237話
カサンドラと小隊は、公爵家からの招きを受けて公爵領領都で一際大きい屋敷に足を向けていた。
たどり着いた先には、分厚く高い鉄格子の門。そしてその前に立つ兵は、鍛えられた身体と鋭い眼光が印象的な二人組だった。
「炎帝殿とお見受けする。主人より炎帝殿をご案内するよう申し付けられております。どうぞこちらへ。」
二人組の内一人が、その身に似合わぬ優雅さを持って礼をして語りかける。丁寧な態度には、公爵が敵意を持っておらず炎帝を客として丁重に扱うという姿勢が表れていた。
そんな門兵の態度を鼻で笑ったカサンドラだったが、それを受けても尚、丁寧な姿勢を崩さない二人組に上機嫌な笑みを向ける。認識阻害の魔法がかかったローブによってその表情を見せることは叶わないが、それでも雰囲気で門兵には伝わっているはずだった。
門前で戦闘になる可能性すら考えていた門兵二人は、どうやら無事に明日を迎えられそうだと内心で安堵していた。
しかし、そんな考えを見透かすように、炎帝の部下がポツリと呟く。
「安心するには早いんじゃねぇの…?」
だがその呟きは、屋敷の前で不意に吹いた風にかき消され、門兵二人には届かなかった。そして、二人から隠すように、呟いた部下に肘打ちをする爺の姿も、見られることはなかった。
「ほら、行くよ。いつまで遊んでんだい。」
カサンドラから声をかけられてやっと肘を離してもらえた部下の瞳は、先ほどまでの嘲笑するような色の代わりに、水滴が溢れそうになっていた。
「よく来たな、炎帝よ。」
カサンドラが抱いた第一印象は、その辺の貴族と変わらない、というものだった。いつまでも権力から手を離す事のできぬ老害、とも。
それだけ年老いた貴族というのは多く、家督を譲らない家門は二通りの理由があるというのは、カサンドラがこれまでに見てきた経験則だ。
一つは、次代の才覚があまりに無さすぎる場合。もう一つは、当主が頑として家督を譲らない場合。
カサンドラの鋭い勘は、後者だと囁いていた。そしてそれは、まごう事なき正解なのである。
公爵の鷹揚な態度に、カサンドラは気を悪くした様子もなかった。勿論、手を組む気でここに来ていれば機嫌が急降下していただろう。だが最初からこの公爵を潰す気で乗り込んでいるため、公爵からどんな態度を取られようとも気にならない、というのが現実だった。
カサンドラはフードを深く被ったまま上から頭を掻き、そして鼻で笑った後、公爵が座るソファの対面にドカッと腰を下ろす。そしてその背後に爺や小隊が並べば、なんとも威圧感の凄まじい集団になった。
「我が呼びかけに応え馳せ参じた事、この儂がしかと記憶しておこう。」
クランハウスへ公爵からの手紙が届いたのは昨日だ。王都から公爵領まで、馬車で数日かかる事を考えれば、早馬に手紙を託したとはいえ、ここに来るまでが早すぎる。
公爵はそれに対し、なりふり構わず公爵領を目指したのだと勘違いしているのだ。それ故に口から出た言葉に、カサンドラをはじめ誰も返事を返さなかった。
「さて、お主を呼んだのは他でもない、儂の依頼を受ける栄誉を与えようと思ってな。この上ない栄誉だ。当然、受けるであろう?」
断られる事など万に一つも想像していないのは、公爵の態度から存分に伝わっていた。だが、それでもカサンドラ達は身じろぎすらしない。
それから延々と依頼を受ける栄誉について一人で話し続ける公爵は、上がってきた息を整える為に紅茶に口をつける。そこでやっと炎帝が何の反応も示していない事に遅れて気付いた公爵だったが、その理由を彼は、自分に都合の良いように受け取るのだった。
「あぁ、公爵たる儂とした事が。直答を許す。」
カサンドラが何も言葉を発さないのは、身分が下の者が上の者に声をかけてはならないという貴族社会のルールを知っているからなのだと解釈した公爵。
上の者が直答を許す事で初めて口を開けるというそのルールを、冒険者である炎帝が知っているとは考えていなかったのだ。
だが、冷静になって考えれば分かったはずである。そんな礼儀を実行出来るなら、そもそもソファに勝手に深く座り込み、背もたれに背を預けて脚を組み、肘を背もたれに乗せるなどしないはずだという事を。
「どうしたのだ。早く依頼を受けると言わんか。これ以上ない栄誉が得られるのだぞ?ん?」
頑なに口を開かない炎帝に、公爵が苛つき始めた時だった。
コンコン
カサンドラ達が通された応接室の扉を叩く音。その音に反応して目を向けたのは公爵だけだったが、その公爵は苛立った様子を見せながら声を荒げた。
「誰だっ!今は取り込み中だ!」
その怒りが滲んだ声へ返ってきたのは、公爵の腹心である伯爵の来訪を告げる侍従の声だった。
それを聞き、多少怒りを収めた様子の公爵。吊り上がっていた眉は本来の位置へ戻り、額の筋もいつの間にか消えている。
「おぉ、伯爵か!入れ!」
先ほどまでの苛立ちは何処へやら。途端に勝利を確信したかの様な表情を浮かべ、炎帝を一瞥した後に扉へ声を放つ。
その言葉を待っていたかのように直様開かれた扉の先には、侍従の告げた通り伯爵家当主の姿があった。
