の姿を見せる爺だが、こうして二人だけとなると祖父の顔を見せる。部下からは鬼と恐れられ、炎帝の側近としては影が薄く、カサンドラからすれば頼れる側近であり口煩い祖父だ。
そのどれもが爺の本質であり、役目である。因みに、ヴェルムと二人の時はガサツで大酒飲みに変わる。
「じゃあ行くかねぇ。鼻垂れ坊主の顔を見に、ね。」
皮肉るように不適な笑みを浮かべたまま立ち上がり部屋を出て行くカサンドラに、爺は頷いて彼女の後に続いた。




