234話
「あ、あのぉ…。こちら、出来ました…。」
「あぁん!?遅いんだよっ!この程度なら半刻(一時間)で終わらせな!」
公爵家から派遣された私兵団に提供された町長の屋敷では、おどおどした控えめな女性の声と荒々しい老婆の声が響いていた。
私兵団がこの小さな町に訪れてから毎日の恒例となっているこの怒鳴り声は、屋敷と言うには些か小さいこの建物でそれはもうよく響き渡っている。
だが屋敷の使用人や私兵達はそれに反応する事なく、怒鳴り声が絶えない部屋へと視線すら向けずに己の仕事をこなしていた。それだけ、この怒鳴り声が当たり前の日常になってしまっているという事なのだろう。
ゆいな隊の一小隊は、そんな怒鳴り声が外まで聞こえる屋敷の庭に潜み、内部の情報を集めているところだった。
「今日もウルセェな、あのババァは。」
一般人ですら外にいてハッキリ言葉を聴き取れてしまうその怒鳴り声を聞き、うんざりした様子でポツリと呟く部隊員。潜伏任務の途中で私語など言語道断ではあるが、他の部隊員も彼の気持ちがよく分かるため、誰も何も言わなかった。代わりに返すのは、同意を込めて下がった眉尻のみである。
潜伏任務に辟易としてきた小隊だったが、全員が同時にある一点を見た。次いで聞こえてきた女性のものらしき短い悲鳴と、その後すぐに聞こえた男性の野太い声。
問題があったかと意識を切り替えた彼らは、その場に残る人員を小隊長がハンドサインで指示すると、残りは皆その場で消えるのだった。
「す、すみません…。お怪我は、あり、ありませんか…?」
小隊長と二人の部下が急行した先で目にしたのは、小さな身体で必死に頭を下げる妖精族の女性だった。彼女が謝っているのは、公爵家の私兵の身分を示す鎧を着た大男で、雰囲気からして随分とご立腹のようだ。
「あーあー!お前がぶつかったせいで腕が上がらなくなっちまいやがった!この責任、どう取ってくれるってんだ?あぁん!?」
まるで当たり屋かの如く妖精族の女性に絡むその姿は、鎧を着ていなければ街に屯する破落戸とそう大差ない。上がらなくなった、と言って示す左の腕は小隊長が見る限り、怪我の一つもない事は一目瞭然である。
妖精族の女性が危害でも加えられるかもしれないと警戒を強める小隊長と部下達だったが、ここは私兵団が駐留している町長の屋敷である。当然ながら彼女も公爵家に関係する人物である可能性は高く、ならば何故このような扱いを受けているのか疑問に思いながらも、状況が動くまで彼らも動けないでいた。
だが、そんな彼らの迷いを嘲笑うように、状況は簡単に動き出すのだった。
「お前ぇ、使えねぇって噂の錬金術師だろ。俺たちがこの町に来たのは幸運だったなぁ?あのバァさんの使いっ走りになれたんだからよぉ!どうやって取り入った?靴でも舐めたかぁ!?」
大男の発言で、彼女が私兵団の者ではない事が分かったのだ。なれば動くことに躊躇いなど無い、と小隊長が部下にハンドサインを送る。するとすぐ後ろにいた二人がサッと件の二人を取り囲むように身を隠して移動したのを気配で感じた。
「そ、そんな。私から、お願い、した訳では…。」
どうやら妖精族の女性は私兵団によって徴集されたようだ。となれば、彼女はこの町に住む住人なのだろう。
しかし、この小さな町で情報を集めた際、ゆいな隊は彼女の存在を町人から聞いたことなど一度もなかった。故に私兵団の一員なのだろうと考えていたのだが、これはどういう事だろうか。
そんな小さな疑問が小隊長の頭を過った時、我慢の限界を迎えた大男が腰の武器に手を伸ばしていた。
「あぁ!?公爵家に逆らうのか?そりゃ不敬罪だ。仕方ねぇから俺がお前を斬ってやるよ…!」
大貴族である公爵家の私兵だけあり、大男の実力は確かに高かった。先ほど上がらなくなったと言っていた左腕を気にすることなく、スッと鞘に手を添え、右手で抜剣したその勢いは、恐怖から身を竦ませる妖精族の女性の身体を綺麗に両断していたことだろう。
だが、それはその場に彼らしかいなかった場合の話。
