233話
大森林の西端から少し草原を歩いた先に、小さな町がある。村というには大きく、しかし街というには物足りない。
東にある大森林から森の恵みを受け、周囲に広がる草原を拓き田畑とし、付近の河川から水を引く。
どこにでもあるようなその小さな町は今、辺り一帯を統治する公爵家より派遣された一団が駐留しており、町人の生活は否応無く非日常へとシフトさせられていた。
町人からの公爵家に対する評価は芳しくなく、特に周辺諸侯の治める領地よりも税が重いのが領民を苦しめていた。
だが、西の国自体が侵略国家であるため、新たに統合された国の民に比べれば遥かに高待遇である事を考えれば、領民が他所へ行こうと考えないのも仕方のない事かもしれない。そもそも、領を跨いだ民の転居は税収に直結するため、厳しい審査が必要になる。これを通すためには莫大な賄賂が必要となる事もあり、それもあって殆どの領民が転居の選択肢を持たないという現実があった。
この小さな町でも同じように考えられており、外から来た者を監視するような目で見てしまうのはこういった町の特徴でもある。
そんな余所者を警戒する視線を受けながらも堂々と町を歩くのは、炎帝の地位を示すローブを纏ったカサンドラとその部隊員数名であった。
「帝がどうしてここに…?」
「シィッ!高ランク冒険者に睨まれたら殺されても文句言えねぇぞ。目を向けるな。」
「ママ、あの人たち怖い人なの?」
「そうよ。だから今日は中で遊びましょうね。」
町人達のひそひそ声をその良すぎる耳で拾いながら歩くカサンドラ達。だが誰もそれに反応を示さず、ただ黙って目的地へと足を向けていた。
彼女達が目指しているのは、この町にある冒険者ギルド支部である。町という規模を辛うじて保っている程度のこの町でも、大森林が横に存在するというだけで支部の設置が叶う。大森林に入れるのは浅域だけとはいえ、そこで入手出来る薬草や魔草、棲息する魔物や動物の素材の数々は、商業ギルドが欲しがる物だらけなのだ。
その素材を獲りに向かう冒険者がいるのなら、そこに支部を設けるのが冒険者ギルドだ。
何より、冒険者が商業ギルドに直接売ってしまえば、冒険者ギルドに手数料が入らない。少しでも金を集めなければ、帝などの高ランク冒険者に依頼料すら払えないのだ。冒険者に依頼を斡旋するだけだと考える冒険者は多いが、実はかなりの入用なのだ。
冒険者ギルドが運営する冒険者育成学校、貴族との繋がりの維持費、商業ギルドとの交渉、ギルド支部の管理維持費、ギルド職員への給与。これらに必要な経費を少しでも補えるのであれば、冒険者ギルドは支部を置く。
そんな思惑とは関係なく、この小さな町には冒険者が集まる。だが、ここ最近は領都から来たという公爵家の一団が町を彷徨く事もあるため、毎日何処かしらで問題が起こっていた。
一番多い問題は、貴族と聞くだけで鳥肌が立ってしまう冒険者たちと、公爵家の一団の求める物資が被ってしまう事にあった。
冒険者は町の少ない鍛冶屋に武器の調整を頼み、公爵家の私兵団であるらしい一団も同じく武器の調整を頼む。鍛冶屋は最初、先に受けた依頼から順に熟していたのだ。だがそこに権力という力の介入があり、それに憤慨した冒険者によって鍛治師が一名暴行を振るわれている。
この事件によって町人と冒険者、そして私兵団という三巴の構図が出来上がり、今では冒険者や私兵団を見かけると商人ですら店を閉めてしまう有様であった。
「なぁんか侘しい感じだなぁ。」
カサンドラ隊の一人がポツリと呟けば、誰もそれに返事はしないものの、心の内は同じ意見であった。
そんなカサンドラ達が町の詳しい状況を聞くために訪れたギルド支部では、武器や物資の調達が困難なために大森林や他の狩場へ出向けない冒険者達が屯していた。
カランカラン、とドアに取り付けられたベルが鳴れば、他にも暇を持て余した冒険者が来たのかと中にいた物達の視線が集まる。
軽く流し見る程度だったそれが、驚きと共に二度見に変わるのを、カサンドラ達は無表情で受け止めるのだった。
そのまま周囲の視線を全て集めながら受付へと歩みを進める一行。騒めきが支配していた内部は、凪いだ水面に巨石を投じたが如く驚愕が波紋となって拡がり、秒針が時を刻む度に静けさがその場を塗り替えていくのだった。
コツン、コツン。
ギルド支部内で音を発する物が、カサンドラ達のブーツだけとなった時、カサンドラを見て驚き震える受付の若い女性の限界が訪れた。
ガタンッという音が聞こえたかと思えば、受付カウンターの向こうでカサンドラが向かっていた先の受付嬢が意識を失って倒れた。
