231話
竜脈。世界の各地へと繋がるそれは、この世界に生きる者全てに必要な魔素を運ぶ。
大地の底を流れる竜脈は、ヴェルムら天竜であってもその大河に身を沈める事の出来ぬほど濃い魔素で構成されており、そこから少しずつ大地へと魔素が染み出す事によって世界に魔素を届けているのである。
この竜脈の存在を知る者は人族に殆どおらず、世界樹を護る役目を持つエルフなどの限られた一族に限定される。
ヴェルムは天竜であるが故にその存在を認識しているが、この事実をグラナルド王族ですら知らないという事が、世界にとっての機密である事の証左であろう。
友であっても世界の秘密は教えない。そこには天竜としての役目を持つヴェルムの矜持がある。
だが、ドラグ騎士団に関してはそうではない。彼らはヴェルムの家族であるが、それ以前に眷属だからだ。
この竜脈に関しての知識は、ドラグ騎士団であっても準騎士の間は伝えられない。血継の儀を経た準騎士でも、それを知るにはまだ早いという判断が為されるのである。
五隊であっても、竜脈の役割と機能、害する事で起こり得る事態などに関する知識は詰め込まれるものの、更に深い知識や実態に関して教わるのは零番隊になってからだ。これは、零番隊が世界中に足を伸ばす隊だからに他ならない。
更に言えば、零番隊程の実力となれば、竜脈に何かあってそれを阻止する必要が出て来た時に対処が可能となる。そんな非常事態で己の判断を下せるだけの知識が必要だという理由で、零番隊に詳しく講義の形で知識を施すのである。
そんな竜脈に、西の国の貴族が悪影響を及ぼした。竜脈の知名度からして、正確に狙った犯行ではないのだろう。だが現実に影響は出ており、どんな手段を用いたのかをドラグ騎士団は調べる必要があった。
そこで、ヴェルムはゆいな隊とカサンドラ隊に出撃を要請する。
任務を受領した二部隊は、必要な準備を終えた後に直ぐ本部を出立した。
そんな二部隊を本部西門から見送ったヴェルム。珍しく見送りに出ているヴェルムを見た騎士団員達は、何か重大な問題でも起こったのかと噂を拡げるのだった。
だが準騎士達が知らぬ竜脈の問題についての調査だという答えが噂される事は無く、エルフ族との問題で進展があったのでは、という一部だけ的を射た噂だけが団内を駆け回る結果となった。
事態が動いたのは二部隊が出立して二日経った日の事だった。
「団長、私も向こうに行こうと思うのだが。許可をくれるか。」
団長室に来るなり、挨拶もそこそこに早速本題を切り出したのは、ドラグ騎士団制作科の科長であった。
彼はムスッとした表情で淡々とヴェルムに問う。それは許可を得ているというより、決定事項を伝えているだけのような、そんな印象を与える事務的な言い方だった。
理由の説明も、そもそも向こうとは何処なのかも言わないまま許可を求める科長に、ヴェルムは苦笑しながらも頷く。
それを見た科長は、もうここに用はないとばかりに踵を返した。だが、そんな彼にヴェルムの待ったがかかる。
引き止められた事に不快感を醸し出した顔をヴェルムに向けた彼だったが、思いの外真剣な様子のヴェルムに表情を戻し、クルリと身体の向きを出口からソファに変えた。
ヴェルムはそんな彼に安堵の息を漏らし、それから手でソファを指して座るように促す。科長がそれを受けてソファの座面に静かに身を沈ませれば、ヴェルムは部屋の隅に立つアイルへ視線で合図を送った。
こちらは慣れたもので、アイルは目礼だけ返すとすぐに茶の準備を始める。そんな流れを見ていた科長は、茶が必要な程長い話になるのかとコッソリため息を吐くのだった。
「君はいつも説明が足りないね。部下も困っているのではないかい?」
アイルから茶を受け取った科長がそれに口をつけたのを見てから話しかけたヴェルムに、科長は鋭い目線だけをカップ越しに向けた。
これは睨んでいる訳では無く、そもそもこういう顔つき目つきなのである。更に感情によって動く事の滅多に無い表情筋は、アイルと同じく常に平静を保っている。
勘違いされやすい見た目をしているのは彼も承知しており、モノづくりを生業とする職人だと初見で信じてもらえた試しなどないため、今では彼を見た者が裏社会の住人ではと噂する事すら放置していた。