大男は振り抜いた剣が肉を断つ感触を伝えてこない事に疑問を持ったが、その電気信号が眉へと伝わるより先に、彼の右腕に激しい痛みが襲いかかった。
「い、ぎゃぁ…んぐ」
痛みによる悲鳴をあげようとした彼だったが、何が起こったか理解するよりも前にその意識を絶たれた。
ドサリと音を立てて倒れた大男と妖精族の女性との間には、二人の部下が放った魔法の粒子が数秒の間だけ煌めく。
恐怖で目を閉じていた彼女がそれを見る事は無かったが、覚悟した痛みが来ない事を不思議に思った彼女が頭を隠していた腕を退け、その光景を見た。
「だ、だ、大丈夫ですか!だ、だれか!」
数秒前まで己を殺そうとした相手の心配をする彼女に、小隊長達は驚いた視線を向ける。確かに彼女を助けたのは彼らだが、まさかこのような展開になるとは思いもしなかったのである。
次第に騒がしくなる周囲を感じ取った彼らは、少しだけ離れて様子を見る事に決めた。幸いにもここは屋敷の裏庭で、身を隠すための木々はあちこちに植えられている。
魔法によって姿が見えなくなった彼らは、そのまま彼女がどうするのかを見届けるために近くの木々を登るのだった。
「という事がありまして。余計な行動をしました。申し開きのしようもありません。」
その夜、小隊長は報告のために大森林へと戻り、上司であるゆいなに昼間の事を報告していた。
彼は真摯な様子で頭を下げ、女性を助けた結果何も得られなかった事を詫びる。彼が謝っているのは女性を助けた事ではなく、その先に得られるものがなかったからだ。
彼らドラグ騎士団にとって最優先は家族の無事。もしも妖精族の女性を助けた事で他者の介入を悟られ、彼らの存在が把握されてしまう事があれば、それは家族の身を危険に晒す事に違いない。
その可能性があった事を詫びているのであり、それに関してどんな咎を受けようと引き受けるつもりで彼は臨んでいた。
そんな小隊長の真剣な様子に、彼の頭頂部を見ながらゆいなはため息を漏らす。その音に彼の肩が少しだけ揺れるが、ゆいなはそんな彼から視線を外して報告書へと目を向けた。
「いつまで頭を下げているつもりだ。まさかこのご時世、そんな聖女のような清廉潔白な女性がいるとは思わんだろう。…それもこんな所に。任務を遂行していたのがお前の小隊じゃなかったとしても、同じ結果になっただろうな。寧ろ、その女性の前で私兵を殺さなかっただけお前達は優秀だ。」
呆れたように言うゆいなだったが、内心は小隊長を誉めていた。ドラグ騎士団の者はどうにも、赤の他人への興味関心が薄い。情が無い訳ではないのだが、殺されそうになっている者を任務中だからと助けない者もいるのだ。ゆいな隊にはその様な者はいないのだが、これが鉄斎隊であればどうなったか分からない。
そんな中でこの小隊長は最善を尽くしたと言えるだろう。他の部隊にも見習って欲しいものだ、などと考えるゆいなだったが、確かに小隊長の言う通り家族を危険に晒した可能性がある以上は表立って褒める訳にもいかない。
もどかしい気持ちになったゆいなが吐き出したため息には、様々な感情が見え隠れしていた。
「ありがとうございます。彼女が私兵団の者ではない事は分かっておりますので、明日は接触してみようかと思いますが…、どう思われますか。」
責めを受ける訳ではないならこれで終わり、と気持ちを切り替えた小隊長。すぐに明日の行動について提案を重ねるが、ゆいなはそれに黙って少し考える姿勢を作った。
妖精族の女性がもし情報提供などしてくれるなら兎も角、そうでない場合はこちらの存在が相手に知られる。かなり危険な賭けにはなるが、その分得られるであろう情報は大きい。その賭けに出るかどうかは、この任務が合同任務である以上、ゆいなだけでは決められないのだった。
「うむ。それはありかもしれん。これからカサンドラと明日の行動について話し合う。その際に提案してみよう。」
考える姿勢を止め、何か決意した表情で語るゆいなに、小隊長は敬礼を向けた。それに敬礼を返したゆいなを見る小隊長の表情は、自身の意見が取り入れられた事に対する感謝と、ゆいなに対する敬意が滲んでいた。
「と、いう訳だ。どう思う?」