だが彼女は幸運だった。何故なら、意識を失っても床板と身体を激しくぶつける事は無かったからだ。
受付嬢が倒れる瞬間、カサンドラの背後にいた部隊員の一人が目にも留まらぬ速度で移動し、彼女の背に手を回して支えた。それを結果だけ見たギルド内の人々は、気付けば移動していた部隊員を驚いた目で見る。
そんな視線を気にもせずに受付嬢を横抱きにした部隊員は、驚いたままの他の受付嬢に声をかけるのだった。
「彼女を寝かせられる場所はあるかい?うちのボスが怖いせいでトラウマになっちゃあいけねぇ。」
冗談混じりで言った部隊員に、どうにか頷きを返すことに成功した別の受付嬢。部隊員に話しかける事が出来たのは、別の者だった。
「炎帝様、そしてクランの方々。ようこそいらっしゃいました。受付の子はこちらで引き取りましょう。彼女をお守り頂いたこと、ギルドを代表して感謝致します。君、彼女を仮眠室へ。…では炎帝様、こちらへどうぞ。お話はギルドマスターに。」
受付の奥、ギルド員が仕事をするスペースから出てきた男性。彼がギルドマスターかとも思ったカサンドラだったが、どうやら違うようだ。であれば、サブマスターか何かであろうか。
少なくとも、ただのギルド職員という事はないだろう。その余りに落ち着いた雰囲気と、冷静に周囲を見る能力。田舎の小さな町に訪れる事など無いだろう炎帝が、急に来ても動揺しない胆力。それら全てが彼の職員としての地位を窺わせた。
そして何より、カサンドラがギルドマスターかと思った理由。それは彼の気配だ。彼はこの場の冒険者達の誰よりも強い。それは強者同士だからこそ分かる感覚と言えば良いだろうか。部隊員たちもそれを感じ取っており、彼がギルドマスターと告げた時に眉を顰める者もいた。
「そうかい。なら行こうかね。皆んな済まなかったね。今度から二階に直接飛び込むとしよう。」
認識阻害の魔法によって性別も分からなくなっているカサンドラは、敢えてひょうきんな様子でそう言った。そして軽く手を挙げてヒラヒラと振れば、それを合図に部隊員達とサブマスターの案内で二階へと上がって行った。
残された冒険者や職員が我に返ったのは、サブマスターから受付嬢を任された男性職員が動き出してからだった。
「なるほど。この町はギルドにとっても重要な場所って訳かい。」
ギルドマスターの部屋に通されたカサンドラが、その部屋の主に挨拶をするよりも先にそう言った。その言葉に対する反応は、部隊員とギルド側で大きく違うようだった。
「…何故そうお感じになったのか窺っても?」
冷静に尋ねたのはサブマスターだった。その瞳には若干の警戒が浮かんでいるが、それを見たカサンドラはフッと笑って部屋の主人へと目を向けた。
「一々言わなくても分かるだろう?なぁ、元帝の爺さん。まさかこんなところでギルドマスターなんかやってるなんて思わなかったさ。でも、アンタがいるならギルドにとってこの町の重要さは見れば分かるってもんじゃないか。」
そう言うカサンドラが見つめる先には、執務机の上に肘をついた一人の老人がいた。彼は元土帝。カサンドラの言う通り、ギルドの指示によってこの町のギルドマスターになった経緯がある。
しかし、それ以外にも彼がこの町に来た理由があった。それは、この町を含めた公爵領の調査である。彼は帝の地位を退いた後、冒険者ギルドの役員となった。しかしそれは公表される表の顔ではなく、内部調査や監査の為に所属する、所謂暗部であった。
そんな彼とカサンドラは顔見知りで、カサンドラの素性を調べる為に彼がカサンドラ隊の周囲を彷徨いた事がある。その時に部隊員によって彼は捕縛され、己の素性や役目をカサンドラに話したという経緯がある。
そして魔法の契約でもって約束を交わし、ギルドへカサンドラの正体を漏らさぬ代わりに彼にだけはその正体を告げたのだ。
そこには二人が意気投合するまでの熱い物語があるのだが、ここでは割愛することにしよう。一つ言えば、二人とも大酒飲みであるという事だけここに明記しておく。
「こっちだってお主が急に来ると聞いておればしばらく身を隠したわい。で?今回は何の用じゃ。」
久方ぶりに会ったであろう二人だったが、そんな素振りは少しも見せなかった。それよりも、二人が知り合いである事にサブマスターが驚いていたのが、部隊員からすればツボに嵌る程面白かったようだ。
カサンドラに着いてきていたのは副部隊長の爺と、同じ部族出身の男三人。その内二人が笑っていたが、爺の肘打ちを受けて二人同時に脇腹を押さえる事になる。
それに目を向ける事なくギルドマスターへ視線を向けていたカサンドラは、一つ息を吐いてから応接用のソファにドカッと腰掛けるのだった。