しかしそんな科長も、ドラグ騎士団の面々からは厚い信頼を寄せられている。一部の女性団員などは、彼を可愛いとすら言うのである。
その原因は明らかで、それは彼の趣味にある。
科長は、ぬいぐるみやアクセサリーといった、可愛いものに目が無いのだ。一般的な可愛いもの好きとは違うところが、そういった物を見ると自分でも作りたくなってしまうという厄介な所ではあるが、熊のぬいぐるみを真剣な表情で縫う彼のギャップに、女性団員が可愛いと口走るという結果が生まれるのである。
見た目はそれこそ、筋骨隆々で団服の上からでも分かる鍛えた身体があり、鋭い視線と頬に走る一筋の傷が、反社会組織や裏社会の住人と間違われる原因になっている。
だがその腕は他の追随を許さぬ程に精巧なモノづくりを実現しており、団員の団服や隊服、武器や道具の加工、生産に関わる事の殆ど全てを彼ら制作科が担っている。
ポーションなどの薬品であったり、錬金術が必要な制作物に関しては錬金術研究所の管轄となるが、大きな括りで言えば研究所も制作科の一部であるため、所長よりも科長の方が立場としては上となるのだ。
彼はドラグ騎士団の裏方の頂点にいる三人の内の一人だ。内務長官、制作科長、料理長。この三人がドラグ騎士団を影で支える屋台骨である事は、団員なら誰しもが理解している。
故に団員たちは彼らを慕い、敬い、頼るのだ。
そんな裏方の頂点が、本部を離れ現場に赴こうとしている。
彼の性格から、脳内で理解している事は一々口に出したりしないため、ヴェルムに対する言葉が最も少なくなる。それはヴェルムが己の言葉を理解していると信じているためで、説明が必要な部下にそれを怠ったことなど無い、と脳内だけで反論を返した。
彼が一人で脳内会話を繰り広げていると、その考えを悟ったように困った顔で笑うヴェルムと目が合った。
ヴェルムは何やら書き物をしており、まさか己を見ているとは思っていなかった科長は少しだけ鋭い視線を緩めたが、それにフッと息を漏らしたヴェルムを見て、不機嫌そうに眉を顰めるのだった。
「その表情を見れば考えは分かるけどね。いつも言うように、言葉とはヒトの大事なコミュニケーション術の一つなのさ。だからそれを省いてしまえば、私と君とで交流が少なくなってしまうだろう?」
書き物に視線を戻したヴェルムが続けてそう言うが、科長はもう一度カップを口に運ぶだけだった。
ヒトの大事な、と言われても、ヴェルムの血を受けた科長は既に人族とは言い難い。ヒト型の生物である事は確かだが、伝わるなら言葉にせずとも良いだろうに。などと考える科長は、そんか考えすらもヴェルムには口に出さずとも伝わっているのだと信じて疑わない。
当然ながら正確に伝わっているのだが、正しくは伝わっているのではなく、科長ならそう考えるだろうというヴェルムの予測でしか無い。だが、憶測ではなく予測出来るという辺りに、彼らの関係の深さと年月の長さを感じられるのだった。
「所長も連れて行く。今回はそれだけ重要だろう。」
ヴェルムの言葉には何も返さない上に、更に要求を重ねる科長。やり方としては最悪だが、ヴェルムにとってもその提案は理に適っている。
もう少しだけその言葉足らずな部分はどうにかならないかと思いながらも、そうだね、と呟いたヴェルム。静かな環境も騒がしい宴もどちらも好むヴェルムだが、この科長との静かな時間も嫌いではなかった。
互いに考えるだけで会話が進むというのも面白くあるが、互いの事を理解していないと成り立たないそれがどこまで差異なく進むのか試してみたい思いも生まれる。
一言で言えば、悪くない。そんな感想が浮かぶ程度には、二人はこの音のない会話に慣れておりそれが当たり前になっていた。
「よし、出来た。」
ヴェルムは書き物を終えると、インクを乾かす為に魔法を発動する。それは己が比較的に魔法を得意と認識している科長ですら瞠目する程の精巧さ、速さ、正確さであった。