ゆいなは早速、カサンドラ隊の数人とゆいな隊の数人とで作戦会議が始まるなり、先ほど小隊長と話した件について報告していた。
それを聞いた面々の表情を見る限り、凡そ賛成である事は分かる。だが中には条件付き賛成、といった表情をしている者もおり、そういった者たちに向けて意見を求めるのだった。
「良いんじゃないかい?その妖精族が敵だろうと味方だろうと、もし敵になるなら消せば良いのさ。私兵団では厄介者扱いなんだろう?ならそれが嫌で逃げ出した事にすれば問題ないさね。」
そう言って椅子の上で胡座をかくカサンドラ。
ここは作戦司令部として設営した大型のテントで、テーブルの上には周辺地図や報告書など、様々な機密情報が満載だ。
カサンドラの意見はカサンドラ隊からすれば尤もで、何を躊躇う理由があるのだろうと逆に疑問を抱いている。唯一、カサンドラの側近である副部隊長の爺だけはカサンドラに呆れたような目線を送っている。彼女はそれに気付いていながら無視しているようだが。
「そうなると、もし私兵団側だった時に殺すという事でしょうか。それはあまりに愚策なのでは…?最悪の場合は仕方ないでしょうが、協力してもらえない場合はまず捕縛する程度に留め、事が終わってから解放するというのはどうでしょう。」
これに一部否定を示したのは、ゆいな隊の大隊長である。彼もゆいなの提案した賭けについては賛成のようで、もしもの時についてしっかり保険をかけておきたい様子だった。
どうも、この場にいる者は皆、形は違えど賛成である事に変わりはないらしい。ならば成功した時、失敗した時の行動を明確に決定しておかねばならない。
二部隊合同の会議はそこまで多くなく、あまり慣れない事のため若干の難航を見せるのだった。
そんな細かな決議で難航する会議だったが、ふと全員がテントの入り口を見た。そしてすぐに警戒するが、ハラリと入り口が払われて現れた侵入者に、彼らは警戒の色を解くのだった。
「みんな元気にしてた?団長の命で私と彼が一緒に来ましたよ。」
大森林にいる者としては似合わない格好の二人だった。片方は女性で、団服の上に膝下まである白衣を着ている。長い髪は三つ編みで二つに纏め、耳の横から胸元へと垂れていた。更には分厚い瓶底メガネをかけており、獣道すら無いようなこの大森林で足元が見えるのか不安になる装いだ。
そんな女性の後から入ってきた男性は、女性よりも大森林に似合わぬ格好だった。身長が高くテントの入り口を身を屈めながら潜るように入ってきた彼は、団服の上からポケットが複数ついたエプロンをしている。
腰には五隊以上に配られているマジックバッグと、何やら様々な道具が入っているらしいポーチを提げている。
彼はテントに入るなり、軽く手を挙げ、ん、と口も開かぬまま二部隊に声をかけた。
「所長と科長か。確かに団長から連絡は来ているが…。気配を消して来るのは止めてくれないか。」
長年様々な事で世話になっている二人が来た事に、先に知っていたとはいえ驚くゆいな。その口から出たのは、文句というよりは苦言だった。
「いやぁ、ごめんなさいね。科長がみんなを驚かせようって言うものだから。」
所長が細くて長い指の裏を口に当ててクスクスと笑いながら言う。だが、その言葉を受けて視線を集めた科長は眉間に皺を寄せて首を振った。
「戯け。それはお前だろう。」
「あら、そうでしたっけ?まぁそんな細かい事は良いんですよ。」
慣れたように会話を続ける二人だったが、これでもドラグ騎士団の天辺から数えた方が圧倒的に早い地位の二人である。それはカサンドラやゆいなよりも上であり、この二人に世話になっていない団員などいないのだから、会話を止めることもできなかった。
そんな二人が二部隊の雰囲気を察し、コホンと咳払いをすれば。やっと本題が始まるのかと零番隊の視線が集まった。
「さっき話してた妖精族の子、私に任せてほしいの。多分その子、うちで引き取るから。」
そうして発された本題は、ゆいなやカサンドラだけでなく他の部隊員達を驚かせるのには十分な威力を伴っていた。