「失礼致します。炎帝殿が参られたと伺い、慌てて駆けつけたのですが…。遅くなった事をお詫び致します。」
伯爵はまず公爵へと腰を折り、西の国貴族が目上の者へする礼の姿勢をとる。それに対して機嫌良く、よいよい、などと言う公爵へもう一度軽く頭を下げた後、彼は炎帝に身体をクルリと向けた。
背筋の伸びた壮年の彼が、姿勢良く顎を引き炎帝を見る。そして頭を下げ、挨拶を始めるのだった。
「お初にお目にかかります。私、有難くも公爵様の腹心を名乗らせていただいております、ハンブルクと申します。どうぞ宜しくお願い致します。」
慇懃に腰を折ってはいるものの、先ほど公爵へ向けた礼とは違う礼をとる伯爵。それは礼儀としては模範解答と言える行いだった。
主人たる公爵を上に置きつつも、客を蔑ろになどしない。その姿勢が表れた礼だ。
それに視線すら寄越さないカサンドラは内心、やっと潰し甲斐のある相手が現れた、とほくそ笑んでいた。
そんな部隊長の気持ちが伝わったのか、爺を含めたカサンドラの後ろに立つ部隊員達は、表情には出さないものの、心の内は獲物を前に舌舐めずりをする肉食獣が如くであった。
「アンタが誰でも知ったこっちゃない。で、公爵。さっきからウダウダとどうでも良い事ばかり囀るその口からは、依頼の内容は出てこないのかい?」
応接室に通されて初めて開いた炎帝の口からは、貴族である彼らが普段耳にする事のない直球な罵詈雑言が飛び出した。だが、それを聞いてまたも苛立ちがぶり返した公爵と違い、伯爵は何処までも冷静だった。
「まだ依頼の内容までは話が進んでおりませんでしたか。公爵様。僭越ながら私が炎帝殿にご説明させて頂いても?」
公爵が何か言うよりも先に、伯爵が説明役を名乗り出る。身分が上の者の言葉を遮る訳にはいかないため、公爵が口を開くよりも先に口を挟んだ伯爵。
それを見たカサンドラは、そうでなくては面白くないさね、などと考えながら、認識阻害の魔法によって見えぬのを良い事に、嘲るような表情を浮かべながら貴族二人のやり取りを待った。
「う、うむ。儂自ら説明するような事でもあるまい。ここは伯爵に任せよう。」
口を開けば自尊心を高める発言をしなければ気が済まないといった様子の公爵に、カサンドラは既に興味を失くしていた。しかしそれに気づかない二人は茶番のような寸劇を続ける。
「有難き幸せ。それでは炎帝殿。今回の依頼についてご説明させて頂きます。」
そうしてやっと始まった本題は、貴族らしい遠回しで持って回った言葉が多く、要約すれば次の様な事であった。
公爵家には、病弱な公孫がいる。その公孫の病を治すべく、公爵は錬金術師にポーションの生産を依頼した。
だが、どのようなポーションも効果はなかった。
そこで魔道具師などにも依頼をし、せめて病の症状だけでも軽減出来ないかと相談を持ちかけた。
そこで、魔道具師から思いもよらぬ返事を得る。
それは、病を軽減出来る魔道具は無いが、公爵領のとある場所に、魔素が湧き出る泉があるという情報だった。
魔道具師によれば、その泉は魔素が濃いため、触れるなどすれば魔力中毒を起こし死に至る。だがその魔素に錬金術師が生産したとあるポーションを流し、魔道具でもって制御すれば、人体に悪影響を及ぼさずに魔素を吸収できる、という事だった。
これを聞いた公爵は喜び、公孫のためにそのポーションと魔道具の生産を命じた。
それらは一月ほど前に完成し、試験のために私兵団を伴って泉へと向かわせた。だが、待ち望んでいた報告は受けられなかったのだ。
ポーションを泉に流せば、そのポーションは魔素の湧き出る場所から吸い込まれて消えた。魔道具は、濃すぎる魔素を制御出来ずに故障したのだという。
その失敗から、魔道具師と錬金術師は素材に原因があると考えた。濃すぎる魔素に耐えるには、もっと良い素材をポーションや魔道具に使用するべきだと主張したのだ。
炎帝カサンドラへの依頼は、その素材の入手だ。
そのどれもが討伐危険度Aランクの魔物から獲れる素材であったり、魔の領域となっている場所でしか採取出来ない魔草であったりと、高ランク冒険者と呼ばれる者達ですら二の足を踏む程の危険な依頼である。
これだけの説明をするのに、伯爵は大層な時間をかけた。途中で立ったまま居眠りを始めた部隊員が祖父から肘打ちを喰らう事になる程、長くつまらない話だった。
「つまり?魔物をぶち殺して剥ぎ取り、魔草を引っこ抜いて来いって事だね?最初からそう言えば、この無駄な時間を過ごさずに済んだのにねぇ。」
呆れた様に言う炎帝を見る貴族二人は、対照的な表情を浮かべていた。
明らかに機嫌を損ね、炎帝に対し侮蔑の視線を向ける公爵。彼は内心、貴族の気高き常識を理解できぬ野蛮人が、などと彼女を罵っている。それは公爵の表情にも出ており、特にその瞳には感情がありありと浮かんでいるのを、誰もが理解できるほどだった。
反対に、伯爵は冷静であった。感情を覆い隠す機嫌良さげな笑みは変わらぬまま、しかし用心深く炎帝を観察している。
公爵よりも余程貴族らしい伯爵に、カサンドラはフードの下でニヤリと笑った。少しは骨がありそうだ、と満足そうに笑う炎帝の顔は、貴族二人にだけは見られなかった。