ヴェルムが魔法を用いてまで乾燥させたのは、科長に渡す指示書だった。これを書く為の時間を確保するために引き留めたのか、と科長が理解すれば、ヴェルムは机から顔を上げ、科長を揶揄うような目で見ていた。
「違うよ。これを書く為というのはついでに過ぎない。君を引き留めたのは、この説明をするためさ。」
科長の考えを見透かしたヴェルムがニヤニヤと笑って訂正すれば、己の予想を外した事に驚く科長は指示書を受け取るためにソファを立ち上がる。
執務机の前に行き指示書を受け取り、その内容に目を通してもヴェルムの言う意味が理解出来ない事に首を傾げた科長は、分からないなら問うまで、とヴェルムに視線を向けた。
ヴェルムはそんな科長を黙って見ており、彼が指示書へ目を通す間に机から取り出した資料を魔法で彼の手元に飛ばす。普段から手渡しをするヴェルムにしては珍しく雑な扱いのそれは、決して雑に扱っていい物ではなかった。
「…これは…!」
彼が団長室に来て三度目の言葉は、驚いたが故に無意識で口から飛び出した一言だった。
科長が手にした資料は竜脈に関する調査書で、零番隊による調査を纏めた物だ。
「それを読んでから行くように。所長にも共有しておくれ。件の公爵に関してはゆいなとカサンドラに頼んでいるから、二人が見つけた魔道具なり何なりの調査が君たちの仕事だよ。そこでもし竜脈に悪影響の何かがあれば、君たちの判断でそれの処理を頼むよ。それを読んでいれば間違う事は無いはずだからね。」
ヴェルムは真剣な表情に戻ってそう言うと、その言葉を無視して資料を読む科長から視線を外す。そして向けた先にいたアイルへ何やら合図を出すと、アイルは心得たように目礼を返すのだった。
今アイルが受けた指示は、科長が資料を読み終えるタイミングでちょうど良い温度になるよう熱めの茶を淹れる事。
科長とヴェルムとの間に言葉は少ないが、アイルとヴェルムの間でも殆どの指示が無言で行われている事に、二人は気付いていない。当たり前となり過ぎているからだろう。
だがヴェルムは、アイルに対して毎日数多の声をかける。それは目線だけでは伝わらない指示であったり、なんの意味もない世間話であったりと様々だ。
科長とアイルとで扱いが違うのは、ヴェルムにとってアイルは育てなければならない子どもだという事もあるのだろう。
家族であり友のような存在でもある科長と、自ら救い育ててきたアイルとでは扱いが異なるのは当然で、アイルも科長も、今のヴェルムとのやり取りが心地良いと感じている。それぞれに合った距離感ややり取りを見つけるのが上手いヴェルムのため、こうした絶妙なバランスを保っているのだった。
「ん、ありがたい。」
科長がちょうど資料を読み終えた時、程よい熱さとなった茶を飲み穏やかな視線をアイルへと向けた。熱中して資料を読んでいても、いつ茶のお代わりが出されたのかは把握していたようだ。
その時間から逆算して、今の温度になった事を考えた科長が、わざわざ熱く茶を淹れたアイルに礼を言うのは至極当然の気持ちだった。
このような細かい事に気がつく彼は、周囲をよく見て観察するのが癖になっているのだろう。些細な事でもその理由や過程を予測し、因果を結びつけるのが職人の運命であるのかもしれない。
「この資料は貰っていくぞ。明日の朝一番で出る。騎獣は飛竜を借りるが、空きはあるか。」
茶を飲みいつもの鋭い視線を緩ませた科長がヴェルムに問えば、その問いを予想していたように即答で答えるヴェルム。
騎獣を使わねば距離がある西の国は、もう既にカサンドラとゆいなの二部隊が到着している頃だろう。騎獣に関しては、西の国との国境線側にある街に、ドラグ騎士団支部がある。そこで預かって貰えば問題はない。
ヴェルムがその辺りを考慮して頷けば、科長は今度こそ用事は終わったとばかりに熱いままの茶を一気に流し込んだ。
「ではな。…アイル、茶を淹れるのが上手くなったな。また頼む。」
そう言って資料と指示書を持って出て行った科長。残されたヴェルムとアイルは、示し合わすでもなく自然と目を合わせた。何となく互いに思った事が同じな気がして笑ったヴェルムに、アイルもまた標準装備の無表情を少しだけ崩して微笑んだ気がした。