「具体的には話せないよ。」
そう言って長い脚を組むカサンドラに、ギルドマスターは苦笑しながらも頷いてからサブマスターへと茶の準備を申し付ける。二人の気安さに驚いていたサブマスターも、己の役割を認識すれば直ぐに切り替え、深々と礼をしてから隣室へと消えて行った。
「勿論、お主が行動する逐一を教えろなんて事は言わん。じゃが、二つだけ明確にしときたくての。」
サブマスターが去った事を確認したギルドマスターが困ったように言えば、カサンドラもそれにハンッと鼻で笑い返すのだった。
「分かってるさ。公爵とギルド、その二つに関係してるかどうか。だろう?」
ギルドマスターが聞きたい事を先んじて言うカサンドラに、やはり油断ならない相手だと思い直すギルドマスター。彼とて武力一辺倒の人物ではなく、ギルドの役員となったその時から人同士のドロドロとした関わり合いに身を置いてきた。
それに比べれば正直に語り合えるカサンドラの相手は万倍もマシというものだが、それでも突然来て驚かせるのだけはやめて欲しいと切に願うのだった。
その願いが叶う事は無いのだが。
「相変わらず話が早くて助かるの。見ての通り、今この町は公爵家の馬鹿者共のせいで色々と滞っておるからのぉ。それが解決するというなら、お主の仕事に手を貸す事を約束するとも。」
好々爺のように緩められたその目に、騙される者は多い。だがカサンドラはそういった類の者とはまるで違う人種だ。
それも分かった上で言っているのが分かるだけに、カサンドラもギルドマスターと同じく、やり難い相手だね、などと考えていた。
根は似た者同士なのかもしれない。
「別にアンタ達の助けはいらないよ。今回はギルドは関係ない。アタシに命を下せるのは一人だけだって、前も言ったろう?その一人からのお願いでね。公爵家が何やら余計な物に手を出したみたいでさ、それを潰すのが目的といえば目的だね。その辺、何か知ってる事があれば教えな。無いならアタシの行動を邪魔しないとだけ約束するんだね。」
まるで破落戸の脅し文句のような事を言っているカサンドラだが、ギルドマスターは寧ろこのくらいがカサンドラらしくてちょうど良いなどと考えていた。
そんな横道に逸れた考えを追い出したギルドマスターだったが、公爵家に関して集まった情報はどの程度あったかを考え始める。そしてすぐに何かを思い出し、机の引き出しを漁り始めた。
「おぉ、あったあった。これじゃよ。」
数秒の間探していたそれは、引き出しの奥底に仕舞われていた。これは情報が古いなどという事ではなく、仮に誰かこの部屋に侵入しても見つからないように隠し底となっている蓋を開ける為だった。
ギルドマスターが取り出したのは封筒で、それを差し出した彼は笑顔だった。カサンドラの代わりにそれを受け取った部隊員からカサンドラの手に渡った封筒は、カサンドラの手によってすぐに開封され中身を検められるのだった。
「へぇ…?アンタにしちゃよく調べたじゃないか。…あぁ、あのサブマスターかい。優秀な部下を持ったねぇ。」
しかしその笑顔も、カサンドラの言葉で驚きに変わる。サブマスターも裏の仕事をしている仲間だと、教えた記憶などなかったからだ。
だがその身のこなしを見て正体の予想をつけていたカサンドラからすれば、目の前の元土帝とは違う調査方法で書かれたそれを見れば一目瞭然というもの。そんなに驚く事かね、などと呑気に考えるカサンドラだったが、手に持つ資料からは視線を外さなかった。
「よし、全部覚えたから返すよ。ここにある以上の情報は無いね?ならこれで失礼するよ。」
そう言ってカサンドラが立ち上がるのと、サブマスターが茶の準備を終えて戻るのは同時だった。
折角なら、とサブマスターから茶を受け取り、立ったまま熱い紅茶を一気飲みするカサンドラ。部隊員や爺もそれに続き、口々に礼を告げると扉へ向かう。それに待ったをかけたのはギルドマスターだった。
「まぁ待て。それを見せてやったじゃろ?その礼に、お主が仕事を終えた後にでも儂が欲しい情報の一つくらい持ってきてくれてもえぇんじゃよ?」
その声に足を留める事なく、カサンドラは部屋を出て行った。だが、しっかりと後ろ手を振って行った事で、ギルドマスターは満足したように笑う。ガサツなようでいて細かな気遣いが出来るカサンドラの事を、彼はよく知っていた。
「…相変わらず嵐のような奴じゃの。まぁえぇ。炎帝がこの町を去る日には儂の任務も大きく進展するじゃろうて。」
その呟きを聞いたサブマスターは、話の流れが見えず首を傾げる事しかできなかった。




